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リハビリのため、退院後初めて家から出ることに。6日ぶりの外出。退院日に、松葉杖頼みでやっとの思いで登りきった自宅までの階段を、今度は一段一段を慎重に降りていく。下りは最初に松葉杖を一段下に降ろすところから始まるのだ。ピンと伸びたニーブレース装着の左足が地面に着かないよう全体重を松葉杖に預ける心もとなさは恐怖に近い。どうか無事に階下まで降りれますように。ふぅと一呼吸し、精神統一をして一歩を踏み出した。ところが、数段降りたところで気が抜けたのか、バランスを崩して尻餅を着いてしまった。
前回は半月板について説明する気があるのか無いのかという文章でしたね。とりあえず入り口ということで笑解剖学については仕事上最低限勉強しておりますが。ネットで調べてもらったほうが詳しく書いてあるので。半月板について詳しく知りたい方はぜひ調べてみてください私の今回の経験を書くことが目的なのでここからそれを遂行していきます。そういえばハイパーモバイルメニスカスって?(これがメインなのに最初に書かないという流石さ)これは私が手術をすることを決めた
その夜、抜け切らない麻酔と痛み止めの点滴からくる眠気をなんとか振り払って、夕食をとった。丸一日ぶりの食事。麻酔後にたくさん食べると吐くから、ゆっくり食べた方がいいと看護師から教えてもらう。眠気もあってか思ったほど食べられず、半分ほど食べて再び眠りについた。痛み止めの効果が薄れると、痛みに悶絶しながら、必死でタオルに搾乳をした。授乳中という理由で、ロキソニンではなくカロナールが処方されたが、あまりの効きの弱さにじれったい思いだった。そう言えば、出産後は産院でロキソニンを飲めたのに、なぜ今
始めに令和5年の元気キッズについて書くと前々回書きましたが。前に進む為に令和5年は詳しく振り返らないことにしました。前回の記事に興味がある方はちょっと鬱々している記事ですので。そのあたりご了承の上ご覧ください。今回は2024年3月に手術を受けた半月板ハイパーモバイルについて書き残そうとおもいます。長くなるとおもうので何回かに分けて書けるかな。同じ症状で困っている方がいたら参考になれば幸いです。先ず半月板とは医療専門職ではないので、ネット
見に来てくださりありがとうございます昨日に引き続き、三峯神社です御眷属をご拝借したら奥宮まで登ってきましたここからです神主さんに聞いてみたら…速い人で片道1時間普通で1時間半だそうです私は…膝の半月板が破れてるので(言い訳)2時間ぐらいでのんびり登りましたトレッキングステッキを持っていざ支えは大事ですよ〜少し歩くと一の鳥居⛩ここで入山証明を書いたりするみたいです奥宮なのでそのままいってしまったこっちこっち〜(眷属のおおかみさんが言ってるみたい)二の鳥居
昨日の夜から新しい痛み止めを追加。同時にブルーデーも始まり、眠い眠いおかげで、途中何度か目は覚めるものの、5時まで寝られたわーいでも、日中もとにかく眠い頭もぼーっとする初めて昼食も嫌いな物じゃないのに残した。ああ、新しい薬の副作用なのか、ブルーデーのせいかわからん日曜日でリハビリもないし、このままでは寝てしまう自主トレに励み、車いすで談話室で過ごし、ベッドに戻るけどまだ眠いいつも閉めてるカーテンを開けて、電気もいつもより明るく付けて、また自主トレ自主トレそ
2020年1月に膝の手術で入院した時の事ついて振り返りますなんと、術前のICで先生に言われた私の病名は、まさかの半月板損傷ではありませんでした!厳密には損傷もしてるけど、診断名は♯1HypermobileMeniscusハイパーモバイルメニスカスというものでしたメニスカスとは半月板という意味だそうですじゃあハイパーモバイルってなんぞやと思っていたら、先生からしっかり説明を受けましたざっくりでまとめると・直訳すると超可動域の半月板・病気、怪我ではなく生まれつきそういう
