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・「特別展」が続くよ。奈良博での「空海生誕1250年記念」の「空海展」、東博ほかでの浄土宗開宗850年記念の「法然と極楽浄土」展に続き、「創建1200年記念」の「神護寺展」が開催される(7/17-9/8)。京都・高尾のあの急な階段を上って上まで行くのは大変(行っても、『秘宝』がすべて見られるとは限らない)だが、むこうから大挙して上野にやってくる。ありがたや!!こういうの助かるね。「国宝」だけで7点。・このほかに東博所蔵の「観楓図屏風」(狩野秀頼筆)も展示される。(国宝)。往時の神護寺の伽藍
昨日は久々に晴れました。やっぱり青空がみえると気持がいいですね~。しかし~、そんな青空のもと、マニアックな古文書の話しを~。歴史関連の資料がたまっていたので、整理をしていたら、古文書が出て来て思い出しました。と、いっても実物ではなくデータ。4年位前になると思うのですが、知人が教えてくれたもので、ある所からひょっこり「十種神宝を書き写した古文書」を発見したと。2冊だったか、十数ページになっているものです。しかも、その日は「どんと祭り」の日だった…。これどうしたらよい?となり、
▲秘境奥只見から新潟県へクワガタ好きの皆さん、久しぶりの採集記アップになります。実はこの採集記は専門誌に投稿したのですが、ボツとなったものです(汗)(やっぱり、オオクワの♂がいないと、、、インパクトに欠けるみたいです)でも、自分のクワガタ備忘録となりうるものなのでブログでのアップをする事にしました。ちなみにコチラは昨年アップした2023中年少年の夏休みオオクワ外灯採集<南会津編>の続きになります。興
みんな元気ですかはるか昔古代ギリシャにフェニキアという海洋貿易都市国家がありました。言語は古代ヘブライ語。エジプトで使われていた言葉とおなじです。フェニキア人は中型の帆船を操り世界中の富を求めて交易の船旅に出ていました。彼らはインド洋経由で当時の日本にも来ていました。その痕跡は日本各地に残っています。彼らは文字を石に彫って土地の情報を後から来る仲間たちに残しました。船乗りにとって命の次に大切な飲み水の場所、
群馬県みどり市大間々町小平にあります、小平鍾乳洞に行ってみました。この鍾乳洞は明治七年二月八日現在地で石炭岩を債主中に発見されたものです。当時一人当たり百六十文の入洞料で一般の人に参観させていたともいいます。その後、十年くらいで入口が何かの理由で埋まってしまいました。その理由は今でも判明されていません。後年になって、何回か地元の有志で再開発を試みたのですが発見には至らないままになっていました。しかし、昭和五十九年、地元からの陳情を受けて、町が古文書などをもとに発掘した結果、同年十月二十四日
「サムライ開運法」Amazonでは売切れが続いていますねカテゴリ1位を保たれたまま古来から秦氏一族に伝わる「影ながら全体を底上げしていく力」を目撃してしまいましたネ国を護る秦氏一族の頂点に君臨する土御門兼嗣さんによると、本来「侍」とは:天皇や宮家をお護りする立場。おそらく”いい所”の出自ではあるが、誰かは分からないような。さぶらう存在。とおっしゃっていましたが、護良親王推しとしては近臣の【松木宗忠】が思い浮かびました鎌倉で大塔宮と雛鶴姫の最後に寄り添
勉強する動機付けとはなんだろう。歴史家の磯田道史さんをご存知だろうか。この方は子どもの頃から歴史に興味を持っていた。ただ興味があった、、、だけではない。実際に自分の手で竪穴式住居を作ったり、土器を作ったりして、先人の苦労そのものを体感するのだ。自宅から古文書が出てきた時、磯田少年はその古文書を読む事が出来なかった。自分で勉強して古文書が読めるようになるまで、《学校の勉強はしない》と決め、ひたすら古文書の読み方を自分で学んでいたそうだ。ある時、土器を作っていたのだが、縄文土器縄
前スレッドの続き。前回ここ吉田家を訪れたときに関東醤油醸造番付こんな番付表が掲示してありました。これは嘉永年間(1855年)に刷られた瓦版のようなもの。おお!流石はキッコーマン創業家。東の大関だねー西はというと…関東近郊の醤油醸造業のランキングにこちらの吉田家も掲載されていた。前頭筆頭、ふむふむ。なかなかの格式その際には気にならなかったが、中ほどの注意書きの文言が一部読めないでいた。昔取った杵柄で読めるだろうとタカを括っていたが一部どうしても判読できない。結局は解読できたが
