ブログ記事21,443件
自己紹介します『自己紹介します❤️宜しくお願いします✨』こんにちはsato(さと)です。自己紹介をさせて頂きますsato(さと)はこんな人です。神社仏閣巡り、温泉が好きです。一人でコツコツやる作業が好きです。…ameblo.jp大好きな神社富士浅間神社大須商店街の一角にあり、古墳の上に鎮座してます富士浅間(ふじせんげん)神社明応4(1495)年、後土御門天皇の命により、富士山本宮浅間神社から分霊を勧請し、創建されました。現在の社殿は初代尾張藩主・徳川義直公の
↓以前にちょっと触れましたが、今日からしばらく4月26日に訪れた会津の古墳をアップしていきます。『会津』26日は会津に日帰りで行ってきました(東京から日帰りで行く場所ではないかもしれませんが)今回の目的はもちろん古墳飯盛山も鶴ヶ城も行ってません(どちらも2…ameblo.jp飯盛山古墳・堂ヶ作山古墳の遠望福島県会津若松市一箕町-墳丘からの眺め2021年4月16日から2泊3日で弘前の街を訪ねたが、利用したJR東日本の大人の休日俱楽部パスは4日間の乗り放題なので、もう一日を使
ずっと気になっていた地元の古墳と、その近くにある歴史館に行ってきました。この街に住み始めてから20年以上経ちますが、ここに来たのは初めてです。こちらの古墳は、継体天皇の本当のお墓なのではないか、と言われている古墳で、なんと中に入ることもできるようです。近づきすぎて全体像がわかりませんが、前方後円墳です。継体天皇なので、1500年くらい前のものでしょうか1500年前と聞くと、かなり古く感じますが、奈良の箸墓古墳なんかは3世紀頃に出来てるので、古墳の中では新しい方なのでしょうか(笑)そう
栃木県芳賀町の古墳、続きです。訪問日は10月24日。Googleマップで「古墳」と検索→ピンが立った「首無し地蔵塚古墳」を目指しました↑「首無し地蔵塚古墳」との案内板が出ています。↑首無し地蔵塚古墳、東側より『怠け者の散歩道』さんによると、塚の可能性が高いそうです。場所はこちら:36.581260,140.072919↑こちらが首無し地蔵様の残骸でしょうか?↑墳頂から北の方向↑今日のブログ、1枚目の写真の
4月5日に訪れた茨城県茨城町にある諏訪神社古墳群、続きです。まずアップするのは群中、唯一、整備されている古墳。↑諏訪神社古墳群4号墳、東側の様子直径15メートルの円墳。円筒埴輪、朝顔形埴輪が見つかっています。場所はこちら:36.292573,140.368005↑周溝も再現されています。写真右奥に5号墳が写っています。↑諏訪神社古墳群4号墳、西側から奥に写る木立の中に1号墳があります。↑キレイにされている古墳でしたが、埴輪の破片が転が
こんにちは、スタルペスです。「古墳」と呼ぶのは、古墳時代の墳丘をもつ墓のことを「古墳」と呼びます。概ね3世紀半ばから7世紀頃にかけての墳丘墓のことを言います。古墳時代より古くて墳丘を伴う墓は、たとえ古墳時代より古い墓であっても「古墳」とは呼びません。弥生時代のの墳丘を伴う墓は、「墳丘墓」と呼びます。一方、奈良時代以降の墳丘を伴う墓のことを「墳墓」と呼ぶそうです。今回紹介するのは、南北朝時代に活躍した「懐良親王(かねよししんのう、かねながしんのう)」のお墓です。古いお墓ですが、「
摂津巡礼21(西宮市鳴尾浜)2024年4月25日試合は2対1のまま7回表が終わる。ここまでは期待の石川昂弥が出てこない。これはベンチにもいないような気がします。マウンドには中継ぎ左腕の福が上がった。今日は岡田が先発で、祖父江、福とかつてのリリーフの主力が登板。岡田、祖父江は先ず先ずの出来。福はどうかというところで既に2時半を過ぎている。ぼちぼち神戸に向かおうかと思った矢先、先頭にヒットを打たれたところで球場を出る。因みにこの後、福は撃ち込まれたようで絶妙のタイミングでし
