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「この国のかたち」という司馬遼太郎のエッセイ集があるのはご存知の方も多いかもしれません。司馬遼太郎は私の好きな作家で、大学時代「坂の上の雲」を夢中になって読んだ覚えがあります。面白かったですね。司馬遼太郎には独特の歴史認識があったようで、"司馬史観"といわれているようです。それはひどく単純に言ってしまうと、昭和の日本(敗戦前)は非合理で精神主義であり、暗い時代だったというものであり、その一方で明治時代は近代国家を目指して合理主義を基調とした、活力のある明るい時代だったというものです。敗
読書の秋に再読坂の上の雲司馬遼太郎の「坂の上の雲」…飛ばし読みながらも何回目かを読了した主人公の秋山真之のファンですが…似通った立場にあった佐藤鉄太郎の挿話から学ぶものを感じます5年前の日記の再掲です佐藤鉄太郎佐藤鉄太郎は日本海海戦において第二艦隊の参謀を務めた。秋山真之と並んで天才と言われた。二人は出羽庄内藩と伊予松山藩出身であり、戊辰戦争時には佐幕派であった。一方では…佐藤の属した第二艦隊司令長官は上村彦之亟、秋山の属する第一艦隊司令長官/同時
歴史小説作家・司馬遼太郎の「街道をゆく」と「坂の上の雲」を読んで、いつかは訪れてみたいと思っていた壱岐・対馬へ、3/22~4/7の17日間で車中泊しながら一人旅をしてきました。1日目は、岡山県の自宅から山口県まで移動して、道の駅「きららあじす」で車中泊2日目は、九州に入り、博多港から対馬行きフェリーに乗船2日目(3/23)は、山口県の道の駅「きららあじす」を出発して、福岡県田川郡の道の駅「香春(かわら)」で昼食、道の駅「いとだ」に寄って、糟屋郡篠栗町の人工温泉「オアシス篠栗」で入浴
歴史小説作家・司馬遼太郎の「街道をゆく」と「坂の上の雲」を読んで、いつかは訪れてみたいと思っていた壱岐・対馬へ、3/22~4/7の17日間で車中泊しながら一人旅をしてきました。1日目は、岡山県の自宅から山口県まで移動して、道の駅「きららあじす」で車中泊2日目は、九州に入り、博多港から対馬行きフェリーに乗船3日目は、対馬・厳原中心部を観光して対馬グリーンパークで車中泊4日目は、対馬・中央部の古墳、神社、遣唐使・日露戦争の史跡を見学して対馬グリーンパークで連泊5日目は、対馬・続日本10
歴史小説が苦手だった僕に面白さを教えてくれたのが司馬遼太郎さんでした。特に「夏草の賦」「燃えよ剣」は舞台の資料で何回も読みました。司馬さんの本は主人公や主要人物だけでなく登場人物一人ひとりに、もっといえば茶屋に一度しかでてこない店主や道を歩く娘や子どもまでリアルに描かれていて、読みながら想像するのが楽しくなりますね。今回は「人斬り以蔵」を。あっという間に読み終わりました。短編小説でしたが、どの話も時代の変革期に生きた人物の話で、特に「鬼謀の人」大村益次郎の話や「人斬り以蔵」の岡田以蔵と彼を
おまわりさんに助けられたことある?随分前にここで書きましたが、あります。小学生の頃、近所の公園でケガをした時にお世話になりました。で、これだけだと寂しいので、いつものように雑談へと進みます。我が日本国の近代警察制度の創設者は「川路利良(かわじとしよし)」という人物で、彼は歴史小説家司馬遼太郎氏の代表作の「坂の上の雲」に多く登場し、「飛ぶが如く」にも大久保利通とたもとを分かって下野してからの西郷隆盛と対立する立場(政府側官僚)で登場します。川路利良は日本国における近代警
半藤さんは、司馬さんに『坂の上の雲』のあとを書いてほしかったんだろうなあと思う。そのあとを書いてほしかった、というよりは、日露戦争勝利で終わっては困るなあ、と半藤さんは思ったのではないか。半藤さんとは、ジャーナリストで歴史作家の半藤一利氏(1930〜2021)であり、司馬さんとは小説『坂の上の雲』を書いた司馬遼太郎氏(1923〜1996)のことである。周知のとおり、日露戦争に大きな犠牲を払って日本はかろうじて勝利した。開国以来、大きな産業もない、40年前までは江戸時代だった小国日本の、
私は最近、ある「物書き」が書く本に、頗るハマっている。その「物書き」とは、京都大学~京都大学大学院の出身で、現在は、「書評家」「文芸評論家」として大活躍している、三宅香帆(みやけ・かほ)という人である。『書評家・三宅香帆の本の面白さを語る③~「書評・文芸評論編(3)」』私が今、最もハマっている「物書き」が居る。それが、「書評家」「文芸評論家」として、ベストセラーを連発している、三宅香帆(みやけ・かほ)という書き手である。私は…ameblo.jp(※前回の記事、「書評・文芸評論
