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手術の日が来ました。前回の時と同様、診察が始まる朝いちで病院へ行き、ラミナリアをいれます。徒歩で主人と病院へ向かいます。いつもとは違い、少し遠回りをして病院へ向かいました。家族で歩く時間。なんだかとても寂しくなりました。病院へ到着し、主人と別れました。主人は病院内に入れないので、入り口で今回もお別れです。次は手術が終わってからです。(病院内へ一緒に入ってほしい…、手術後もすぐに面会ができたらいいのに…)どんな時でも、一人で手術に臨むのはつらい気持ちになります。
※人工死産(中期中絶)に関する記録です。不快に思われる方、つらいお気持ちになる可能性がある方は閲覧をお控えください。9時にラミナリアを抜き、促進剤(1回目)をいれた。同時に点滴もした。このあと3時間おきに足し、3回くらい入れるかもと言われたが結果的に1回で済んだ。個室に戻ったら、いつの間にか陣痛がきていて、9:50には2~3分間隔の激しい陣痛になっていた。しゃべれないくらい痛く、この短い間にも、早く夫に来てくれと何度も願っていた。夫が10:04に到着。それからずっと背
ゆたかの先生に、感染症などをおこしてないか採血が必要な為、明日産院に行くよう言われていたので行く。かなり待って主治医がきて、亡くなっていることを一緒に確認。実際に心音をあてられて無音を聞かされると夢じゃなかったと痛感させられた。亡くなったのは、嚢胞性ヒグローマと指摘されていないほうの兄。お兄ちゃんは妊娠中期、16週で亡くなったため吸収されずこのまま子宮にいる。普通なら死産のため今から出産だが、もう一人お腹にいるため出せない。双子で胎盤が繋がっているので、生きている弟にも兄の亡くなった
妊娠10週に入り、産科病院へ健診にいきました。このころから、もう赤ちゃんのむくみやNTの大きさが小さくなっていてほしいとは考えなくなりました。(受け入れる)という感情になってきていたような気がします。「ネッコさん、お入りください。」順番がきました。「ネッコさんこんにちは。さっそく赤ちゃんの様子をみていきましょうね。」今回の診察は、経腟エコーではなく、お腹の上から見るエコーでした。今日も元気に動いてくれています。「うーん、
とうとう手術の時がきました。前回の流産手術同様、見たことのある廊下、景色、そして部屋。ほんの数か月前までは、初めての事で恐怖でいっぱいだったのに、1度経験してしまえば、こんなにも落ち着くのかと驚きました。しかし、ドキドキと心拍数はどんどん上がっているのがわかります。まもなく、娘とさよならするとき。もうお腹の中からいなくなってしまう。看護師さんと一緒に手術室へと歩くこの道のりが、とても心が締め付けられそうな気持ちでした。「ネッコさん。お待た
残念なお知らせです。先週、12w4dでNIPTを愛育病院で予約していたので主人と行ってきました。オプションで胎児ドックもお願いしていたので、まずは胎児ドックから。お腹の上からのエコーは初めてで、寝入りにお腹の上からグリグリと。主人もエコーを一緒に見ながら赤ちゃんは、映ってあっと思っていた矢先、先生から「大変申し上げにくいのですが、、、」私は、やっぱり何か異常があるだなと察知して、というのも、10週の初めての妊婦健診で浮腫みが7mmと指摘があり、心臓疾患または胎児死亡の可能性がある
絨毛検査をした2日後、病院から連絡がきました。夫婦で緊張してまっていた瞬間です。どんな結果を言われるのか。赤ちゃんにむくみができたことには何か理由があるのか。そして、その理由を私たちは探していました。「ネッコさん、検査の結果が出ました。結果を申し上げてもいいでしょうか。」「……。はい、お願いします。」「結果ですが、異常は何もありませんでした。」「え?な、なにもなかったんですか?」「はい。何もありま
前回出生前診断のクリニックへ行き染色体検査をうけてから、2週間ほど経過していました。最後に受診した時は、娘の染色体の結果と説明をうけ、最後の4Dエコーをしました。そして2週間、再度精密検査をし、その結果を後日お伝えするといわれていました。その電話だろう。そう思って電話にでました「ネッコさんですね。お久しぶりです。前回の染色体検査の精密検査結果がでました。至急お伝えしたいことがございます。できるだけお早めに、そして必ず夫婦でクリニックへお越しください。」
夫婦で話し合った次の日、通っている産科クリニックへ行きました。この時妊娠11週4日。もう日にちも迫ってきていました。来院し、妊婦マークをつけた妊婦さんやお子さんと一緒に来られている方もたくさんいました。いつもなら、苦しいな…辛いな…と感じていたあの空間でさえも、「無」な感情になっていました。「ネッコさん、お入りください。」名前が呼ばれ、先生と話をします。「そうですか…。今回は赤ちゃんをお空へ返すことにご夫婦で話し合い、決められたのですね。……わかりま
