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初の外デモはもうね〜めちゃくちゃ楽しかった〜楽しかった〜楽しかった〜!!お教室の先輩より↓大きくすると〜ケイちゃんより🥰🥰🥰ありがとうございました!!先生とお隣でご飯食べられたし奥様、比路子先生といーつぱいお喋りできたしなんといってもデモ!!!!!!このスポットライトが好きこの音楽「哀しみのワルツ」が好き先生の振り付けが大好き小さな声で先生〜大好き(笑)(笑)(笑)もう、シンデレラの時間が、過ぎちゃうからまた書きまーす!!先生〜〜ありがとうございました🎉
『1人じゃないよ』優しい言葉をかけてくれます。応援してくれる人がいます。でもでもねみんなの言う『1人じゃないよ』ってどの1人なの?って思うんです。友達がいるから大切な旦那さんをなくしても1人じゃないってこと?違うよぜんぜん違うよ。人生を共に過ごす人を失った哀しみ、さみしさ、永遠の孤独感のつらさ、胸がギスギス突き刺さるような痛みは、やっぱり分からないんです。その方達には。だって経験してないんだから。伴侶を失うことは私の人生も失ったってこと。ひとりになったってこと
いつもたまにのぞかせて頂いてたあるブロガーさん4月の初めに敗血症で亡くなられたと息子さんが代わりにアップされててびっくりしたもちろんブログを読む事しか何の繋がりもない方だけど哀しい以前のブログで浅野ゆう子さんと同じ齢と書かれてたのでまだ63歳くらいの方昨年の8月旦那さまを看取られて私の夫と同じ頃に亡くなられたのかと時々ブログを拝見させて頂いてた死別の哀しみは皆同じで食欲がない体調を崩されるのも哀しみのせいと思っていたブログを読み返すと次男さ
夢の中の母はしゃべらない。私は母と話をしたいのに。苦しみは増すばかり。哀しみは深くなるばかり。お母さんとの時間が煌めく時間だったと今頃になって気づくなんて。だったらもっともっと大切にすべきだったと毎日後悔している。10回旅行に連れて行ってあげたことよりも20回旅行に連れて行ってあげなかったことで詫びたい気持ちでいっぱい。私は前にも書いたけど死後の命は信じていません。でも機会があれば手を合わせて思い出の中にいる母に「ごめん」と謝っている。母の世話は私の命
朝早い時間からすごいペースで更新されていきます。本当に辛かったろうと思いながら読んでいます。その哀しみは考えられないほど深いでしょう。私もここ10年くらいで義父母をガン闘病の末、送り出しました。主人は長男ですから、頼りないですが喪主として全部やりました。日に日に弱っていく姿も亡くなる時もその後も…。私にとって義父母でしたが、炉に入る前のあの辛さは今まで感じたことのない悲しみでした。故人を送り出す時は諦めと悲しみが交互にやってきて、心を乱し続けます。愛さんも辛かった…りょうさんも子ど
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ぬいぐるみと出会って哀しみが消えたわけではありません悲痛はどんな時でも襲ってきます涙することも珍しくありませんこれは一生消えることはないでしょう出来ない事ももちろんあります主人も愛犬も動画は観れません思い出の場所には行けませんペットショップには行けません主人の好きだったTV番組は観れませんふたりの納骨も出来そうにありませんそんな中でも哀しみに陥ってもずっと留まったままではなく戻ってこれるようになりました何より眠れるようになりました常用していた薬も手放せました言葉にする
先日、2回目の月命日を迎えましたあれから2ヶ月…いつもより豪華なお花や息子が好きなお寿司🍣を用意してプロ野球中継を観たりゆっくり落ち着いて過ごせましたなんで息子が…と思う日も、まだまだあるけど最近はその思いにとらわれ続けてるわけでなく心の中で息子の笑っている顔や楽しい思い出に浸って哀しい事は思い出さないよう訓練しています笑だけど何だか今日は息子の写真を見たら哀しくて泣けてきたまだ2ヶ月だもんねいや2ヶ月も会えてないからか…会いたいなー声が聞きたいなー
