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皆様、ご機嫌YOです!南北朝時代で活躍した「バサラ大名」こと佐々木道誉。傍若無人なまでに己を貫きながらも室町幕府の中核、重臣身を全うした彼ですが、その末裔たちは動乱の室町時代において時代に振り回され次第に力を失っていきます。今回は室町時代以降の道誉の末裔、京極家がどのような運命を辿って行ったのかを見ていきましょう。戦国時代末期にはすっかりと力を失った京極家でしたが、お市の次女・初との縁、そして関が原の前哨戦となる大津城籠城戦で西軍の後続を足止めした功により、見事に中興を成し遂げました
前回からの続きながら、ほぼ2か月空いてしまいましたが、あまりのふなっしーの刀剣コレクションの数が膨大で・・・(千手院)義弘南北朝時代の作アップ画像ふなっしーの解説當麻(たいま)南北朝時代(大和国)地金を見て欲しいということなので、トリミング拡大してみましたこのシリーズの更新が億劫になる理由、刀剣ってやはり実物見て体感してもらうのが一番で地金が、刃紋が、沸(にえ)がどうのと言ってみたところで写真ではどうしても表現しきれず刀剣ですから格好は長短あるもほぼ同じなんで変わり映えしな
今日は朝から雨の1日となった。雨で青空は見れなかったので…撮り貯めた空を…雨は日付が変わるまで降る予報に…この先も晴れの予報が全くない日が続いてるな😣建長寺を出て、次の場所へ…建長寺の半僧坊ではかなり雨が降っていたが移動し始めると晴れてきた。途中、長寿寺というお寺があった。※臨済宗のお寺このお寺は室町幕府の初代征夷大将軍の足利尊氏が1336年に建立したお寺で足利尊氏の墓がある。ただ、普段は公開しておらず入る事は出来なかった。これはネット上で見つけてきた足利尊氏の墓の画像だが、
令和8年9月6日(日)今回は、お昼までにスーパーに立ち寄り自宅に戻りたかったので、行き来可能な距離を考えた結果、朝から四條畷神社に行くことにした。第二京阪道路(高速道路)を利用する。四條畷神社は小楠公(楠木正成公の嫡男、楠木正行公)を祀る神社である。〈四條畷神社〉駐車場。参拝者休憩所。絵馬殿。神社会館。上から見下ろした参道。金雲(運)サンタ。四條畷神社参道は飯盛山の登山口にもなっている。有源招魂社の由緒書き。社務所。御朱印受付所。右、有源招魂社。楠天神社。手水舎。
母の実家の近所には、地元の人達から避けられている稲荷神社があり時々住民の親戚ではい感じの人達(←違和感を見ただけで察するのは田舎特有?)路肩に車を停めて参拝している。ここは観光地ではない、見所もないのに何故?!怪しい。秋には道路に面した所にずらりと真っ赤な彼岸花が咲くのも不気味。地元では彼岸花はお墓でしか見ないので嫌われ気味「あの神社は怪しい。狐だし、なんか嫌だ。」余所者が参拝に訪れ、地元の人達は参拝した事がないのがなんだか滑稽。彼岸花から母の実家に纏わる事を思い出し、そこから母が通っていた高
最近見始めたアニメですこちらTVアニメ「ワールドイズダンシング」公式サイト三原和人によるモーニング刊行の衝撃的『能』漫画がついにアニメ化決定!これは後に『能』を生み出す世阿弥が鬼夜叉と呼ばれていた頃にあったかもしれない、600年の時を経て続いていく、ダンシングストーリー。7月2日(木)22時より放送開始!各配信プラットフォームにて順次配信開始!sh-anime.shochiku.co.jp数日前何気に見始めました先日会話をした時に『自分メンテナス』前回会ってから1年以上が過ぎて
昨日の投稿献血94回目!で、8月の出来事は終了。と思ってたら抜けてました8月30日(日)この日は、愛媛県に有る「紫電改展示館」が8月31日から1年程休館になるので最後の開館日!紫電改展示館InstagramCreateanaccountorlogintoInstagram-Sharewhatyou'reintowiththepeoplewhogetyou.www.instagram.com行こうか悩んでい
