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2026年3月23日(月)43,934歩30.40㎞今日は歩く日。宿から津島の三好旅館に向かう。眺望のいい道中になると思っていい気分だ。左側に海を見ながら歩く。天気も良く気分もよい。柏坂へんろ道の分岐のところの遍路休憩所で休憩。冷たい水が用意されていてゆっくりと休んだ。前回前々回と柏坂へんろ道を歩いているので今回は、国道を行く。前にも国道添いの景色もいいよと聞いたことがあった。巣の川の公園で再度ゆっくり休憩。休んでいると前橋のおじ
旅の重さ-1972-この映画はJ:COMで観ました吉田拓郎さんの歌、懐かしく拝聴しました1972年10月28日解説『旅の重さ』は、日本の小説家・素九鬼子の小説、およびそれを原作とした日本映画。愛と憧れと漂泊をうたい、放浪記風に書かれている。作者の素九鬼子は当初、覆面作家として話題を呼び、奇遇なことから、この作品は世に出た。ストーリー16歳の少女が、男出入りの多い貧しい絵かきの母と女ふたりの家庭や、学校生活が憂うつになり、家を飛び出したところから物語は始まる。舞台は四国。少女の実
←クリックしてご覧ください→過去の平成16年から令和元年の一言お祝いに届けられた胡蝶蘭玄関まで届けられた宅配便に、家内から重くて持てないとの声があり、箱の中身を確認すると立派な胡蝶蘭が入っており、選挙の当選のお祝いに届けられた頃からずいぶんと年月が経過しており、久々となる胡蝶蘭を叙勲のお祝いとして受け取りました。4期20年の議員生活でしたが、最後の選挙からは11年も経過しており、選挙の度にいただいて数年間は残っていた胡蝶蘭も、現在は空になった植木鉢だけが残っており、この花は最後と思
お遍路、、また、旅の朝の準備。僕にとって、大切な、、もちろん朝の祈りも大切。それ以外に、、、、、お通じ(^^;)歩き旅なので、いつも公衆便所があるわけでもない。僕のからだは、起きてから1時間位しないと、もよおさない。。朝食は6時の予定、、4時に起きた。新しくなった、ビジネス旅館小松は、とってもきれい。作りもよく考えられていた。洗面所やトイレ、洗濯場は、奥にあり、音などの配慮があるように思う。朝の洗面、夜間のトイレも行きやすかった。5時まで待って、、髭剃り、歯磨き、トイレす
お遍路さんになりました。車中泊を含むお遍路で、行くまでに用意したものがかなり大量になりました。お遍路に行くにあたり、用意したもの。白衣私は袖無しにしました。四国八十八ヶ所用白衣【背文字入・袖無し】(簡易ポケット付き)【笈摺(おいづる)衣装】(お遍路さんの巡礼・巡拝・参拝のお供に)[お遍路グッズ][お遍路用品]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}輪袈裟と輪袈裟留輪袈裟止め(丸型/大師)金色【お遍路用品/巡礼用品】Amazon(アマゾン)私はこれにしました
Q1.の遍路で「勝浦エリアの宿」を選ぶメリットって?🤔A1.勝浦は「歩き旅初心者」にやさしい立地だからです✨勝浦付近は✔鶴林寺(20番)が近い✔遍路ルートに沿初めてった宿が多い✔交通アクセスが便利という特徴があります。また宿の選択肢が複数あり、「ひとりでも安心して泊まれる」宿が見つけやすいのも大きな魅力です😊遍路は宿で休む時間も大切な旅の一部。宿選びが合うかどうかで、翌日の歩きや気持ちが大きく変わります🙏Q2.宿はどうやって選べばいいの?女性ひとりのチェック
墓石が見えてきた。着いたんだ。ここの前、道向かいは、『臼井御来迎』戻ってきたんだ\(^o^)/14時17分着。続く。からです。ぎっくり腰になって、仕事を4日も休んでいます。動けない状態から、よっこいしょで、動けるようになりました。久々のぎっくり腰、、、辛かった。冷えたかな、疲れたかな、、体のメンテナンスを、怠りました。さぁ『御来迎臼井水』です。正面から、、南無大師遍照金剛<m(__)m>先にここにおられた、お遍路おじいさんが、、「ここ拝むのか?」と、、八十
四国八十八箇所霊場のうち、善通寺市とその周辺にある71番から77番までの札所を巡る「七ヶ所まいり」のまとめ⭐️レンタサイクルまんでがんおしゃべり広場まんでがんおしゃべり広場-【公式】讃岐もち麦ダイシモチ専門店|まんでがんオンラインショップzentsuji-mandegan.jp預かり金1000円(返却時に返金されます。)電動自転車代600円3段切り替え400円私は、同行ニ人をしたかったため、出張初日に道隆寺に別で先にお参りをし、出張後の遍路で残り6ヶ月を回りました。
←クリックしてご覧ください→過去の平成16年から令和元年の一言日比市長が我家の玄関へ津島市のお祝い品今朝の新聞拡大衆参国会議員からの手紙と祝電春の叙勲が新聞報道され、祝日にもかかわらず津島市長の表敬訪問を受け、議員時代は一般質問で批判の対象としていた市長ですが、議員引退後は一切の政治活動を止めており、七十歳を超えて毎朝市役所へ通い続ける市長に敬意を評する会話となりました。自分自身の政治信条は無党派・反自民であったことから、この歳で叙勲を受けるとは思ってもいませんでしたが