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ちょっとだけカミングアウト小学生のころ牧野富太郎伝をラジオで聞き入りファーブル昆虫記を読み中学生のころ、南方熊楠に出会いました南方熊楠南方熊楠-Wikipediaja.wikipedia.org私が尊敬する日本人の一人ですあとは、スヴェン・ヘディンとかスヴェン・ヘディン-Wikipediaja.wikipedia.org今日はその南方熊楠(みなかたくまくす)に関係したお話南方熊楠の在野での研究の一つに「粘菌」がありますアメー
以前、Eテレの『偉人の年収Howmuch?』という番組で博学者(晩年は主に粘菌の研究)南方熊楠さんの生涯や年収についてやってました。この番組で南方熊楠という人を知りましたが、天才とか偉人とか言われる人ってぶっ飛んでる人多いよね。常識に迎合してたら才能は出せないよ、ということを教えてくれてる気もします。南方熊楠も天才と言われる一方、奇人とも言われています。汗かきだからと普段は裸で過ごしてたとか、研究に没頭したいからと結婚した後も働かずに親兄弟からの送金で暮らしてたとか。最初、博学者と聞
(2023年度-No.62)行った日:2023.9.11(月)~12(火)ブログ作成日:2023.9.21(木)*****************南紀熊野ジオパークは現在世界ジオパーク委員会に認定申請中で国内のジオパーク46地域の中に含まれます南紀熊野周辺はプレートの沈み込みに伴って生み出された三つの地質体が作り出す独特の景観を楽しむことができます1.番所の崎上の写真は有名な円月島ですが中央に円月形の海蝕洞が開きそのことから「
(2023年度-No.61)行った日:2023.9.11(月)~12(火)ブログ作成日:2023.9.13(水)*********************NHK朝ドラ「らんまん」で今注目の南方熊楠の世界に浸ってきました<南方熊楠記念館>今回は一泊二日の南紀旅行のダイジェスト版です<熊楠が好んで研究した「変形菌(粘菌)」>この記念館では熊楠の生涯とその偉大なる功績についてたっぷりと時間をかけて学んできました<番所鼻灯台>熊
我が家では、お米はいつも農家さん👩🌾から直接買っています。今年も早くも新米が取れたそうで、早速届けていただきました↑新米コシヒカリ30キロ。9500円でした。キヌヒカリだと、もう少しお安いのですが、せっかくなので、コシヒカリを持って来ていただきましたついでにお野菜もあれこれ持って来ていただいたのですが、秋の味覚🍂さつまいも🍠も、届けてくださいました👏秋は食べ物が、本当に美味しいので😋嬉しい季節でもありますお芋、栗、梨、柿、かぼちゃも秋シャケも、そしてサンマもこの間
2017年12月24日わりと手軽に熊野古道が楽しめる場所が、熊野古道「大門坂」です。大きな駐車場があるので、ここに車を止めて歩きます。駐車場では無料で杖が借りられます。県道46号線沿いに少し歩くと・・・大門坂の石碑が見えてきます。ここから、県道からそれて熊野古道へ行く入り口です。このあたりは一見普通の田舎道ですね。道路脇の民家では・・・・農村民泊とおうちカフェを営業されていました。行きはパスし
先日、御紹介された田辺市の鈴木亜人夢さんのステキなお店の夜間警備のカメラで捉えられた妖精ちゃん達。。。「妖精が舞う洋服屋さん!vol.13」撮影を始めたらいきなりの大きな妖精ちゃんの登場でビックリしましたー‼️(2022/05/08撮影)----------------------------------------------------------------------------妖精がお店に現れたストーリーは下記のインタビューをご視聴ください【インタビュー・前編】衝撃!ライトビ
朝ドラ「らんまん」も終盤になってます。毎朝欠かさずに観ております。(牧野富太郎博士物語)9月29日(金)130話で終了121話今朝の「らんまん」は国が進める神社合祀により、神社の森が全滅し植物も「神社合祀令」をどうにか食い止めたいと考える万太郎は、大学を辞職して一植物学者として生きることを決意する。家族会議にて(こどもらの発言)がステキ!山崩れを防ぐなど、災害の多い日本においては木々が重要国への愛って、もっと身近な、故郷への愛着から生まれる根津神社が取り潰されれ
きょうは、9月の読書会でした。やや少なめの8人が集まりました。みんな、元気だなと、笑い声で勇気づけられます。旅行に行った人の話これからのスケジュールの話締め切りの話などなど具体的な本を持参しての発表は数人でした。それでも、「ChatGPT」の話などは大盛り上がりでした。また、牧野富太郎南方熊楠シーボルトなどなど朝ドラに始まる興味の広がりは尽きません。※いつも通り軽食のランチ、アイスクリームで解散。買い物をしながらの帰宅と
『らんまん』も最終盤に入り、次々と別れのシーンが流れる。万太郎が生涯掛けて作成し続けていた「植物図譜」の完成を目の前にして、社(やしろ)合祀に反対する南方熊楠が山を護る運動に万太郎も理解し、図譜の消えようとする植物たちを掲載した。それでそれを反対してきた東大で万太郎をかばってきてくれた、徳永教授との別れを選ぶしかなかった。万太郎の植物学者としての地位はここで築かれた。学生でもない一介の植物好きな若者が一人前になれ世間に名を知られるようになったのもこの教室があってこそで、彼の温床
知の巨人、南方熊楠と言えば、この頃では、広く知られている。幼少の頃から、その頭脳明晰さは驚異的であった。18ヵ国語を操り、博学に通じ、日本の粘菌研究の第一人者、神社合祀反対運動の先頭に立った初のエコロジーの提唱者でもあり、その類いまれな知力を縦横無尽に発揮した。南方曼陀羅なるものを考察し、この世の成り立ちまで、その知力によって掴みとろうとしていた。その生き様は豪放磊落、常に型破りであり、また幼少の頃から激高すると手のつけられない癇癪持ちで、これまた常人ならざる面も持ち
『読むことは写すこと。読むことだけでは忘れても、写せば忘れぬ』世界的に著名な博物学者だった『南方熊楠』の言葉です世界を駆けた博物学者南方熊楠|南方熊楠顕彰館(南方熊楠邸)–MinakataKumagusuArchiveswww.minakata.org今週の朝ドラ『らんまん』で熊楠が取り上げられたことに驚きました実は『南方熊楠』は私の母校の先輩(遠い昔ですが・・・笑)です久方ぶりに同窓会名簿を開きました政財界や文学界