GW前半戦。サッカーチームの全国3位祝勝会。ドラえもんミュージアム。カレーの大きさにびっくり。1人で食べるものじゃなかった…笑今日は朝少し雨降ってたから心配だったけどお昼にはやんでて良かった。今日は膝の病院の日。けどその前にMRI検査。現状を知るのも大事。前回手術は今はしないって伝えた。だからMRIがどんな結果でも受け止めてそれでもサッカーを続ける覚悟を持つ。だから結果に恐れることはない。病院から離れたとこでMRIを撮りに行く。着いて問診票書いて診察して
午後から大学病院に行ってきました。退院後2回目の診察です。水が溜まって腫れていることが膝の痛みや曲がらない原因の一つではないかとのことで、初めて水を抜きました。抜いたのは15ccほど。多いか少ないか良くわかりませんでしたが、それなりの量のようでした。その後ヒアルロン酸も注入。断裂した半月板の状況や手術の内容からすると、術後3ヶ月から半年くらいは水が溜まる状況が続くようです。注射の後、今まで聞き忘れていたことをいくつか質問。Q)手術で縫ったのは?A)6針Q)2割から
一昨年の年末に壊した半月板ですが、なんとか治ったかな〜と思い、タントレーニングしながら、毎朝スクワット100回してましたが、最近なんだか調子悪いな〜って感じてたら、ジャスミンのトークセン講座に参加してた〇〇さんに壊してた膝裏に熱がある事を教えられ、スクワットを100回から50回に減らしてみました💦幹細胞を増やすパッチを、思い切って5枚貼ってみたら、痛みや熱がとれてホッとしてる西浦です〇〇さんはセルフケアが大好きな方で、私の尾骨骨折の骨がどのようになってるのかも診てくれました。ありがとう
2022年8/10無事に手術終了しました(^ω^)今回は目覚めた時にまだ下半身麻酔かなり聞いてて今余裕があります笑前回は地獄のように痛かったけど今回はまだ感覚があまり無いわ笑術前の点滴がなかなか入らず5回目にしてやっと入って朝から萎えましたが(・・;)なんとか無事に手術が終わりました。゚(゚´ω`゚)゚。以前と違って水分も1時間後から飲めるのと、酸素マスクも割とすぐに外してもらえました!( ̄▽ ̄)これからあの痛みが来るのかな(・・;)長い痛みとリハビリの始まりです!!皆さまの励ま
2022年3月3日、床に座ってタイツを履こうとしていた時のこと。左足を入れ、右足も膝まで入れたところで立ちあがろうとした瞬間パキッ💥右膝が曲がったまま(約90度)動かなくなりました💦あ、まただ実は1ヶ月ほど前にも床拭きをしていて立とうとした時、右膝が曲がって戻らなくなったことがあったのです。え、なになに?何が起こったの?頭の中は真っ白でしたが、壁につかまり左足一本で立ちながら、右足を必死で伸ばそうとがんばりました。しばらく格闘していたらパチンという引っかかっていたものが外れたよ
春分の日も過ぎたのにきょうは寒気が下りてきて寒い風が吹いた一日でした。私はきょうは娘と孫ちゃんの一カ月健診に付き添ってきました。その話はまた今度するとして。一昨日火曜日は午前中は整形外科受診。午後は眼科受診の忙しい日でした。整形外科は7月からずっと通っているもので左膝の半月板損傷の経過をみてもらっています。何度かヒアルロン酸注射をしたあとは痛みも落ち着き、ロコアテープの処方だけになり、そのロコアテープも、年明けくらいからほとんど貼付していません。とき
退院後3回目の診察。診察前のリハビリで、特に何の確認もなくあっさり全荷重=松葉杖卒業となる。正式に片松葉許可→から、わずか数日での大きな前進。なんと呆気ない幕切れ。でもきっとそれだけ順調なのだ。念のため、もう1週間だけ松葉杖を持つことに。お守り代りなんだそう。一月以上、昼夜問わず生活を共にした相棒とのお別れが先送りになって、少しホッとしたのが正直な気持ちだった。診察でも、軽く屈曲を確認された程度で、水抜きもなし。吸収されるのを待ってもよさそうだね、と担当医。水抜きせずに済んだの
昨日の夕方無事に退院しました軟骨は大腿骨側で半月板もボサボサをトリミング、大腿骨も最低限の修復を行ったとのことで、「傷は二つだけど中で色々やったからねー」との主治医のお話でした。今でも痛み止めないとやっぱり痛いし、腫れているし、膝の中で修復しているのでしょうね。松葉杖は術後リハビリで両松葉杖(多分、片松葉でもいけそうだけど更に痛くなってもすぐに貸し出しできないから)をお借りして(レンタル料両方で4,000円、1ヶ月以内に返却したら全額返金)帰宅しましたが、家の中では片松葉でやっています。
