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いやぁ〜実は去年から中国からの情報で「超〜面白いよ〜!!」とは聞いていたんです。でもね、私としては散々中国宮廷ドラマには裏切られる(笑)ことが多かったので、話半分どころか3割程度の認識だったのよね〜。でもこれは面白い!去年中国最大のヒットで、さすがに中国版エミー賞といわれる「2015年度國劇盛典」で「影響力のあったドラマ賞」「最優秀男優賞」を始め、最多の10冠を獲得しただけのことはあります。インターネットでの反響もすさまじく、中国版Twitter「微博」ではドラマジャンルで過去最高と
AMD48が始まってから若干神社に飢えていた(笑)なので、、終わった途端に神社にばかり行っている調べると、まだまだ大阪市内にも神社は沢山有りそうなので行きますよ~こんばんわ味醂ですさてコチラは蒲田神社(かまたじんじゃ)正面参道鳥居まぁ見事なぐらい、お掃除が行き届いている綺麗な神社です手水舎手水舎には水神様が祀られていましたそして周りには沢山の色とりどりのお花とても花を大切にされているのが分かります拝殿(本殿)御祭神は宇賀御魂大神別雷大神主祭
有南神社(在南神社)大和国高市郡奈良県高市郡高取町大字越智634(P有)■祭神越智親家中世に当地一帯を支配した武家、越智氏が祖である親家を祀った社。創建はおそらく中世の頃であろうかと思われる新しい時代のもの。◎諸説あるものの越智氏は、源頼親(源満仲の次男)の末裔とされ、また大和国高市郡の越智氏はその子孫である親家の後裔とされます。越智氏は南北朝時代に南朝方についたとされ、南北朝統一後は大和国南部の高市郡全土をほぼ手中に収め、勢力を拡大したようです。ところが大和北部の筒井氏と長年
(西条市丹原町古田地区の徳田小学校前に贈正四位・得能備後守通綱と土居備中守通増の供養塔)皆さまは、土居・得能氏の名前を聞いたことがありますか?南北朝時代に後醍醐天皇に仕えて粉骨砕身の働きわを成したことで名高い楠木正成と同じく、忠臣として知られていた伊予出身の武将の名前です。皇国史観の下に義務教育を受けられた戦前生まれの方は知っていたのですが、敗戦により占領軍主導で進められた戦後教育ではほとんど教えられなくなり、ほぼ全くと言って良いほど知られなくなりました。しかしながら、少なくとも愛媛県民
はぁ~やっちゃいました予約記事で書いているので2日分を同日投稿しちゃいましたご迷惑をおかけしました🙇♂️で、穴埋め記事としてこちらをどうぞ昨日平湯温泉のひらゆの森からの帰り道高山と郡上八幡を結ぶせせらぎ街道の景色今年は余り発色が良くないような西ウレ峠の広場基本下道派なので303号線から鯖街道を通り162号線ではなく紅葉が綺麗そうな京都腐道110号線から京北に向かいますTV朝日系列人生の楽園で登場した農家民宿やかやぶき屋根の
どえらい巨木を見た後に三熊神社の境内を探索中潮来市へ来ています境内は広くきれいに整備されています桜の木もあるので春はにぎやかでしょう水神様年代はわからないですが古いもののよう気持ちが良い境内です南北朝時代の創建ですね色付きがチャーミング拝殿とツーショット
よく創作ものだと城攻めの際に出てくるのが坑道戦術ですね。堅固な城塞を攻囲軍が攻略せんと密かに地下に穴を掘り、坑道を創り上げようとする。それに対して、城の守備軍は何として潰そうと地面に耳を当てて、更に対抗の坑道を掘るせめぎ合い。もっとも現実世界ではなかなかその跡地はお目にかかれない。そんななか貴重な坑道が残っているのがここ茨城県筑西市にある関城です。鎌倉時代には結城氏一族の関氏が領主であった頃に築かれた城で、この城がスポットが当たるのは南北朝時代の争乱の頃でした。暦応4年/
私の書く文章からは想像できないかもしれませんが私の母方の曾祖母は平安末期から続くと口伝されている家の娘でした。(史料では南北朝時代から)私の母はその事を大層誇らしく思っていたようで曾祖母(母にとっては祖母)の実家に行きたいと常々申しておりました。時は、インターネット時代私は祖母の多分従姉妹(今は故人)に当たる方のブログを見つけました。曾祖母の血縁者に会いたがっていたから~と私は母にそのブログの存在と内容をざっくり伝えました。すると母は途端に不機嫌になりま
