ブログ記事1,048件
『逃げ上手の若君』とかでブームになりつつある室町時代。こちらは先日新刊で出た小説なのですが、いやーこれ最高!!かなり長い物語なのですけど、面白くて面白くて、爆笑しながら読んでいました。帯からしてすごいインパクトです。やる気なし使命感なし執着なしなぜこんな人間が天下を獲れてしまったのか↑なんという失礼な室町幕府の祖・足利尊氏のことなのですが、ヒドイ言われようです。しかしこれ、わざとそういうキャラ立てしたわけではなく、足利尊氏という人物はどう
先週の(金)に、吉野山に行って来ました。表向きの目的は、太閤秀吉も愛した千本桜です!やはり吉野山は特別ですね。本当にうっとりする一時でした。前の晩に、まわるコースを調べていてわかったことですが、金峯山寺の『金剛蔵王大権現』の特別ご開帳中でした!なんという幸運!ご真言は『オンバサラクシャアランジャウンソワカ』ものすご~い迫力であられます。本堂の中には、不動明王さま・薬師如来さまはじめたくさんの素晴らしいお姿を拝ま
西番場公民館から、往年の宿場町らしい通りを歩いて10分位で蓮華寺に着きます。元々は聖徳太子が創建した寺の1つです。花園天皇より、菊の寺紋を許されました。なぜ、血の川ががあるか?今は小さい堀に見えますが。14世紀、南北朝時代。鎌倉で再起を期して、都落ちして番場まで来たのですがついに力尽き、430余名が自刃したのです。それが血の川のようになったのですね。オソロシ…供養の墓碑群。庫裏では、たまたま全国の北条氏の子孫で作る菊花会の法事の集まりがありました。びっくり。中庭には弘法大
いやぁ〜実は去年から中国からの情報で「超〜面白いよ〜!!」とは聞いていたんです。でもね、私としては散々中国宮廷ドラマには裏切られる(笑)ことが多かったので、話半分どころか3割程度の認識だったのよね〜。でもこれは面白い!去年中国最大のヒットで、さすがに中国版エミー賞といわれる「2015年度國劇盛典」で「影響力のあったドラマ賞」「最優秀男優賞」を始め、最多の10冠を獲得しただけのことはあります。インターネットでの反響もすさまじく、中国版Twitter「微博」ではドラマジャンルで過去最高と
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。途中で中断していた記事を、やっと再開です。いや、だってもう、華頂氏の存在を知ったら放置しておけなかったので、書いている記事を中断してまで皆様にお伝えしたかったのです。それでは早速、前回からの続きを書いていきます。マーカー部分は私が引きました。前回ご紹介したマーカー部分は引いてありません。一部、マーカー部分を増やしてあります。以下、歴史に関する記述については、歴史は諸説あります。気に
目次地元民も知らない泉北の南北朝城跡〜序説〜当シリーズは、中世城郭の魅力を伝えるべく、私の地元である泉北《せんぼく》(和泉《いずみ》市・堺市)に絞って行った、現地調査のレポートを公開する。まずは、和泉市である。北畠顕家の城観音寺城跡●概要・城名:観音寺《かんのんじ》城・築城年:729年-749年(奈良時代)・築城者:藤原氏・改修年:1338年(南北朝時代)・改修者:北畠顕家《きたばたけあきいえ》●比定地・赤田山観音寺:大阪府和泉市観音寺町128・弥生4号公園石碑
ここのところの『逃げ若』の掲載順位がいよいよかなり心配するような立ち位置になってまいりました…かつて松井センセイのデビュー作『ネウロ』もまたデビュー当初はまた掲載順位が下の方であり、打ち切りも視野が入っていたのですが、これで一気に話題沸騰となって、その後アニメ化されて、一躍松井センセイを有名にした故事があります。果たして何とか持ち直すトリプルCの秘策が無いか…それにしても今回の話は思いっきり『ネウロ』の作風をかなり濃くなる回でした。ラスボス尊氏が登場すると凄く次が気になる!!すいません、それ
最近の推し・上杉憲顕のお話をしたいです。かねてから欲しかったこの図録を入手しました。米沢の上杉博物館で過去に行った企画展の図録で、現在は在庫なしとのこと。古書で買えました。(しあわせ)色々とお宝文書が掲載されているのですが、これこれ!↓こいつを見たかったのですよ。足利直義から上杉憲顕にあてた直筆書状です内容はですね・・・めっちゃ熱烈なお褒めのお手紙中先代の乱を制して足利兄弟が世の中を治め始めた頃、上杉憲顕は上野国の守護として下向しました。上野国(