今日は、岡山県の古墳巡りレポートを書きますパソコンに古墳写真がたまりすぎて、今回載せる写真はちょうど1年前の画像なんです(笑)遅くなりました昨年の4月30日に岡山市の千足古墳が復元公開されたので、5月に入り見に行きました全長約81mの前方後円墳5世紀前半の築造千足古墳を見た後は、横穴式石室巡りです最初にレポートするのは、総社市の久代大塚古墳今回は、地元の方にお願いして車に乗せていただき、図々しくロープやハシゴなどの小道具もお願いしましたありがとうございましためちゃく
奈良の旅最後は安倍文殊院に行きました大化元年(645)に創建された日本最古に属する寺院。華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高く、御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大(約7m)快慶作の国宝である。孝徳天皇の勅願によって大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建立したのが「安倍山祟敬寺」(安倍寺)です。大化元年(645)安倍倉梯麻呂が創建した安倍寺(祟敬寺)は、現在の寺の南西約300mの地に法隆寺式伽藍配置
少し前になりますが、3月22日の話です(これも桜の記事なので慌てて書いてます)雨続きの中、珍しく晴れて夏日になった日でした青空の下でほころんだ桜がきっときれいだろうと思い、大神神社から山の辺の道、箸墓古墳に向けて歩くことにしました偶然にも、その日令和5年3月22日は、大神神社で「12年に一度」の卯年卯月卯の日の三卯大祭が催される日でした🐰🐰🐰が、そんなことは知らず、朝WBCの決勝戦を少し見てから出発したので、大神神社に着いた時には祭事は終わり帰る人たちとすれ違うことになりました
令和5年9月3日参拝日間賀神社は砂浜を見下ろす高台にありました。|д゚)柱に式外の文字!昭和15年の岡崎狛犬です✨この頃の岡崎はとてもカッコイイね。わざわざ参道があるなんてどんな神なのか。奥から行ってみる🙏いきなり探してた「日間賀天神」でした🙌たこ阿弥陀と深い関わりのある神さま。手前は‥「社口社」!!!(゚ロ゚*)憧れのシャグジさまキターー!初めてお目にかかります🙏✨これからも東海中部で注目していきたい。境内地には古墳がたくさんあるらしい。多分この花壇も古墳でしょ
昨日アップした三日月神社南古墳群から久部浅間山(きゅうぶせんげんやま)古墳を目指したら・・・・↑藪の中だな・・・・しかも、どこから入れるやら↑国土地理院より地理院地図/GSIMaps|国土地理院西側から来たのですが、ぐるーっと用水路の縁を歩いて赤い矢印の地点から藪の中へ↑藪の中に入ったら、すぐに墳丘がありました墳長32.5メートル、後円部径20メートル、後円部高さ4.9メートル、前方部長さ16メートル、前方部幅14メートル、前方部高さ1.5メートル
今日は、2023年に中学受験(首都圏国立・私立中学校152校)で出題された「遺跡に関する問題」を紹介します。2019年~2021年に出題された中学受験で出題された「遺跡に関する問題」は下記を参照ください。『中学受験(歴史)で出題された「遺跡に関する問題」を集めました。』中学受験で出題された「遺跡に関する問題」を紹介します。親子で挑戦してみてください!------------------------------------…ameblo.jp親子で挑戦してみてください!