羊水検査の結果によっては妊娠継続を諦めるため、その相談のためにもともと通っていたクリニックへ行きました。ついでに妊婦健診もしました。体重が心労とつわりで減っている…嚢胞性ヒグローマと診断されました、ととりあえず報告。大学病院では中期中絶は行ってないので、信頼しているこのクリニックでできないか相談しました。基本的に出産専門で中絶手術は行っていないが、予約してくれればできるとのことで、とりあえずはひと安心。じゃあ、一応エコー見てみようか、とエコーも見てもらいました。するとなんと、ヒグロ
あのNTを指摘された日から2週間たって、都内のK大学病院へ行きました。長い長い2週間でした。大学病院自体が初めてだったので、あまりの大きさと患者さんの多さに圧倒されました。予約してたのにけっこう待たされてから診察室へ入りました。クリニックに比べて狭くて殺風景ですが、機械が大がかり!担当医は男性で、40代くらいの爽やかな先生でした。狭い診察室に、もう一人男性の医師と、女医さんの3人がいました。エコーを見ながら3人でこれは○○か?○○も□□で…と専門用語で話していたので、具体的にどういう
茶色になってきて止まってきていた出血だが13週0日の夜中3時、またしても昼用ナプキンぱんぱんぐらいの出血。翌朝病院に電話して診てもらうが、赤ちゃん達には異常はなくお腹に血も溜まってるわけではないそうで帰された。翌日の13週2日も、深紫っぽい血がドボドボ生理なみにで続ける。ヒグローマのことは夫と話し合い、夫はもし二人が染色体異常なら長男が苦労するから諦めようと言ってきた。少しでも可能性があるのなら諦めたいと。分かるけど、私は納得できなかった。胎動もある。胎児というよりもう私の赤ちゃん
今日は、自分の好きな所へ行き、好きなことを娘と一緒にしようと思っていました。天気もよく、きもちのいい気候でした。「今日は楽しんでおいでね。」と、主人から言われ、見送ります。家事を終え、支度も整い、電車へ乗りました。鞄に妊婦マークをつけ、これを付けるのも今日までなんだと思いました。電車に揺られながら、外の景色を見ていました。すると、学生さんが電車に乗ってきました。「やっとテスト終わったね。ほんと長かった~。2週間も長すぎ。」次にお年寄りのご夫婦も乗ってきました。
※人工死産(中期中絶)に関する記録です。不快に思われる方、つらいお気持ちになる可能性がある方は閲覧をお控えください。【4ヶ月】12週の壁、という言葉もある通り、妊娠4ヶ月と名乗れるこの日を待ち望んでいた。この辺りから、妊娠していることを同僚に少しずつ伝えていた。ただ、一番つわりのピークである3ヶ月に周囲に言いにくいこの雰囲気をどうにかできないのか、とも思いあぐねいていた。結局つわりで仕事を休むことは、一度もなかった。4ヶ月初めのころの私は、12週を越えさえすれば、
大学病院での妊婦健診でした。エコーを診てもらうと、ヒグローマは完全になくなっているわけではなく、薄くなってる感じでした。ヒグローマと診断されたときは4mm?でしたが、今は2mm程度。それでも、通常赤ちゃんが大きくなるとむくみも大きくなるので、反対に小さくなってるのは希望のもてることでした。しかし、心臓の動きがゆっくりなのと、断定はできないがやはりなにか心臓に疾患がありそうだ、と指摘されました。まだ赤ちゃんが小さいのでなんともいえませんが……と。あー、ヒグローマなくなっても完全に健康に
家事などはしながらも極力安静に過ごし、やっと34週まできた。出血もちょろっとでている日が続き、診察時にも子宮口も3cm開きっぱなし、子宮口も柔らかいしもういつ陣痛きてもおかしくないと言われる。陣痛がきても34週入ったから点滴とかで延ばしたりせず産むそう。この頃、息子の寝相があまりにも悪くて突然頭突きやお腹キックをしてくるので、一度お腹をおもいっきり蹴られたときドップラーではかったら170超えてて慌てて病院いったら大丈夫だった。蹴られたりした時、心拍数が上がるのじゃなくて下がるほうが怖いと
時間は夜21時を過ぎていました。主人は付き合っている時から穏やかで人柄もよく、喧嘩も付き合っている時から一度もしたことがありません。もちろん、お互いの意見が食い違う時もありますし、考えが違う時もあります。そのたびに、お互いの意見を聞き、話し合い、一緒に納得して進んでいました。どちらかの意見を押し付けたり、頭ごなしに怒鳴ったり、無理に自分の方向へとふりむかせたりなんてことはもちろんありませんでした。しかし結局いつも、私の意見を尊重してくれることが多く、(いつも本当に優しい
