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交通博物館には数え切れない思い出があります。子供の頃は、秋葉原駅手前の神田駅で降りて、カワイモデルの店頭を見るのがお決まりでした。見慣れたエントランスのD51と0系新幹線、何百回と見たことか。(2006.4.2撮影)閉館が近づくと、高架上の保線用側線にEF55が展示されました。(2006.4.2撮影)SLナンバープレートの壁が圧巻でした。昭和53年まで、毎冬にSLナンバープレートの即売会があり早朝から並びました。(形式に関わらず1枚30,000円でした)(2006.4.15
今朝は娘を駅まで送ったあと、「185」を撮りに行きました。横浜始発なので、ここで撮っても回送表示ですが、どうしてもこのスポットで撮りたい理由がありました。回9061M185系×6連[宮オオ]2024.5.18東神奈川-横浜通学のバスから、須崎御用邸へ向かう157系が見えたのはここでした。手前の線路が貨物線だった頃、行き交う荷物列車やコキ10000が見えたのもここだった。このスポットでMT54のサウンドを聞くと、10代の頃に戻れるようでテンションが上がりまくるん
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、最近よく出てくるチキ6000(7000)の話です。レール積荷と極小文字の表記類についての工夫について、実車写真を交えて書いてみたいと思います。先日の記事”チキ6000その後”のその後..といった感じです(笑)。ミニ動画Vol.02で先行登場していましたが、積荷のレールが載りました。左側はTOMIXの2774;チキ7000と、これから改造したチキ6000です。製品にはウェイト兼積荷としてレールが6本付いていましたが、写真のように上下互い違
こんばんは。今日はNゲージ鉄道模型先日入線したTOMIXのヨ8000に室内灯を入れてみました。室内灯が入ったヨ8402(TOMIX)、後方はヨ8351(MicroAce)です。両方室内灯点灯仕様としましたが、今回はTOMIXに関する話、MicroAceは次回書きたいと思います。さて、ヨ8000は国鉄時代に貨物列車のしんがりに連結され、車掌さんが乗務する”車掌車”、貨物を積むわけではないためか非常にコンパクトです。室内スペースはNスケール進行方向でも2cmありません。通常のテープLE
こんばんは。今日はED75機番シリーズの第88回、139号機を取り上げます。貨物列車を中心に活躍した機関車です。ED75139[盛]1968年落成国鉄時代は盛岡機関区配置を貫き、民営化時にはJR貨物へ継承されます。最初に出会ったのはJR化後のこの時、結構よく出てくるワキ5000/6000とコキ車が混ざって連結された151レを牽引して来ました。写真はワキ車しか写っていませんが。1989/08東北本線(以下同様)白坂-新白河151レこれもよく出てくる北海道からの
こんばんは。今日は客車にジャンパ栓類を表現する話です。これまでも断片的に書いてきていますがSpotを当ててみたいを思います。今日は新性能客車50系の設計から派生した車両達です。今回ジャンパ栓表現を付けたスユニ50(左)と、マニ44(右)です。どちらもKATO製です。マニ44は50系の派生形式じゃないかも知れませんが、書籍等で調べるとスユニ50とほぼ同じジャンパ栓配置でした。私はKATOが断然多いですが最近のメーカー品、セット物の客車などには専用のジャンパ栓、ホース類表現が付いて
一昨日新川崎へ行きました。線路際のツツジと絡めたかったのですが、あいにく線路に近いツツジだけ枯れていました。ツツジの見頃は今くらいのはずで、ここにも地球温暖化…新鶴見EF65PFは3月ダイヤ改正で運用が大幅に減少しました。8460レEF652074[新]+タキ車列車番号では臨時列車ですが、この列車から新鶴見PFの運用がスタートするので、首都圏で日中確実に狙える列車です。その後に現れたのは、新車の輝きが残るEF210-300。8584レEF210-361[新]
