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宇美八幡宮(うみはちまんぐう)福岡県糟屋郡宇美町宇美1丁目1-1古事記によると、神功皇后皇后は、新羅平定の政務が完了する前に臨月となったが、石を腰に付けて出産を引き延ばし、帰国してから応神天皇を生んだ。その生まれた場所を名付けて「宇美」という。日本書紀によると、それは旧暦12月14日だそうな。宇美八幡宮HPには明治以前はすべて旧暦で12月14日祭神應神天皇御降誕の日で年一度の大祭が行われていました。誕生会・御降誕祭とも言われていました。同じ御祭神をお祀りする福岡市東区の筥崎宮にお
【宗像三女神/剣から生まれた航海守護神】@art.mochida.daisuke『古事記』によると宗像三女神は、誓約(うけい)の際、アマテラスがスサノオの剣をかじり息を吹き出した時に生まれた神様で、スサノオの娘ともされます。世界遺産に登録されている福岡の宗像大社(福岡県宗像市)の祭神として祀られ、宮島の巌島神社(広島県廿日市市)にもご祭神として祀られています。宗像三女の生まれた順は『古事記』によると、長女・沖津宮-タキリビメ(オキツシマヒメ)、次女
雨足が強くなってきたので、今日は定時に切り上げて帰宅しました。心配な夜です。安全にお過ごし下さいませ。前記事に続きます。ワタシが庵野秀明展の解説に行けなかった理由は、夜の部のチケットを取っていたから名古屋御園座スーパー歌舞伎ヤマトタケル2018年5月以来のスーパー歌舞伎の観劇です。「スーパー歌舞伎って…邪道じゃない?」と思っていたワタシが観る切欠となったのは、当時、中学生だった娘が「スーパー歌舞伎ワンピース」を観たいと言った事でした。行ってみたら、なにこれめちゃ楽し
紀伊国一宮の伊太祁曾(いたきそ)神社です。紀伊国一宮は、ほかに日前宮(にちぜんぐう)丹生津比売(にうつひめ)神社もあるといいます。伊太祁曾神社はもともと日前宮のある秋月(あきづき)に祀られていたようです。第11代・垂仁(すいにん)天皇の世に日前宮が濱宮(はまのみや)から秋月に遷されたとき、伊太祁曾神社は和田川(わだがわ)上流の山東(さんとう)に遷されたといいます。ですから、山東宮(さんとうぐう)ともいうようです。はじめの遷座地は、500メートルほど
ご訪問ありがとうございます。今回から垂仁天皇の巻に入ります。とりあえず読んでみましょう。活目入彦五十狹茅イクメイリヒコイサチ天皇(垂仁天皇)は、御間城入彦五十瓊殖ミマキイリヒコイニエ天皇(崇神天皇)の、第三子である。母の皇后曰御間城ミマキ姫は、大彦命の娘である。天皇は、崇神天皇29年壬子ミズノエネの年春正月1日瑞籬宮に生まれ、生まれながらに秀でた容姿で、壮年になってからは度量も広く、人となりは真理に叶い、歪めたり飾ったりしなかった。(崇神)天皇はたいそう可愛がって、お側にお置きになっ
前回、ミヨイ・タミアラの両大陸が一度海に沈められた、と書きましたが、いろいろ見直すと沈んだのはミヨイだけだったようです。あと、アトランティス大陸も沈んだようです。ミヨイが沈められる前に、アーリア人達は木を切り倒し、いくつものいかだや箱舟を作っていました。母船で助け出されたものもおり、箱舟で今までの科学を運び出したものもいました。長い日がすぎてたどり着いたのが現在の岐阜県の白山です。この時にイザナギたちが列島引き上げに掛っていました。そこに100隻の箱舟が到着しました。沢山の中等生命体の科
古事記ビギナーズ・クラシックス日本の古典(角川ソフィア文庫)角川書店(編集)、谷口広樹(著)古事記ビギナーズ・クラシックス日本の古典(角川ソフィア文庫91ビギナーズ・クラシックス)Amazon(アマゾン)1〜6,652円昨年後半から、神社にお参りすることが多くなり、祭神の名前が分からないことから「古事記」に興味を持ちました。初めにマンガを読みました。概要が分かってとても良かったです(ブログはここ)。「マンガ面白いほどよくわかる!古事記」かみゆ歴
