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昨年のブログを再掲します。6月前半は木屋町棚のしつらえでお稽古します。木屋町棚は表千家十一世碌々斎(ろくろくさい)瑞翁宗左(ずいおうそうさ)により三井本家の別邸が京都の木屋町に建てられたときに好まれたものです。今年は面取り風炉に筒釜、古染写の水指に仏器棗の取り合わせです。木屋町棚は溜塗、三本柱で天板と中板は三角形、香狭間透かしのある脇板があります。三角形の引き出し、地板は五角形、三本柱にはひれ板がついています。初飾り引き出しの中は空。点前は三木町棚同様
紅雲庵あかね塾茶の湯に、和のしつらえにご興味のある方は随時ご入会いただけます「お茶をしたいな、どうしようかな」と迷っていらっしゃる方は多いと思います稽古日が決められてると通えないかも…夜しか時間が取れないけど…それでもお稽古予約制の紅雲庵なら大丈夫です詳細はこちらご一読ください『茶の湯のすゝめ紅雲庵あかね塾のお稽古』2010年から自宅で茶の湯の手ほどきのお手伝いをしています。現在の名称は紅雲庵あかね塾、他のお稽古場とは随分違った内容ですのでここであらためて概要のご
端午の頃のしつらえに槍の鞘建水と馬鈴蓋置の取り合わせがあります。蓋置を柄杓に通し、建水に掛けて運び出します。いつかしてみたいと思っていたのを、今年ようやく両方揃ったので先日の端午茶話会でお目に掛けました。槍の鞘建水やりのさやけんすい細長いので他の蓋置をいつものように仕組むと蓋置が取りにくい。手の大きな人ではまず無理。運び出す時は建水蓋置柄杓を鷲掴み、そういう様子も男子の節供らしいところかも。槍鞘建水槍鞘建水とも呼ばれます。鞘って槍の先の刃物のところの覆い
「お茶会服装洋装」「お茶会に洋服で伺う場合は何を着たらいいですか?」というご質問を何度もいただきました。きものでいらっしゃるのが一番ですがそうもいかない諸々の事情があれば「きものがお茶飲む訳じゃない」むしろ、このポイントを押さえればどんどんお洋服でお茶会に来てください!と、言えるまず迎えて下さるおもてなし側、ご亭主やお運びさんは袴付き、十徳、女性でしたら最低でも一つ紋をお召しでしょうね。その姿に迎えられて失礼に当たらない洋服、ドレスコードのマナー再確認です。画像を
紅雲庵あかね塾のお稽古ご希望の方には立礼卓(りゅうれいじょく)での点前をお伝えしています。流儀の決まりの立礼卓ではなく、市販の既製品で余計な装飾なし、シンプルモダンなもので稽古場にいつも備えてあります。表千家と裏千家の立礼卓はこの記事の一番最後にご紹介しています。正座でのお稽古前にこちらで帛紗捌きや柄杓の扱いなどを覚えていただくと正座のお稽古への移行がスムーズですね。また正座が出来ない膝が痛いなどの方やおうちのテーブルでお茶を点てたいという方もこちらでお稽古です。
利休さんのお命日は一般的には2月28日と言われますが千家では3月27日、28日に利休忌をします利休さんが自刃されたのは天正十九年二月二十八日でこの年は閏一月があったので天正十九年一月閏一月二月となるからひと月遅らせてのご法要になると聞いていますお命日を正確に西暦になおすと1591年4月11日になるのですって紅雲庵3月後半は利休忌のしつらえです掛物はコロタイプの宗旦筆利休像点前座は利休好山里棚宗旦は利休の孫生前の利休さんの素の姿を写しとっている
大方の世捨て人には心せよ衣は着ても狐なりけりおおかたのよすてびとにはこころせよころもはきてもきつねなりけり大綱和尚遺詠白蔵主宗旦狐狐のお話に二つあって「白蔵主」と「宗旦狐」どちらも面白いので読んでおいていただきたい。ふたつはまったくの別のお話なのに、混同されていることも多くて、大綱和尚の遺詠は「宗旦狐」のことを指していると思うのだけど題が「白蔵主」になっていたりする。これは違うと思っていたんですけど、最近見つけた本歌の解説には元伯宗旦の伯を取って「伯蔵主」とす