今でも、たまに中高生がカメラをぶら下げている尾久駅構内ですが、この時は民営化後に控車として残った旧型客車が恰好の位置にいました。この数年前まで、上野駅発着の旧型客車が走っていましたが、意外にも首都圏では10系客車は少数派でした。編成に組まれていても、冬季は歪んだ窓枠から入り込む隙間風が苦手で乗車を避けましたけど・・マニ362121は戦前製のスハ32を改造したもので、イベント用でない旧型客車が民営化後に良く生き延びたものです。
(前回記事の続き)(381系特急やくも@岡山駅)★過去記事↓国鉄型車両の宝庫、岡山へ【最終章・岡山の国鉄型電車①】『国鉄型車両の宝庫、岡山へ【最終章・岡山の国鉄型電車①】』(寝台特急「サンライズ瀬戸」と津山線快速「ことぶき」@岡山駅)東京駅寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」この日の「サンライズ瀬戸」は、JR土讃線・琴…ameblo.jp最後の活躍国鉄型113系・115系・381系特急やくも【最終章・岡山の国鉄型電車②】『最後の活躍国鉄型113系・115系・38
こちらも箱になりました。いかにも改造車といった感じの、不揃いな窓配置が独特ですね。これも片町線仕様のオレンジに塗装してみました。▲いろんなパーツの継ぎはぎで作っているため、ちょっと裾がガタガタしてしまいました。ただ、床板は水平に嵌まって走行には問題なさそうなので、このまま修正無しで突っ走ります(^^
こんばんは。今日はNゲージ鉄道模型先日ジャンパ栓交換ネタを書いたKATO50系客車についての続きです。先日の”DCC大暴走事件”の影響で予定より遅くなりました(笑)。好みの国鉄型ですし、何度も乗って、沢山撮って、私にとってはとても馴染み深い車両の1つなので既に3編成17両が在籍しています。写真は50系列車同士のすれ違いイメージを撮ってみました。My保有車両の一覧です。[T]は改番を行った車両、カタカナ2文字は所属区を示します。カヌ=上沼垂(新カヌ)4両、モカ=盛岡(盛モカ)7
こんばんは。今日はED75機番シリーズの第44回、1014号機です。1000番台初期型の1両でしたが、残念ながら不運の運命にあった機関車です。ED751014[福]1968年落成→[長]1980年~長町に転属するまでに短期的に盛岡、青森などを転々としていたようです。最初の出会いはこの1枚、印象に残る列車の先頭で来ました。ED753重連牽引の1151レ、この時先頭でやって来たのが1014号機でした。この頃は黒磯-白河間で定期3重連運用、定期とわかっていても当時はそう撮
こんばんは。今日はED75機番シリーズの第75回、757号機の2回目です。後編になるはずでしたが、実に色々なポジが出てきたので初の3部作化、今回は”中編”とさせていただきます。2001~2007年の活躍です。土崎工場から全検出場した後の姿です。黒磯で北へ戻って行く単回発車スタンバイの姿です。黒Hゴム、碍子緑塗装とスタイルは変わりましたが、相変わらず端正ないで立ちです。2001/10東北本線(特記以外以下同様)黒磯駅単9***レ順番が前後しますが、全検後初撮影はこの1枚で
2月下旬のことだ。撮影機材を買い替えたことを、ある友人に報告した。そして、LINEですぐさま返ってきた返事がやくも行きますか?だった(笑)いや~、381系ですか~。乗ったことあるし、撮っておきたいけれど遠いしな~。…とかなんとか思っていたのだが、気付いたら3月15日の夜には米子に着いていたわけで(笑)しかも有り難いことに友人がクルマを出してくれるということになり、山陰路を縦横無尽に駆け巡れることとなった。撮影決行日は3月16日。多くの鉄道ファンは北陸新幹線
太陽の動きに合わせて撮り鉄も動く。まるで天体のようだ(笑)宍道湖バックの撮影地を撤収し、次に向かったのは米子~安来の有名スポットだった。天気が良ければ大山バックを望むことができる。今日は朝から快晴。これは期待できるぞ、と思ったが…大山は心の目でしか見えない状況でしたorz空が霞んでしまっていた。晴れていればいい、というわけではないのがこの世界の難しいところ。自然が相手だから、こればかりは仕方ない。レンズを望遠側にズームして、編成を捉える構図にする。それで
