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国芳⚔️武者絵歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之壱人両頭蛇觧珍」「通俗水滸伝豪傑壱百八人之壱人」シリーズは、その国芳の出世作なのだが、どこを切ってもドバッと血が噴き出しそうな、リアルでフィジカルな重量感にあふれている。この国芳も“北斎チルドレン”なのである。本武将浮世絵(武者絵)に描かれた武将「樋口治郎」(ひぐちじろう)とは、平安時代末期に「義仲四天王」(よしなかしてんのう)のひとりとして名を馳せた「樋口兼光」(ひぐちかねみつ)のことです。樋口兼光が仕えた「木曽義仲」(きそ
河内ふるさと文化誌「若楠(わかくす)」89号が発行されました。往生院六萬寺の歴史の再調査シリーズを引き続き掲載させて頂いております。今回は、第6回目となります「南朝と往生院について・後編」。丹念に現地調査した内容を扱っています。四條縄手の合戦での楠木正行、正時兄弟の自刃終焉地の論争にも一石を投じる内容となっています。そして、本日には、次号、90号(10月発行予定)の原稿を入稿させて頂きました。「岩瀧山の磐座について」になります。定期購読、市内の図
みなさん、お元気ですかぁ⁉︎日曜お昼の「ZENTHOTRADIO」オンエア終了後は神奈川県伊勢原市にあります法雲山広済寺さんへ行ってまいりました。こちらは1353年・南北朝時代に誕生したという歴史のあるお寺です。(歴史を感じますね)SNSからのご縁で、こちらの住職様よりなんと本堂でLIVEイベントのお誘いをいただきました。(はじめての出来事にワクワク)とてもありがたきお話。時期はまだ未定ですがぜひこちらのお寺でしか味わえない!?楽しい内容の
なんともすんなり理解し難い南北朝の時代。皇統譜的には南朝が正統で北朝が偽帝とされるが、今の天皇家は北朝の系統である。それに単純に京都方と吉野方に二分されずに、裏切ったり寝返ったりは日常茶飯事。山川日本史の記述なんかをかいつまんで書けば、、、正平一統で南北朝の和平統合が成立するも早々に破綻。北朝系の皇族は吉野方に拉致され、その後帰還したものの京都方の残勢力が担いだ天皇との間で皇統を二分する争いが起こり、、、覇権争いに負けた崇光天皇家は「伏見宮」を名のり。しかし勝った側も皇統が絶え、皇位は
天手古のメタボエンジン一馬力人間も脂肪という油を燃焼して動く内燃機関。悪玉メタボも焼玉メターボエンジンで完全燃焼すれば、時化の海原も乗り切れる天手古の舞い。乱世を乗り切るための踊り「てんてこ舞い」は中世南北朝時代の「鞆の合戦」以来、燧灘の魚島に伝わる。
昨年までは自家用車通勤していたのですが、諸事情があり今は電車通勤。そして、通勤途中にきになるのが様々なお出かけに関する情報ですが、2026年の朝日・五私鉄リレーウォークはその設定コースが大変興味深いです。≪第1回京阪電車編≫既に参加した分ですが、参加して歩いてみて次の情報を得ることが出来ました。◎伏見・淀エリアのソメイヨシノ◎豊臣秀吉関連◎幕末維新期の戦い(鳥羽伏見の戦い)◎歴史背景での伏見・淀の重要性≪第2回南海電鉄編≫参加したら堺の次の時代での重要性を再認識出来そうです。◎
未完の塔と完成された仏ー観心寺で感じた楠木正成の無念|千世(ちせ)かねてより会いたかった仏さまにやっと会うことができました!この日の見仏仲間は、偏光さんあらため岡埜由木古さん。彼女とは春日大社・萬葉雅楽会以来なので、かれこれ約半年ぶりになります。この日も変態同士、話題満開になりそうで、ワクワクしながら向かいました。ネット情報では「8時半から整理券を配布」とあるので、少々ビビりながらもマイペースで10時ごろに到着し…note.com
