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歴史初心者が豊臣秀吉について知るためには、どこから入るのが一番いいでしょうか?と聞かれたら。「まずは今やってる豊臣兄弟を見てください」と言いたいところ、ですが。うーん。大河ドラマは、初心者にはちょっと危ないところがあるんですよ。というのも。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の日本史ビッグ3は、人気もあるので繰り返し登場していて、日本人なら誰でも(?)よーく知っていて、イメージが定着している。ぶっちゃけた言い方をすれば、もうコスり倒されているので。今更、よくある秀吉を見せても、誰も喜ばない
そうか、今週末は選挙とオリンピックが重なるから「豊臣兄弟」はお休みか。人質になって梯子を外された藤吉郎の運命やいかに、てゆうか松尾諭さんの次郎左衛門はどうなる、の話は再来週に持ち越しです。ところで、「どうして、信長の妻の帰蝶(濃姫)が一向にドラマに出てこないの?」と、界隈がザワついていますが。帰蝶は、「豊臣兄弟」には、出ないでしょう。だって、そのぶん「お市(宮崎あおいさん)」の出じろを増やせるから、です。今年のお市は、あきらかに、普通なら信長の「妻」がやるような役割を担っています。こ
「関ヶ原の戦い」と言われますが、実は戦闘は東北から九州まで、全国各地で起きています。伊達政宗も上杉景勝も黒田如水も、それぞれの場所で(それぞれの思惑で)戦っています。毛利輝元だって、関ヶ原にこそ来なかったものの、毛利軍は西国方面で結構積極的に動いています。輝元が「天下を取りに来ていた」のは事実です。王将が無闇に前線に出るのはヘボ将棋です。毛利輝元が大坂城にどっしり構えて、全国の戦闘を指揮しようと考えていたとすれば、さほど理に合わないことではないでしょう。関ヶ原が「決戦場」になるというのは、
千利休役は竹中直人さんの二役だ!という予想をしていた私ですが。勿論、見事に外れました(笑)。しかし、そんなもんを上回る衝撃でした、吉岡秀隆さんの千利休の登場は。そんな、利休が渋い茶が大嫌いなわけ、ないじゃあないですか。大法螺吹きですね、このひと。「あんさん、ようこんな渋いお茶が飲めますな」つまり、戦争で人を殺し続けなきゃならない秀長に、「あんさんが苦しんでるのは、人としてアタリマエですわ。でも、その先にきっといい未来が待ってまっせ」茶と菓子の順番をわざと作法と逆にしたのは、そういうこ
おお?これは斎藤道三の兜ではないか!?私、これ見て、なんか涙が出てしまいました、少年時代を思い出して?「国盗り物語」はもう五十年前ですが。私が初めて熱中して見た大河ドラマでした。司馬遼太郎先生の原作小説も読みふけりました。主人公松波庄九郎が、盗賊まがいの浪人から一代で出世して、ついに美濃の守護代斎藤氏の名跡にまで上り詰めた(つまり国をを盗った)、そのときに自分で製作したのが、この「波」の家紋です。家紋というより、斎藤道三個人の紋章でしょうか。「左右の波濤が二つと三つなのは、世の中には割
大ファンの映画俳優、栗塚旭さんの訃報を2025年9月13日の朝日新聞で知り、驚きました。<2025年9月13日(土)朝日新聞・朝刊より>昭和40年、私が高校生の頃、東映京都テレビプロダクション・NET(現テレビ朝日)制作のTV映画「新選組血風録」の大ファンで、全26話をリアルタイムで観ていました。「新選組血風録」はモノクロ作品のためか再放送もされず、やっと東映からβⅡ(ベータ・マックス)のビデオテープが発売されました。SONYのβⅡご存知でしょうか?2話分収録で9800円と高価でした
今日は久しぶりに秋らしい朝ですねそろそろシルバーウイークが見えてきました。私は5連休なので、久しぶりに長編に挑もうとメルカリでゲットしましたよフライングで読み始めています。時々運動して、食べたいものを作って、どっぷり竜馬に司馬遼太郎の世界に漬かろうと思っていたら姉が行けないから代わりにいかがと、お笑いライブのチケットを送ってくれました楽しみだな楽しいことがないとね
この稿にて何度か“人間・乃木希典”についてふれた。この世のペーソスをすべて凝縮したような彼の人生には同情を禁じえないが、日露戦争の悲劇のシンボルである旅順攻囲戦における彼とそのスタッフの仕事ぶりについては検証していかねばなるまい。今少し、この戦争の勝因を考察しておきたい。彼我の優劣という点では、日本軍の通信技術を駆使した部隊間連携がロシア軍より良好だったことはまぎれもない。満州軍総司令部(大山巌司令官・児玉源太郎総参謀長)と軍・師団、さらに前線に配置している大隊本部を
組織というものを考えるとき、なぜこのような人物が淘汰されることなく、しかも累進し、大いなる職責を任されているのであろうと思うことがある。第三軍参謀長として旅順攻囲戦の作戦中枢を担った伊地知幸介少将(1854~1917)は、もしこの戦争がなければ薩摩閥の寵児として、幸福な官僚人生を全うしていたであろう。当時の薩長出身の青年がそうであるように伊地知もお膳立てされたエリートコースに乗って栄達の道を歩んでいく。陸軍幼年学校から陸軍士官学校(2期)を経て少尉に任官するとすぐにフランス