もしこの人生が一本の映画だったらもしこの世界が大きなテーマパークだったらそこに流れるテーマはそこに在るテーマは一体何なのだろうそんなテーマなど一言で言えるわけがないそんなふうに思うのがあたりまえだけど時間は弾丸の如くまたたく間に飛び去ってゆき空間は圧縮されるが如く私のいる場所に収斂してくる時間と空間は私と共に在りそれらと私とは不可分なもので私がいなければ時間も空間も存在せず時間も空間もなければ私は存在できない私の人生が流れてきたこの世界は私
2019年5月やっと修羅弁護士が動いた。再び修羅弁護士から協議離婚の通知書が鳳凰先生に届いた。そういうことか。<事実>・2017年2月に一回目の協議離婚通知書が届いた・2017年12月に離婚調停が不調になった・その後、何も連絡が無かった僕は、次は必ず離婚裁判になる、と予測していたが事実は何も無かった。2つの理由が考えられる。1、悪魔の義父がセコンドからいなくなった(作戦を考える人間がいなくなった)2、離婚裁判では不利だと修羅弁護士が判断した※有責配偶者からの離婚請求は
大切な人を亡くした深い深い哀しみは私の人生最大の大きな壁となってしまった。もがいてももがいても抜け出せない底なし沼のような蟻地獄のような苦しくて苦しくてどうしようもない深い深い闇の中…そこから這い上がるとか乗り越えるとかそんな事は到底無理だと氣付いたとある映画の中で1人のお坊さんが言っていた死別の哀しみは乗り越えるものではなくて共に生きていくものだと…私が人生を終えるまでこの哀しみと共に生きていこうこの哀しみを抱きしめて寄り添っていつの日か大切な人
先日は仕事で(介護施設で働いています)利用者さんの隠された哀しみに触れた1日だったこんな躯(からだ)になったから、世話にならなきゃ仕方がないから、諦めてはいるんだけど、、とまだ60台くらいのお二人の元気な女性。頭はしっかりしておられるのだけどご病気によってお一方は片足を失いお一方は直腸を失い人口肛門(ストマ)を利用されている。障害を受け入れてはいるけれど夜になって1人になるとね、時々寂しくなるよ、と。なんでこんなことになってしまったのかと。しょうがないんだけど
昔、昔まだ私が幼い頃母に手を引かれ犬の散歩によく出かけた川っぷちを歩いていると小さな舟が何艘も固まって停まっていて…それを見て寂しそうに母が言っていたことを思い出すお金なんかなくても良いあそこに停まっているあんな小さな舟で生活してもパパとあなたとママ、三人だけで日々平和に暮らせたらそれだけでママは幸せ何度それを思ったかわからない…と縛る事もできない夫奔放に生きながら母と私を棄てる事はなかった父母はどんな思いで毎日待っていたのだろうあの時の母の哀しそう
入学式に入園式シーズン到来ですね私にとっては(ごめんなさい)今朝から、気持ちが沈んでおります。そんな時に…とあるスマホのタイマーが目に飛び込みました。タイマーをセットしてアファメーションを表示させていました。こうやって自分に言い聞かせていました私、バカみたいに信じてたんです。自分の潜在意識に働きかけることでグリオーマが治るかも??キセキが起こるかも?願う現実が引き寄せられるかも?ってね。バカだったなぁ、バカだよ
先日、私の利用者さんがおっしゃってました。「大切な知人のご家族が亡くなってしまったんですって。毎日、泣いて暮らしてるって...。」「胸が痛む。」必要な方が、必要なタイミングでグリーフケアに出会えますようにグリーフケアを受けたから、哀しみが魔法のように消えるわけではありません。でも…一人で抱えて耐え忍んでいる時に、ほんの少しだけ、その哀しみの景色を共に見てくれる存在と出会えることで気持ちが軽くなる瞬間が訪れるかもしれません。そして大切な人の命について語る