今月のLINE特典神様からのメッセージは『四條畷神社』(しじょうなわて)です✨️LINE登録されてる方に毎月無料で配信しております😊数年前にこちらの御祭神に来るように言われていましたが…ようやく行くタイミングが取れて行くことになりました。何かと期限が言われていない場所は後回しになりがちです。もちろん緊急性のあるものは否応なしに駆けつけたりします。こちらは南北朝時代の武将の楠木正行(くすのきまさつら)を主祭神として祀られております。正行は、楠木正成(まさしげ)の嫡男です。正行は
懐良親王陵(かねながしんのうりょう)の杉木立。若葉が目に眩しいほどである。(オシマイ)
奈良国立博物館に所蔵されている河内・浄土院にあった当麻曼荼羅は、南北朝時代に修複されており、鎌倉時代の作となります。浄土信仰の聖地として日想観が営まれていた河内・往生院の歴史との関わりも窺えます。縦181.3横179.3当麻曼荼羅https://www.narahaku.go.jp/collection/1008-0.html新設される東大阪市立郷土博物館に、この綺麗で立派な当麻曼荼羅のレプリカを作って展示されてみてはどうかと提案しています。河内ふるさと文化誌「若楠」(わかくす
演劇企画-きよみずの『秘すれば、花。時をかける世阿弥の言葉〜あるがまま、心の花を見つめるひととき〜』【オンライン配信あり】@目白庭園「赤鳥庵」へ♪朗読劇、「赤鳥庵」のあの空間で観られて、更に迫力ちょっと狂言チックな表現。鈴木愛子さんは凛とした和が似合うね!袴から色々出てくるの、楽し…現代語訳で(笑)藤間紫乃弥さんの日舞、繊細なのに勇ましい美しさ(株)ヒストリンク代表、アニメ『逃げ上手の若君』歴史監修協力の斉藤太一氏による歴史トー
4月1日(水)森茂暁著『皇子たちの南北朝後醍醐天皇の分身』中公文庫2007年10月25日初版発行後醍醐天皇の夢の実現のため、命さえ惜しまず働く尊良、世良、宗良、恒良、成良、義良、護良、懐良らの皇子たちーはじめは討幕計画の推進者として、のちには各地の南朝軍の旗頭として果敢に戦い、南北両朝統合に至る激動の時代に全青春を費やすー彼らの姿をとおして、新たな南北朝史を描く一冊。『本朝皇胤紹運』(応永三十三年・1426年)では、後醍醐天皇には皇子17人、皇女15人の32人(母20人)
本書は日本の南北朝時代に吉野朝(南朝)の重臣として主導的立場にあった准大臣・源親房(北畠親房)による、吉野朝の正統性を説いた歴史書です。今回読んだのは岩波文庫版(1975年11月17日第1刷発行)です。そんな親房の著した、意図が明確な歴史書だけに強いバイアスがかかった内容であることも事実で、その思想はやはり同時代の記述に色濃く反映されています。足利尊氏を終始「高氏」と表記し、「天の功をぬすみてをのれが功とおもへり(P173)」と辛辣な評価を浴びせています。『神皇正統記』、北畠親
月曜日の桜火曜日の雨で散ってしまわないか心配である南北朝時代のものらしいが・・・凄いな歴史を感じずにはいられない場所に今は役場と中学校があります。そう言えば、我が家の水仙たちもすくすく成長中。続々と蕾が膨らみ始め、蜂たちも忙しそうです。
一旦、画像のみの紹介で、<隠れや>保存します______少し時間的間隔をもってアトリエ展示する予定です。◆高さ30cm___台座の<斗供>は、お馴染みさんからの「委託品」ですので、安価でお分け頂ければ嬉しいです。
1本の帯のように細い川や海で隔てられている、非常に近い隣国や隣接した場所を指す四字熟語です。日中関係のように、近い距離にある関係を表現する際によく用いられます。意味帯のような狭い水域(川・海峡)を挟んで隣接していること。由来中国の南北朝時代、隋の文帝が揚子江を越えて陳を攻める際、この川を「一衣带水(衣服の帯のように狭い水)」と評した故事に基づく。例文日本と中国は一衣帯水の隣国だ。この2つの町は一衣帯水の関係にあり、交流が盛んだ。類語一衣帯水・近隣(きんり