皆様こんにちは!♬ヨッシーでございます。🙇♂6月7日(金)発、神戸三田プレミアム・アウトレットのツアー、催行が決定いたしました!お申し込み、お待ちいたしております!👇神戸三田プレミアム・アウトレットツアー詳細|徳バス観光サービス徳バス観光サービス:徳島からのご旅行はサンデーツアーまでお申込み下さい。四国八十八ヶ所霊場めぐりも取り扱っております。www.tokubus-kanko.co.jpそれでは分国まいりツアーの続き、第4回記してまいります。お次の札所は~!🥁
1912年にイタリアでポーランド系アメリカ人ヴォイニッチに発見された解読不能の古文書が「ヴォイニッチ手稿」です。何らかの人工言語であることは間違いないそうです。暗号解読の天才と呼ばれ日本軍のパープル暗号も解読したアメリカSIS(アメリカ陸軍暗号解析班)のウイリアム・フリードマンにも解読は不可能だったそうです。フリードマンも人工言語だろうと語っています。ナチスドイツの暗号エニグマを解読したイギリスの数学者アラン・チューリングにも解読は不可能だったそうです。
相摸国寒川神社*フリー写真素材より◆徐福(方士が見た理想郷)~12(藤沢市編・寒川神社)徐福伝承というものを受け入れつつ記事を進め、最後の最後で否定しようかと目論んでおりましたが…伝承のあまりの過大解釈にだんだんと我慢ならず、途中に第9回目の記事で「富士古文書」を取り上げたことで、先ずは一旦甘んじて受け入れておこうという気が、完全に失せてしまいました。だんだんと伝承への批判的な記事となってきていることをお許し頂けましたらさいわいです。ただし第7回目の記事、紀伊国熊野まで
神様とあなたを結ぶ懸け橋神社ナビゲーターのしゅりですしゅりちゃんがなぜこの仕事をするのか?いつもブログに遊びに来て下さってありがとうございます本日のお話は・・・Today's今ホットな越木岩神社とホツマツタエ・・・と言うお話まずホツマツタエって何?というお話から・・・ホツマツタエとは?簡単にですがホツマツタエについてまとめましたヲシテ文字という神代文字で五七調で書かれた古代文献の1つ
初級編<古典>改良枕を使って「文庫結び」のお稽古です江戸時代から続く伝統的な帯結びです当時は武家の女性の基本の結びだった事もあり格調高く、奥行深く結んでいきますカッコよく結べています形付けが難しい結びでもあります格調高い文様が使われていますお母様の若い時の帯だそうです素敵ですね文庫は、そもそも書籍や古文書を入れておく文庫(ふみぐら)や手元に置いておく手文庫(てぶんこ)手箱の事です
思い出したこと。昔、整理した文書のうちに、明治期の書状がありました。その宛名を見ると「澤田(印)」で、朱印の印文は「沢田」。史料整理では、特に人名、地名の正字、国字、異体字はそのままにすることがあります。現代で、他者の住所や名前を記述する時も同様かと。それは、歴史的な固有名詞を尊重する意味もあるのでしょう。私もそれは支持してます。一方では,上のように、当の本人があまり気にしてない様子なことも。当時の人々の、名前に対する感覚が窺うことができる事例かなと、ふと思い出した
某巨大古本屋で発見。少し立ち読みしたら面白い!でもカバーが汚れているわりに、それほど安くなっていない。どうしようと迷いながら「ラヴクラフトの元ネタみたいな本なんだけど、値段がなあ」と、プレステの「ドラゴンボール」ゲーム片手にレジで一緒に並んだ子ども2に話したら、「え、面白そうじゃん。結構安くなってるし」と後押しされて購入。買ってよかった。ありがとう、子ども2。ダン・ブラウンやラヴクラフト好きにはうってつけの作家なような。とはいえ、あちらは所詮(とっていっては失礼
お義父さんが亡くなりました。93才でした。よく生きた人です。定年まで教職に就き多くの生徒たちを育てました。生徒や保護者との関係は、今でも続いています。定年後は、郷土資料館館長、教育委員、古文書の解読、畑仕事、庭の手入れ、地域への貢献などを行いました。家族には、晩年優しいおじいちゃんでした。お義父さんが体が動く時は、私がタイヤ交換をしようと車にタイヤを積もうとしているときは、気づいて車に運んでくれました。そんな優しいおじいちゃんです。私の子どもたちへ、人方ならねお世話にな