2019年6月子供たちの心お母さんとは、もう争わないで。W不倫妻は、自らの行動を正当化し、謝ることを知らない。※直ぐに喚き、謝らないきっと、自分の思い通りにならないと、また子供たちに強い言葉で強制するだろう。それによって、余計に子供たちは更に大人を忌み嫌い、心を閉ざしていくだろう。<予測>W不倫妻が離婚を急いでいるのは・遺産のことで、義母、義兄、義弟から詰め寄られているんだろう。相続とは争続と言われるくらいだしな。それに自らの不貞も正当化してるだろう。子供たちの心離婚して
3月11日決して忘れられない…、忘れてはならない日。この後、震災の映像や記事を目にする度に涙があふれる日々だった事が思い出されます。14:46黙祷させて頂きました。大宮駅近くの商業施設ではアナウンスでの黙祷の呼びかけがあり、私以外にも黙祷しておられた方がいました。今、日本国民の為の日本国であるという最低限の当たり前の事がを揺らいている事に哀しみしかありません。震災により被災された方々が日本中におられます。私達が納税した税金が人として、国として、正しく公平に生かされる事を節に願ってや
我が家の愛犬うめは、3年前に亡くなりました。14年の間、カミサンの布団の中で毎日一緒に寝ていました。悪戯されても黙っている子でした。孫の偉知が生まれ、一緒に居る事もありましたが、既に目も悪くなり、鼻も効かなくなっていました。カミサンが亡くなる前に言い残した事は「うめと一緒にお墓に入れて欲しい」と言う事でした。カミサンが亡くなり、お棺の中には、トリミングに行った時に、必ず撮った写真があり、リビングの壁一杯に貼っていましたが、それを全て入れました。うめが亡くなった哀しみは、偉知の
週末は色々と頑張ったので今日は1日、家から出ずにパジャマのままゆっくりしました本当はグリーフの勉強をしたかったけど家事をしただけで、疲れ切ってしまって…でも家事をしただけ、えらい、頑張ったと自分を甘やかしてます😅そして何もしないからこそ時間だけはたくさんあって色々考えちゃいます週末のグリーフの講座では人の体験を聴いて寄り添うことを学びましたその中の一つで目の前の人の体験をスペシャルなものとして聴くということを教わりましたその人の体験はスペシャル、特別なもので似たよう
都会は女一人が歩いていても何故かサマになり居心地のいい無関心さがあるすれ違う人はどの人も見知らぬ他人で風を切るようにして歩いていて。誰もが確実に胸にドラマをしまい込み、健気な笑顔かポーカーフェイスで上手に隠して闊歩してる誰の人生にも間違いはあるのに、さも何事もなかったかのように。本当は、『もういい!』と、何もかも投げ出したい時もあるはず。投げ出せばこの哀しみや苦しみから逃げ出せるのかも知れないと思う時もあるはず。それでも投げ出せないで悶々とした日々の中で、
2019年7月離婚が成立して、僕は気が抜けてしまった。事情はどうであれ、・君たちの心を守ってやれなかった・戸籍もバラバラになってしまった・君たちを片親にしてしまった・酷い妨害があったにせよ、君たちを抱き締めてやることが出来なかったまだまだ、たくさんの哀しいことがある。お父さんは、自分の思春期を思い出している。自分が何者か?なぜ大人にならなければいけないのか?なぜ大人になるのか?分からないことばかりだった。でも大人になっていった。大学生になって、色々なことが分かった。
昨日の強風🌪の中母親を連れて買物カートをガラガラと引いててくてく歩いてスーパーへ家を出てすぐ帽子の落下防止のクリップを取りに戻る≒≒≒母親は開頭手術をして右こめかみ辺りが陥没している。当時はチグハグな髪型と、陥没と、黒目が離れちゃったのを隠すために帽子をかぶってたけど今でも外出する時はいつも帽子をかぶってる。≒≒≒退院してから1回だけカット💈したあれから10数年…たまたま私のシャンプーしてぼあぼあになった髪を見て“砂かけばばあ”っぷりの姿を見て(
今夜聴くのはさだまさし「道化師のソネット」昨夜の轟音の大騒動は・・・暴れまくる人でもなく(私の妄想でした)アラレちゃんどころではなかったのです。500円玉大の雹でしたよ。ひょう。所によっては屋根や樋・といに穴が開いてしまったという被害が在ったそうです。春の嵐。風神・雷神、龍神様が雹を撒いておられたのかもしれずめったにない素晴らしい舞台だったのに~私は家の中で怯えておりました。あ~残念!二階から楽しめばよかったな。
