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おはようございます(´・ω・`)以前投稿したこの記事の後にもう1つ行っていて、雨だったこともあり、手ぶれが酷くてお蔵入りしていたのですが、ボケ補正を試したら見えるようにまあまあな山奥なので、どうしようかと思っていたのですが、最近のアプリって凄いですね。マジでびっくりしました最寄りの場所から辿ります国道424号沿いにある椿山ダムから北へ走り、猪谷橋手前のT字路を左(北、道幅狭くなります)に曲がって道なりに行きます。途中、右側を流れる猪谷川に架かる2つ目の橋周辺は水辺公園として整備されて、傍
『南方熊楠「江島記行」』南方熊楠19歳のときの紀行に「江島記行」というのがある。江島というのは、ことわるまでもなく、神奈川県の江の島のことである。明治17年(1884…ameblo.jp南方熊楠は、江ノ島を訪れた明治18年(1885)の夏休みに、《宿志》であった、日光から奥日光を探索している。このときは二人の学友を伴っての旅であったが、二人について触れている箇所はほとんどなく、多くの時間を単独で歩き回っていたようにもみえる。この《見践事躰》の記録を「日光山記行」とい
先日、御紹介された田辺市の鈴木亜人夢さんのステキなお店の夜間警備のカメラで捉えられた妖精ちゃん達。。。「妖精が舞う洋服屋さん!vol.13」撮影を始めたらいきなりの大きな妖精ちゃんの登場でビックリしましたー‼️(2022/05/08撮影)----------------------------------------------------------------------------妖精がお店に現れたストーリーは下記のインタビューをご視聴ください【インタビュー・前編】衝撃!ライトビ
2017年12月24日わりと手軽に熊野古道が楽しめる場所が、熊野古道「大門坂」です。大きな駐車場があるので、ここに車を止めて歩きます。駐車場では無料で杖が借りられます。県道46号線沿いに少し歩くと・・・大門坂の石碑が見えてきます。ここから、県道からそれて熊野古道へ行く入り口です。このあたりは一見普通の田舎道ですね。道路脇の民家では・・・・農村民泊とおうちカフェを営業されていました。行きはパスし
南方熊楠は、1882年(明治15年)15歳、中学生になっていた人並み外れた好奇心で、山野を駆け巡り、あらゆる事に興味を抱き、動物や植物の採取をしながら百科事典から抜き書きしていた5歳のころから自分の中に、二人の自分がいて、頭の中で二人の言葉が時々ささやいてくるようになるそんな時は、言葉を打ち消すようにどなったりしてかんしゃくを起こして気を失ってしまうこともあり何かに没頭すれば、声を聴くことが少なくなりよりいっそうに動植物の研究にのめり込むようになる。実際の南方熊楠(1867年-
知の巨人、南方熊楠と言えば、この頃では、広く知られている。幼少の頃から、その頭脳明晰さは驚異的であった。18ヵ国語を操り、博学に通じ、日本の粘菌研究の第一人者、神社合祀反対運動の先頭に立った初のエコロジーの提唱者でもあり、その類いまれな知力を縦横無尽に発揮した。南方曼陀羅なるものを考察し、この世の成り立ちまで、その知力によって掴みとろうとしていた。その生き様は豪放磊落、常に型破りであり、また幼少の頃から激高すると手のつけられない癇癪持ちで、これまた常人ならざる面も持ち