術後14日目。3回目の外来リハビリの場で、ニーブレースを卒業した。診察はなし。リハビリ開始直後、「今日から外しても大丈夫です。心配であれば、外出時や夜間なんかはつけるといいですよ。」と告げられる。これまでの頑張りをねぎらうかのような、若い女性理学療法士の笑顔がこそばゆい。たった2週間だけれど、短くはなかった。トイレ、入浴、着替えの度につけ外ししなきゃだし、寝返りひとつ打つのも一苦労で、夜中眠気を振り払って何度も外してはマッサージした。煩わしい存在には違いなかったけれど、勝手のき
前回の続きです。半月板損傷その2診断~入院するまで入院に必要なものちょっと話はズレますが、入院するのに必要だったもの、必要なかったものなどを書いてみようと思います。ちなみに、入院説明の時に部屋の移動があるかもしれないので荷物はなるべく少なくと言われていました。わたしも3、4日で帰る気満々だったので、かなり荷物を少なめに持って行きました。持って行ったもの◎フェイスタオル4枚→全然足りなかった〇バスタオル2枚→病院から持っ
2020.1月某日半月板損傷の手術のために、総合病院の整形外科病棟へ入院した時のことを振り返っていきます入院当日入院日は手術の2日前で、私が入院した病院(整形外科の場合)は計画入院だと皆さん手術の2日前から入院のようでした入院当日は担当の看護師さんと話をして口腔外科の診察がありました暇だろうなと本や漫画、Switchなど持っていってましたがその日はなんやかんやであっという間に時間が経ちまったく手をつけずちなみに入院したのは6人部屋の奥窓側のベッドです松葉杖は術後使うだろうとリハビリ
退院後数日は、トイレや最低限の洗面以外は極力しないで、布団の上から動かず生活していた。(椅子に座ることもできなかったので、食事も上体を起こして布団の上で食べていた。)とは言っても、乳児がいることもあって、家族にはできるだけ負担をかけたくなかった。そこで、いくつかのアイテムを肌身離さずそばに置いていた。それは、・湯たんぽ患部は常時氷のうでクーリングしていたが、手術した方の足先が冷えてしまい、それがズーンとした痛みになって辛かった。温めると足先だけでなく、患部の痛みも和らぐように感じられた。
手術後1日目の朝は色んな器具や管に繋がれていたけど、手術後2日目の朝はこんなにスッキリよーーー静脈血流を促進するストッキングを履いているけど、繋がれている管も痛み止めの薬を入れる管だけになりました。右の腹部に待機中ですーーー。で、手術自体が1時間近く伸びたのは大腿骨の骨切りだけでなく、半月板まで切れていたらしく内視鏡で縫う作業まで入ったらしい本当手のかかる右脚ちゃんですでは、今日の楽しくなる写真はコレ病院に持ち込んだ栗原先生の本に載ってたの。秋の『ヌン活』に
いつぶりでしょうか術後半年過ぎてました。仕事が忙しくて、復帰すればこうなることは、わかってはいたけれど。。結局、再手術はしませんでした。伏在神経は細く、つなぐことはもとより、探すことも難しいって。他の病院の整形外科にも聞いたけど、やっぱり同じ意見でした。よって、膝下内側はビリビリで、痛くてまだ杖歩行。外来で注射を打って、リハビリして、薬もなかなか減らせないまま。そんな日々を過ごしてました…が今日未明、膝に激痛こんなの初めて…と思ったけど、そのあとは動けるよ
気付いたらだいぶ経ってましたその間に退院して、片松葉になりましたまだまだ痛みも痺れもあるし、痛み止め1日4種類14錠も飲んでるけど。退院後は、週2回の通院リハビリ本来は2週に1回みたいだけど、主治医が提案してくれて、PTさんも了解してくれて。元々はクリニックに戻る予定だったけど、このままうちでリハビリを、と。なのでクリニックに松葉杖を返しました早く返さないと、値段も上がる今の病院で、松葉杖レンタルし直してこっちは返せば預かり金返してくれるので、良心的でありがたい退院
MRIの結果整形外科を受診してきました結果は上手く付き合っていくしかない!と33年前の半月板を削る手術の代償で半月板が無い所の軟骨が傷ついていて痛みが出て水が溜まっている状態でヒアルロン酸を注射する事もできる今後は筋力トレーニングと体重管理と年1回のレントゲンでの確認との事でしたちょっとした向きや加減で痛くなるので筋力鍛えてそれに備えるに越したことはないプールで週3回30分歩くのが1番オススメあとはパーソナルトレーニングで痛みを見ながらトレーニングするとイイとも言われ
