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bigbossmanです。1週間ほど前、自分が大学のときに卒論を指導していただいた先生の退官記念パーティーに出席しました。といっても、自分が卒業した大学の主催ではありません。先生は定年退官後、別の大学に名誉教授として招かれ、そこで74歳まで教鞭を取られてたんですね。すごいことだなあと思います。自分は大学では史学、中でも考古学を専攻したため、そのパーティは考古学関係の大先生が大勢来ておられ、自分が占い師をやってることを知っている先生方が多かったので、冷やかされることしきりでした。ま
行けたら行きたいな・・と思っていた、東京国立博物館で開催の特別展「はにわ」。東京国立博物館展示・催し物展示平成館(日本の考古・特別展)挂甲の武人国宝指定50周年記念特別展「はにわ」www.tnm.jp10月半ばから始まっていたのですけれど、やっぱり行けないうちに終わってしまっていました。12月8日(日)まで。(´・ω・`)はにわ、好きなんです。埼玉に住んでいた頃は行田市にある「さきたま古墳公園」に行ってさ
ご訪問ありがとうございます。前回は応神天皇は神功皇后とのペアにおける母子神の御子神としてのイメージが強いということを述べさせていただきました。次に応神天皇の后妃・皇子女を見ておきましょう。二年春三月庚戌朔壬子、仲姫を立てて皇后と為す。后、荒田皇女・大鷦鷯天皇・根鳥皇子を生む。是より先、天皇は皇后の姉高城入姫を以て妃と為し、額田大中彦皇子・大山守皇子・去來眞稚皇子・大原皇女・澇來田皇女を生む。又の妃、皇后の弟(妹)弟姫、阿倍皇女・淡路御原皇女・紀之菟野皇女を生む。と高城入姫、仲姫
気がつけば1月も終わろうとしている←まだ10日程有るが?今年の2月は閏年なので1日多いですが、それでもきっとあっと言う間に過ぎるだろうそんなこんなしている内に世間はGWとか言うてるんやろな...。って考え始めたら何に追われてる訳でもないのに気が急いてきます落ち着けワタシそして記事を書くのだワタシ。前回の続き長林寺から素盞嗚神社の裏道を歩いてくると駅が見えてきたよあっここが最寄りの駅の池部かぁ~てことは有ったって・・・ほんとにここが役場なの?ヤバいやん!
今回も引き続き袖ケ浦市の神社です。袖ケ浦の神社ってそれぞれかーなーり個性豊かなのですが、この神社も非常に濃い特色を持っております。率土神社ソットジンジャ袖ケ浦市神納字宮ノ本3382道路沿いの鳥居ものすごい階段!ひいいいいいぃぃぃぃーーーーーー!!!登っても登ってもっ!!(ゼーハー)や、やっと・・・台地上に・・・到着・・・そして振り返ると・・・この景色!絶景!疲れも吹っ飛びますね!下に見えるのは県立袖ケ浦高校の体育館とグラウンドです遥か彼方に鹿野山も見えます
先日、辞表提出祝い🎉で最後に残ってたトラフグづくしを堪能した。で、翌日日曜日、急遽思い立った名付けて辞表提出記念プチ観光を行います。基本出不精でボッチドライブするタイプじゃないけど今日は天気も良い。大阪脱出が近くなり今行ける所に行ってみる気になりました。思い付いた最初の目的地九度山・真田ミュージアム九度山は、高野山の玄関口にある山あいの町。ゆったりと流れる時の中で、都会の喧騒を忘れさせるひと時を過ごしませんか。www.kudoyama-kanko.jp別に真田家に特別な思いは有りませ
八幡神社(伝神八井耳命墓、橿原市山本町)大和国高市郡奈良県橿原市山本町152(P無し、近隣停め置き不可、駐車場のある神武天皇陵より道があり徒歩15分前後、下部写真参照)■祭神誉田別命神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の陵墓と伝承される社。◎「畝傍山」の北の山裾に鎮座、小さな集落の外れにひっそりと佇みまるで聖地さながらの趣。祠の建つ辺りは斜面になっており墳墓らしき高まりが見受けられます。規模は4~5mくらいでしょうか。◎神八井耳命は神武天皇と皇后姫蹈鞴五十鈴姫命(紀では大物主
