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視聴終了~✌️史劇だと本当に連続再生しちゃってすぐ終わっちゃう。早送り無しで一週間くらいかな。中国ドラマは1話短いので54話でも割とすぐ笑簡単なあらすじとしては、南北朝時代、北魏に滅ぼされた北涼の王女が、北魏の貴族の令嬢(未央)になりすまし復讐を誓うといったお話。評判通り面白かった~韓国史劇だと奇皇后が好きで、奇皇后に似てる!つまり最初から最後まで陰謀ピンチ陰謀ピンチ、、、でも賢いヒロインが切り抜けていく感じ未央役のティファニータンが本当に可愛い!🥰金蘭良縁(途中でギブ😭)でもテ
岡山市児島の飽浦(あくら)を本拠とした豪族、佐々木信胤(のぶたね)は南北朝時代の武将です。北朝方の細川定禅の家臣として足利尊氏に味方し活躍しました。しかし、高師秋の愛人で京洛三美人のひとりといわれたお才を奪ったことによる確執から南朝に寝返ります。そののち細川師氏の家臣となり、小豆島へと移ります。当時から現在に至るまで島での人気は高く、島内各地に縁の地が残っています。その最期は判然としていませんが、島の伝承によると島内で北朝方との戦で討死したとされています。信胤や家臣たちが討死したとされ
『逃げ上手の若君』とかでブームになりつつある室町時代。こちらは先日新刊で出た小説なのですが、いやーこれ最高!!かなり長い物語なのですけど、面白くて面白くて、爆笑しながら読んでいました。帯からしてすごいインパクトです。やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか↑なんという失礼な室町幕府の祖・足利尊氏のことなのですが、ヒドイ言われようです。しかしこれ、わざとそういうキャラ立てしたわけではなく、足利尊氏という人物はどう
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。途中で中断していた記事を、やっと再開です。いや、だってもう、華頂氏の存在を知ったら放置しておけなかったので、書いている記事を中断してまで皆様にお伝えしたかったのです。それでは早速、前回からの続きを書いていきます。マーカー部分は私が引きました。前回ご紹介したマーカー部分は引いてありません。一部、マーカー部分を増やしてあります。以下、歴史に関する記述については、歴史は諸説あります。気に
いやぁ〜実は去年から中国からの情報で「超〜面白いよ〜!!」とは聞いていたんです。でもね、私としては散々中国宮廷ドラマには裏切られる(笑)ことが多かったので、話半分どころか3割程度の認識だったのよね〜。でもこれは面白い!去年中国最大のヒットで、さすがに中国版エミー賞といわれる「2015年度國劇盛典」で「影響力のあったドラマ賞」「最優秀男優賞」を始め、最多の10冠を獲得しただけのことはあります。インターネットでの反響もすさまじく、中国版Twitter「微博」ではドラマジャンルで過去最高と
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
稲敷市を歩いていますおっとこんなところに城跡が・・・城好きは魅かれるわぁ行って来よう知っているお城の名前が書かれているぅ空堀と土塁がわかるらしいいかにも城跡っぽいところが良いね空堀がよくわかりますきれいな形状で残っているわ梯子がかかっている空堀よ梯子を上ると・・・ぐるりと土塁だわ
天山(てんざん)は筑紫山脈に属する標高1046メートルの山である。佐賀県唐津市、小城市、佐賀市、多久市に跨り、佐賀県のほぼ中央に位置する。ブログを辿ると、10年ほど前の2012-10-02に朗誦の会メンバーと天山に登っている。なぜ、そのとき天山に登ったのかというと、山頂に阿蘇惟直の墓(供養塔)があるので、これに詣でるためだった。阿蘇惟直というのは誰あろう?南北朝時代、筑前国多々良浜の闘いで足利尊氏に敗れ、阿蘇まで退却の途、厳木町(きゅうらぎまち)天川で戦死したため、住民に
本日も晴天筑西市の続きです今回は関城に来ています国指定文化財です鎌倉から南北朝の時代大宝城と同じ時代興国4年(1343)11月11日関城は大宝城とともに落城駐車場に着きました筑西市どこに行っても見える筑波山田畑の広がる大地から良く見えるわ地図あり現在地は・・・ここか坑道跡から行ってみます坑道跡ありました