共生が大事だなどとやたらうるさいが共生が出来てる国なんてどこにも無いだろ。だいたいそんなことを云う国なんてある訳ない。風土と育ちが違えばそれぞれ環境に適応してきているからそれぞれの宗教や文化という背骨が違う、当たり前の話だ。これが分からないお花畑だけ云う世まごい事だよ。韓国じゃあ犯罪にならなくても、日本では強姦は犯罪だ。日本では豚を食うが、犬は食わない。豚を食うことに目くじらを立てられても困るし、犬を食う国に文句を云うことも無い。江戸時代江戸っ子は三代江戸に住
前回の続きで、大分県の古墳巡りについてです日田市の月隈横穴墓群を見学しましたコミュニティバスを使って行けます月隈山という独立丘陵に県指定史跡の永山城跡があり、その周囲が横穴墓だらけなのです丘陵の下は公園化され、城跡に上がる道も整備されています雪がチラチラと降り始めましたので、ゆっくり見学できなかったのですが、少しだけ撮影はできました古墳時代後期と考えられる横穴墓群ですが、未調査県史では「横穴墳多数」という表現で、市の調査では横穴墓は約50基の確認とされています道があるので、
現在の印西市に印旛沼はありますが、かなりの内陸部です↑古墳時代の頃の地図実は香取海(かとりのうみ)という内海が広がっていました。現代を除いて、長い歴史の中では「水運」が経済・物流では重要となりますまして外海を当時の船で長距離航行するのは危険なので、内海と河川が重要なルート。古墳時代の香取海周辺はかなり経済的に発展した地域なのでしょう。その証拠は古墳当時の香取海を取り巻くように古墳がいっぱいあります。すでに何度も印西市には古墳探訪に出かけていますがまた
古墳、それは古代の権力者の墓。古墳と言えば、大阪の仁徳天皇陵古墳が有名ですが、埼玉にも世界に誇るべき古墳群があります。それは県北部の行田市に。◆埼玉古墳群◆(国指定特別史跡)案内図を見て分かる通り、大中小の古墳(前方後円墳8基・円墳1基)が田園風景の中に密集しています。特別史跡且つ、日本資産の構成資産で、世界遺産への登録も推進中。そして、この地が埼玉の地名の元です。そんな埼玉イチの名所。古墳群に隣接した広場では、北関東の山並みを借景に懐かしの
☆9/5瞑想御祭神のはやみかたま………………こうすればいいのね!と何かをした?受けた感覚依頼主は大国主様を感じた最後に言葉"ありがとう"**私自身は何をしているのか正直わかりませんがありがとうの言葉をいただいた事はわかりますそれだけでも自分の事が嬉しいですあれこれ考えすぎず答えを求めすぎずただ素直に受け止めれば良いと知り心が軽くなりましたただただ流れに任せて進んでいます***國造神社だとわかっていた御祭神は速瓶玉命様なので翌日一人でお参りに行きました北側から眺め
4月5日に訪れた茨城県茨城町にある諏訪神社古墳群、続きです。昨日アップした5号墳・6号墳から西へ歩くと、すぐに右手にある諏訪神社古墳群7号墳に気がつきますよ↑諏訪神社古墳群7号墳直径7.8メートルの円墳。場所はこのあたり:36.292954,140.367010↑高さは2メートルほどありそうです。↑小さな祠キレイにされていますし、最近置かれたと思われるワンカップもあります。↑こちらは諏訪神社古墳群8号墳、南東側から7号墳と
2022年6月5日(日)おはようございます、コバルトアユです。いよいよミヤラン(ハーフ)スタートします。今日したこと今日1日を振り返ってみましょう朝:9:45ミヤランスタート今日のよかったことよかったことを思い出して1つ書いてみましょう坂道得意かも⁉︎(^^)再認識。ランニングの記録6月5日(日)6月4回目のラン。ミヤラン(宇都宮環状線一周ランニング)の日。朝の雨がウソのように良く晴れ渡り、スタート直後の最寄りの観測所•宇都宮の気温は21.1℃。走
①中宇利曽根川西の宇利鉱山跡地を彷徨い、宇利古墳探索徘徊。中宇利鉱山跡地に近い処かも知れません。採掘穴跡に嵌まらない様に、注意・注意。林道滝堂線の入り口に女性ガードマンが立っていました。林道の先2㎞で土砂崩れ工事を仕手います。進入出来ません。(゜◇゜)ガーン中宇利古墳~小畑不動滝徘徊MAP林道滝堂線を背にして、中宇利鉱山遺構から左手へ宇利古墳を探して彷徨います。中宇利鉱山で採れた石は、「中宇利石」と呼ばれるスカイブルーの鉱物だそうです。
☆崇神天皇皇子倭彦命身狹桃花鳥坂墓(桝山古墳)(むさのつきさかのはか)大和国高市郡奈良県橿原市鳥屋町(P無し、近隣停め置き不可、かなり遠くに停めて歩く必要あり)崇神天皇皇子倭彦命の治定墓であり、宮内庁管理の皇族墓。兄弟姉妹の顔ぶれがそうそうたるもので、倭彦命は影が薄い…。活目入彦五十狹茅尊(垂仁天皇)、倭姫命、豊鋤入姫命、渟名城入姫命…等々。倭彦命の事績の記述は記紀ともに無し。ところが一つ重要な記述があるのです。それがこちら。━━垂仁天皇二十八年冬十月、天皇の同母弟で