大原八幡神社福岡県京都郡苅田町新津1427御祭神大原足尼命現在の豊前・豊後の国造饒速日命大原足尼命の祖先・物部氏の祖神応神天皇第十五代天皇・八幡の大神仲哀天皇第十四代天皇・応神天皇の父君神功皇后応神天皇の母君由緒御祭神大原足尼命が神功皇后の御代(西暦209年ごろ)豊前、豊後の国造として、民を安じ徳望あり、とくにこのころ新津に港を造り公私船舶往還の港となり大いに栄える。なんと、大原足尼は神功皇后の時代の人だった⁉︎この人が豊前・豊後の長として港を作ったおかげ
霊感を3倍増幅する裏の方法占い師や人生相談事をされている方へセラピスト,カウンセラーにも効果大あなたの隠された潜在能力を覚醒し引き出す方法があります。日本の歴史を想い出してください。初代天皇は、九州から大和の国に来られました。紀伊の国から大和には八咫烏の一族が導きました。なぜでしょうか?大和盆地(橿原)で朝廷を創設大和には多くの天皇の古墳があります。この古墳が日本の歴史を作ってきました。どういう事でしょうか?私の霊感の強い友人は「あ~~お墓は古墳にしたい」
今回はずっと寝かせていた袖ケ浦市のとある神社です。実は袖ケ浦の神社って個性的で不思議な神社がとても多くて、取材に行った後の書物による裏付け調査がまぁ~捗らない捗らない(汗)遅々として進まなかったので再度強力な助っ人を連れて訪問し、更に謎が深まったという(笑)でもまぁ自分的に納得がいったので記事にすることにしました。不思議な土地の不思議な神社のご紹介です。坂戸神社袖ケ浦市坂戸市場1441一の鳥居二の鳥居二の鳥居の側の石碑坂戸神社の森は県指定天然記念物です鳥居をくぐって
成田山新勝寺本堂の裏手に広がる成田山公園へ紅葉ランに行ってきました。成田山公園だけだと距離が短いので、坂田ヶ池公園もセットで走ってきました。11月24日まで成田山公園で紅葉祭りが開催されていたようでしたが今年の紅葉は遅れているようだし、天気も良いし、午前中時間取れたし、で12月1日(日)5時起きで決行自宅~下総松崎駅~成田駅オール電車移動も考えたのですが、午前中しか時間がないので車を使用5時10分自宅発6時すぎ下総松崎駅近くの駐車場着24時間200円
先週のタウンニュースに大磯在住のイラストレーターオダギリミホさんが作られた《大磯にいたばかすキツネと小字(こあざ)地名マップ》が販売されたという記事を見ました。大磯在住オダギリミホさんキツネの伝承小字と共に「もっと知って」とマップ制作|平塚・大磯・二宮・中井|タウンニュース大磯町西小磯在住のイラストレーター・オダギリミホさんが制作した「大磯にいた、ばかすキツネと小字地名マップ」がこのほど完成し、「大磯市」や町内のギャラリーで販売される。町...www.townnews.
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは皆さんいかがお過ごしでしょうか?やたら梅雨が早く来て、青カビだらけになりそうな私です。ペニシリンは出ません「大田郷あれこれ繋がる②」を書いている途中ですが、今回は、一説によると桃太郎の姉とされるモモソヒメを祭る水主神社(みずしじんじゃ)さんに寄り、みち草を食べます。🐴『モモソヒメ讃岐の痕跡船山神社編』あくまで、私見です。たまに、脱線します。悪しからずご了承下さい。香川県内には、モモソヒメの痕跡があります。この神社は、色々伝えているそう、箸墓古墳に埋
2017年に訪れたことがある茨城県水戸市大足町の舟塚古墳に再訪してきました。『水戸市大足舟塚古墳』くれふしの里古墳公園を出てすぐ、公園からは南の方に舟塚古墳群1号墳、舟塚古墳があります。住所が「大足」、「おおだら」。ダイダラボッチと関連があるのかと少し調べ…ameblo.jp↑7年ぶりです。↑舟塚古墳(舟塚古墳群1号墳)、北東側より。完全な逆光左側が前方部、右側後方部の前方後円墳。墳長約80メートル、古墳時代後期築造。場所はこちら:36.387230,140.36273
愛知県豊田市の古墳、続きです↑八柱社(やはしらしゃ)古墳、北側より木々でわかりにくいですが、左側が「後円」部、右側が「前方」部の前方後円墳(帆立貝型)。名古屋グランパスの本拠地トヨタスタジアムのすぐ近く。場所はこちら:35.081645,137.171614↑八柱社古墳の解説板墳長45メートル、後円部径33メートル、後円部高さ5.5メートル、前方部長さ7.5メートル、前方部幅10メートル、5世紀中頃築造の前方後円墳。↑八柱社古墳は、八柱神社の裏にありま