私は半月板損傷とわかって出勤したのが初めてで体中に力が入ったまま仕事をしていたので非常に疲れていた。とにかくぶつからないように転ばないようにと朝の通勤時は特に怖かった。そして階段がとても辛くていつもなら、なんて事のない階段もゆっくりゆっくり下りたりで時間もかかった。大勢が乗り換える駅では階段で押されてしまいそうで手すりを握りしめていた。そうすると手すりを握って下りる人が何人かいて皆さん、足を引きづっていた。よかった、仲間がいた。その方々に連なって下りて行った。何年も通勤していた経路
娘が先生の話聞きに来てくれて、ようやく様子がわかる。内側半月板の掃除←結構ボロボロだったらしい。軟骨も潰れていたとか💦骨9°調整人工骨投入明日からリハ開始固定外して曲げて体重かける3週間ぐらいで退院予定娘帰った後もひたすら寝る暑い‥と思ったら38.3度の発熱氷枕もらってちょっと落ちつく今度はかかとが痛い💦けど左足動かない💦痛いよー(T.T)そこに様子を見に来てくれた看護師さんに話したらクッション入れてくれた。後はちょっと寝て目が覚めてちょっと寝て目が覚めての繰り
先日、病院にて膝のMRIを撮りに行った話を書きましたが…『50代ラストの誕生日』ついに59歳になりました✋😁頭の中身だけは若いつもりですが…先日、ウナギ狩りの最中に、水底の凸凹に引っ掛かりまして、膝が『パキン💥』と鳴りまして…アイタタタ😫…ameblo.jp病院が混んでまして、ようやく結果が聞けました☝️画像を見ながら説明するDr.『MRIの結果が届きましたので、お伝えします。』『骨折してますね。』え?骨折ですか〰️?『半月板の下の骨にヒビが入って内出血してます。それと半月板にも傷
お風呂ネタ続き。前日の洗髪で欲が出て、シャワー欲に挑戦。でも立位はもちろん、椅子に座って着脱するのも厳しいので、脱衣所の床にバスタオルを敷いて長座の姿勢からスタート。からだは柔らかい方だが、膝がほとんど曲がらないため、脱ぐのも着るのも時間がかかって仕方ない。立ち上がるのも苦痛を伴う一仕事なので、長座のまま腕で肢体を支えて、浴室内まで移動し、腰を浮かせて風呂椅子に着座成功。前に真っ直ぐ伸びて浴室の床に下ろされた左足は、まるで自分のからだから切り離されたような感覚。痛みが走らないよう、慎
翌朝、搾乳の甲斐なくゴツゴツといびつに膨らんだ胸を見て、数か月前に体験した乳腺炎の恐怖が頭をよぎった。運ばれてきた朝食がこのゴツゴツを加速させるかも知れないとも思ったが、午後には授乳できることが分かっていたので、不安を振り払って無心で食べていると、看護師が来室し、「退院のこと聞いてますか。午前中で退院です。」と言った。あまりのうれしさに、痛みも吹き飛ぶかのような気持ちだった。抗生剤投与やリハビリの必要があるため、当初は1週間の入院が妥当と言われていたが、早期に退院したいという希望を聞き
ほぼ予定どおり、2時間半ほどで手術は終了。意識が戻ったときには、病室のベッドの上だった。夫と子どもの姿がぼやけた視界に入り、ニーブレスを装着した左足と膝の上に乗せられたタオルでくるんだ大きな氷の塊が見えた。あぁ、終わったんだと、ほっとしたのも束の間。左足に急激な痛みを感じた。我慢できず、痛い痛いと叫びまくった。ナースコールをして、痛み止めの点滴を入れてもらうと、30分ほど経ってようやく痛みが和らいできた。再び強烈な眠気に襲われた。眠っている間に、執刀医が手術の内容と今後のスケジュールに
術後3か月が過ぎリハビリの頻度が週一から隔週になった。そしてこのころ術後から保育園に預けていた一歳児を自宅で見始めたので時間の流れるスピードがぐんと速くなった。ひと息つく間もなく一日が過ぎていき外来リハビリ直後の反省と決意がというよりリハビリの存在自体が日常から薄れゆきつつある。外来リハビリが隔週になったせいで気持ちに変な余裕ができてしまいテストの一夜漬けではあるまいが直前に少しがんばればリハビリのサボりをどうにか挽回できるかもと本気で信じていて