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久しぶりの観光旅行でしたので長々書きましたが、やっと最後です。歴史好きの旦那が絶対行きたいと言っていたあの有名な関ヶ原関ヶ原の舞台【関ヶ原の舞台をゆく】関ヶ原古戦場ガイド~戦跡を歩きながら考える、武将たちの思惑~東軍勝利で幕を閉じた関ヶ原の戦い。関ヶ原の戦いの舞台である関ヶ原町には、徳川家康や石田三成の陣跡などの史跡が今も残る。今回は、開戦や小早川秀秋の寝返りなど重要シーンに関する史跡をめぐる。shirobito.jpあ、岐阜県ですよ。と突っ込みました?帰り道なので寄りました
2022/11/03~11/19の17日間、北は富山県・五箇山から南は愛知県・岡崎まで、北陸・東海地方の史跡名勝・温泉・道の駅を巡りながら一人で車中泊旅をしました。1日目は、岡山県の自宅から京都府の舞鶴まで行き、道の駅・舞鶴港とれとれセンターで車中泊2日目は、福井県へ移動して、道の駅・越前おおの荒島の郷で車中泊3日目は、福井県の九頭竜湖を見学後、岐阜県の道の駅・白山文化の里長滝で車中泊4日目は、岐阜県を北上して世界遺産・白川郷の道の駅で車中泊5日目は、白山白川郷ホワイトロードを往復
「現代刀の愉しみ」展の鑑賞8月30日に妻と頼山陽史跡資料館で開催中の「現代刀の愉しみ」展を鑑賞に行ってきました久しぶりに目の保養をしましたね現代の日本刀作家の息吹を感じたものです私見ですが現代刀匠の作品も随分とレベルが上がったように感じます刃文、地鉄、映りなど見事でした見事な丁字刃、大房丁字など見事でしたそれに直刃も良かったですね元から先まで乱れることのない直刃でしたそうそう、棒映りもありましたね何れも、手に持って観てみたいそんな
映画「るろうに剣心」第一弾のロケ地でもある「倉敷美観地区」へ中途半端な時間に行ってきましたよ(それが目的ではないですが)先ずはなかはし「一」+「の」=「か」…この答えがないと一生読めん槗は橋の異体字……ん?旁の右の部分に点があるのかしら?因みに、前述の撮影がされたのはこの橋の周辺らしいです。先ず橋そのものを撮れよ常夜燈金毘羅大権現倉敷講中寛政三年(1791年)■書状集箱明治4年の郵便事業
土方歳三さんの遺髪を期間限定で展示しているということで日野市の佐藤彦五郎新選組資料館に行ってきました。整理券配布ということで7時に親友と日野駅で待ち合わせいそいそ資料館へ・・・久々の日野の史跡めぐり前に巡ったときは20年以上も前みたいです。「四半世紀前だよ!」と親友は何度も言ってました(笑)そして、無事に整理券を手に入れることができました。一番の人は始発で来て並んでいたそうです。そんな事を教えてくれる資料館の方、親切ですし朝早くからの対応、頭が下がります。そしてな、
こんにちは、スタルペスです。今回訪問した「新原・奴山古墳群」の被葬者の宗像氏(族)は、"海の民"です。※「新原・奴山古墳群」玄界灘や響灘を庭のように行き来し、さらには沖ノ島を経由し対馬、朝鮮半島までの航海を自在に行なってきた海人族です。宗像氏と同じように海人族として活躍していたのが安曇氏(あづみし)です。安曇氏は、現在の福岡市東部から新宮町あたりを拠点とした海人族だったと考えられています。志賀島で発見された金印「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」の持ち主は「
伊勢斎王との禁断の恋、秘めたる恋、知られてはならぬ恋、そして、決して成就してはならぬ恋。時に、世の中にはそのような苦しい恋路もあるものです。そんな逸話の舞台となったのが明和町「業平の松」と伝わる史跡。天照大御神のお傍近くでお仕えする祭主という大きな使命を与えられた伊勢斎王。数年に及ぶ精進潔斎の日々を経て伊勢斎宮に遣わされた彼女たちは、自身の置かれた立場が国家祭祀における最も重儀なものであるという自負のもと、祈りの日々を過ごしました。とはいえ、斎王は神に最も近い所にて仕えてはいるもの