【前書き】前回は、豊璋(ほうしょう)と翹岐(ぎょうき)が、軍事の実権を主に担っていた蘇我入鹿を惨殺し、「乙巳の変」という軍事クーデターを起すことで、大和政権の実権を握ったところまでお話ししました。これからその続きをお話ししていきたいと思います。645年、乙巳の変の後に、第36代孝徳天皇が即位します。それ以降、以下のような出来事が起こります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(655年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)③斉明天皇の死(661年)④「白村江
(月讀宮)【古事記神話】本文(~その39月讀命に夜之食國を事依さす)伊邪那岐命から「三貴子」(ミハシラノウヅノミコ)が誕生したのは前々回の記事。これでお役御免!ではなく…「三貴子」に今後を委ねねばならん!…と、先ずは天上、つまり「高天原」を天照大御神に委ねた(事依せした)のが前回の記事。次は月讀命に委ねねば…~*~*~*~*~*~*~*~*~【読み下し文】次に月讀命に詔して汝は夜之食國と知ろしめし所を事依せたまひき也[食を訓み袁須と云ふ]【大意】伊邪那岐命は次に月讀
ご訪問ありがとうございます。今回はヤマトタケル(日本武尊)の東征です。ヤマトタケルの中ではメインです。(景行天皇)40年の夏6月に、東夷アズマエビスが多く叛乱を起こし、辺境の地には動揺が起きていた。秋7月16日、天皇は群臣に、「今、東国は安定せず、暴れる神が多く起ち、また蝦夷もことごとく背いて、しばしば人民から略奪している。誰を遣わして、その乱を鎮めようか?」と問われた。群臣は皆、誰を遣わすべきか判断できなかった。日本武尊は「私は先に西の征討に働きました。この度の戦いは、必ず
ご訪問ありがとうございます。ここまでは東国におけるヤマトタケルの源流を弟橘媛とともに考えてまいりました。そこで、弟橘媛がポリネシア神話に源流を持ち、ヤマトタケルもまた縄文の神であったのではという推定を行いました。ところが、「日本書紀」には「穂積氏忍山宿禰の女なり」(女は娘を指します。)とあり、亀山市の忍山神社には「弟橘媛生誕の地」という立札もあるそうで、お詳しい方なら疑問に思われたのではないかと思います。この伝承は、何か意味があるのでしょうか?そこで「古事記」の方はどうかと言いま
琵琶湖(びわこ)の南東、滋賀県野洲(やす)市には近江富士(おうみふじ)とうたわれる三上山(みかみやま)があります。お椀を返したような尾根はみるからに神奈備山です。三上山の山頂には御上(みかみ)神社があり、山そのものをご神体にしているといいます。その三上山のふもとに御上神社の里宮があります。山頂からは真西におよそ1キロといったところでしょうか。野洲駅から歩いたので、北側の鳥居からはいってゆきます。境内の神苑も瑞々しく感じられます。祀られているの
今回は「志那都比古神」と題してお話していきます。この神様は、記紀共に語られ風の神とされています。風の精霊的な存在とも取れますし神とも取れます。神社などでは、級長津彦命・級津彦命・級長津姫命などの神名で祀られています。相模國二之宮川勾神社~志那都比古神とは~古事記では男性の神様として記載されています。日本書紀では男性の神でもあり女性の神であると書かれています。神社(例:春日大社)によっては級長津彦命・級長津姫命と併記されており二柱になっています。この神様は、風の神様です。精霊的
今回は「鳥之石楠船神(とりのいはくすふねのかみ)」についてお話していきます。古事記の中に出てくる神様で日本書紀には出てきません。祀られている神社も少なく古事記の中では名が知られていますが、余り有名な神様では有りません。神崎神社(千葉県香取郡神崎町)(鳥之石楠船神を祀る神社)~天鳥船神とは~天鳥船神(あめのとりふねのかみ)とも言います。伊耶那岐・伊耶那美神の子神で、建御雷神と共に国(葦原中国)譲りの交渉に大国主神のもとへ派遣されました。このとき、不在だった事代主神を交渉の場に連れ
天狗界(神仙界)の秘密古事記によると九州から大和に東征したカムヤマトイワレヒコ(後の神武天皇)の東征の最終ゴールは大和盆地(橿原)でした。最後の関門の生駒山越えで地元のナガスネヒコに敗戦して協力者の兄も失います。自分たちが太陽に逆行(西から東)して進軍したことを悔いて軍を迂回して和歌山から再度、北上します。この時に太陽を背にする兵法を使います。八咫烏の導きで見事、勝利して即位した神武天皇は、即位後2年目に現世界以外に山人界(仙界
