ブログ記事12,368件
ワカ姫さまとつらい別れをされたのち、イサナギさまとイサナミさまは、富士山のふもとのハラミ宮でアマテルカミさま、筑紫のツキスミ宮でツキヨミさまという、ふたりの男の子に恵まれました。あいつぐ皇子の誕生に、日本のお国がわきかえり、ふたかみさまの厄も祓われたと、国中が喜びにつつまれました。そして、これは、ふたかみさまがかたときも忘れることのなかったワカ姫さまに、朝廷にお戻りいただくときでもあったのです。「ヒルコさま、おめでとうございます。どんなにこのときを、待っていらしたことでしょう」
受験生の皆さんこんにちは☆あいです今日は、「菊の露」についてお話ししますね。↓今回の源氏物語↓ーーーーーーーーーーーーーー「…九日の宴に、まづ難き詩の心を思ひめぐらして暇なき折に、菊の露をかこち寄せなどやうの、つきなき営みにあはせ、…」イラスト訳はこちら→ーーーーーーーーーーーーーー【源氏物語~これまでのあらすじ】桐壺帝の御子である光源氏は、輝くように美しく、帝の寵児であったにもかかわらず、亡母の身分の低さにより賜姓「源氏」として臣下に降格します。五月雨が続く
《新古今和歌集・巻第四・秋歌上》320七夕の歌とてよみ侍りける皇太后宮大夫俊成七夕の門渡(とわた)る舟の梶(かぢ)の葉にいく秋書きつ露のたまづさ☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆七夕の歌として詠みました歌皇太后宮大夫俊成彦星が天の川の川門を渡る舟の梶、その梶と同じ名の梶の木の葉に、わたしは、幾秋書き続けたことであろうか。露で綴ったはかない手紙を。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
天皇(てんわう)、蒲生野(かまふぬ)に遊猟(みかり)するときに、額田王(ぬかたのおほきみ)の作る歌額田王あかねさす紫野(むらさきぬ)行(ゆ)き標野(しめぬ)行き野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る(万葉集・巻第一・20)=====【教科書『国語総合』(桐原書店)の訳】=====天智天皇(兄)が蒲生野でみ狩りをするときに、額田王が作る歌額田王紫草が栽培している野を行き、御料地の野を行き、野の番人が見はしないでしょうか。あなたが私に向かって袖を振るのを。=====
「穢れ」と「言霊」の謎:その57「言の葉:ことのは」という美しい日本語がある。秦基博の曲名や自然食品を扱うカフェのことではない。新海誠監督のアニメには『言の葉の庭』という作品もある。「言の葉」という言葉を調べると、以下のように書かれている。1ことば。言語。「同じう言ふことのはも、いみじう尊し」〈源氏物語〉[訳]声をそろえて言うことばも、たいへん尊い。2歌。和歌。「やまとうたは、人の心をたねとして、よろづの—とぞなれりける」〈古今集・仮名序
万緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ(若山牧水)歯科業界では知られている和歌です。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。私は中学校で習った中村さんのこの俳句がとても好きです。お子さんの歯が生えてきてわざわざ俳句にするなんて、どれだけ嬉しかったのかなあ、よいお父さんなんだろうな。と思っていました。乳歯は永久歯よりも白いから、木々の緑とのコントラストも綺麗ですよね。牧水さんの短歌は、ちょっと寂し
4・8「関西の日」記念特集2023年4月5日凱歌の友の雄叫びは波濤の如く天に舞え2:01間もなく迎える4月8日は「関西の日」。1956年(昭和31年)のその日に行われた「大阪・堺二支部連合総会」が淵源である。関西の広布史は、逆境の中で負けじ魂を発揮し、跳躍を遂げた歴史でもある。その一つの象徴が「雨」だ。57年(同32年)7月17日の「大阪大会」、66年(同41年)9月18日の「関西文化祭」は、いずれも雨の中で行われた。この“雨の歴史”として、最初に刻まれたのが、「大阪・堺二