私は実の母親の顔を知らない。育ててくれた人は、従兄夫婦だった。物心ついた時には、いつも罵倒され、身体的暴力と言葉の暴力に見舞われていた。実の父は、大伯父だったと知ったのはこの2年くらいのこと。幼い時に、なぜ、大伯父の家に不定期に連れていかれるのかわからなかった。たただ、優男で、紳士で、それでいて威厳のある一門の長老とは感じていた。まだ小学生だったときに『ロバート。あのなぁ。マグロ大付属中学に進学せえへんか?』って訊かれた。『オジジさま、どうしてですか?』って返事したら『あそこなら近いし
やっぱり人って変わるんだな…と思った昔昔…遥か昔の話夫に、何故私を選んだのかと聞いてみた時夫は私の持つ「強さ」だと答えたこれまでの女達はいずれも一様に俺と一緒に居る内にいつしか俺に頼りきりになり自分の手で稼ぐ事をやめ自分の頭で考える事をやめ全てを俺に任せるようになったあなたが全てあなが頼りあなたがいなくなったら生きてはいけない…とそんな事を言う女ばかりお前は俺がいなくなっても絶対に生きていく女逆に、俺がいなくなったら俺よりもっとイイ男をみつける女だから、ど
2020年10月2017年2月から僕はブログを休んでいた。僕のブログは、なるべく時系列に沿って書いています。追い付いてしまったのです。あの頃は、修羅弁護士より協議離婚通知書が届いていて、情報漏れを恐れていました。2020年8月くらいから、ブログの再会の為に下書きを準備し始めました。正直、子供を連れ去られ、引き離された時の衝撃は忘れることが出来ないし、思い出すと怒りに震えてきます。でも子供たちが「自分探しの旅」に出た時の、道標を残さなければいけない、との思いから、辛い時期の日記をまと
なんとなくいつもの感じに戻ってきたけど子どものことを考えると涙が出てくるしばらくはこうだろう。夫もこうなのかはわからない。夫にはこの哀しみはわからない、と傲慢なこともおもったり…実際分かり得ないだろうともおもったり。でもわかる努力をしてほしい実際どう思って何を感じているのかもっと話し合えたらとおもうけどいかんせん忙殺されているでも仕事の話はしてるから彼はまだ真正面から受け止めては居ないのかもしれない出血はだんだん少なくなってきた
2019年6月僕「鳳凰先生、離婚します」鳳凰弁護士「離婚でいいですか?」僕「はい」鳳凰先生「他に何かありますか?」僕「経済的なことですが、0円での交渉をお願い致します」鳳凰弁護士「分かりました」僕「もし決裂するなら、提訴しろと伝えてください。W不倫妻の言いがかりには腹が立っています。法廷で決着をつけます」鳳凰弁護士「修羅弁護士から電話があって、その声を聞いていると、お金より、早く離婚したい感じがするんですよね」(※僕も鳳凰弁護士と同意見)僕「子供たちが思春期なので、これ以上の
「きれいだねー」そう言うと、「きれいでしょ」まるで答えるかのように、誇り咲いた葉桜になる、ほんの一瞬前の北の桜だった。あらためて、これまで撮った9枚のエコー写真を見較べてみた。はじめて気付いた。あの、最も危なかった1週間で、わずかながらに0,1㎜ほど成長していて彼の心身、そして性的暴力に耐えながらも「ママ、ぼく、ちゃんと大きくなってるよ」そう言っているようだったまだ、間に合ったのだ。あの時だったら。泣く涙ものこっていなかった。どれだけの力をふり
毎日、毎日、夫は携帯を肌身離さず。手にくっついているのかと思う位、いつも見ていました。食事を右手で食べながら、左手はスマホ。お行儀が悪い、悪い毎日そんな感じ・・・子供の見本にはならないですね。マジ呆れる。私は最低限の家事はしていました。色々と難癖をつけられないように。掃除、洗濯、食事、ベッドメイキング、、、単なる、家政婦やん。。(薄給の…)私…平静は装っていましたが、心の内は、怒り、哀しみ、絶望感、憎しみ、、いろんなものが入り混じっていましたね。今も・・・かなぁ。また