2023.08.17立秋(8.8)過ぎて夏越の祓(8.15)過ぎて七夕(8.22)はまだですが秋です、穐です。掛物清風万里秋徳禅寺橘了庵老師筆花入未了籠宗徧流正伝庵好花木槿芦香合ペナン土産葛家点前座は面取風炉に筒釜、三木町棚。8月後半は三木町棚でお点前してください。飾り方のバリエが豊富なので複数人で順番に点前をすると面白いですよ。三木町棚炉風炉使えます。和歌山市三木町にあった表千家の屋敷で四代江岑宗左が3種類の寄木(杉・ひのき・もみ
お茶に興味をお持ちでしたらどうぞお気軽にご参加ください。と、いつもブログでお誘いしていますが、なかなかハードルが高いのかと推測いたします。メールで日時の予約するって、簡単なようでも、会ったことも無い人にいきなり、ですもん。出来ないわって方も多いと思います。それに、悪徳着付け教室のように「ではコレとコレとコレとコレと買ってくださいね!」ってなにやらたくさん売りつけられそうになったらどうしよう~。高圧的に「〇〇流に入門ですね!」って言われちゃったら困る。雑なしつらえで雰囲気が楽し
2010年から自宅で茶の湯の手ほどきのお手伝いをしています。現在の名称は紅雲庵あかね塾、他のお稽古場とは随分違った内容ですのでここであらためて概要のご案内をします。【日時予約制・チケット制・夜のお稽古OK・座学あり】あかね塾のお稽古は日時予約制です。ヘアサロンやデンタルクリニックと同じで「お稽古したいときに出来る」システムです。詳細はこちら『日時予約制のお稽古です』紅雲庵のお稽古は日時予約制です。一般の教室は「毎週〇曜日の〇時から〇時まで」といったようにあらかじめ先生の都合に
3月前半は抱清棚で点前のお稽古をしましょう。抱清棚ほうせいたな桐木地の二重棚で、三方を板で囲み、正面の板に香狭間透しがあり、両側の板の前方が弓形に刳ってあり、勝手付の板の内側に柄杓用の竹釘が打たれた、地板のない小棚です。抱清棚は、表千家十世吸江斎(きゅうこうさい)祥翁宗左(しょうおうそうさ)が好んだ棚です。抱清棚は、地板がなく、水の「清」すなわち水指を両袖の板が抱くような形ということからこの名称があるといわれます。抱清棚は、中板を取り外すことができ、旅箪笥の点前である「芝点
表千家の略点前は戦後即中斎宗匠が定められたものです。表千家では正式にお茶をお客に差し上げることを重んじ茶道の正統を伝えたいと思うのでお盆点ては決めていなかった。戦火で家が焼けた蔵が焼けた道具が焼けた、一般のお宅に炉を切ることも少なくなったのでお盆点ての点前を定め、略点前と名付けました。「水屋からの点て出しよりはいいでしょう」とおっしゃってます。(即中茶記)先日「自宅では薬缶で稽古してます」という方がいらしたので、それではと数年ぶりに略点前のお稽古をいたしました。柄杓のあるな
2023年10月前半は大板のしつらえですまだ旧暦八月、月見る月ですね床は「明月払清風」古瀬戸の花入に芒だけ香合は朱の丸にむさしの蒔絵表千家の大板は常据えで中置にはしません水指を運び出して置くとこんな感じです今年は面取風炉に瓢釜、水指は楽山の芋頭柄杓と蓋置は竹台子と同じ扱い蓋置正面はこのときはお客さま向き正面真上を柄杓の柄がとおりますしか~し金襴手赤蜻蛉の蓋置先回の三つ兎と同じで正面がわかりません自分でこの子が正面って決めて
この時期のお稽古は面取り風炉に姥口平丸釜、桑小卓に細水指それも阿蘭陀写棗は笹露蒔絵これ定番じゃないでしょうか。本格的に暑くなる前はこうした前欠け風炉が使われます。棚は矢筈棚とも言われるようで、四本の柱が矢のようだからとか所説アリ。この棚の面白いところは柄杓の飾り方です。柱にもたらせてアクロバチックですねぇ。どなたがお考えになったんでしょう。裏千家四代仙叟が「床の道具」として好んで表千家四代江岑宗左に贈り、表千家七代如心斎が「点前の道具」として使いだした棚ですから