「とほかみえみため」は、古事記や祝詞などに出てくる言葉で、神道における重要な言霊(ことだま)の一つです。意味「とほかみえみため」は、一般的に以下のように解釈されています。遠い神様(遠い御先祖様)よ、微笑んでください神様のご加護がありますように全ての人が幸せになりますように由来「とほかみえみため」は、古事記の中で、イザナギノミコトとイザナミノミコトが国産みをした際に唱えた祝詞「天津祝詞(あまつつのみこと)」の一節に由来します。効果「とほかみえみため」を唱えることで、以下のような効
優香さんゼウ氏より11月11日今だから言えること北緯33度線などの地球のボルテックスがある場所には人類の奪い合いの歴史があるゼウ氏から今後の大きな流れを生み出す場所として熊本阿蘇の北緯31度~宮崎の北緯33度まで先住民族の方や、祭りに参加されたみなさんの純粋な祈りで無事に聖地移動が完了したそうですそれが11月11日でした北緯33度線にあるレイライン(ボルテックス)は繋がっていて壊れていると影響が現れるそうです特別に国指定重要無
おじゃったもんせ♫2024かごしま/断捨離®︎トレーナー藤井文です。トレーナー読書会参加した。古事記である。ポチッと❗️応援嬉しいです。いつもありがとうございます。001序にかえて‥今、なぜ「古事記」なのか「古事記」を読み通したことがある人はどれくらいいるのだろうか。「古事記」は、古くて、難しくて、つまらないもので自分とは関係ないもの‥という印象を持っている人が多いかもしれない。・・・こんな書き出しで始まる。大きくうなづく私。まさしくそう。
『ホツマツタエと祓戸四神の内緒話』さて、古史古伝『ホツマツタエ』を読むと、古事記の違和感、古事記には描けなかった内容が散りばめられている。太陽神『アマテル(天照)大御神』が女神ではなく男神であ…ameblo.jp↑のつづき。さて、引き続きホツマツタエのお話を抜粋しながらお届けしたい。『ワカ姫』という女神がいた。この女神は、イサナギ・イサナミという両神の第一子として産まれたが、この両神ともに、この年は『天の節(厄年)』てあった為、両親の厄災が産まれた子にも降りかかることを恐れた。その
伊予国愛比売(エヒメ)イザナギノカミ、イザナミノカミの交わりから生まれた島伊豫之二名島(イヨノフタナノシマ)現在の四国大八島(おおやしま)の二番目胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。愛比売(えひめ):伊予国飯依比古(いひよりひこ):讃岐国大宜都比売(おほげつひめ):阿波国(後に食物神としても登場する)建依別(たけよりわけ):土佐国愛媛の語源となった、女神愛比売命(えひめのみこと)あなた方の手は、差し伸べるためにあるどんなと
今回は「速秋津比売神」についてお話していきます。この神様、余り有名では無いです。古事記での記載しかなく日本書紀に於いては記載が有りません。祀られている神社は少ないですが有ります。希少な!?神様!?ってことは無いのですが覚えておくとチョットお得です。~速秋津比売とは~古事記で伊弉諾命と伊邪那美命が、国生みの次に神生みを成されたときに生まれた神様です。『水戸の神、速秋津日子神、ついで妹・速秋津比売神をお生みになった』と有ります。日本書紀に於いては、一書第六では≪速秋津日命≫となってしまい
昨日の続きです。泉神社をあとにして今度は大甕神社へ向かいました。★コメント欄、閉じてます★大甕神社に辿り着くと拝殿の近くに東天紅鶏(とうてんこう)が放し飼い?にされてました。その東天紅鶏とは古事記の「天岩屋戸」に登場する長鳴鶏のことで東の空が光りに包まれる時に高く澄んだ声で鳴くことから名付けられ、神話の中で長鳴鶏がいた止まり木のようなものが今では神社の鳥居の由来としても知られてますね。こちらが拝殿。この大甕神社の創祀も紀元前とかなり古く、鹿島・香取の二神(タケミカヅチとフツヌシノオオ
【平尾八幡宮(ひらおはちまんぐう)】(福岡市中央区)@art.mochida.daisuke福岡市中央区平尾の住宅地にひっそりと鎮座する平尾八幡宮は、平尾地区の産土神(氏神・鎮守の神)として八幡大神(15代応神天皇)、神功皇后(応神天皇の母神)、玉衣姫命(たまよりひめ/初代神武天皇の母神)の三神をお祀りし、地域住民に崇拝されてきました。慶長の始め(17世紀前後)に創建の地より旧平尾村の北の小高い現在の場所に遷座されたと伝承されています。旧平尾村の南へ五町(約550m弱)