―室町版徳川吉宗―最近、不快なものの一つに、SNSの乱用があります。匿名を盾に、批判・雑言。特に言い返せない相手に対して、必要以上にたたく。その一つに「皇室批判」がありますね。今後の皇位継承や個人(宮家)について何のかんのと好き勝手なことを言う。九人がそうでないと思っても、一人が騒ぎ立てれば、それが信用される恐れが。いやな世の中になりました(◞‸◟)。さて、以前「ちょいと争乱」で、伏見宮、貞成親王の『看聞日記』の話をしまし
■導入かつて日本は、二つに分かれていた時代がありました。それが南北朝時代です。京都の「北朝」吉野の「南朝」二人の天皇が存在し、国そのものが分裂していました。ここで一つの疑問が浮かびます。👉なぜ日本は“二つに分かれる”必要があったのでしょうか?■一般的に言われている理由教科書ではこう説明されます。皇位継承争い武士勢力の対立の動きつまり👉「政治と権力の争い」■しかし、それだけだろうか?ここで少し視点を変えてみます。天皇という存在は、単なる政治のトッ
■導入戦国時代の終わりを決定づけた戦い――それがです。この戦いによって、天下を取ったはずの豊臣家は滅び、👉の時代が完全に確立しました。しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。👉豊臣家は、本当に滅ぼされる必要があったのでしょうか?■一般的に言われている理由教科書的にはこう説明されます。豊臣家が再び力を持つことへの警戒徳川幕府の安定のため方広寺鐘銘事件などの対立つまり👉「政権争いの最終決着」■しかし、それだけだろうか?ここで少し考えてみてください。豊臣秀
小松城(西伯郡南部町金田)標高60m・比高30m。南北朝時代に築かれ、建武三年(1336)、出雲国造の軍勢が伯耆に侵入して小松城を攻め、城の門前で激しい戦いがあったと『出雲千家文書』に残っている。戦国時代まで使われたと考えられ、小松谷川上流域を支配した小規模領主の小松氏の館跡と思われる。また、伯耆誌によれば雲光寺に伝わる文書に「馬屋原河内守俊久」の名が見られ、この馬屋原氏は毛利氏の家臣であり、毛利時代には馬屋原氏が小松城の城主もしくは城番であったと見られる。西二郭その北には見事な空堀
https://t.co/aQrx17XeJK週刊少年ジャンプで連載していた、歴史漫画の逃げ上手の若君が完結した。最後の最期までタイトル通りの内容を貫いた最高の物語だった。今後は、単行本は全部集めて、今後の放送予定の2期以降のアニメも楽しみにしてる。—yosi(@yosifumu)February28,2026https://t.co/SoGgv7nbk7ドラマや創作などでもあまり扱いの少ない南北朝時代、歴史上でもピックアップがとても少ない北条時行。この題材で、心燃えるマ
2026年3月13日。西村慎太郎です。再び宣伝です😅平凡社さんより拙著『「忠臣」創出』-戦国武将標葉氏の近代-』が刊行されます。福島県の原発被災地域の歴史を概観しつつ、戦国武将標葉氏がどのように「忠臣」と読み替えられたのかについて論じました。「忠臣」創出-平凡社「忠臣」創出詳細をご覧いただけます。www.heibonsha.co.jp
3月12日(木)石原比伊呂著『北朝の天皇「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中公新書2020年7月25日初版建武三年(一三三六)、京都を制圧した足利尊氏は新天皇を擁して幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野に逃れ、二帝が並び立つ時代が始まる。北朝の天皇や院は幕府の傀儡だったと思われがちだが、歴代将軍は概して手厚く遇した。三代義満による南北朝の合一以降、皇統は北朝系が占めた。一見無力な北朝は、いかに将軍の庇護を受け、生き残りに成功したか。両者の交わりをエピソード豊かに描き、室町時代の政