東京神田のカワイモデルが3月末で閉店。1928年創業の鉄道模型販売店カワイモデル。戦後いち早くHOゲージに参入。以来蒸気機関車から103系通勤電車まで多くの製品を発売していました。私は戦後直ぐ1949年発売と言われるED14の初期ロットを10年程前に買ったのが最初です。(手前から2両目、茶色の機関車)今から10年以上前、ネコパブのB滝さんからカワイモデルのED14をディテールUPするコンバージョンキットの試作品を頂きました。比較的プロポーションの良いカワイモデルのED14を現代の製品レベル
秋田中央交通軌道線は奥羽本線八郎潟駅から五城目駅までの僅か3.8kmの小私鉄でした。五城目小学校の保存車両を知り、八郎潟駅から路線バスに乗り込みました。約10分で五城目に到着、目的の車両は小学校のグラウンド横にありました。この鉄道は電化後も最後まで電車を導入しなかったことで有名でした。EB111は越後交通から移った機関車、ナハフ20は国鉄キハ41000を客車化したものです。塗色は窓周りが赤色、下回りが黒で、実際の色とは違うようでした。まるでジオラマのように架線柱に架線が張られています
米子~安来のお立ち台での撮影を終え、撮影地はさらに東に進めることに。日の当たり方も大事だが、この日のうちに米子空港から飛び立って帰宅するから、その方が好都合でもあった。順序は多少前後するが、まずは岸本の大山バックで撮った写真をご覧いただく(順序が前後する理由は、次回の記事で詳しく説明させていただきます)。河川敷にクルマを止めて、近くで畑仕事をしていた男性に挨拶。嫌な顔はされなかった。どうやら撮り鉄にご理解があるようだ。【写真1】240316OM-1+M.ZUIKO
楽しい休日が終わり、現実が迫ってきました。さて、215系の整備、入線が完了したのでいよいよJR東海静岡運転所の165系の整備を進めていきましょう。…とその前に確認を。JR型車両は特に問題ないのですが、国鉄型車両はいろいろな仕様があります。113系や115系、485系などの電車だけでなく、14系や24系などの客車やキハ58などの気動車もそうです。全国的に使われた車両で、国鉄民営化後、JRに引き継がれ、さらに地域ごとに手が加えられています。同様に165系も事前に下調べをしておかないと、決して
1992年4月8日、EF6655は「さくら」を牽引中、須磨付近で国道2号線から転落したトレーラーと衝突し、直後鷹取工場に収容、1年以上かけて本線上に復帰しました。復旧から少しあとの姿です。特急客8レはやぶさEF6655[関]+25形[鹿カコ+熊クマ]1993.12.5横浜せっかく復活した55号機でしたが、それまで定評があった安定性に事故で狂いが生じたようで、この4年後に廃車となっています。「はやぶさ」の列車番号が7・8とは30年経った今も馴染めませんが、199
撮影日2022.4.9撮影場所特急「やくも」出雲市行き車内前回に続き、国鉄色復刻編成の381系「やくも」の紹介です。今回は岡山駅から松江駅まで乗車した際の車内の紹介です。「やくも」に乗るのは久しぶりですが、夜間の乗車だったのがいささか残念でした。(一枚目)・外観と違い、大幅にリニューアルされた普通車の車内です。国鉄特急形車両は民営化後多くがアコモ改善されましたが、「やくも」用381系も90年代にまず「スーパーやくも」次に「やくも」用でアコモ改善が行
東京発のブルートレインの牽引機は世代によって「推し」が異なりますが、私はEF65Pの印象が強いです。物心ついた頃、親が買ってくれた鉄道の本は、ヘッドマークを付けたEF65Pが必ず載っていました。EF65P牽引の夜行列車に乗ったことが無くても、この機関車によって鉄道の世界に引きずり込まれた思いがあるからです。特急客1レさくらEF65512[東]+14系客車[南シナ]1977.8.26東京現在は京都鉄道博物館に発展解消した、大阪環状線・弁天町駅最寄の交通科学博物