【アメノトリフネ/高天原の船の守護神】@art.mochida.daisukeアメノトリフネノカミ(天鳥船神)は、「国譲り」の際に高天原から派遣されたタケミカヅチ(建御雷神)に伴って降臨した神で、その名の通り「船」や「航海」を司る神様であり、国譲りの成功を手助けしました。別名をトリノイワクスフネノカミ(鳥之石楠船神)とされ、この場合は「石のように固い楠で作った、鳥のように早く進む船の神」であると読み取れます。『古事記』によると、トリノイワクスフネノカミは、「神産
2024年5月26日(日)夫婦旅行は続きます。鹿児島に2泊、そして3泊目は宮崎。3日目の夜ご飯は私の中高時代の同級生と会い、積もる話に花を咲かせました。夫婦2組での会食は話題が広がり同世代という事もあって楽しいひとときでした。すっかりご馳走になってしまいました🤭翌日は早めに朝食を取りチェックアウトを急ぎます。なぜならこれから向かう高千穂峡まで車で4時間はみた方が良いですよと昨夜アドバイスを受けたので朝8時にはホテルを出ました。順調に車を走らせ高千穂峡に
家内の代理で毎週土曜日恒例の薔薇の花を買いに行ったついでに、いつもの市民の森に睡蓮の花を見に行った。普段、儂が市民の森に行く際は、人気を避けて早朝に行くことが多いのだが、睡蓮の花はお日様が上らないと開花しない。なので早朝に行っても蕾のままで、開花した状態では見れない。そこで今回、市民の森に行ったのは午前11時頃。間違いなく睡蓮の花は咲いている。しかしながら明日まで花菖蒲(はなしょうぶ)祭りをやっており、駐車場は臨時駐車場が設けられ警備員が出動している程の賑わいで、駐車場に入れるか心配だった。
■100日の会仲間のみゆきさんがインスタでこんな投稿をしてくれました!この投稿をInstagramで見る瀬戸みゆき(@kokohana4444)がシェアした投稿メルマガで、100均で買える桃の櫛が良い!!ということを書いたんですよね。それはどちらかというと魔除けに良いということだったのですが、以下引用です。------------------------------------なんか使いはじめてから髪がいままでよ
ご訪問ありがとうございます。ヤマトタケルとちょっと離れてしまいますが( ̄▽ ̄;)今回は「古事記」と柿本人麻呂の関係をもう少し···「古事記」は、おそらく皆さんが日本史で習われたのは712年に、「日本書紀」(720)に先立って成立したという事なのですが、現存の「古事記」を最初に紹介している文献は、平安時代に太安万侶の子孫の多人長オオノヒトナガがまとめた「弘仁私記」で、編纂当時の記録である「続日本紀」にはなぜかいっさい記述がありません(*´・ω・`)bそのため、同じように古代の歴史を
「大和と日本」の謎:その5◆「秋津洲」(あきつしま)日本は古来「秋津洲/秋津島」(あきつしま、あきづしま)と呼ばれた。これは日本の本州の古代の呼称であるのだが、『古事記』には「大倭豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)、『日本書紀』には「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と書かれている。初代・神武天皇が国土を眺めた時、秋津が交尾しているような形だと述べたことに由来する。神話学者の松前健氏はもともとは吉野郡の「蜻蛉の宮」、秋津の野(「万葉集」)などで知られた地名が元
京都の貴船神社には何度も参拝させていただきましたが、2020年5月に参拝した時の話しです。その前に、今が旬のアスパラガス!京都で4年連続ミシュラン3つ星を獲得されている、京都祇園さゝ木さんのランチでぶっといアスパラガスをいただいてから、ずうっと探してました!こんなに太いの初めて見ました!長野県下伊那郡のものです。味はほんとに絶品でした。ノギスで計測。直径2.5cm↓ちなみに京都祇園さゝ木さんのランチですが、1人8,000円でした。1年に一回くらいしか行けなかったんですが楽しみの一つ