師走も下旬に入り、一段と寒さも増してきましたね。今日は、今年読んだ本の中でも特に感銘を受けた1冊をご紹介します。『司馬遼太郎啐啄の記~そのやさしさと美意識~』辻本康夫著幻冬舎司馬遼太郎啐啄の記www.gentosha-book.com私自身は特に司馬遼太郎ファンという訳ではありませんが、この本に出逢い、司馬先生のお人柄に触れるご縁に恵まれました。著者である辻本氏は、大阪の上宮高等学校で長年教鞭を執られ、司書教諭として図書館
いま手元にある司馬さんの未公開公演録の本の中に、元陸軍伍長の方からの手紙の一部が載っている。この方は満州の最前線でソ連軍と戦った経験があり、その手紙文はそのときのことを書いている。おそらく小松原師団長が、日本の兵隊さんは強いから何とかなる、と言っていた兵隊さんの実相の一つがこれであろう。我が分隊十八名の所持する兵器と言えば、役立たずの照空灯・聴音機・発電自動車の外には、明治三八年式の小銃六丁に拳銃一丁、それに各自の銃剣だけ、おまけに小銃弾は一発も有りませんでした。中隊長が言うには、「お前
隊長が、観賞した「テレビ番組」を紹介するシリーズの第629回は、『ドラマ「坂の上の雲」』をお送りします。平成21年(2009)11月29日から平成23年(2011)12月25日まで足掛け三年にわたって、NHK総合テレビの「スペシャルドラマ」枠で放送された『坂の上の雲』(全13回)が、2024年9月8日からNHK総合テレビで、44分版に編集され全26回として、再放送されています。本作品は、平成8年(1996)に72歳で亡くなられた作家・司馬遼太郎が十年の歳月をかけ、日露戦争とその
映画「燃えよ剣」歴史文豪司馬遼太郎の名作多々ある作品で土方歳三の演者も多々いたが岡田准一は私の一番好みであり一番お似合いと思うでも残念な事に台本も脚本も平均的な土方歳三仕方ないのかな〜幕末のヒーローは兎角カッコよくか…(笑)殆どの作品、勤王倒幕藩士も本当は苦し紛れ的存在の新撰組も実像とは違い綺麗にカッコ良く描き過ぎる傾向がある実際の汚い性分や汚い血を描く作品が出ないかね(笑)でも岡田准一君はカッコいいわ〜岡田君の作品はいつ
今日は二女夫婦とお墓参り。雨の予報。予報通り朝から激しい雨が降っていた。↓二女とのLINE🚙滝のように降ってた雨は、お墓参りの時にはすっかり止んでいた。まぁ晴れるとは思っていた、なにせ私は晴れ女☀️笑笑晴れ女の実力を婿さんに褒めてもらった🤣🤣🤣「さすがに今日はムリかと。まさか晴れるなんて!」笑笑南平岸&里塚霊園の2カ所のお墓参りをした後は、北広島クラッセホテルで温泉&ランチ。ビュッフェ🍺婿さんに会うのは今年4度目。市外に住んでるのに結構会って一緒に飲んでるな〜🍻有り難いこ
『大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」-NHK』で興味をもった蝦夷地、そこで活躍した海商・高田屋嘉兵衛を主人公にした小説第3巻ついに蝦夷地に進出を果たした高田屋嘉兵衛、最上徳内と出会い、幕臣たちとも関係を築いて、蝦夷地一本で勝負する新装版菜の花の沖(3)(文春文庫)(文春文庫し1-88Amazon菜の花の沖全6巻完結セット(文春文庫)Amazon菜の花の沖(3)新装版(文春文庫)[司馬遼太郎]楽天菜の花の沖(三)【電子書籍】[司馬
井料田瑞樹|自己紹介とプロフィール!報道や事件を考えるはじめまして。井料田瑞樹(いりょうだみずき)と申します。徳島県を拠点に活動する報道ライターです。事件や社会問題の背景にある「人の声」を丁寧に拾い上げ、文章と写真を通して伝えていくことを仕事としています。この自己紹介では、私がどのようにして報道の仕事を志し、どんな価値観を抱き、どんな姿勢で事件・ニュースと向き合っているのか。その歩みを丁寧にお話ししたいと思います。井料田瑞樹の言葉と出会った少年時代井料田瑞樹の文章を書くことに魅せら
司馬遼太郎「花神(中)」(新潮文庫、1976年)を読んだ。司馬遼太郎は「花神」という小説の主題は―技術と人間―ということであると書いている。...p18蔵六は、自分は技術者である。つべこべ政論をたたかわせているよりも、技術が現実の歴史を解決してゆくことを知っている。...p10蔵六は無口で無愛想で長州人の政論に加わらなかった。だから何を考えているか分からず不気味に思われていた。薩摩人の思考法はつねに現実的で、戦国大名のような明快な打算がある。長州人は思想という幻想に酔う、多分に観念的で無
【神田川御茶ノ水堀割】「いま聖堂のある湯島台地と、神田山とはもともとはつづいた台地だったが、ふかく濠を掘ってこれを切りはなし、その人工の渓(たに)に神田川の水を通したのである。……施工いっさいは、仙台の伊達政宗が受けもったという。着工は大阪夏ノ陣(元和元年•1615)のあとで、元和年間というから、その間、家康の死があった。……工事ははかどらなかった。完成したのは約四十年後の万字ニ(1659)年という大工事であった。(『街道をゆく•神田界隈』司馬遼太郎著)👆この地図は、「高低差アプリ」