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宮城県丸森町に、マリア様を奉納している珍しい観音堂があります。マリア観音堂は各地にありますが、ここは、マリア様を擬した像が多く奉納されています。阿弥陀堂(マリア観音堂)「この御堂は、庄司家の氏神であるが庄司氏の先祖、キリシタン武士東海林備後が、観音像に擬した聖母マリアを礼拝したお堂と伝わる。東海林備後は1610年頃から1629年まで十数年にわたって村人に製鉄の技術を教え、それは年貢鉄として仙台藩に納められ、村人は大変潤ったといわれ、その製鉄の跡は、現在でも
目次地元民も知らない泉北の南北朝城跡〜序説〜当シリーズは、中世城郭の魅力を伝えるべく、私の地元である泉北《せんぼく》(和泉《いずみ》市・堺市)に絞って行った、現地調査のレポートを公開する。まずは、和泉市である。北畠顕家の城観音寺城跡●概要・城名:観音寺《かんのんじ》城・築城年:729年-749年(奈良時代)・築城者:藤原氏・改修年:1338年(南北朝時代)・改修者:北畠顕家《きたばたけあきいえ》●比定地・赤田山観音寺:大阪府和泉市観音寺町128・弥生4号公園石碑
夏なので不思議な伝説をご紹介。(過去記事です)※「過去記事」について、改めて言うほどのことではないのですが、過去記事というのは、2019年以前のgooブログに書いていたものですが、gooブログは退会したので読むことができなくなっています。なので、こちらのアメブロに随時のせていくことにしていますので、よろしくお願いします。その中でも霊山は度々登っていた山なのですが、アメブロにはまだ載せてませんでした。写真と共に、伝説を想像してみてください。※霊山(福島県伊達市)
【大阪】週刊少年ジャンプで連載中の『逃げ上手の若君』阿部野神社御祭神・北畠顕家公が主人公・北条時行の兄貴分として現在、大活躍中。今春にはアニメ化も決定し注目されています。【阿部野神社コラボ御朱印】令和6年1月よりいただける『逃げ上手の若君』×『阿倍野神社』のステキな【コラボ御朱印】想定以上の反響で初回予定数は1月2日には終了となったそうです。次回
さて第1部が終わっての来る第2部となる今回の話。出だしがどうなるか気になっていたのですが…ちょっと待ってぇぇぇ!!!今回、完全に逃げ若版『太平記』になっているんですけど!?完全に南北朝のラスボス足利尊氏が主役になっているんですけど!?主人公の時行くんが完全に不在なんですけど!?いやむしろ大歓迎なのが困っちゃった所(苦笑)今回の舞台となる1336年はまさに日本史上でもこれほど凄まじいジェットコースターのような勝者が入れ替わる凄まじい逆転!逆転!逆転!はそうはない。そして何よりも南北朝最
『逃げ上手の若君』公式サイト『逃げ上手の若君』公式サイトwww.shonenjump.com週刊少年ジャンプで連載中の『逃げ上手の若君』(作松井優征)に、今週ついに北畠顕家が登場したそうです!!南北朝時代が漫画化だなんて最高すぎるし護良親王や北畠顕家が個性豊かなキャラクター化して登場するのは週刊少年ジャンプさまさまです早く読みたい一心で、まずはお借りした画像を眺めます♡秀吉の「中国大返し」の倍速で奥州から鬼の大軍を率いて駆けつけ足利
多気北畠氏城館はどうやって行くべきかと結構悩んでいました津市のコミュニティバスがあるのは知っていたのですが、火曜、木曜に数本のみ運行。しかも「一般路線バスが運行していない地域において、日常の移動手段を確保するためにコミュニティバスを運行しています」とホームページに書かれている以前京都で辺鄙な場所あるお寺に行く際にコミュニティバスを利用しようとしたら、地域の住民が優先でこの時間は小学生が乗るからと断られ、数時間先のコミュニティバスになんとか乗せてもらえた事があり、乗ろうとしたらもしかしたら断ら
思いのほかぎっくり腰の回復が遅く、悶々とする中で本日もユーチューブの発見ネタです。1991年の大河ドラマ”太平記”に北畠顕家役で登場する後藤久美子(以下ゴクミ)の中性的な美しさに思わずびっくりしました。彼女は1974年生まれですから大河ドラマ出演当時は17才です。南朝側で足利勢と戦った北畠顕家は20才で戦死していますので年齢的にもピッタリだったと思います。動画は父親の北畠親房(近藤正臣)と久しぶりに再会した場面です。これがが父親との最後の別れとなりました。ドラマの中で北畠顕家は弓の名手として登
暦応2年(1339)、北朝の元号では延元4年の8月。鎌倉倒幕の立役者となるも足利尊氏に敗れ、山深い吉野に逃れて南朝の初代となった後醍醐天皇が、ついに京を回復することなく儚くなろうとするとき、傍らにあったのは第7皇子・義良(のりよし)親王でありました。―玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋ルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望ント思フ…(『太平記』)「わが身はたとえ吉野の苔に埋もれようとも、わが魂は常に京を望んでいるぞ…」無念の言葉を遺して崩御した父のあとを受け、義良親王が即位。人皇第96代、そして南朝第