1,宗広の最期さて、結城宗広の第2回ですが。宗広には2人の息子がいます。長男は結城親朝、次男は親光。親光は足利尊氏と共に都を攻めて功績を上げ、建武政権で重用されます。世に名高い「三木一草」のひとりです(楠木、結城、名和(伯耆守)、千種)。京都攻防戦では楠木正成とともに瀬田を守りますが、敗戦に際して偽装降伏して尊氏を討とうとします。ところが尊氏に見抜かれ……これまでと悟った親光は群がる足利兵を次々と倒し、箱根・竹之下の戦いで新田を裏切って敗因となった大友貞載を狙いますが討ち取られました(
令和八年六月中旬、埼玉県入間市豊岡三丁目七の三二にある愛宕神社に行きました。西武池袋線入間市駅から近く、入間市の中心部分にあるといってよい場所ながら、木々に囲まれこんもりしており、街中なのに静かで、町の歴史ある神社という雰囲気そのものです。しかし、私がこの神社の興味を持ったのは町の中心部の神社だからというわけではなく、その神社にまつわる歴史上の出来事と、神としてまつられている歴史上の人物のことです。南北朝時代、関東で南朝方として奮戦し、北朝方を恐れおののかせながらも、多摩川の「矢口
思春期のユリウス・カエサルhttps://ncode.syosetu.com/n2614ig/くにひろおさんが小説家になろうサイトで連載中!今日はXで活躍中の友人『黒領域』さんが大津に詳しいので、三井寺に連れて行ってもらいました。歴史好きなら一度は行きたい三井寺。とても素晴らしかったです。今回は受付でもらったパンフレットの通りに廻りました。とても勉強になって良かったですが、私の専門の南北朝時代の三井寺のことについて書かれた説明は見つけられませんでした。また行ってじっくり観たいと思いま
副首都とは、天皇が二人になるのか。。副首都に選ばれた自治体の態度がだんだん大きくなって「副首都にも天皇が必要だ」宮内庁が公式に発表している「天皇とは?」の部分天皇-宮内庁天皇の地位等について掲載しています。www.kunaicho.go.jp南北朝のときは天皇が2人いたのですか?中世(鎌倉時代~室町時代)|南北朝時代のときは天皇が2人いたのですか?|中学社会|定期テスト対策サイト中世(鎌倉時代~室町時代)|南北朝時代のときは天皇が2人いたのです
⇧北条時行の終焉の地【龍国処刑場跡】北条時行の終焉の地逃げ若の北条時行が処刑された龍国処刑場跡です。南北朝時代前後に此処に処刑場が有りました。中先代と言われた北条得宗家の次男時行は、幕府滅亡後に三回も鎌倉を取り返しましたが、三度鎌倉を奪い取られました。観応の擾乱の後に共に戦った南朝軍も敗れて各地に潜伏しました。北条時行は1年後に伊豆に潜伏していたのを捕まって、鎌倉に運ばれて此処で首をはねられました。観応の擾乱の1年後なので、1351年
楠木正成の像南北朝時代の英雄の【楠木正成像】です。皇居に行ったので、写真に収めてきました。皇居は、毎週の様に走っていた事も有りましたが・・・最近、南北朝時代の小説を読んでから興味が湧きました。今まで素通りの像でしたが、歴史的な人物に・・・🙏楠木正成ですが、畿内で活躍した人物で関東には縁の無い人物です。少数の軍勢で、大勢の幕府軍と戦いました。◯んちを投げたり、武士道精神には程遠い戦いもしました。まあ
1,剣の名人さて、貞綱の2回目か。貞綱は多田源氏の一族です。本来なら新田、足利よりも格上の家系であり、「武家の棟梁」となっていたかも知れない家柄です。なので「新田の風下に立たず、足利に屈せず」というのを意識しています。公家に対するスタンスには「古き武士」であり、「武家は公家に奉公するもの」というのを基本としています。そのため、親房からは絶大な信頼を得ている……という感じです。あと、あまり生かす場面がなかったのですが、作中で屈指の剣の使い手という設定もあります。顕家と一緒に稽古をしまし
2026年夏アニメは『逃げ上手の若君』と『ワールドイズダンシング』という南北朝時代を舞台にした2作が同時に放送される非常に稀有な状況となっています。史料の残存状況もあり、室町幕府に擁立された北朝と比べるとあまり研究が進展してこなかった南朝に関する研究も進み、一般向けの書籍でも多くの著書が発売されるようになってきました。『『南朝研究の最前線ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』』日本史史料研究会監修、呉座勇一編の気鋭の南朝研究者15人の研究の成果を書き留めた一冊です。日
