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私の書く文章からは想像できないかもしれませんが私の母方の曾祖母は平安末期から続くと口伝されている家の娘でした。(史料では南北朝時代から)私の母はその事を大層誇らしく思っていたようで曾祖母(母にとっては祖母)の実家に行きたいと常々申しておりました。時は、インターネット時代私は祖母の多分従姉妹(今は故人)に当たる方のブログを見つけました。曾祖母の血縁者に会いたがっていたから~と私は母にそのブログの存在と内容をざっくり伝えました。すると母は途端に不機嫌になりま
本日も晴天筑西市の続きです今回は関城に来ています国指定文化財です鎌倉から南北朝の時代大宝城と同じ時代興国4年(1343)11月11日関城は大宝城とともに落城駐車場に着きました筑西市どこに行っても見える筑波山田畑の広がる大地から良く見えるわ地図あり現在地は・・・ここか坑道跡から行ってみます坑道跡ありました
これまで「一条家」と「二条家」を紹介してきた当ブログ。ならば次は「三条家」ではなかろうか…?となってきたので、せっかくなのでやってみようと思いますw三条家は、藤原氏閑院流の嫡流にあたる家です。閑院流とは、藤原兼家(道長の父)にとってずっとずっと下の弟・公季(きみすえ)から始まる一族。公季は道長にとって、たった10歳だけ年上の叔父さんです。紫式部大河にも出る…はず。閑院流の紹介は、普通にやると今日どころか明後日まで終わってしまうので(笑)、ざっくりやると『平清盛』にも登場し
竜ケ崎城に続いて竜ケ崎市の城址2か所目馴馬城址へ来ています城はロマンじゃ南北朝時代とありますね今は畑階段があるので行ってみますどうかな山の中に入りました竹林が美しい今の竹林は実にみずみずしいのよね先へと進むと立札がありました少し小高くなった場所ですなんとなくなんとなく・・・かな・・・
稲敷市を歩いていますおっとこんなところに城跡が・・・城好きは魅かれるわぁ行って来よう知っているお城の名前が書かれているぅ空堀と土塁がわかるらしいいかにも城跡っぽいところが良いね空堀がよくわかりますきれいな形状で残っているわ梯子がかかっている空堀よ梯子を上ると・・・ぐるりと土塁だわ
神戸高速線新開地駅徒歩5分兵庫警察署前竹内典之シェフGeorgesBlancHôtelBeau-RivageGenèveフィレンツェやプーリア州等で3軒リーガロイヤルホテル大阪を経て2017年5月15日オープンムール貝・小海老・帆立・トマトエスカルゴバターココット焼き真鯛の香草マリネ、シーザーサラダカリフラワームースパイ蛍烏賊・ベーコン・菜の花ペペロンチーノ→予約時スープへ変更可連子鯛、ベーコンと春キャベツケッパー・焦がしバターソース兵庫産牛フィレ肉、マデラソ
今回の優品鑑賞は「山城国長谷部國重」の短刀です◎長谷部國重南北朝初期期短刀「長谷部國重」南北朝初期期山城国造込み平造り短刀、真の棟。刃長九寸、反りなし、元幅八分、先幅八分五厘、元重二分地鉄不規則な板目肌、裏は流れ肌出て地沸付く。刃文大乱れ皆焼刃、刃中に砂流し入り、匂いに
皆様、ご機嫌YOです!鎌倉幕府の打倒から建武の新政を支えた朝廷方の武士の中には「三木一草」と呼ばれた人たちがいました。その中の一人に結城親光がいますが、今回のお話は彼ではなくその父である結城宗広です。彼は南北朝を題材とした松井優征氏の漫画「逃げ上手の若君」でも、一見穏やかな好々爺風の人物として登場しています。彼は一貫して朝廷方につき、鎌倉幕府や足利尊氏との戦いを繰り広げました。今回はそんな彼の生涯をまずは動画にて見ていきたいと思います。ちなみに、彼の生き様については下の楠木家の末裔の御
皆様、ご機嫌YOです!足利尊氏。皆様ご存じの室町幕府の初代将軍にてウヨ共には大逆人扱いされている御仁であります。ちなみに鶴ヶ魂的には後醍醐への「反乱」をどうこういう気はありません。後醍醐は背かれるべくして背かれた、と思ってますので(ちなみに後醍醐については、湊川へ向かう寸前の楠木正成にも手紙で上記と同様の指摘をされています。それへの後醍醐の反応は不明)。そんな彼ですが、最近の多くの歴史ファンから指摘され、僕も大いに同意している一つのポイントがあります。それは後で触れます。勿論尊氏
