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日本酒ナビゲーター2024年5月度の日程のお知らせです。日本酒ナビゲーター講座とは、、、唎酒師の資格までは必要ないけど、何か日本酒を学んだ証は欲しい、、、初心者を対象とした、日本酒の基本講座です。受講者様の多くが、日本酒の初心者です。ご希望の場合、「日本酒ナビゲーター」の認定証発行もございます。これまでの認定者数は、全国で20,000名超!当店での受講者も400名超となっております。唎酒師取得目指されている方は、日本酒ナビゲーター講座の受講で肩ならしをお勧めします。5月11日(
日本酒ナビゲーター2024年6月度の日程のお知らせです。日本酒ナビゲーター講座とは、、、唎酒師の資格までは必要ないけど、何か日本酒を学んだ証は欲しい、、、初心者を対象とした、日本酒の基本講座です。受講者様の多くが、日本酒の初心者です。ご希望の場合、「日本酒ナビゲーター」の認定証発行もございます。これまでの認定者数は、全国で20,000名超!当店での受講者も400名超となっております。唎酒師取得目指されている方は、日本酒ナビゲーター講座の受講で肩ならしをお勧めします。6月8日(土
創業は明治29年(1896年)のことで、酒税改正と同時に日本酒醸造を始めました。霊峰月山の麓にあり、月山の万年雪の雪解け水が地下に浸み込み、400年の旅を経て湧き出る水が仕込水に使われています。この月山自然水は、環境庁選定の名水百選にも選ばれております。四季折々の美しい大自然に抱かれ、雪がしんしんと降り積もる厳冬期が存在する酒造りに適した環境で、地元杜氏、蔵人が丁寧に醸しております。昭和47年(1972年)に、株式会社設楽酒造さん、鈴木酒造合資会社さん、株式会社八幡屋酒造店さんの
「一粒一水」の販売元は、「株式会社越乃めぐみ」となっております。酒造会社の表示は、吉乃友酒造有限会社です。株式会社越乃めぐみさんの創業は、平成26年(2014年)7月です。富山市婦中町の里田「あおばの郷田」で、酒米栽培を行う農家さんの有志が集まり、米を栽培するだけではなく、日本酒を造ろうとの趣旨で会社を設立しました。平成28年(2016年)4月に、清水健一博士の醸造監修の下、「一粒一水」銘柄を立ち上げます。その際、醸造元となったのが、地元の蔵元である吉乃友酒造さんでした。その
久しぶりの釜飯投稿です。人気番組「あらあらかしこ」でご紹介いただいてから、釜飯のご注文が増えております。中には、若者数人でお越しいただき、全員がひとりひとつ食されることもあったりと、お米の消費量が増えている当店です。やはり、日本人はお米でしょう?とのことばを多く頂戴しています。その日その日によって、メニューが違っておりますので、何度もお召し上がりの方は、「じゃそれで!」となることも少なくありません。大きく分けて、肉系と魚系がありますが、今回のものは肉系です。暑くなっていく
4月1日は、週の始めの月曜日です。令和6年度も、良いこと酔いことがあると良いですね。4月早々、テレビの番組の録画装置の様子がおかしく、思わぬ出費を警戒しての始まりとなりそうです。「銀河鉄道999」「大都会」シリーズなど、後でゆっくり観ようと思っていたものが多数あるものですから、動揺を隠せません。起きたら調子が良くなっていたとなるのは、若い時分の身体だけでしょうか。今年の始めには、車がご不幸に遭遇しただけに、年度初めもそわそわしてしまいます。さて、4月が始まります。仙台の新年
創業は、江戸時代末期の文政7年(1824年)のことです。初代茂野静六氏が、村松仲町に茂野酒造場として創業したのが始まりとされています。霊峰白山をはじめとした山々や川に囲まれた自然豊かな地に蔵を構えます。天狗伝説が数多く残されている清い水脈で、弱酸性の軟水を仕込み水に使用しています。社名ともなっている銘柄名「金鵄盃」は、陸軍歩兵第三十連帯の土佐大佐から頂戴しています。「金鵄」は、神武天皇による日本建国を導いたとされる金色の鵄を指し、縁起物とされています。銘柄名として登場したのは、昭
創業は、寛永20年(1643年)のことです。創業時より現在の場所で酒造りを行って来ましたが、明治時代の北陸鉄道開通の際に、谷浜駅を設置するため、酒蔵が分断され、一部を移設しました。こうした経緯があるため、蔵の前がえちごトキめき鉄道谷浜駅となっております。蔵の後方は山並み、前方には海が広がるという酒蔵としては珍しい立地です。石川県までお酒を船で運んでおり、その運ぶものを「のと」と呼んでいたことから、屋号が「のとや」とされていました。銘柄名「能鷹」は、昭和18年(1943年)に登場しま
創業は、天明3年(1783年)のことです。農業を家業とする地元の頸城杜氏が酒造りを行っています。現状以上に醸造量を増やすことが出来ないので、品質を重視した酒造りが行われ、そのほとんどの作業が機械に頼ることなく、手作業で行われています。そのため、全量湧水仕込み、槽搾り、瓶燗が行われています。そして、その造られたお酒のほとんどが新潟県内で消費される、地元でないと呑めない酒と称されています。平成7年(1995年)の水不足を機に、仕込み水は、蔵から車で30分ほどの山の中腹に湧き出る
江戸時代末期に、桶屋と船主、地主が酒造りを始めたとの伝えもありますが、創業は、明治19年(1886年)9月とされています。蔵のある藤塚浜で大火があり、全村500余世帯の集落は一夜にして焼失したとされます。その大火の跡に、現在もある一号蔵だけが残り、村人は驚いたといわれます。初代政太郎氏は、火から酒蔵を守るために、酒蔵の扉を閉め、隙間に味噌を塗り込み守ったとのことです。この大火から守った小林政太郎氏がひとり残り、蔵を継承し再建したことから、上記の創業としています。新潟市と村上
明治15年(1882年)の創業です。米問屋から分家した初代石川養治氏が、薬舗を営み、さらに麹造りと販売を行いながら、酒造りを始めたとされています。全て手造りで、麹造りは手間のかかる麹蓋を用いていました。平成10年(1998年)に石巻市を襲った台風で酒蔵が全壊します。自醸を断念し、委託醸造し銘柄を残しています。自醸断念の際、蔵付酵母を採取し、委託先はその酵母を使用しての醸造を行っています。「北上川」は、宮城県の田中酒造店さん。「波の音」は、山形県の寿虎屋酒造さんとなっておりま
創業は、明治10年(1877年)のことです。初代小山新七氏が28歳の時に、生家である埼玉県大宮市において代々続く酒屋である小山酒造本家から独立したのが始まりです。その際は、既に廃業していた埼玉県の蔵を買い取り、東京都北区に移転してきたとされています。蔵のある指扇の水は上質で、灘の宮水にも劣らない程だったため、この地への移転を決めたといわれております。銘柄名「丸眞正宗」は、まるまる本物という意味を込めて命名されました。平成30年(2018年)2月28日限りで、清酒製造事業から撤退