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撮影日2025.4.26撮影場所JR九州筑肥線筑前前原駅筑肥線で今も活躍する標準塗色の103系1500番台のE17編成です。標準塗色の編成は全然紹介していませんでした。(一枚目)・苦しいアングルですが、305系と並ぶ唐津行きワンマン列車に使われていたE17編成です。この編成は1982年日立製作所製で、このクハ103-1517は元からの先頭車で分割併合に対応しておらず、幌枠は未設置です。スカートは後年の設置です。103系1500番台は筑肥線と福岡市営地下
先日は以前より在籍している113系1500番台横須賀線セットをフル編成にするべくモハユニットが入線以前入線していたサハとともに編成に組み込みます基本編成11連が揃いましたさらに化けサロも連結出来るように実際は1000'番台の編成のようですが、まあ模型的に編成バリエーションということで付属4両をどうにかしてやらなければですね
改良再生産となったKATOHOのD51。ちまちまとユーザー取付パーツを付けてました。と言っても前面左右手摺と解放テコ、煙室ハンドル、テンダーの手摺と解放テコ、エアホースぐらい。ナンバープレートを取り付け終了です。ナンバーは1967年時点で秋田機関区所属の354(中央)と1971年時点で青森機関区所属の739(左)を選択しましたが、天賞堂カンタムのD51(右)と被ってしまいました。まあそれでも良いのです。天賞堂カンタムD51(左)と比べディテールは簡素ですがくど過ぎず寧ろ落ち着い
先日サロンカーはやたまを撮影にいく際、田辺によってC577を見学ウランガラスのせいかヘッドライトが黄色くみえますね
1998年5月11日、小樽交通記念館(現・小樽市総合博物館本館)にて。ED75-501。27年前のきょう。北海道を旅していたワタシは、小樽市手宮にある小樽交通記念館を訪ねていた。ここはかつての手宮線手宮駅の跡地で、北海道の鉄道発祥の地となったところ。そこに、道内で活躍した各種車両たちが保存されていた。その後、2007(平成19)年に小樽市博物館と統合され、現在の名称になっている。スナップしていたなかに、冒頭カットのED75-501があった。同機は、ED75の北海道仕様試験機と
撮影日2025.5.10撮影場所JR九州鹿児島本線博多駅九州だけに残っている415系の中でも特異な存在、JR東日本から移籍の1500番台Fo1501編成ですが、一時期離脱していた事も有りましたが現在も活躍する姿が見られます。写真は朝の吉塚行で8両の輸送力列車ですが、4月の改正で415系の運用が増えています。同時に東日本から移籍した500番台は引退しましたが、まだ暫く活躍出来そうです。以上です。
交通博物館の楽しみのひとつが、167系のモックアップを観ることでした。この頃は、車両での飲食禁止でしたが、私が子供の頃はテーブルのある車内で食事ができたと記憶しています。(2005.2.19交通博物館)現在は鉄道博物館に移り、交通博物館時代と全く変わらない状態で、車内へ立ち入ることができます。(2025.4.9鉄道博物館)車内に設置された速度計の「スピード」の文字フォントが如何にも昭和テイスト・・車内は8人分のみの座席が配置。竣工当初は2.5mほど長かったのですが、交通博物館にC
連休明けの到着でした。KATOHOD51標準量産形24年振りの改良再生産品です。あれっ?!疲れているのかダブって見えるような...結局我慢出来ず2両買ったのです。仕掛品、余剰車両などを売却。もう1両分の購入費用に充てました。何せKATOのことですから次の再生産はまた25年後かも知れず。ヘタすると死んでますし、自民盗政権が続けば間違いなく日本は無くなっていることでしょう。模型とクルマは生きているうちに楽しみましょう。早速初回D51(2001年ロット)と比較。運転台左側2001年ロッ
5月3日撮影になります。GWは妙高はねうまラインから撮影スタートです。山々は雲の中、裾野は見えていますが山を絡めての撮影は諦めてまずは下見車両故障で運行を中止していた413・455系ですが、4月26日か運行を再開していました。HMも【復活】【再開】となっています。追っかけたかったのですが、雪月花と北しなの線「開業10周年記念号」を待ってみます。
令和7年5月4日高徳線勝瑞~池谷手前は蓮根畑です。四国のキハ47系もかなり数を減らしていますね。