こんにちは、スタルペスです。秋が深まる中、先日ひさびさに宮崎県にドライブをしてきました。目的地は、すでに何度か訪問している、ちょー有名な「西都原古墳群」です。西都原古墳群は、菜の花と桜並木が有名ですが、今回は「コスモス畑と古墳群」をテーマとして訪問しました。※西都原古墳群のコスモス熊本市から高千穂経由で西都原古墳群に到着です。まずは、西都原古墳群の中心部(ガイダンスセンタ)の駐車場に停めてコスモス畑に向いました。視界すべてがコスモスの花で埋まっていて
奈良県には古墳がたくさんあります一昨年、山辺の道を散策がてら、ホケノ古墳に行ってきました!ホケノ古墳は、のどかな里山の中にある小さな古墳です。ぱっと見、ただの小山子どもの遊び場になりそうな感じ同行者など、あまりの古墳っぽくなさに、「下で待ってるから適当に霊視してきて」と、興味を失っていましたわかりやすい人です徒歩3分で登れるホケノ古墳(画像をお借りしました)。ここには古代の巫女さんがいらっしゃ
我が街・天理市でよく見かけるフレーズ「ようこそおかえり」の看板。天理市は日本で唯一の宗教都市として宗教名が市名になった街であります。天理市は別名「おぢば」と言われ、漢字では「お地場」と書きます。地場とは、故郷の意味があります。天理教の教えの中に、人類は天理の地場から発祥したというのがあるのですが、その人類が天理に訪れることはいわば故郷に帰ってくるということで「ようこそおかえり」と言われます。私は生まれも育ちも天理市ですが、幼い頃から最寄り駅の天理駅に到着すると「よ
かなまろんですブログにお越しくださってありがとうございます竹生島の弁天さまのご開帳に行ってきました前回の続きです『579竹生島宝厳寺ご開帳1~特別拝観に行ってきた!~』かなまろんですブログにお越しくださってありがとうございます竹生島に行ってきました竹生島宝厳寺のご本尊弁天さまは秘仏で60年に一度ご開帳されます次の…ameblo.jp竹生島でのお参りを終えて今津港にもどりました港へ向かう途中色々と調べたのですが以前にも行っ
天照大神社(領家山古墳)大和国葛下郡奈良県大和高田市池田136(P無し)■祭神大日霊売命「領家山古墳」の後円部頂に鎮座する社。後期旧石器時代から江戸時代までの複合型「池田遺跡」のすぐ南側が当社(当古墳)。したがって当社までを含めて遺跡とみるべきでしょうか。遺跡からは後期旧石器時代のナイフ型石器、縄文創草期から晩期の土器、かなり精巧な形象埴輪など(詳細は大和高田市生涯学習課のHPリンクを)。創建由緒等は不明、分かっているのは社名とご祭神名くらい。当古墳から鶏頭埴輪の破片などが発見さ
午後から娘の面談があってお仕事はお休み。午前の時間を利用して、寒川神社へ行ってきました。先に西善院へ今日はどんなお言葉に出会えるかな〜あっ寅さんだ私が小さい頃にお父さんが見てたな〜寅さんの名言−「人間って何のために生きてんのかなぁ?」の答え|男はつらいよお帰り寅さん|NetflixJapan『男はつらいよ』には胸に響く名言がたくさんあります。その中でも私が好きなのが、「人はなぜ生きるのか?」という哲学的な質問への、寅さんの答えです。すごくシンプルで本質を捉えたこのセ
③小畑不動滝へ土砂崩れ徘徊。此方の滝も随分前にお邪魔したことがあります。希望の池から歩いて、途中分岐の先に土砂崩れ有り。林道から沢側へ30㎝程度残して土砂は止まっています。宇利地区は昨年6月の豪雨で、土砂崩れ被害が多いです。直ぐ左手の沢には、結構な水量が流れています。登るにつれてガレ林道へと変化していく。怪しいコンモリを見つけても、本日四箇所目徘徊・登る気力はありません。スルーします。(~o~)セメント舗装が多少残っている林道を徘徊
こんにちは、スタルペスです。今回は昨年11月に訪問した福岡県うきは市の「珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)」を紹介します。この6年間、九州の古墳を中心にブログで紹介させていただいていましたが、まだこの有名な装飾古墳の紹介ができていなかったことが、ずっと心に引っかかっていました。紹介できなかった理由は、この装飾古墳に行くには月1回限定の見学会に応募しなければならず、計画性のない私はそれがなかなかできなかったためです。そこで昨年9月、勇気をだして「吉井町歴史民俗資料館」に古墳見学を申し