「穢れ」と「言霊」の謎:その56この世のあらゆる「もの」には心が宿り、霊が宿るとされている。「もの」とは単なる物質ではない。だが、原始キリスト教徒・秦氏が仕切る大和朝廷に歯向かった「物氏」(ものし)は、まずは従属民として「部」(べ)の民とされ「物部氏:もののふし」とされた。物部氏は軍事を担っていたが、軍事は「死」と「血」の穢れがまとわりつく職業であり、桓武朝においては平安京遷都の直前、正式な軍隊が廃止されてしまう。勇敢な「もののふ(武士)」だったが、言霊の呪術である「べ」という濁
今日は連休最終日、高速道路はUターンラッシュで何キロも行列ができていたようです。シュメールは、いつもの月曜日、透析治療でした。朝ご飯です。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。吹き荒れる風受け大揺れバラ咲きて五月みどりに夏運びたり返し歌です。賑やかな祭りの後の夕暮れにふと浮かびくる故郷の景色友人から、数日前に江の島に行ったからときれいな富士山の写真を送ってもらいました。美しい青・・・10時のチーズと生姜湯です。お昼ご飯で
裏神道「陰陽道」その33『小倉百人一首』とは単なる和歌集ではなく、「古今和歌集」に書かれている歌の秘密の解釈を口伝、切紙、抄物のいずれかの形で弟子に伝えるための方法「古今伝授」の一種であった。さらに『源氏物語』『伊勢物語』など他の古典書も、我々の認識している内容とは異なる秘密が隠されているというのだ。◆秘儀『古今伝授』の「三木三鳥」「古今伝授」の中核とされている「三木三鳥」(さんぼくさんちょう)の秘伝には、ユダヤ密教「カッバーラ」が用いられている。この「三木三鳥」の秘伝とは
江戸末期に橘曙覧(たちばなあけみ)という歌人、国学者がいまして、”たのしみは”で始まる和歌、こういうの日常詠というんですか、この連作は今でも親しまれていると思うのですが、読むとホッとしますよ。こんな日常がずっと続いてくれたら、貧乏だっていいよね・・・と思ふ。(あっ、これは本当に個人の感想、私はすでに貧乏だけど💦)たのしみはまれに魚煮て兒等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時たのしみは空暖(あたた)かにうち晴(はれ)し春秋の日に出(い)でありく時たのしみは朝お
織田信長が好んだ幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年、下天の内をくらふれば、夢幻の如く也」の読みや意味、気になってましたがこの記事を目にしたので、検証してみます。乃至政彦「織田信長は「人間五十年」を本能寺で歌っていない!?『信長公記』「天理本」とほかの写本を比べてわかる真相」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70835この記事にあるように、最近「人間五十年」の「人間」の読みは「にんげん」ではなく「じんかん」、「五十年」の意味は人の一生とか人
岩菲仙翁ささがにの糸をも裁ちて岩菲咲き色鮮やかな初夏の橙月誧#花を見たら歌を詠む#短歌#短歌写真部#和歌#岩菲仙翁#ガンピセンノウ岩菲【がんぴ】岩菲仙翁。紙の原料にもなる雁皮【がんぴ】とは別物。ナデシコ科の多年草で原産は中国。季語は初夏。蜘蛛の糸岩菲の花をしぼりたる/虚子
今日は、さわやかな良いお天気の日でした。朝は寒いくらいの冷え込み、昼間は25℃超え、気温差の大きな一日でした。良く晴れて、湿度の低い日でした。朝ご飯です。和歌のおじさんがお歌と写真を送ってくれました。澄み渡る空いっぱいにひかり差しこの心地よさ風となり疾(ゆ)く返し歌です。雨粒にまぎれてこぼしたひとしずく笑顔でぬぐう乙女初恋10時のチーズと生姜湯です。焼き鳥です。串を刺してないけど、つくねとモモ肉の焼いたのを出してくれました。良
早慶はもちろん、関関同立、MARCHの大学受験では現代文の評論にも、古文の背景知識が必要です。このブログで、戦略的に、古文知識をゲットしましょう♪源氏物語イラスト解釈【これまでのあらすじ】天皇(桐壺帝)の御子として産まれ、容姿・才能ともすぐれていた光源氏は、幼くして母(桐壺更衣)を亡くし、臣籍に降下した。帝の後妻である藤壺宮(ふじつぼのみや)が亡き母に似ていると聞き、思い焦がれるようになる。ただ今、「4.夕顔(ゆうがお)」の巻。中流階級の空蝉(うつせみ)との仮初めの恋を経て、現恋