本日も晴天筑西市の続きです今回は関城に来ています国指定文化財です鎌倉から南北朝の時代大宝城と同じ時代興国4年(1343)11月11日関城は大宝城とともに落城駐車場に着きました筑西市どこに行っても見える筑波山田畑の広がる大地から良く見えるわ地図あり現在地は・・・ここか坑道跡から行ってみます坑道跡ありました
今月も、修験道総本山、吉野金峰山寺参拝です。ボクはまたまた車内待機。金峰山寺、今空晴れ。(実時間13時前)地上より涼しい今気温ですが、クーラーいれておきます。車内温度です。パパだけ急な階段を、ヒィヒィ言いながら登ります。ここは、南朝の後醍醐天皇が、仮御所を置いていた跡地です。国宝の蔵王堂で、ご本尊の金剛蔵王大権現様に、般若理趣経百字の偈、般若心経、ご真言を上げて、オカンの当病平癒、早期無事帰宅、虎哲の健康長寿、それに、ゴン君の当病平癒を祈願しました。何度見ても
竜ケ崎城に続いて竜ケ崎市の城址2か所目馴馬城址へ来ています城はロマンじゃ南北朝時代とありますね今は畑階段があるので行ってみますどうかな山の中に入りました竹林が美しい今の竹林は実にみずみずしいのよね先へと進むと立札がありました少し小高くなった場所ですなんとなくなんとなく・・・かな・・・
前回の続き姥土橋から3km近く行った倉見と言う所に目的の喜多市十郎の墓があるようなのだが、その場所は旧道で20年近く前にバイパスができ、今は旧道を走る事がなったが、今日は久しぶりに旧道を走りながら気を付けて走っていた所、おばさんが家の前で掃除をしていたので、お墓の事を聞くと、すぐそこの左にお墓がある所がその場所だと言い、今は説明の案内板も字が剥げて分からないと言うのである。お礼を言い、お墓の場所に行くと確かに説明文は判読が出来ないのである。この喜多市十郎は新田義貞の三男、義宗の子孫だとの事
皆様、ご機嫌YOです!足利尊氏。皆様ご存じの室町幕府の初代将軍にてウヨ共には大逆人扱いされている御仁であります。ちなみに鶴ヶ魂的には後醍醐への「反乱」をどうこういう気はありません。後醍醐は背かれるべくして背かれた、と思ってますので(ちなみに後醍醐については、湊川へ向かう寸前の楠木正成にも手紙で上記と同様の指摘をされています。それへの後醍醐の反応は不明)。そんな彼ですが、最近の多くの歴史ファンから指摘され、僕も大いに同意している一つのポイントがあります。それは後で触れます。勿論尊氏
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
前回からいよいよ胎動してきた佐々木道誉が余りにも大河ドラマ『太平記』の陣内判官殿と(僧体を除けば)そのまんま過ぎる件。流石ラスボス尊氏と生涯をかけたズッ友判官殿今回も実に逃げ若テイスト風味で素晴らしいぐらいです。いや、それにしても子煩悩すぎる判官殿も新鮮すぎて面白!そしていよいよ物語は核心へと迫っていきます。さあどうなる?時行くん?〇ラスボス尊氏にしか見えないもの信濃における反乱の危険性があるからこそ「闘志あふれる国司」が必要ということで、愛の闘魂注入を行うことで麻呂国司に元気にな
9月13日(日)に都城市で行われた「六朝体(りくちょうたい)基本講座」に行って来ました。六朝体とは、中国の南北朝時代、北朝で発達した独自の楷書体の総称で、現在の楷書体の起源となった書体の一つです。六朝体を全く書いた事のない初心者の私でしたが、先生の丁寧なご指導のもと楽しく学ばせていただきました。線には「ゆらめき」をとか、はらいは、はらい切らず動きを止めるだけとか、楷書・行書とは異なる技法に戸惑いながらも、上手く表現したくて、夢中になりました。あっという間の4時間でした。
■落合史観重要ワードについて大塔政略とは何か。【大塔政略】鎌倉時代に、皇室荘園群のうち八条院領を有する大覚寺統(亀山天皇系)と長講堂領を有する持明院統(後深草天皇系)という2つの皇統に分裂していたが、この2つ皇統とは別に皇統を継いでいく系統として永世親王家伏見宮を生み出すことが企図された。そして、伏見宮の血統を大塔宮護良親王の血統とし、皇統は護良親王系のみが継ぐという極秘の取り決めがなされた。上記をガイドラインとして、鎌倉幕府滅亡期~南北朝動乱を経て伏見宮から出た後花
これまで「一条家」と「二条家」を紹介してきた当ブログ。ならば次は「三条家」ではなかろうか…?となってきたので、せっかくなのでやってみようと思いますw三条家は、藤原氏閑院流の嫡流にあたる家です。閑院流とは、藤原兼家(道長の父)にとってずっとずっと下の弟・公季(きみすえ)から始まる一族。公季は道長にとって、たった10歳だけ年上の叔父さんです。紫式部大河にも出る…はず。閑院流の紹介は、普通にやると今日どころか明後日まで終わってしまうので(笑)、ざっくりやると『平清盛』にも登場し