午後は晴れて五月らしい爽やかな、最後の土曜日・・気分転換に広島県北の北広島町へお出かけしました史跡、吉川元春の館跡の庭園だった池のほとりで、美しいカキツバタを見つけました~真っ白なカキツバタと紫のカキツバタは野生なんでしょうか?特に白のカキツバタの3つの花弁の美しさアヤメと花しょうぶしか見たことが無かったので感動しましたそばの古井戸に咲いていたのが、赤紫のマリアアザミアザミってこんなに美しかったんですね館跡に近い民家の田植えが終わった道端に見慣れない
◎このブログの目次はこちらいつも宇治をサイクリングするときに通りかかる「お茶と宇治のまち歴史公園」先週初めて見学したんだけど・・・人の少なさにビックリしました休日だったのに...たまたま...?わかりやすい展示、新しくキレイな建物、眺めのいい展望テラス...いい施設なのにもったいない!でも裏を返せば、ゆっくり休憩できる穴場スポットかも?ということで、本日のブログ記事は「お茶と宇治のまち歴史公園」とはお茶と宇治のまち交流館「茶づな」史跡・宇治川太閤堤跡アクセス・営
2019.11.10(日)晴れ大分県由布市挾間町・庄内町・湯布院町の史跡巡り(ボランティアガイド大友氏遊学会バスツアー)南蛮BVNGO交流館(なんばんぶんごこうりゅうかん)➡銭瓶峠➡狭間氏石造五輪塔群(墓所)➡陣屋の村➡権現岳城➡大杵社➡宇奈岐日女神社狭間氏石造五輪塔群(由布市挾間町挾間)陣屋の村(由布市挾間町鬼瀬)※撮影して良かったのかもしれませんがどうかなと思い撮影していません(2019.11.10撮影)
3月10日前回最後に触れたんですが、千川・要町から旧谷端川の暗渠の緑道を椎名町まで歩いてきました。この川は実に面白い流路だったようですが、今回は飛ばして、椎名町にきたら「あの場所」へ行かずにはいられない、戦後犯罪史に残る、謎多き毒殺事件。1948年に起きた、「帝銀事件」真の真犯人は未だ分からず。犯人とされ死刑判決を受けた平沢氏だが、無実を主張しつつけ、死んでたまるかと、95歳まで生き続け、獄死。その間幾度の再審と歴代法務大臣が「死刑執行」のサインをできなかった、結果的に
前回からの続きです令和3年3月13日のことになります西寺を更に下り、東寺西門通りのもう1つ下の筋を東へ向かいますするとそこにあるのは唐橋西寺公園住所・南区唐橋西寺町駐車場なし歩いて最初に見たのは、こっちの入り口じゃなく、後から出てくる方になりますこちらの方が正面?みたいな感じだったので、便宜上こちらを先に貼りましたこちらから入ると、西寺の解説板があります史跡西寺跡西寺は、平安京への遷都から間もない延暦15(796)年頃から、平安京の入り口にあたる羅城門の西側に、東側の東寺
霞ヶ浦は今では淡水湖になっていますが、かつては太平洋と繋がっていて、かすみがうら市の崎浜にその当時の痕跡が残っています。118号線にある『崎浜横穴古墳群』が霞ヶ浦が海だった証拠となる物で、役13万~12万年前には古東京湾であったそうで、千潟に生息していたカキ化石の密集層になっています。またこれらのカキ化石床を含む地層を掘り抜いて作られた崎浜横穴墓にもなっています。まぁ早い話が牡蠣の階層の所に、昔の人がお墓を作ったという事ですね。此方にある石碑らしき物やお地蔵様は後々置かれた物かもしれませ
だいぶ間が空いてしまいましたが。2泊3日岡山の旅の、番外編。津山城から電車を乗り継ぎまして、こちらにも訪れました福山城。備後国・安芸国を治めていた福島正則が改易となり、元和5年(1619年)に水野勝成が初代備後福山藩主になると、城が築かれました。その後は水野家5代、松平家1代、阿部家10代と幕末まで続きます。改札を出て目の前にお城の石垣がありまして。入口は左手側に少し歩いたところにありました。
元旦に坂本龍馬とその関連の志士や幕末史跡について、宇和島市中心街を丸一日かけて回遊して巡ったことは以前述べた。龍馬が文久元年初頭、宇和島城下を訪れた際の滞在所は町会所の二階であり、そこは高野長英も家老・桜田佐渡の別邸を借り受けるまでの間、滞在していた場所でもある。龍馬の宇和島短期脱藩説については、これまで何度も記事を投稿しているため、当ブログを開設当初からご覧の方は、その詳細を把握しているものと思うが、再度、その概要を解説する。まず、龍馬が文久元年、宇和島城下を訪れ、土居通夫や児島惟