魚沼市堀之内はかつて、北魚沼郡堀之内町として形成された行政の中心地であった。その役割の歴史は、近世堀之内組と堀之内宿によって栄えたことによる。三国街道宿・堀之内組の堀之内は、近世初頭に形成された新しい中心地と言える。これは、戦国期における平子氏の勢力圏の形成と深く関わりがある。堀之内組の大肝煎宮家は、古志の宮氏が輩出した「表」を形成する巻の筆頭と考えられる。平子氏の流通要所として形成された堀之内の地を、配下として差配する宮氏の「表」の存在は、堀之内においても大家宮氏の由緒をもち、土豪を受け継
古文書でよく出てくる漢字の一つ「台」で異体字が二つあって似ているので「どっちを使っているのだ?」論争が起こっちゃう。なんせ、草書で書かれているからどちらと言っても差し支えのない崩しの場合があるので要注意。もしかして各藩によって使い方が違ったりする場合もあるのかな??䑓臺薹https://moji.tekkai.com/zoom/%E4%91%93/page.htmlhttps://moji.tekkai.com/zoom/%E8%87%BA/page
兵庫県の姫路市と高砂市へ出掛けた。世界遺産・姫路城のすぐ北隣にある兵庫県立歴史博物館がしばらくの休館を経て昨年4月にリニューアル・オープンしたが、この1年間地元の自治会長も務めていてリニューアル・オープン直後には再訪出来ず、自治会長職が終わったこの3月下旬からちょうど特別展「首里城と琉球王国」展が始まったので、この機会に再訪した。同時に、姫路市の隣の高砂市内で訪れたくなった場所が幾つか出来て、姫路城方面へ出かけた際に訪れようと思って、姫路から戻る際に訪れた。兵庫県立
続いて、バスで河原町丸太町へ移動。京都御苑の東側を北に向かって歩きます。同志社大学の創立者新島襄の旧宅https://archives.doshisha.ac.jp/archives/old_mansion/old_mansion.html新島旧邸archives.doshisha.ac.jp京都市歴史資料館https://www.kyoto-museums.jp/museum/central/254/京都市歴史資料館|京都ミュージアム探訪京都の歴史に関する資料の保存と活用を
NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴんです。東洋美術学校保存修復科で修復していた古文書が、たいへん詳細な修復報告書とともに、茨城県太田新田村文書・福島県浪江町谷津田菊池家文書14点が返却されました。福島県浪江町谷津田菊池家文書については6月1日に開催されます「第9回浪江を語ろう!」で地域の方がたにご覧頂きたいと思います。「第9回浪江を語ろう!」『「第9回浪江を語ろう!」お知らせ』一般社団法人浪江町地域文化フォーラムです。以下のとおり、「第9回浪江を語ろう!」を開催致します。
兵庫県朝来市山東町にある粟鹿神社に伝わる古文書があります。和銅元年(708年)、粟鹿神社祭主の神部直根マロ(みわのあたひねまろ)が朝廷に上申したとされる祭神、粟鹿大明神の系図で竪系図(たてけいず)と呼ばれる原初的な形式で書かれています。神代からの由来を次々に実録した系図で鎌倉時代の写しですが、現在は、代々皇室に伝わってきた古文書類を所蔵してある宮内庁書陵部の書陵部所蔵資料目録・画像公開システムに粟鹿大明神元記がありました。↓https://shoryobu.kunaicho.go.jp/
『アラハバキと浦島太郎の内緒話』『琉球方言とアラハバキの内緒話』『沖縄の奇祭の内緒話』『女神とCUBEとクババの内緒話』『明けの明星と空海とフクロウの内緒話』「明けの明星」「宵の明星…ameblo.jp↑のつづき。『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』。青森を中心とした古代東北地方の知られざる歴史が記されている「古文書」である。そして、『偽書』と言われている。数ある古史古伝が『偽書』とされる理由は様々だが、問題は「その古文書が偽書だとしても、その内容の全てを嘘だとは断定