さて、倭寇の時代の本邦にさかのぼってみたいと思います。まず、初期倭寇、元寇の仕返しがあった時代には流儀武術があったという明確な資料はないようです。いちおうその土台となる合戦の戦法はあったようですが、システマチックな物として体系付けられてはいなかった、ということでしょうか。歴史上信頼のおける資料ですと、その後の南北朝時代には兵法三大流派の最古の物である念流の念阿弥慈恩が居たと言われています。ここで面白いのは、この流儀の発祥伝説が、父の仇を討とうと鞍馬山で修行をしているときに異人と
ここのところの『逃げ若』の掲載順位がいよいよかなり心配するような立ち位置になってまいりました…かつて松井センセイのデビュー作『ネウロ』もまたデビュー当初はまた掲載順位が下の方であり、打ち切りも視野が入っていたのですが、これで一気に話題沸騰となって、その後アニメ化されて、一躍松井センセイを有名にした故事があります。果たして何とか持ち直すトリプルCの秘策が無いか…それにしても今回の話は思いっきり『ネウロ』の作風をかなり濃くなる回でした。ラスボス尊氏が登場すると凄く次が気になる!!すいません、それ
竜ケ崎城に続いて竜ケ崎市の城址2か所目馴馬城址へ来ています城はロマンじゃ南北朝時代とありますね今は畑階段があるので行ってみますどうかな山の中に入りました竹林が美しい今の竹林は実にみずみずしいのよね先へと進むと立札がありました少し小高くなった場所ですなんとなくなんとなく・・・かな・・・
(西条市丹原町古田地区の徳田小学校前に贈正四位・得能備後守通綱と土居備中守通増の供養塔)皆さまは、土居・得能氏の名前を聞いたことがありますか?南北朝時代に後醍醐天皇に仕えて粉骨砕身の働きわを成したことで名高い楠木正成と同じく、忠臣として知られていた伊予出身の武将の名前です。皇国史観の下に義務教育を受けられた戦前生まれの方は知っていたのですが、敗戦により占領軍主導で進められた戦後教育ではほとんど教えられなくなり、ほぼ全くと言って良いほど知られなくなりました。しかしながら、少なくとも愛媛県民
今回の動画は、南北朝時代。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による天皇親政で治めていたが、次第に世の中が乱れていく。そして後醍醐天皇の政治に不満をもった武士たちが挙兵し、日本が南北に分かれてしまった。日本史上唯一、天皇が同時期に二人いるという非常事態に!この時代から徐々に守護や地頭たちが力をつけ、これらが後の戦国時代に繋がっていく。京都への旅、おススメの場所「等持院」。とにかく静か。夢窓疎石の素敵な回遊式庭園。心字池を回ります。そして庭園を眺めながらゆっくりとお茶をいただき、最後は足利将軍の
皆様、ご機嫌YOです!建武の新政では自分達に明日は無いと怒った武士達に担ぎ出された足利尊氏。彼は一度は朝廷に敗れたものの九州で息を吹き返し京の都へと迫ります。東国のみならず西国の武士達も糾合した尊氏の大軍相手に真正面からあたるのは下の下。現実的な軍略眼を持った楠木正成は一時京を捨てて尊氏を誘い込んだうえでの包囲殲滅を進言します。しかし…ここで坊門清忠ら戦を知らぬ公家が反発、よりにもよって後醍醐もそれに乗ってしまいます。連中にあるのは下らない面子、さらに言うならば京を出たくない気持ちの
前回の予告より1か月以上経ってしまいましたが何とか動画が出来上がりました(^^;)話の大まかな流れは決まっていましたが登場人物が増えたことで色んなエピソードを盛り込むことになりました。後は動画素材の配置と調整に時間を取られました(汗)ゆっくり解説・侯景宇宙を夢見た漢立身出世編侯景の生涯をゆっくり解説する動画です。今回は侯景が戦歴を重ねて出世していく過程を紹介しています。出演者の説明です。解説:魔理沙侯景:チルノ霊太后:霊夢爾朱栄:神奈子高歓:諏訪子慕容紹宗:早苗爾朱
皆様、ご機嫌YOです!足利尊氏。皆様ご存じの室町幕府の初代将軍にてウヨ共には大逆人扱いされている御仁であります。ちなみに鶴ヶ魂的には後醍醐への「反乱」をどうこういう気はありません。後醍醐は背かれるべくして背かれた、と思ってますので(ちなみに後醍醐については、湊川へ向かう寸前の楠木正成にも手紙で上記と同様の指摘をされています。それへの後醍醐の反応は不明)。そんな彼ですが、最近の多くの歴史ファンから指摘され、僕も大いに同意している一つのポイントがあります。それは後で触れます。勿論尊氏