スタルペスです。お久しぶりです転職してから忙しい日々を送っていてブログのフォローもできない状態がつづいていますが、今日は久々にブログ投稿ができそうです。前回と言っても1か月以上の前からの続きで、今回も唐津市の古墳を紹介します。前回のブログで紹介した「双水柴山古墳群」から少し北に向かったところ、近くには西九州自動車道が通っています。今回もさらにニッチな古墳、「外園古墳(ほかぞのこふん)」を紹介します。圃場整備された農地の中に集落があり、集落内を東西に通る道路際に外園古
どーも、castom98です。先日、山口県の古墳見学に出かけたのですが、その際に発見した史跡をご紹介。山口県周防大島町にございます、庄地のスイドウです!『2024年冬の古墳旅無事生還』どーも、castom98です。先月末から出かけていた2024年冬の古墳旅、無事生還しました。基本は古墳優先だったので他の観光地はほとんど訪問しなかったのですが…ameblo.jp山口県東部に、周防大島(屋代島)という大きな島が瀬戸内海にあります。その島にある庄地古墳群を見学したのです
こんにちは、スタルペスです。今回訪問した「新原・奴山古墳群」の被葬者の宗像氏(族)は、"海の民"です。※「新原・奴山古墳群」玄界灘や響灘を庭のように行き来し、さらには沖ノ島を経由し対馬、朝鮮半島までの航海を自在に行なってきた海人族です。宗像氏と同じように海人族として活躍していたのが安曇氏(あづみし)です。安曇氏は、現在の福岡市東部から新宮町あたりを拠点とした海人族だったと考えられています。志賀島で発見された金印「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」の持ち主は「
八坂神社(浅古)大和国十市郡奈良県桜井市浅古1102(鳥居前にPらしきものがあるが契約駐車場、邪魔にならないように鳥居前に停めました、交差点角にローソンがあります)■祭神素戔嗚命「鳥見山」の南西、「浅古(あさご)」集落に鎮座する社。鳥居から先は高台で石段を登った先にご本殿、その先はずっとこの高さが続いており、鳥居は谷にあるとも言えます。◎創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。参道から磐が多く座し、境内の端にはこんもりと塚状のもの。「浅古八坂神社古墳」と称するようです。境内に古
昨日は暑かったですねマスクをして出勤すると、顔だけ汗だくになってましたさてさて古墳の話題以前、高崎市吉井町にある多胡碑を見に行きました。その際、近くの古墳群も訪れてます訪問日は1月31日。↑国土地理院地図より、赤い〇や文字はふっき~が加筆https://maps.gsi.go.jp/#17/36.266128/138.994002/&base=ort&ls=ort&disp=1&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1赤い〇で囲ったあたりに下池古墳群がありま
今日から11月14日に訪れた宮城県の古墳をアップしていきます↑三神峯(みかみね)公園からの眺め縄文時代と古墳時代の複合遺跡でもある三神峯公園到着時・・・・夜明け寸前です(笑)三神峯公園内には2基の古墳が保存されています。↑まずは三神峯1号墳、北西側から直径約17.3メートル、周溝も入れると22.5メートルの円墳。↑南西側から現状2基の古墳が保存されていますが、1号墳から西南西へ40メートルほどの箇所に3号墳が調査によって見つかってます。3号墳は直径約10
和歌山県から来た元有料道路を戻ります。無論、この道乗る前にコンビニでトイレ行きました。奈良県に入ったところの出口間近に渋滞発生。ココからはナビ通りに来て奈良から大阪府に入って少し行った所に第二の目的地到着です。しかし駐車場🅿️から入り口までがやたらややこしい。多分この大きな階段の下なんだろうけど全く持って不思議なミュージアムです。一瞬やって無いかと思いました。看板も出ておらずほんっと不気味です。入ってしまえば普通のミュージアムで大阪に来てこの近畿地方の航空写真見たら古墳だらけで高速道路か