こちら⇩の記事の続きです。『神社仏閣巡りで学んだおみくじの意味①』今回は、神社仏閣には欠かせない「おみくじ」についてのお話です。神社仏閣巡りを本格的に始める前まで、私は、「おみくじ=偶然の産物」だと考えていました。良いこと…ameblo.jp『神社仏閣巡りで学んだおみくじの意味②』こちら⇩の記事の続きです。『神社仏閣巡りで学んだおみくじの意味①』今回は、神社仏閣には欠かせない「おみくじ」についてのお話です。神社仏閣巡りを本格的に始める…ameblo.jp『神社仏閣巡りで学んだおみくじの
「百人一首」を1番から順番に100番まで全て読み解けたので全部の歌を読み返してみました…👀藤原定家が何を意図して「この百首」を選んだのか…❓「各天皇の御代に起きた出来事をまとめる」以外にもナニカ、ほかに「伝えたいメッセージ」があるような気がするのです…まだそれが見えてきませんのでもう少し、時間をかけて考察していきたいと思います🍀百首、全て読み返してみて、ワ
北九州の桜の名所は数々あれど、桜の名がつくところはここだけかも?桜の馬場(都の高田馬場とは縁もゆかりもありません)散ったねぇ確かに散った「花の色は、移りにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに」By小野小町・・・てか?男の中の男、オッサンの中のオッサンの古参兵には似つかわしくない!花は散っても腹は減るわ~(笑)で・・・本日の昼食は紺屋町のTSUDA屋古参兵はよく知らないが高校の3期か4期上の先輩がやっているので時々、食べに行っているもちろん・・・後輩で~す、とかは
大河ドラマ「光る君へ」紫式部3回目に(藤原行成)が登場しました!!書の本で見る(行成)が、歴史絵巻の中で演じられているのを見ると(行成)本人ではないことがわかっていても、ものすごい感動です。(藤原行成)は、日本三蹟の一人で、中国の漢文を和様にして日本の書道の礎を築いた人。(行成)の父親が、百人一首50番の右上↑の歌の作者(藤原義孝)です。「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな」釈文「あなたに逢うために惜しくはないと思った命までも、お逢い
【古文】「結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色し褪せずは」ーーーーーーーーーーーーーーー「結びつる心も深き歌意)「結婚を約束した心を深く結びこめた、元結ひに歌意)この元結いにおかれましては、濃き紫の色し褪せずは」歌意)濃い紫の色が、(いつまでも)褪せなければよいのですが…」【古文】「結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色し褪せずは」【訳】「結婚を約束した心を深く結びこめた、この元結いにおかれましては、濃い紫の色が、(いつまでも)褪せなければよいのですが…」
今日は冷たい風が吹くなかとある場所で梅を見てきました先週のデートで並んで神社を参拝し手を合わせてきた私たちお互い何を想ったかは話さなかったけど私の気持ちを表わす歌を選ぶならこんな感じ源氏物語の中で謳われた和歌のひとつです大河ドラマ「光る君へ」の中で赤染衛門先生が仰ってた言葉にこういうのがありました「人妻であろうとも心の中は己だけのもの」「そういう自在さがあればこそ、人は生き生きと生きられる」私の場合はカラダの契りも破ってしまっているので少し違うかもしれませんが
2022年10月6日(木)〈Eテレ〉📺️おじゃる丸(再)▽20ー33:百人☆一首☆王【初回2017年10月6日(金)】▽脚本:髙橋幹子▽絵コンテ:西田章二▽演出:牛草健▽作画監督・原画:ときながよしゆき▽動画:松本早織・友清泉・自分たちこそヘイアンチョウいちイケてるオノコだという、梅丸(うめまる)・蓮丸(はすまる)・菊丸(きくまる)の3人が、ヘイアンチョウでもっともミヤビなゲーム・百人一首(ひゃくにんいっしゅ)で、おじゃる丸に勝負(しょうぶ)をいどんできた。めんどっちいことが
〈共戦の誓いは永遠に〉池田先生と北陸の絆2024年2月1日第2代会長・戸田先生の出身地は石川県である。1942年(昭和17年)、恩師は生まれ故郷を訪れ、幼少を偲んでいる。戸田先生は生涯、石川に愛情を注いだ。その恩師の名代として、池田先生が初めて石川の地を踏んだのは、57年(同32年)10月26日。翌27日には富山へ。28日に東京に戻り、戸田先生に北陸の同志の元気な様子を報告すると、恩師は笑みを浮かべた。以来、池田先生は恩師と共に帰郷する思いで、北陸を訪問してきた。ここでは、北陸の広布史を紹
みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける中宮定子歌意人々がみな花よ蝶よといそいそ浮かれるこの日も、私の心の中をあなた清少納言だけは分かってくれていたのですね。君=清少納言平安期の蝶の和歌として、清少納言が書き記した枕草子から挙げます。ただし、蝶を詠ったのではなく、比喩的に使われているので、蝶の歌としては参考までというところです。蝶に焦点をあててみると、この時代に、「花や蝶や」と浮かれている。誉めそやしている。という具合
【桐壺】(9首)■限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり■宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ■鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな■いとどしく虫の音しげき浅茅生に露置き添ふる雲の上人■荒き風ふせぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞ静心なき■尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく■雲の上も涙に暮るる秋の月いかで澄むらむ浅茅生の宿■いときなき初元結いに長き世を契る心は結びこめつや■結びつる心
ブログ更新5982回目①京都「城南宮」四季折々の花に彩られる方除の大社源氏物語花の庭所長散策ぶらり~お散歩旅です。794年の平安京遷都に際し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と八千矛神(やちほこのかみ)と神功皇后(じんぐうこうごう)を祀り、以来都の南方に鎮まり国を守護する城南宮と仰がれる。平安時代の末に白河上皇がこの地に壮大な離宮を造営して院政を開始されると、政治・文化の中心地となり、祭礼も大いに賑わった。『平家物語』の舞台でもあり、当時盛んに行われていた、熊野詣での際に
「百人一首」で、どんなテーマが語られているか…についてまとめてみますと86番以降の歌がほぼ、【安徳天皇の話題】となっていました。「百人一首」を作った👆藤原定家自身の歌👆も安徳天皇のことを詠んだものが選ばれています。【定家が「百人一首」で伝えたかったこと】のひとつが【安徳天皇の崩御】だと思われます。安徳天皇は源平合戦に巻き込まれて満6歳4ヶ月で「三種の神器」とともに海に身を投げ、
午前五時過ぎに目覚めた。鳥が啼く声が聞こえる。「とりがなく」は「東(あずま)」の枕詞。その係り受けのわけは諸説あって「東国の言葉が鳥の鳴き声のようにわかりにくいから」という説もあるが、東から明らんでいく空を眺めながら鳥の声を聴いていると「鶏の声と共に東から夜が明けていくから」という説が妥当に思える。もっとも、ここで言う"とり"は鶏だが。いずれにせよ、その枕詞が使われたのは『万葉集』においてそれも九首のみ、平安以降の和歌には全く見られない…そんなことを寝床
連日、早朝から「蝉(せみ)のなき声」が鳴り止まない今日この頃🌿「蝉」といえば…百人一首10番の作者は「蝉丸(せみまる)」さん…という落語家さんを思わせるちょっと変わったお名前です。「蝉丸」は、歌を詠むときのペンネーム🖋です。実際、どういった人物だろう…と調べてみますと【生没年・人物像、ともに不詳】‼️なのでした💦しかし、古語辞典等の資料によりますと、「盲であり
「いろは歌」と「即身成仏」の謎その19神道呪術氏族「忌部氏」の私有民である「部曲・民部」(かきべ)は、どう読んでも「かきべ」とは読めないが、もしもこれが暗号ならば、ポイントは音(おん)、つまり読み方である。「かき・べ」で、「べ=部」を除けば、「かき」となる。前回、「部曲=民部」とも書くなら、「曲=民」となり、「民」の意味は「奴隷」、それも「目をつぶされた奴隷」であった。◆「片目の人麻呂伝説」実は、柿本人麻呂には「片目」という伝説があるのをご存知だろうか。これは民俗学者の柳田国