オムツの頃から大叔母の茶室が託児所代わりで茶道、華道、煎茶、盆景etc和モノどっぷりの幼少期を送るものの、10代中頃から洋の世界に目覚めてお洋服もロックも車も大好きで和は全く省みずそっちの世界へまっしぐら。1984年ファッション・スタイリスト、広告代理店勤務、フィニッシング・スクール講師(ジョン・ロバート・パワーズ)、グッズ・デザイン(MIDGET)、フラワー・アレンジメント講師などを務めるうちに1996年数ヶ月フランスに滞在する機会を得ます。フランス人にはもの珍しくてウケる~なんて
七宝(しちほう)とは、仏教において、貴重とされる七種の宝のこと。七種(ななくさ)の宝、七珍ともいう。工芸品の「七宝」(七寶瑠璃、七宝焼)の語源と言われている。専ら工芸品の七宝をシッポウとよび、仏教の七宝をシチホウとよぶ。『無量寿経』においては「金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)」とされ、『法華経』においては「金、銀、瑪瑙、瑠璃、硨磲、真珠、玫瑰(まいかい)」とされる。無量寿経と法華経ではラインアップが多少違って双方混ぜると金
5月後半は運びの点前をしています。掛物は「清寂心茶味甘」堀内不仙斎筆で短冊の軸装。花入時代箙、香合出雲大社鰹木古材。雲龍釜、釣瓶水指の取り合わせで掻立鐶の扱い(釜)釣瓶水指の蓋の扱い広間、風炉、薄茶、運びの場合の中仕舞い以上3つのポイントをおさらいです。今回盛りだくさんだね水指が四方(四角)だから釜の敷板は丸です。雲龍釜の蓋の摘みはちょっと変わってますね。こういうのを掻立鐶(かきたてかん)といいます。突起を伏せて置いて点前スタートです。鉄釜共蓋は
お暑うございます。本日2023年8月3日まだ旧暦六月十七日水無月なんですねぇ連日あっついのでお軸は「雪夜書千巻」雪の夜には本が千冊読めるね!と。雪夜書千巻春風酒一壷せつやしょせんがんしゅんぷうしゅいっこ皆々さまにおかれましては後ろの5文字の方がお好きかもしれません。まだ先月の桑小卓が置いてあったのでお茶会帰りの中2男子は濃茶の自服をするってことに。ついでにお手を拝借して振出から金平糖をいかに上手に振り出すか、手順を画像にしました。ご参考になさって
尾張藩歴代の殿さまの中で茶の湯と金鯱が一番好きだったのは12代の徳川斉荘(なりたか)かなあと思います斉荘の知止斎という号は尾張の茶の湯シーンでよく耳にします斉荘は徳川将軍11代家斉の11番目の子として生まれ徳川御三卿の田安家に養子に入り、田安家から尾張徳川家へ入って家督を継ぎました斉荘は裏千家の玄々斎と同い年、玄々斎の実兄(又日庵)が養子に入ったのが尾張三家老の渡辺家そういう事情もあって、名古屋城のお茶は有楽流から裏千家に代わります徳川美術館に玄々斎筆知止斎あて「茶道奥
2024.02.07旧暦十二月二十八日暮れも押し詰まってまいりましたあといくつか寝ると旧暦ほんとのお正月2月前半は紹鴎棚でしつらえています風炉先屏風を派手なのに替えてみました一気にキラッキラしましたねお正月らしいですここしばらく濃茶は老松茶器で長緒の仕覆長緒の扱いをお稽古してますややこしいですねくるりんぱややこしついでに薄器は四滴からどれかにしましょうとまあ一番めんどくさくない弦付にしてあげた絵馬形の莨盆に作助の黄瀬戸火入粉壺は竹
お稽古で山里棚を使いました。利休が大坂城の山里の席で使ったとも大坂城山里丸の材を使ったともいわれていて、桐木地の本歌は利休から弟弟子の藪内剣仲に贈られたとされています。しか~し、この棚、手持ちの表千家の教本には掲載されていません。宗完宗匠の著書にも(全部持っているわけではありませんが)載っていません。表千家のHPにも載っていません。利休さんが藪内に贈ってしまわれたから藪内流の棚です。ということ?利休忌では春慶の山里棚を使いました。教本にないので点前・飾りはそれ