こんにちは。今日はNゲージです。KATOのナハネフ23を1両Assyで増備、予約していたものが到着しました。既存の車両と共に連結して運行します。右が今回増備したもの、左は既運用車です。増備車は車掌室の室内が作り込まれ、貫通扉には製品状態で銀色が入っています。またカプラーセット取付でジャンパ栓、エアホースも20系のものが再現されます。自分で貫通扉に銀色を差し、てきとーなジャンパ栓類を貼り付けていた既存品よりだいぶリアルになりました。早速組んで連結器交換(MicroTrains)、自作室内灯
こんばんは。前記事でED75757工臨写真をUpしました。恐らく全検出場初運用の”現物”を見た後なので鉄道模型の同機番車両も動かしてみたくなりました。模型におけるED75757の最新(後述手入れ後)の姿です。KATOの品番3075-3を小改造の上在籍しています。現存車輛ということもありますが、昔から撮影機会の多い馴染み深い車両なので、改番の手間をかけてでもNゲージで再現していました。そんな模型の757、以前はTOMIXでした。最初は品番2175後にユニットサッシタイプの品番915
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、先日の24系25形”富士”編成の軽量化で、牽引が可能になったEF66についてです。KATOの3047-2EF66後期型ブルトレ牽引機が在籍しています。この”富士”のヘッドマークは自己流で”マグネット式”クイックヘッドマークに改造しています。私はこれまでKATOのクイックヘッドマークと言えばマグネットが当たり前と思っていましたが..この件は後述します。この機関車は少し古い構造、以前から書いているように牽引力、集電性能がKATOの最新設計車より
2015年まで中央本線では115系が使用されていました。民営化以降115系には地域色と呼ばれる、各地域を意識した色が用意されていましたが。中央本線では「新長野色」と呼ばれる色の115系が走っていました。新長野色の115系は長野総合車両センター所属しており、全車両が1000番台でした。中央本線の立川から塩尻までは主に6両編成の115系C編成が使用されていました。ここでは新長野色の115系C編成を紹介します。▲勝沼ぶどう郷駅に入線する115系C編成。C編成は6両編成の長い編成を組んで
撮影日2023.6.23撮影場所JR西日本本四備讃線児島駅及び岡山行車内227系導入により先行きが危惧されている、先日撮影した115系300番台です。(一枚目)・折り返して岡山駅へ向かうD-25編成です。115系300番台は1973年から1977年まで488両が製造されたグループです。基本番台を元に当初から冷房車として製造され、集中式冷房AU75Cを搭載し前照灯はシールドビーム化、側窓はユニット窓となり側面は電動式行先表示器を準備工事としました。車体は難燃
「アルプス」が特急なんて、ぼったくりの感は否めない。それでも中央線の優等列車は、やはり「アルプス」だ。406M急行アルプス6号(南小谷9:52→新宿15:36)165系8連[長モト]1980.8.19安曇追分-細野大糸線に向かう夜行列車は「ムーンライト信州」ではなく、やはり「アルプス」だ。
前回まではクハ58改造のクハ79にするつもりでしたが、クハばかり増えてしまっても編成になりませんので(^^;急遽電装改造。もっとも、車体が共通ですので、配管やらランボードを追加しただけですが(^^▲実車は片町線にいたようですので、オレンジに塗装しました。塗装前から気づいていたのですが、車体が歪んで台枠垂下気味(^^;実車が戦時改造で誕生してますので、「当時の改造が緊急だったので、後年台枠に歪みが生じ…」という設定でお茶を濁しておきます💦
こんばんは。今日はレアな飯田線ネタです。夏場に1度だけED62を狙いに行っていました。写真は全て1990年8月、飯田線伊那福岡-田切間の撮影です。短い編成の貨物列車が何本も運転され、ED62が先頭に立っていました。狙いのメインはこの機関車でした。5274レこの時のイメージで鉄道模型でもED62が在籍しています。写真の3号機としています。ED62は全車ED61からの改造車です。ED61は1958~59年製、この当時で齢30歳を超える古豪機関車でした。飯田線の線路規格が低く、軸重を