☆賀夫良城塚(附金神社境内社)美濃国厚見郡岐阜市金町5-3(金神社境内)(金神社P利用)岐阜市街地の中心地に鎮座する金神社。その境内北東隅に小さな円墳と境内社があります。「賀夫良城塚」「賀夫良城神社」。金神社の由緒書に記されるのは以下の通り。━━成務天皇の御代(135年)、物部臣賀夫良命が国造としてこの地に赴任され、国府をこの高台に定められ、篤く金大神を尊崇されたと伝えられている。境内の東北の隅に命を祀る古墳「賀夫良城」があり、近くに「蕪城町」という町名が存するのも之に由来す
櫛玉比売命神社(附櫛玉媛神社古墳)大和国廣瀬郡奈良県北葛城郡広陵町弁財天399(P無し、境内進入禁止、社前道路は広いためいつも停め置きしています)■延喜式神名帳櫛玉比売命神社の比定社■旧社格村社■祭神櫛玉比売命「高田川」にほど近い西側平坦地、前方後円墳頂に鎮座する社。一の鳥居は「高田川」堤防沿いに、なかでもご本殿は後円部頂に設けられ、埴輪片も出土するとのこと。◎ご祭神は饒速日神の后である御炊屋姫命とする説が強く、偶然なのか伊予国の同名社(未参拝)も前方後円墳頂に鎮座し、
☆黒駒古墳(くろまこふん)大和国宇智郡奈良県五條市黒駒376(ご神域の北東隅、県道55号線から当社へ曲がる角に駐車スペース有り、落杣神社・御霊神社のPも利用可)落杣神社・御霊神社の神域内、岩神を祀る落杣神社のすぐ側の古墳。「吉野川」に「丹生川」が合流してほどない場所。かつては「坂合部村」と呼ばれた地。概要は写真撮りした案内をもって割愛します。古墳時代終末期に築かれた古墳ですが、岩盤祭祀の落杣神社のすぐ側、また案内にもあるように岩盤層まで掘り下げられているということから、岩盤信仰と
慶州・歴史遺跡地区を歩き出して15分。とにかく眼下がオール絶景すぎて…もう、後悔。こんっっな素敵なところに、何で私は一人で来ちゃったのかよ!?と🤣🤣🤣自分の大好きな人達にも、この風景見てもらいたかったし、一緒に「キレーやなーー!」って、感動を分かちあいたかったなぁぁと、初日にして大後悔よだからこそ、こうやって記事にして皆さんと共有することで、感動を一欠片でも共にしてもらえれば、報われた気がします。読んで下さってありがとうございます😊さて。道はまっすぐにあそこへと
今回は昨年行った奈良県!修学旅行のような…(当方の地元では修学旅行は京都奈良が多い)奈良県はなんと!犬連れで拝観できるところが多いんです※継続してワンさんも一緒に楽しめるよう、マナーはしっかり守りましょう!!と、いうことで駐車場から歩きます朝が早かったのでお店は空いておらず、駐車場もガラガラ。前泊でパーキングエリアで仮眠させてもらってのココ。こんな感じで、快晴で爽やかな朝です。人通りも少ないどどーん!!やって来ました【法隆寺】こちら、抱っこ(スリング)、ケージ等に入れれば一緒
④風越峠下山迷い道~葦毛湿原彷徨い下山編。屏風岩の先に、踏み跡が再び現れてきました。そして、再び消えそうな踏み跡を徘徊して行くと、下に岩崎自然歩道のロープ場が見えました。(^_-)屏風岩の様に、巨岩が立ちふさがっています。道の様な跡が?又現れ始めました。踏み跡が薄く・細く、先へ繋がっています。その先には下に岩崎自然歩道が見えましたぁ~。ロープ場の此処へ出ましたぁ~。右手が一息峠方向です。山姥様が登ってこられます。挫かぬ様
行橋市歴史資料館の前には、かなりリアルな卑弥呼像があった。本当にこういう人いそう!いる!資料館の館長直々に、館内の展示物について、熱心に説明して下さった。歴史と自然をまもる会一行、歓迎されている!ありがたいことだけど、他にも見る予定があるので館内はほどほどのところで終わり、次の場所へ。資料館の館長さんは、この辺りの遺跡の研究をしてる方なんだったかな?パッと見じゃ分からないような古墳までよく説明して下さった。しかし、館内は写真撮れないし、見ただけじゃよく分からない古墳は写真に収めがた
こんにちは、スタルペスです。まだまだ半年前の古墳巡りを続けています。今回は、昨年6月に訪問した熊本県菊池市の古墳を紹介いたします。菊池市の古墳はこれまでも何度か訪れていますが、今回も新型コロナによる県外移動自粛でまだ訪れていない県内の古墳を巡っています。今回の訪問は、「赤星やんぼし塚古墳」です。”やんぼし”とは、”山伏”のことのようです。宇土市にも”やんぼし塚古墳”と呼ばれる古墳があるので、この菊池市の古墳は集落の地名を取って「赤星やんぼし塚古墳」と呼ばれています。