帰宅し、嚢胞性ヒグローマについて調べました。先生がおっしゃっていたように、染色体の異常が多いことや、無事に産まれたとしても程度にはよるが介護が必要であったり、赤ちゃんの見た目の問題もありました。呼吸をしやすくするために、気管挿管が必要だったり、食べ物が飲み込むことも難しい可能性もあるとありました。YouTubeで嚢胞性ヒグローマの疾患を持ち、その後の自分自身の生活の事などをあげてくださっている動画も拝見しました。また、ブログやツイッター、SNSも読み漁りました。同じように赤ちゃ
思ったまま殴り書きのような感じです。まとまりのない文です。不快に思う方もいるかもしれません。先週のNT5.6ミリだったので経過を診るために小児医療センターに受診してきました。NT7.7ミリでした。見えにくいとまた言われたけど…見えにくいって言われてもやっぱりひどくなってる事には間違いない。嚢胞性ヒグローマの確率が高いとのこと。羊水検査を年明けにする事になりました。ヒグローマだとしたら50%染色体異常25%何かしらの疾患残り25%何も異常なしとのことでしたが何も異
恩師との電話を終えた後、朝方まで泣き続けました。ずっと涙が止まらなかったんです。どうかお願いですから、私は今後どんな不幸でも辛いことでも耐えますから。お腹にいる我が子の病気を治してください。もうそれ以上、望まないから…もうそれ以上、望まない…本当に本当に苦しかったです。妊娠継続したいでも赤ちゃんの病気も治ってほしい楽しい妊娠生活を送りたい中絶なんてしたくないでも障害のある我が子を育てる自信もないお腹の中で命を失いたくない薬を使ってお腹
散歩をしながら毎日を過ごしていましたが、職場のことを忘れていました。以前のブログ内でも書きましたが、私の上司はポンコツで、変わった人です。今の状況を話すことですらストレスでしたが、伝えなければ何も変わりませんし、私は今働くことが困難な状況でした。今後、今の職場で働くかどうかはわかりませんが、このまま休職できるのかも含め連絡しなければいけません。電話で話す言葉を紙に書き留め、要件をまとめ、伝えることをつたえたら電話を切ろう準備し、職場へ電話をかけました。「はい、○
麻酔が切れはじめ、水分を摂取しながら天井をぼーっと眺めていました。(娘ちゃん…、娘ちゃん…。)何度か問いかけますが、返事はありませんでした。手術中、暖かいピンクの景色の中で、小さい子がスキップしながら飛んでく景色を見ました。病院の外は雲一つない晴れ。(娘はスキップしながら、お空へ帰っていったのかな。)ぼんやり空を眺めながら思いました。点滴がなくなり、ナースコールを押します。「ネッコさん、トイレに行けそうかな?トイレに行けたら前回のように
18週に入りました。相変わらず心拍良好、最近は胎動も良く感じます。普段の生活では普通の妊婦みたいに(普通の妊婦なんですけどね)生活してます。先日、もともと掛かっていた産院で受診して来ました。というのも、今継続して診ていただいているクリニックには分娩施設がないため、お産になる場合は他院に転院しないといけません。元々の産院では生産した場合の赤ちゃんの対応はできないので、22週以降になるなら総合病院は転院となりますが、それ以前であれば上の子2人を産んだこの産院で…と思い、一度受診をしておくこ
その日、眠りにつき、朝、目覚めます。昨日は睡眠薬を内服し、睡眠をとったのでむりやり寝たという感覚でした。以前の流産手術後は出血も多く、痛みも伴っていたため、ロキソニンを内服し疼痛をコントロールしていました。しかし、今回は出血量はあるものの、痛みはなく、ロキソニンを内服することなく過ごしていました。歯を磨いて、朝食の準備をします。すでに主人が起床していました。「ネッコ、おはよう。」「………。」(あれ……、え、……?!声が出ない
このころは、何を食べてもごはんはおいしくないですし、眠れもしませんし、外にでるものしんどいですし、なにもかも嫌でした。食事中も主人と会話をすることもなく、たんたんと過ぎていく時間。おはよう。行ってきます。ただいま。いただきます。お休み。会話はこれくらいだったと思います。口を開けば、赤ちゃんのことを考えなければいけない。そことは必ず向き合わないといけないことなのに、なかなかできませんでした。答えをだすことが怖かったんです。そして妊娠11週を迎えました。
はじめまして最初に、こちらのブログには妊娠、出生前診断、命の選択についてなど、読む人によっては不快な思いをされる方がいると思います。そのような方は目を通さないようにお願い致します。私には、長男、長女、次女と3人子供がいます。長男は妊娠中から何事もなく出産しましたが、長女は首の浮腫で引っかかり、クアトロテストを受けました。長女の妊娠中の話しも少し出ると思いますが、今回は妊娠初期にヒグローマだと診断された次女の話しです。当初、次女を妊娠中から記録に残したいと思っていましたが、