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2022/11/03~11/19の17日間、北は富山県・五箇山から南は愛知県・岡崎まで、北陸・東海地方の史跡名勝・温泉・道の駅を巡りながら一人で車中泊旅をしました。1日目は、岡山県の自宅から京都府の舞鶴まで行き、道の駅・舞鶴港とれとれセンターで車中泊2日目は、福井県へ移動して、道の駅・越前おおの荒島の郷で車中泊3日目は、福井県の九頭竜湖を見学後、岐阜県の道の駅・白山文化の里長滝で車中泊4日目は、岐阜県を北上して世界遺産・白川郷の道の駅で車中泊5日目は、白山白川郷ホワイトロードを往復
今日は建物や廃というより鎌倉の本に無いプチ歴史、興味ない方はスルーでお願いします。「ノーマン」で検索すると私の愛しのノーマン・リーダスを2番にする男。著名すぎるノーマン・フォスターの建築会社が作った建物が「鎌倉歴史文化交流館」三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の別荘跡にあるので鎌倉でも超絶大きな敷地を持っている。だが、駐輪場のみ完備。(掘ると色々出てくるので無駄に工事しない)スタイリッシュ。壁面が大理石を埋め込んだ人造大理石。本物部分は光りを通すのです〜面白いですね
2022/11/03~11/19の17日間、北は富山県・五箇山から南は愛知県・岡崎まで、北陸・東海地方の史跡名勝・温泉・道の駅を巡りながら一人で車中泊旅をしました。1日目は、岡山県の自宅から京都府の舞鶴まで行き、道の駅・舞鶴港とれとれセンターで車中泊2日目は、福井県へ移動して、道の駅・越前おおの荒島の郷で車中泊3日目は、福井県の九頭竜湖を見学後、岐阜県の道の駅・白山文化の里長滝で車中泊12:30岐阜県郡上市の「道の駅・清流の里しろとり」に到着しました。福井・岐阜・飛騨高山から
安部晴明。大河ドラマ「光る君へ」11回のドラマのあとの史跡紹介のコーナーで、京都市の一条戻橋(いちじょうもどりばし)と晴明神社が紹介されていました。晴明は朝廷におかれた役所の一つ、陰陽寮に所属していた、ということですね。道長が残した「御堂(みどう)関白記」にも晴明の名前がたびたび記されている、ということですね。朝廷や貴族の相談役として人々の信頼を得ていた、ということがうかがえるそうです。平安時代に洛中と洛外を分
桜の満開時期に合わせて、軽バン(ホンダN-VAN)で岐阜南部の史跡巡りをしてきました。今回は妻の予定が空いていたので、二人で3/31~4/7の8日間、温泉でまったりしつつ、道の駅で車中泊しながら、城を中心に岐阜県南部の史跡・名勝を巡ってきました。1日目は、岡山県の自宅から京都府亀岡市まで一般道を移動して、道の駅「ガレリアかめおか」で車中泊2日目は、日本100名城・岐阜城見学後、道の駅「半布里の郷とみか」で車中泊岐阜県加茂郡富加町の道の駅「半布里の郷とみか」へやってきました。スー
今朝はÚstínadOrlicíのランドマークでもある史跡HernychovaVilaで、コンクール祝賀会がありました。招待されるのは、全カテゴリーの3位までの入賞者とチェコ以外の海外から参加したinternationalparticipants。お城のようですが、20世紀初頭に建てられたヘルニッチという方の別荘だそうです。ÚstínadOrlicí市長と記念写真🥰アメリカや日本でも、どこかのMayorと会う機会なんて、なかなかないよねっ〜て、娘が意外にも喜んでました🥰✨そし
竹生島宝厳寺開創1300年記念辯才天堂本尊秘仏御開扉令和6年5月18日(土)~27日(月)開扉時間:9時~16時5月18日(土)オーミマリン彦根港9時発の1便で竹生島へおとな往復で3,200円です当日は赤備え船『直政』で竹生島へ江戸時代に近江国(現在の滋賀県)彦根藩を治めた井伊家は、幕末の大老・井伊直弼を輩出するなど徳川幕府における譜代大名の中でも筆頭格とされていました。戦の際に井伊家は赤色の甲冑(かっちゅう)を身にまとっており、勇猛果敢なその
松林の中にひっそりと居並ぶ苔むした礎石〈そせき〉、備中国分尼寺跡のこうした風景は吉備路風土記の丘の見どころの一つとなっています。しかし、五重塔がそびえる備中国分寺や、巨大な石室が口を開けるこうもり塚古墳からやや離れていることもあって訪れる人も少ないのが現状です。そこで、備中国分尼寺跡の全貌を明らかにしてその魅力を全国に発信しようと、大正11年(1922)に国の史跡に指定されて以来はじめてとなる発掘調査が行なわれました。国分寺(金光明四天王護国の寺)と国分尼寺(法華滅罪の寺)は、奈良時代の聖