皆様、ご機嫌YOです!鎌倉幕府の打倒から建武の新政を支えた朝廷方の武士の中には「三木一草」と呼ばれた人たちがいました。その中の一人に結城親光がいますが、今回のお話は彼ではなくその父である結城宗広です。彼は南北朝を題材とした松井優征氏の漫画「逃げ上手の若君」でも、一見穏やかな好々爺風の人物として登場しています。彼は一貫して朝廷方につき、鎌倉幕府や足利尊氏との戦いを繰り広げました。今回はそんな彼の生涯をまずは動画にて見ていきたいと思います。ちなみに、彼の生き様については下の楠木家の末裔の御
相州住秋廣應安三(重美佐竹家伝来)の紹介相州住秋廣應安三(重美佐竹家伝来)平造り短刀刃長、1尺1寸5分、反り2分、表裏に棒樋地鉄の鍛錬は板目肌、同作中白眉の地鉄刃分は皆焼であるが通常見るものより温和特徴、作柄全部が特徴敢て説明の要なし(押し型を参照してください)押し型をご覧になられて直ちに脳裏にひらめいたものは作者の時代位置と中心五カ国のうち相模鍛冶群にあることは当然でしよう日本春霞刀剣会
視聴終了~✌️史劇だと本当に連続再生しちゃってすぐ終わっちゃう。早送り無しで一週間くらいかな。中国ドラマは1話短いので54話でも割とすぐ笑簡単なあらすじとしては、南北朝時代、北魏に滅ぼされた北涼の王女が、北魏の貴族の令嬢(未央)になりすまし復讐を誓うといったお話。評判通り面白かった~韓国史劇だと奇皇后が好きで、奇皇后に似てる!つまり最初から最後まで陰謀ピンチ陰謀ピンチ、、、でも賢いヒロインが切り抜けていく感じ未央役のティファニータンが本当に可愛い!🥰金蘭良縁(途中でギブ😭)でもテ
これまで「一条家」と「二条家」を紹介してきた当ブログ。ならば次は「三条家」ではなかろうか…?となってきたので、せっかくなのでやってみようと思いますw三条家は、藤原氏閑院流の嫡流にあたる家です。閑院流とは、藤原兼家(道長の父)にとってずっとずっと下の弟・公季(きみすえ)から始まる一族。公季は道長にとって、たった10歳だけ年上の叔父さんです。紫式部大河にも出る…はず。閑院流の紹介は、普通にやると今日どころか明後日まで終わってしまうので(笑)、ざっくりやると『平清盛』にも登場し
龍蛇の神(りゅうだのシン)このシリーズは、南北朝時代に実在した神官にして武将・大神信房(おおみわのぶふさ)(シン)を主役とし、彼の生き様に思いを馳せ、究明と鎮魂をはかる歴史小説である。目次【龍蛇の神】第1話~神の子~【龍蛇の神】第2話~銭の世~【龍蛇の神】第3話~民の鎖~【龍蛇の神】第4話〜法の末〜【龍蛇の神】第5話〜春の餞〜【龍蛇の神】第6話〜次の賭〜【龍蛇の神】第7話〜天の理〜前編【龍蛇の神】第7話〜天の理〜後編【龍蛇の神】第8話〜賊の首〜【龍蛇
今回の優品鑑賞は「山城国長谷部國重」の短刀です◎長谷部國重南北朝初期期短刀「長谷部國重」南北朝初期期山城国造込み平造り短刀、真の棟。刃長九寸、反りなし、元幅八分、先幅八分五厘、元重二分地鉄不規則な板目肌、裏は流れ肌出て地沸付く。刃文大乱れ皆焼刃、刃中に砂流し入り、匂いに
目次地元民も知らない泉北の南北朝城跡〜序説〜当シリーズは、中世城郭の魅力を伝えるべく、私の地元である泉北《せんぼく》(和泉《いずみ》市・堺市)に絞って行った、現地調査のレポートを公開する。まずは、和泉市である。北畠顕家の城観音寺城跡●概要・城名:観音寺《かんのんじ》城・築城年:729年-749年(奈良時代)・築城者:藤原氏・改修年:1338年(南北朝時代)・改修者:北畠顕家《きたばたけあきいえ》●比定地・赤田山観音寺:大阪府和泉市観音寺町128・弥生4号公園石碑
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
先日、渋谷まで行ったときにちょうど『逃げ上手の若君』のグッズが期間限定販売されていると聞き、いてもたってもいられず訪問することにしました。最初「渋谷109」と聞いて、渋谷の象徴的あの建物を思ったのですが、全く違う建物と聞いてようやく発見することができました。ちゃんと分かるようにマップを明示してくれ…一人三点までのお買い物私が一番欲しかった時行くん&頼重さん2ショットタペストリーは完売だったぜ…orzついつい年甲斐もなく衝動買いをしてしまいました。それにしてもまさか足利尊氏のキャラグッズ