本日は風は強いが晴天でした。ということでJRに乗ってメインchの動画ネタを探しに行きました。知っている人はいますでしょうか?境内に環状列石があるんです。そう思っていました。ご覧ください。「環状石垣之跡」です。環状言ったら環状列石でしょ。じゃなきゃ環状線でしょ。おまけに縄文時代くらいのものかと思ったら、10世紀くらいのものらしいです。私のchにピッタリの残念具合です。その後私はトボトボと手稲に向かいました。トロピカル・ジェム本店に行くためです。手稲駅から10分ほどですが、
★道後温泉の隣にある湯築城跡です公園になっています。★湯築城跡土塁に囲まれた史跡です。◆伊予の国守護だった河野通盛氏の築城★資料館は無料です。資料館にはボランティアの方が居て楽しく史跡の説明をしてくれます。(名城100選スタンプは資料館にあります)★武家屋敷武家屋敷を復元してあります。土壁も史実に忠実に再現されています。★武家屋敷入り口門構えは現代に通じています。重厚な作りです。★武家屋敷内部
数日前に公園に行きました目的はチューリップを見る事でしたところがチューリップ祭りがどの公園も早々と終わっていました😓😢例年、他の公園より遅くチューリップが咲いている所があるのでそこにも行きましたまだ写真が整理されていないので一部だけ載せます詳細はいつか載せます😓もう藤が咲いていたりしますこの辺りも咲き始めていますが見頃には早すぎたようですブログ掲載の日より数日後には見頃を迎えそう?こちらは別の公園です同じ日に行きましたネモフィラ?とチューリップ人は多かっ
桜の満開時期に合わせて、軽バン(ホンダN-VAN)で岐阜南部の史跡巡りをしてきました。今回は妻の予定が空いていたので、二人で3/31~4/7の8日間、温泉でまったりしつつ、道の駅で車中泊しながら、城を中心に岐阜県南部の史跡・名勝を巡ってきました。1日目は、岡山県の自宅から京都府亀岡市まで一般道を移動して、道の駅「ガレリアかめおか」で車中泊2日目は、日本100名城・岐阜城見学後、道の駅「半布里の郷とみか」で車中泊3日目は、日本100名城・犬山城、日本100名城・岩村城跡、花白温泉、道の
ここにも書いてます↓『風景印→ダム』風景印いただいて~ダム見てーこれからが本日最大のお楽しみが始まるので、もう興奮しかねぇぇぇぇってかんじのことを水を買う為に寄ったドラッグストアの駐車場で1人書…ameblo.jp和知郵便局岐阜県加茂郡八百津町1613-3和知郵便局(岐阜県)-日本郵政グループこちらは和知郵便局のページです。住所岐阜県加茂郡八百津町和知1613-3。電話番号0574-43-1491。map.japanpost.jp史跡・稲葉城跡
長く楽しかった西アジア、東ヨーロッパの訪問もとうとう終わりが近づいてきてしまいました。私はこれまで30カ国近くの国々を訪問していますが、今回訪問した3カ国は私の経験でもおすすめ度がかなり上位に位置する国です。トルコは別として、ジョージアもアルメニアも日本にいると中々なじみもなく、訪問の機会が少ない国ではありますが、今回運良く機会を得て、訪れることができました。現地をアテンドしてくださる方にも、運良く出会うことができ、近い将来必ず同地でビジネスの拠点を設けたいと思います。残り
桜の満開時期に合わせて、軽バン(ホンダN-VAN)で岐阜南部の史跡巡りをしてきました。今回は妻の予定が空いていたので、二人で3/31~4/7の8日間、温泉でまったりしつつ、道の駅で車中泊しながら、城を中心に岐阜県南部の史跡・名勝を巡ってきました。1日目は、岡山県の自宅から京都府亀岡市まで一般道を移動して、道の駅「ガレリアかめおか」で車中泊2日目は、日本100名城・岐阜城見学後、道の駅「半布里の郷とみか」で車中泊岐阜県加茂郡富加町の道の駅「半布里の郷とみか」へやってきました。スー
寒い5月の幕開けです。座喜味城は、戦乱の世だった「三山時代」に活躍し、琉球王国統一後の国の安定に尽力した名将護佐丸(ごさまる)によって築かれた城です。国王に対抗する勢力を監視する目的でつくられ、1420年頃に完成しています。規模は小さいですが、城壁や城門の石積みの精巧さや美しさは沖縄の城の中で随一といわれ、当時の石造建築技術の高さを示す貴重な史跡となっています。