桜の満開時期に合わせて、軽バン(ホンダN-VAN)で岐阜南部の史跡巡りをしてきました。今回は妻の予定が空いていたので、二人で3/31~4/7の8日間、温泉でまったりしつつ、道の駅で車中泊しながら、城を中心に岐阜県南部の史跡・名勝を巡ってきました。1日目は、岡山県の自宅から京都府亀岡市まで一般道を移動して、道の駅「ガレリアかめおか」で車中泊2日目は、日本100名城・岐阜城見学後、道の駅「半布里の郷とみか」で車中泊3日目は、日本100名城・犬山城、日本100名城・岩村城跡、花白温泉、道の
文台城跡を登った後、楠窪の砦を探して楠窪方面へ向かいました。道路を上がっていくと、カーブしてすぐに志河川ダムがあります。非常に綺麗な看板ですね。ダムの下は公園になっていますし、堤防の上も行くことができます。ダムを過ぎて10分から15分ほど走ると楠窪という集落に着きます。ただ集落といっても、ほとんど家はありません。通りのすぐ側に鳥居⛩があります。「素鵞(そが)神社」です。正直言って、この辺りに特徴的な建物はこの神社しかありません。神社は志河川の向こう岸にあります。このような橋が
答志島和具の築上岬(つかげみさき)に戦国時代の武将、九鬼嘉隆(くきよしたか)を葬った塚が残されているということで行ってみました。詳しい地図で見る西から築上岬を望む。写真右の小山が築上岬。岬は伊勢志摩国立公園の築上園地となっており、首塚と胴塚といった九鬼氏関連の史跡が残る。和具の港を通ってまずは首塚の方へ向かう。たしか看板が出ていたので迷うことはないと思う。岬の中の遊歩道は、あまり通る人がいないのかちょっと荒れ気味なので足元には注意。登っていくとこのような分岐に出
☆「龍王ヶ淵」(室生向渕)大和国宇陀郡奈良県宇陀市室生向渕(詳細住所不明)(P有)「大和富士」とも称される「額井岳」、その東側の「戒場山」の東側中腹、標高530mにある自然池、「龍王ヶ淵」と呼ばれています。池畔には堀越神社が鎮座。東西150m、南北100mほどの巨大な池。周囲を山に囲まれ人里離れた山中にあり、絶景スポットとして知られます。龍神伝承というのは見当たらないものの、以下のような説話があります。━━後朱雀天皇の御代、「向渕(むこうぢ)」の目代であった藤原時廉が観音の霊性
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」、武将な寺社街道史跡めぐりの旅、岩村城主をはじめとした敵将を磔にし処刑した地長良川の河原の紹介です。武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅ともリンクしていますのでよろしくお願いします。史跡名ゆかりの武将住所長良川河川敷織田信忠、織田信長、秋山信友、おつやの方、大島杢之助、座光寺為清、武田勝頼岐阜県岐阜市鏡岩誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいま
アクセスありがとうございますいいね!ボタンはありませんのでご興味ない方トバシテ下さい!テーマがバラバラですみませんm。。m(1)の続きです総合的に「平安宮内裏跡」というタイトルの説明板は(源氏物語ゆかりの地・1番)江戸時代から200年続く有名な油屋さん「山中油店」の店舗南側の通りをはさんだお向かいのスペースに設置されていますお店の建物は国の登録有形文化財・市の重要景観建造物だそうです説明板はこのスペースに<内裏は天皇や后たちの居住空間で平安宮の中心的な施設
史跡めぐりの記事です。今回は、三重県亀山市加太にある鹿伏兎城(加太城)です。山道が薄いので毎回、迷いますが、今回も迷いました。三重県下山城で珍しく石垣が使われている城です。鹿伏兎城(かぶと)鹿伏兎城は、亀山城主・関盛政の四男である鹿伏兎盛宗によってて正平(1346~1370)の頃に築かれました。最初は、牛谷城と呼ばれましたが、鹿伏兎氏七代定好のとき修築して鹿伏兎城と呼ばれるようになりました。定好の子定長が、将軍足利義晴に白鷹を献上したことから、白鷹城とも称されるようになりました。天正11