2000年5月6日、高崎駅にて。上野から「EL&SL奥利根号」を牽引してきた、EF65-501。25年前のきょう。高崎に来ていたワタシは、ちょうど上野からやってきた「EL&SL奥利根号」の機関車交換を見ていくことに。この日、上野からの牽引に充当されたのはEF65-501。かつてのブルトレ牽引機EF65形500番台の旅客型(P形)トップナンバーであることから「Pトップ」の愛称がつけられていた。後ろに連なる「EL&SL奥利根号」の客車はブルーのオリジナルカラーを保った12系、腰部の
2005年5月5日、佐世保駅にて。「有田陶器市号」HMを掲げて留置中の415系Fo-118編成(左)と、「シーサイドライナー」で到着したキハ66-1の並び。20年前のきょう。乗り鉄で佐世保を訪ねていたときに撮っていたカット。門司港から早岐まで、臨時快速「有田陶器市1号」として走ってきた415系8両が、佐世保まで回送されてパンタを下ろしていた。その横に、長崎から快速「シーサイドライナー」3226D列車が到着。4両のうち長崎方には、国鉄色のキハ66・67-1が連結されていた。とい
高徳線吉野川橋梁に連れて行ってもらいました。タラコ色のキハ47が来ました。
先般、いすみ鉄道のキハ52が引退しました。かつて、大糸線にいた3両のうちの1両(キハ52-125)で、大糸線時代は馴染みのない塗装(旧.標準色)でしたので、個人的にはハズレ車両でした。(2009.5.24大糸線平岩駅)いすみ鉄道で馴染みの標準色となったのは良かったが、いかんせん「大型ヘッドマーク」は余分だなぁ〜(2011.5.8いすみ鉄道国吉駅)首都圏色となった時の姿、再び標準色に戻ったのであまり記録に残しておりません。(2015.9.19いすみ鉄道大多喜〜城見ヶ丘)撮
いつもご覧いただきありがとうございます。🍵昨晩から降り続ける強い雨音で目が覚めました。☔️お昼には止んで今では雨がウソのように晴れています。今日は昨日出掛けた疲れが出たせいか久しぶりにお昼前まで爆睡していました。😅昨日記事にした不動のキハ52形100番台。袋から出してみると酷い車輪の汚れ。😰通電させてみてもモーターも起動せずライトも点灯しませんでした。😩台車をバラしてみるとホコリまみれ!😫トラクションゴムも劣化してポロポロと取れてしまいました。ホコリや汚れを爪楊枝や綿棒、ブラシ
撮影日2024.5.14撮影場所特急「しおかぜ」号松山行き車内前回に続き昨年5月の愛媛旅行の記事で、今回は乗車した「アンパンマン列車」仕様の特急「しおかぜ」号の車窓を紹介します。8000系に乗車したのは今回が初めてで、又瀬戸大橋は幾度と無く通りましたが(マリンライナーと、車では数十回…)、特急で通過したのは初めてでした。(一枚目)・岡山駅を出発し瀬戸大橋線を進むとJR貨物の岡山機関区が見えて来ました。主役のEF210に混じり今や貴重な国鉄時代の生き残り、
2002年5月2日、門司港駅にて。「有田陶器市号」のヘッドマークをつけて待機する415系8両、手前はFJ110編成。(当時)23年前のきょう。門司港駅にて、「有田陶器市号」のHMをつけてあくる日の運用に備えて待機する、415系8両の姿を捉えていた。当時は、こうした出で立ちでGWの有田陶器市への送客を担う臨時快速「有田陶器市号」が、門司港始発で運転されていた。ちょうどいま、有田陶器市の開催期間中だけど、最近の「有田陶器市号」は編成が短くなり、本数も削減されて、往時の面影を感じることは
多度津駅を発車する琴平行き普通列車。この頃は、岡山電車区の115系が琴平まで乗り入れていました。(2017.12.18予讃線多度津駅)駅構内の外れに展示されている「ハチロク」、4枚全てのプレートが「形式入りゴシック体」なのが良いですね〜要衝駅にふさわしく、構内には2基の給水塔が残されていました。右は1951年製造で、古レールを組み合わせた土台。左は1913年製造で、煉瓦造りの土台の重厚さが際立ち、国の有形文化財に登録されていました。(2017.12.18予讃線多度津駅構内)
さて、1月16日特急「北斗」乗車中、からでしたね指定席は札幌までとってあるのですが苫小牧で途中下車日高本線に乗り換えます「日高本線」かつては、ここ苫小牧から襟裳岬の手前、様似まで146.5キロを結んでいました海岸線に沿って走る区間が多く、又、静内・新冠・浦河などサラブレッド生産地も沿線に多く「右手に海、左手にお馬の親子」が楽しめる、景色に定評のある路線でした2015年の高波により、全線の8割にあたる区間が被災長期運休を余儀なくされました経営難にあえぐJR北海道に