【梅特集】ツーリング今回のピンポイント・ツーリングは、去年、3月26日に行ったが、今年は満開時期が早いようである。広大な山の斜面一面に広がる奈良県3大梅林の一つであり、一目千本、見返り千本、奥の千本と言われる約2万本の梅が咲き誇り、南北朝時代の南朝の後醍醐天皇も滞在した歴史的にも有名な皇居跡がある賀名生の里賀名生梅林へ梅の香を堪能しに行って来た自宅出発は「7:50」である。さて、京奈和道走行中は気温「3℃~4℃」と言う中でのバイク走行は、スピ-ドが出てる分体感温度
結びなんだかんだ南朝が天下を握ってから先に押し進めたぐらいですから、将軍家知行国における国司の世襲、そして例外的に、それが出羽と尾張にも認められた仕組みが築かれたことは高く評価するに値するものと考えます。なので、北条の子孫の方々には、もう少し胸を張って子孫を名乗るようにしてもいいような気がします。それではまたブログで会いましょう。※さきほど、一旦、アップした後に、色々と改稿をした関係で二回に分けることになってしまいました。まぎらわしくて、すいませんが、これでよろしくお願いします。
要旨鎌倉時代は武家大名による自治体運営が世襲で行われる仕組みの再開が始まった時代でもあると考えます。といっても、その始まりは限定的なものでしたが、やがて、それが室町時代の武家大名による自治体運営の世襲化につながっていたのではないかと考えます。本題まず、その武家大名による自治体運営の世襲化は鎌倉時代では将軍家知行国において再開しました。平安時代に武家も知行国主になることが認められるようになって知行国主を世襲するかたちで武家大名による自治体運営の世襲化が始まりましたが、源実朝亡き後は武
今回は室町幕府の公務員について考察できた限りのことを述べさせていただきます。公務員の分類これより室町幕府の場合は国家公務員と地方公務員の棲み分けは下記のように理解することができることを説明していきます。・国家公務員征夷大将軍征夷将軍奥州探題羽州探題蝦夷沙汰職代官守護国衆将軍代官将軍家出向国衆格公家将軍家出向国衆格寺社将軍家女房及び侍女・地方公務員将軍家領役所詰め役人征夷将軍家家臣奥州探題家家臣羽州探題家家臣蝦夷沙汰職代官家家臣守護家家臣国衆
皆様、ご機嫌YOです!南北朝時代と言う歴史ライト層にはあまり注目されず、かつ皇国史観に染まったウヨ共には下手すれば難癖付けられそうな時代を扱った漫画、「逃げ上手の若君」が五年間の連載を経て遂に完結しました。逃げ若の完結を受け、読者やファンからも様々な反響の声が上がっています。今回はそんなファンの声を一緒に見ていきましょう。なお、動画内はラストのネタバレは無いので安心してください、ではどうぞ!動画のコメント欄の声にもありましたが、南北朝時代を取り上げた漫画でここまできれいに完走し切っ
横浜市歴史博物館で開催中の文化財展に行きました。證菩提寺から銅像聖観世音菩薩坐像と木造薬師如来立像が展示されていました。令和7年度新指定横浜市指定有形文化財銅像聖観世音菩薩坐像31.9cm南北朝時代延文2年横浜市指定有形文化財木造薬師如来立像平安時代11世紀未指定木造文覚上人坐像室町時代仏像は三躯のみでしたが、近くで拝見することができました。特に木造薬師如来立像はケースがなく、寺院でのお開帳のように至近距離で見ることができました。今週一杯
鎌倉時代の写実的で力強い気風を色濃く残す、南北朝時代から室町時代前期にかけての極めて端正な金銅仏千手観音菩薩立像です。慈悲深い眼差し、静かに結ばれた口元、気品溢れる尊顔は、この時代の優品ならではの風格を湛えています。わずかに笑みを浮かべた魅惑的な表情は心を捉え、時を忘れて見つめていたくなる力があります。古銅特有の深みのある質感と自然な緑青が現れ、中世金銅仏ならではの落ち着いた風合いをよく示しています。また、所々に鍍金が残り、往時の荘厳を偲ばせています。中世の小型金銅仏では、本体とは