今回は「中世城郭《ちゅうせいじょうかく》めぐり」という趣味について説きたい。基本的にタダでできて、遠出する必要もなく、いい運動にもなって、好奇心を満たしながら、日本の未来のためになる、という趣味だ。まず「城」とはなんだろうか。私から言わせれば、天守閣に登っただけで城を満喫した気になるのは、ケーキのイチゴだけを食べて満足するようなものだ。ほとんどの日本人がイメージする城といえば、立派な天守閣があって、頑丈な石垣に守られた場所ではなかろうか。実は、こういった天守閣と石垣のある城が築造された
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説梶間和歌歌集『生殖の海』梶間和歌作品一覧【個人発表作】【雑誌等掲載作】動画講座「歌塾」堀河百首チャレンジ【連載中】宇治十帖本説取りチャレンジ【連載中】梶間和歌の『新古今集』秀歌選【連載中】『玉葉集』秀歌選【連載中】*:..。o○○o。..:*次回裕泉堂歌会は4月30日です裕泉堂歌会向け講義動画隠岐後鳥羽院大賞令和5年和歌部門で大賞を頂きました*:..。o○○o。..:*心のまゝに詞
・『南朝の真実』を買った書店で購入する。・鎌倉時代末期~建武政権~室町時代初期についてもっと知りたいと思い読む。・亀田氏の師直への敬意に満ちた文章が良い。・機会があれば真如寺や彦部家住宅を訪れてみたい。執事施行状。これこそが、政治家としての高師直の最大の発明であった。そしてすでに述べたように、これを発給する権限を独占したことが、師直が幕閣内で強大な権勢を有した大きな理由であると考える。(中略)合戦に強い武将なら当時の室町幕府には、師直以外にもたくさん存在した。だが、彼らはそれだ
龍蛇の神(りゅうだのシン)このシリーズは、南北朝時代に実在した神官にして武将・大神信房(おおみわのぶふさ)(シン)を主役とし、彼の生き様に思いを馳せ、究明と鎮魂をはかる歴史小説である。目次【龍蛇の神】第1話~神の子~【龍蛇の神】第2話~銭の世~【龍蛇の神】第3話~民の鎖~【龍蛇の神】第4話〜法の末〜【龍蛇の神】第5話〜春の餞〜【龍蛇の神】第6話〜次の賭〜【龍蛇の神】第7話〜天の理〜前編【龍蛇の神】第7話〜天の理〜後編【龍蛇の神】第8話〜賊の首〜【龍蛇
『逃げ上手の若君』公式サイト『逃げ上手の若君』公式サイトwww.shonenjump.com週刊少年ジャンプで連載中の『逃げ上手の若君』(作松井優征)に、今週ついに北畠顕家が登場したそうです!!南北朝時代が漫画化だなんて最高すぎるし護良親王や北畠顕家が個性豊かなキャラクター化して登場するのは週刊少年ジャンプさまさまです早く読みたい一心で、まずはお借りした画像を眺めます♡秀吉の「中国大返し」の倍速で奥州から鬼の大軍を率いて駆けつけ足利
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
厳島神社へ向かう途中で、日本三大弁財天の楯看板を見つけて。秋田総合車両センターへ向かう途中で、たちよってみました。嶺梅院の縁起は不明のようですが、一部に伝わる古文書に次のように記されているらしいです。『無等良雄禅師(南朝の忠臣・萬里小路藤房=までのこうじふじふさ)の閑居寺にして、現在の松原・補陀寺の場所に創建した。その後、寺風は荒廃して一宇を残していたが、寛延年中(1748年)蒼龍寺の桂岩極芳和尚が現在地に再興し、後地に補陀寺を移して曹洞禅の教化につとめたということであります。』と言うこ
西番場公民館から、往年の宿場町らしい通りを歩いて10分位で蓮華寺に着きます。元々は聖徳太子が創建した寺の1つです。花園天皇より、菊の寺紋を許されました。なぜ、血の川ががあるか?今は小さい堀に見えますが。14世紀、南北朝時代。鎌倉で再起を期して、都落ちして番場まで来たのですがついに力尽き、430余名が自刃したのです。それが血の川のようになったのですね。オソロシ…供養の墓碑群。庫裏では、たまたま全国の北条氏の子孫で作る菊花会の法事の集まりがありました。びっくり。中庭には弘法大
ここのところの『逃げ若』の掲載順位がいよいよかなり心配するような立ち位置になってまいりました…かつて松井センセイのデビュー作『ネウロ』もまたデビュー当初はまた掲載順位が下の方であり、打ち切りも視野が入っていたのですが、これで一気に話題沸騰となって、その後アニメ化されて、一躍松井センセイを有名にした故事があります。果たして何とか持ち直すトリプルCの秘策が無いか…それにしても今回の話は思いっきり『ネウロ』の作風をかなり濃くなる回でした。ラスボス尊氏が登場すると凄く次が気になる!!すいません、それ