みなさんこんにちはちょっと間隔が開いてしまいましたが、2回目となるキハ185系アラウンド・ザ・九州の作業はヘッドライト周辺の作業を行っていきます。『TOMIX98454キハ185系アラウンド・ザ・九州を特急ゆふへ仕上げます』みなさんこんにちはJR四国では運用数が減り、引退も噂され始めたキハ185。JR九州車は気動車は比較的延命されているのと、外国語対応表示LED方向幕になったので…ameblo.jp↑前回は下回りを中心に作業しました多分今回が一番面倒な作業になりそうです…。運転台
2025/4/12(土)旦那の行きたいところリストにある『昭和の杜博物館』へ行ってきました(ここの博物館は開いてる日が限られてるのでホームページで確認して行きました)目的は旦那が小さい頃から憧れていた画家(イラストレーター)さんの『小松崎茂ワールド』を堪能しに行くためです武蔵野線『東松戸駅』で下車駅から徒歩22分で到着です博物館の事務所で入場券を支払います(JAF割引きで250円/1人)ラッキー1階の展示室に入るといきなり昭和ゴジラさんこんにちはダットサンとか
先日KATOから発売になった1/80のマニ60350番台が入線しましたマニ60350番台は老朽化著しかった戦前の荷物車置換えのために昭和28~30年にかけて木造車からの鋼体化改造で直接マニ60として誕生したグループのうち、本州向けで頑丈な魚腹台枠をもったグループになります模型のほうはKATOスタンダードなカッチリとした出来窓の保護棒は通常の窓パーツの奥にもう一枚保護棒をモールド印刷したプラ材を嵌めることで奥行き感と立体感を持たせた感じにベンチレータや手すりはユーザー取り付けパーツにな
2024年10月19日日高本線鵡川駅にて「動画」です。この写真の記事はこちらを見ていただけると幸いです。
先日のキハ20の投稿で掲載したキハ52。『TOMIX国鉄ディーゼルカーキハ20形7422(M)/7423(T)』先日、トミーさんから発車したキハ20系。入線は予定していなかったが、レビュー評価が良いということで、わが線区にもwコレはキハ52やけど...w松江〜備後落合を…ameblo.jpタラコ色で転属入線。9441国鉄ディーゼルカーキハ52-100形(首都圏色・前期型)(M)7,480円2020年03月発売開封の儀。転属やけど、前車両区の扱いが丁寧やったのか、めっちゃ
2022年10月16日、鹿児島本線小森江~門司間(北栄町通り踏切)にて。関門トンネル門司側出入り口横に留置されていた、415系Fo-520編成。2022年9月ダイヤ改正時に運用を外れ、門司駅構内で疎開留置されていた415系Fo-520編成4連が昨日25日、DE10-1207の牽引で西小倉まで配給輸送され、小倉総合車両センターへ入場した。同編成は廃車・解体となるものとみられる。Fo-520編成は1984(昭和59)年2月に東急車輛(現・総合車両製作所横浜事業所)にて落成し、勝田電車
午後の日差しを浴びながら単行のキハが海辺を駆ける
しなの鉄道の169系が引退間際の頃、ホームページでの運行情報を確認し、早朝の戸倉駅に降り立ちました。(2013.1.18しなの鉄道戸倉駅構内)お目当ての湘南カラー(S52編成)は構内側線で待機中。運用開始まで時間があるので、駅周辺を散策して時間潰し・・駅に戻ると既に2番線に停車しており、数名の同業者に混じって重い思いに撮影。国鉄時代と変わりない堂々としたホームが良いですね。何しろ戸倉駅は、特急「あさま」の全列車が停車する主要駅でしたから。
香椎駅で香椎線の列車を撮影車両はキハ40の単行香椎線といえばキハ47の2両編成を多く見かけましたのでキハ40の単行は珍しく感じましたこの日は香椎駅から香椎線で和白駅に向かい西鉄宮地岳線で貝塚駅まで移動しました
↑↑↑メッセージボードのメッセージを必ずお読みください。・・・・・・・・・・・・JR東日本五日市線が本日、開業100周年を迎えました。今から100年前の1925年(大正14年)4月21日に五日市線の最初の区間・拝島仮停車場〜五日市(現武蔵五日市)間が前身の私鉄・五日市鉄道の手により開業しました。五日市線には過去一度だけ乗車・撮影した事があります。まだ201系が活躍していた頃でした。この時撮影した五日市線の写真です。武蔵五日市駅武蔵増戸〜武蔵五日市
日々の業務、お疲れ様です。育児に家事に、お疲れ様です。学業、お疲れ様です。心身メンテナンス、お大事に。さて、週1日の休日も父の介護施設訪問ならびに買い物付き添い運転で、なかなか満足に鉄分補給できませんでした。今週は、走行会には行けずじまいでした。来週こそ、新Lineupで走行会したいですさて、メンテナンスですが…さすが、バーター転属入線車輪。なぜ、このように破損?他から、カプラーボックス部分破損と差し替えて下の写真に…でこれはこれで、歯車車輪も分解し余剰パーツとします。