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「全ては中立」に関連した思想概念で「善悪の両方両端を知り、それを超えた中心の境地に至る」というものがあります。端的に言ってそれを成せる人はよほど高い機根のある人、または元々相応の修養を積んでいた人だけでしょう。単に日常を生きる中で善悪の様を知り、体験したというだけで何か新たな心的境地が開けるという事がそうそうあるでしょうか?こうした思想はやはりスピリチュアルで主流となっている、現世で様々な体験をする事を目的とする教説に取り入れられ、説かれている様です。この思想は体験を通じた先の成長を目指
1061話#ワンピース1061#onepiece#考察#ワンピース#ワンピース1061#onepiece#考察#ワンピース巨人ゴーグのオマージュ?エッグヘッドの地下には巨大な未来都市が拡がる?画像はフリー画像ですONEPIECEは尾田栄一郎/集英社/フジテレビ/東映アニメーションに著作権がありますyoutu.beエッグヘッドの地下には未来都市が広がるか?ベガパンクの研究とは?#ワンピース1061#onepiece#考察#ワンピース#ワンピース1061#o
アート的センスもストーリーも哲学も一級品。日本のアニメ作品で外国人に自信を持ってお勧めできる出来。ー人間の持つ善悪ー人の自我は善悪の両面性があり、善(シロ)だけでも悪(クロ)だけでも生きていけない。だから愛を忘れてはいけないしクロのように善(シロ)を取られ守るために突き放すと悪は暴走し人間は壊れる。そして均等にあった善悪は崩れ精神に異常をきたし、そしてイタチによってシロ(善)の存在が消えてしまいそうになる事にシロも狂ってしまった。クロが人形相手にシロと言ってるのも善(シロ)とは何かわからな
こんにちは✨芳昌です😌新しいQ&AのYouTubeです。鑑定の時にもお話しに出てきますが…「悪い事をすると罰が当たると言われているのにどうして、あの人には罰が当たらないのですか?」どうしてでしょう?こちらを見てもらったら少しは理解が出来るかも知れません😊↓↓↓↓↓https://youtu.be/JU3-ZRIV1tc物事の善悪って?私たちの生活で判断される善悪って?にお答えしました。オンラインサロンではもっともっと、お話をしています。↓↓↓↓https://re
「原因は夜納豆」と太った男性の写真に広告の謳い文句えっつ?って思うじゃないですか夜に納豆食べたら痩せる太るに関係あるの?ってこれが釣り文句で広告を見ると夜納豆に関しての記述はない悪質だね~こういう広告ってヤフーはOKなんだそれって加担行為じゃないんですかひっかかる奴が悪くて、わしら広告収入が入ればいいねんなんて、迷惑動画の連中に近くないですか?サイトに善悪は関係ないんですか?「はい」か「いいえ」で答えて欲しいもんだ
責任能力と事理弁識能力責任能力とは、一般的に自らの行った行為について責任を負うことのできる能力をいう。刑法においては、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力をいう。また、民法では、不法行為上の責任を判断しうる能力をいう(民法712条)。12歳程度であれば備えている。事理弁識能力「事理弁識能力」とは、法律行為の結果を判断することができるだけの精神能力のことです。具体的には、この商品を購入するといくら支払う義務が発生し、自分には貯金と収入がいくらある
まず、「哲学とは何か?」をググってみました。「哲学とは何か」が分かれば、おのずと「その反対語」も分かる筈だからです。①哲学は英語で「フィロソフィー(philosophy)」といいます。古代ギリシア語で・「フィロ(Philo)=愛する」・「ソフィア(sophia)=智」「智を愛する」が哲学の語源です。常識の異なる様々な人々に通用する「常識を獲得」する過程で生まれたのが、哲学と言われています。②哲学とは知識ではない。哲学という学問は「自分で考える力を身につけ
白龍と死後の次元へ、。精神統一の為、ソファーに横になった夕方寝入りばな、足元から親子の白龍が現れて、アッという間に、龍の背に乗り飛んでいました。いつのまにか、周りは光だけ。白光の世界に、なっていました。光のみですが、少しも眩しくありません。森閑とした白光の世界。私の体も、龍の姿も、光に埋もれてしまい、全く見えません。白龍『意識のみ。肉体がなく思いだけ。ここに在るという、思いだけの世界。この白光の世界を、綺麗にするのも
この本善悪という怪物:それは脳で繁殖し、人を支配し、世界を破壊する善悪中毒Amazon(アマゾン)Kindle版しかないんで、、ポチっと押して購入してもらえれば、すぐにキンドルかスマフォで読むことができますw手作り感満載の本ですがw、善と悪の2元論が、人間や社会がいかに毒され、争いを発生させ、そのシステム(2元論的社会)を強化していくようになっているかを、構造的に分析をしています。jpornelasadvによるPixabayからの画像なかなか2元論の発想か
前回紹介した”アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(数学者・哲学者)”によれば、「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない(Wikipedia参照)」ということですが、これは相当に意味深なものがあると思われます。これは、そもそも論的に「”主体(主観・サブジェクト)”と”客体(対象・オブジェクト)”」という”分離された”考え方そのものが、もはや”呪縛”に近いものがあるように思えるのです。ここで思い出してしまうのが、「旧約聖書」の所謂「エデンの園(原罪)」の場面です。蛇にそそのかされ、”善
私たちは「正しい」「間違っている」という認識により争いを起こし負の感情に囚われるわけですが、これらは「誰にとって正しいのか、間違いなのか」の「誰にとって」の部分の抽象概念を上げることによって解決されるように思います。抽象概念を上げるというのは「共通項で包摂してまとめていくこと」を意味しますが、例えば会社の方針ひとつにとってみても下記のように抽象概念を上げていくことが出来ます。経営者のために↓経営者一族のために↓従業員のために↓従業員とその家族のために↓
ほとんどの人は善悪の区別がついていません。それどころか、大抵の場合、どのような原因によってその結果が生じたのかということすらも理解していません。ただ結果だけを見て判断してはならないのです。しっかり善悪を見極めて判断する必要があるのです。そうなったことには原因がありますから、まずは状況を理解してこれは良いことなのか、悪いことなのかというのを知る必要があります。それによって対処の仕方が全く違いますからね。
こんにちは。私たちは、日常生活の中で知らず知らずのうちに二元論の善悪のジャッジで裁いてしまいがちです。キリスト教やイスラム教といった一神教を信仰している人は、常に二元論で裁くことが無意識化に固定されてしまうのですが、一神教を信仰していない人でも、二元論に囚われてしまうことはよくあることなのです。何故なら、日常の中で善悪で区別されている概念があまりにもたくさんあるからです。例えば、・正しいは良い・間違いは悪い・優れているは良い・劣っているは悪い・得は良い