どーも、castom98です。以前の記事で、鳥取県大山町の漁港にございます後醍醐天皇の御腰掛の岩をご紹介しました。『鳥取県大山町後醍醐天皇の御腰掛の岩』どーも、castom98です。今回ご紹介いたしますのは、鳥取県大山町の港町に保存されている史跡、後醍醐天皇の御腰掛の岩です。訪問したのは2026年6月です。…ameblo.jp後醍醐天皇が隠岐から脱出してたどり着いたという伝承ですが、実はもう一か所後醍醐天皇上陸地があるのです。それが今回ご紹介いたします、隠岐の神塚
8月24日です。ポンペイ最後の日です。バニラヨーグルトの日です。米百俵でお馴染み小林虎三郎の命日です。そして、『北畠顕家の旗ー蘭陵王太平記ー』発売から2か月でございます。ありがとうございます。重版出来直前で一部でまだ品薄となっております。残り少ない初版はネットなどで是非ともお求めください。お求めください!まだまだよろしくお願い致します。『北畠顕家の旗ー蘭陵王太平記ー』ご購入はこちらから↓↓↓↓↓Amazon北畠顕家の旗-蘭陵王太平記-
1,顕家の乳兄弟・多田貞綱さて、人物帖は顕家編が長くなりすぎて。二人目は誰にしようかと思ったのですが多田貞綱です。貞綱は……顕家の話し相手です。以上です。ほら、このポジションはいてくれると会話がスムーズになるので便利でして。過去作でもそんなキャラをけっこう置いたりしています。作中の通り、多田氏は元は清和源氏の惣領家ともいう源頼光の直系です。それが頼光から数えて6代目の多田行綱の代に源頼朝に疎まれて多田荘(兵庫県川西市)を没収されます。これは源義経と近かったのが直接の理由ですが、
ブログでも何度か触れました「中先代殿」が映像にて令和の世に再び降臨されておられます中世に誘って頂ける物語を映像で拝見出来るってなかなか無いのではないでしょうかね面白いですね本年の大河ドラマも楽しませて頂いております少し気が早いかも知れませんが来年再来年の大河ドラマの作品は幕末の時代設定との事ですね時代設定人物選択の希望は個人的に有りますが製作者側の意向も尊重しているので是非云々はありませんが理由とか狙い意図などが有るのなら知りたい
冬霞これは珍しい、足利直冬の小説だよー!足利直冬といえば、足利尊氏の庶子であり、なぜかとことん父に嫌われ子として認められず、尊氏の弟の直義の養子になった子。めっちゃ戦に強くて、九州に追いやられたらそこで力をつけて父の敵になったという謎の(?)人物。そう、わたしにとっては色々と謎。庶子とはいえ、何故ここまで父・尊氏に嫌われたのかがまず謎。解釈はさまざまにあると思うので、ストーリーとしてどういう理由をつけるのか、この作者さんの解釈を見てみたかった。が・・・よくわから
2026年夏アニメ『ワールドイズダンシング』は、『逃げ上手の若君』とともに南北朝時代を扱ったアニメであり、全裸で疾走する変態稚児を主人公にした画期的なアニメでもあります。タイトルからも踊りを主要なテーマにした作品であることは読み取れると思いますが、主人公・鬼夜叉は大和猿楽の大夫で観世座の座頭である観阿弥こと観世三郎清次の子として生まれ、その後継者として育ちます。そう、後の能楽の大成者、世阿弥こと観世三郎元清(幼名藤若・道号至翁)です。TVアニメ「ワールドイズダンシング」公
妙法寺化粧窟法華堂西洋顔の仏像⇧鐘桜と仏像鎌倉の苔の妙法寺苔の世界鎌倉の大町地区にある苔寺で有名な【妙法寺】です。『鎌倉/苔の妙法寺①苔寺』苔石段鎌倉の苔の妙法寺苔寺🟢鎌倉の大町地区の苔寺で有名な【妙法寺】です。此方にも南北朝時代の護良親王(もりながしんのう)の墓が…ameblo.jp『鎌倉/苔の妙法寺②仁王門と名越北条家』鎌倉の苔の妙法寺仁王門と北条名越家鎌倉
苔石段鎌倉の苔の妙法寺苔寺🟢鎌倉の大町地区の苔寺で有名な【妙法寺】です。此方にも南北朝時代の護良親王(もりながしんのう)の墓が在るので、寄って来ました。同じ鎌倉の苔寺の杉本寺にも別日に行きましたが、此方のミドリは深いかったです。鎌倉でも北側に面した場所に在るからだと思います!訪問日が、梅雨時で途中から小雨も降ってきました。☔️☔️そんな事で、絶好の苔日和でした・・・
鎌倉浄妙寺極楽征夷大将軍鎌倉御家人の足利氏の菩提寺【浄妙寺】です。最近の直木賞作品の『極楽征夷大将軍』を読みました。足利尊氏や弟の直義など南北朝時代の物語です。そんな事で、南北朝の鎌倉関連中心に廻りました。作中で弟の直義が、兄の尊氏の事を述べています。『兄の唯一の、そして最大の美点は底なしに人が良いと言う一点のみだ』殆ど政事に興味がなく、弟の直義や執事の高師直が政策の担当しました。本人は、褒美をあげる役を好んでして
⇧宝戒寺本堂鎌倉宝戒寺逃げ上手な若君最近読んだ本です。【逃げ上手の若君】と【極楽征夷大将軍】です。片方は、マンガですけど・・・(写真⬇️)共に日本の南北朝時代が舞台になっています。【逃げ上手の若君】の主人公は、『北条時行』です。北条得宗家の十四代執権の北条高時の次男と生まれます。戦う事が苦手で逃げることが、唯一の特技です。その甲斐があって、動乱の時にも運良く逃げ通しました。鎌倉幕府滅亡後に三度、鎌倉を奪回
繰り返される一族の不審死。南朝、赤松宗家の伝承。私のX投稿より。〈自分の記録と「関係者」への情報共有。〉先月投稿した、父の(母方)従兄弟の怪しい病死。(元大阪弁護士会会長、大阪知事選への出馬依頼があった人物。)…https://t.co/87YQ3qkIw6—世界天皇THEEMPEROR(@sekai_tennoh17)2026年8月10日〈自分の記録と「関係者」への情報共有。〉先月投稿した、父の(母方)従兄弟の怪しい病死。(元大阪弁護士会会長、大阪知事選への出
尊氏が求めた「源氏の世」。その代償とは、何だったのか。1338年8月11日、足利尊氏が征夷大将軍に任じられました。尊氏は「源氏の世に戻す」との想いで、後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を倒しました。しかし後醍醐天皇と対立し、楠木正成らとの戦いに勝利すると、光明天皇を立てて京都に新たな朝廷(北朝)を開きます。こうして、南北朝時代が始まりました。【今日の一言】禅の言葉、四弘誓願の一節をご紹介します。「煩悩無尽誓願断」。尽きることのない煩悩を、断とうと誓う、という教えです。今日一日、その心
昨日のことになりますが、埼玉県は小手指の方に南北朝戦乱の史跡を巡ってきました。↑小手指原古戦場碑↑案内版この地域では、南北朝時代に三度も合戦が起こっています。代表的なものが新田義貞による鎌倉幕府滅亡時に起こった合戦となります。史料『太平記』によれば……大手の軍勢は同月十一日の午前八時に武蔵国小手差原に到着した。ここで遙かに源氏の陣を見わたすと、軍勢は雲霞のごとく群がって幾千万騎とも知れなかったので、桜田と長崎は予想外であったのだろう。そのまま馬を止めて進み得なかった。これに
歴史好きなぱんだ(´Д`)。よく歴史関係の書籍を読んでます。本日は新書の紹介です。スタバで読書(´Д`)。なぜかスタバって集中出来るんですよ。コーヒー飲みながら読んでました。本は兵藤裕己『後醍醐天皇』(岩波書店、2018)です。やー、面白かったです(´Д`)。日本の政治・社会・文化の一大転換期となった南北朝時代と、日本史上きわめて特異かつ稀有な帝王である後醍醐天皇について詳しく解説されていました。ぱんだ、古代が好きなので、恥ずかしながら南北朝時代についてはあまり知らず、建
1,2度目の上洛さて、人物帖は久々で5回目と。なんか長いな、顕家編。主役だしよいかな。比叡山を撤退した新田義貞は金ヶ崎城へと入り、恒良新帝を盟主とした「北陸府」(北陸朝廷)を打ち立てます。足利尊氏はこれに高師泰を大将に討伐軍を送ります。建武4年(1337)正月の合戦は新田義顕の活躍もあり、新田軍はこれを撃退。詳細は義顕編にて。しかし、3月の戦いで金ヶ崎城は落城。義顕と尊良親王は戦死。恒良新帝は捕縛されて京都に送られ、のちに足利直義に毒殺されたと古典『太平記』にあります。近年、恒良