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ということで福島桜ツアー、相馬市松川浦に宿泊した2日目はまずは宮城丸森町の渓水寺の枝垂れ桜へ向かいましたが、すでに散ってしまっていたので、続いては丸森町筆甫のウバヒガン桜へ行ってきました。場所はこちら。https://maps.app.goo.gl/2ZC2N5iBUv3Fa3qH7宮城丸森町筆甫のウバヒガン桜これは素晴らしい桜ですね。この筆甫のウバヒガン桜も一度観に行きたいと思ってまして、今回やっと満開を観ることができました。ウバヒガンはエドヒガンの別名です。樹齢が300
うたプリ仲間とビッグボーイでお食事会しました✨初めて阿部野神社に行ってきました。この辺りが北畠という地名だとは知ってはいましたが、あの北畠家と関係深かったんですね!感激。逃げ上手の若君コラボの、北畠顕家の切り絵御朱印をいただきました。めちゃくちゃカッコいいです‼︎うちには逃げ上手の漫画本があるので、また読もうと思いました。途中で読むのが止まってました。うたプリ仲間のお一人からは、高級ウーロン茶缶ごと、無料でいただきました!高級ペン立てとピッタリ合うサイズで、カチッとハマるのが気持
皆様、こんばんは。BODYPITKYOTO院長藤崎進一です。明日の営業について大切なお知らせです。4月4日(土)皇紀2686年令和8年丙午一白水星卯月4日誠に勝手ながら、明日は臨時休院とさせていただきます。🧹阿部野神社での清掃奉仕明日は大阪市阿倍野区に鎮座する阿部野神社さんへ、清掃奉仕に伺います。境内を清めさせていただくのはもちろんですが、実はその後の時間が、私にとって最大の楽しみなのです。🎓もはや「極上の授業」!宮司講話清掃のあとに行われる**「宮
阿部野神社⛩️行けばお礼が凄くきた❓前編最初天神様も行きたいし、稲荷様も行きたいし、んーー、なかなか家から出れる日にちないし、と悩みながら。先に安倍晴明神社に行こうかなと、決めていたのに。何故か行き道のところで検索すると、違う方が出てきて、あれ行き方違うなぁと思い、また検索し直そうと思ったのですが。とてもそこにある天神ノ森が気になり、すごく目に止まり、その右横にもしばらく歩いたら阿倍野神社があるとわかり。今日はここな感じがすると思いました。そこの白姫大明神では、白いワタの様な光が、
昨日のことですが3月2日は北畠顕家の誕生日でした。近年、某有名漫画の影響もあり知名度がアップしていますが、昔から南朝の貴公子として人気が高い顕家卿。かなり前のことになりますが、福島県伊達市の霊山に行ったことがあります。こちらは、顕家が陸奥守時代の後半に居城にした場所です。夏の緑がとても美しいところです。紅葉は東北一とも評判だそうです。霊山霊山神社ここのまま終われば穏やかですがね。この霊山神社は明治14年に創建。公家の久我家出身の北畠通城男爵が宮司と
北方謙三さんといえば、ハードボイルド小説が有名でしたが最近では、歴史時代物を多く手掛けていらっしゃいますよね。2月15日から放送中の「水滸伝」も読みごたえのある作品ですが(長編なので時間が取れない。)そんな方にオススメしたいのがコレ↓舞台は、南北朝時代(足利尊氏VS新田義貞・楠木正成)が有名ですがここに登場するのが、戦うお公家様こと「北畠顕家」なのです。もちろん朝廷の臣であるので、新田・楠木方になります。脳筋新田義貞に
南北朝界隈の方々〜昨日は2/16【逃げ上手の若君】完結大河ドラマ【太平記】の4Kリマスター再放送発表4/5〜が同日にありましたね!推しの護良親王、北畠顕家の大活躍が引き続き楽しめます‥アニメ版【逃げ上手の若君】の新シーズンが7月から始まるので、大河【太平記】と同時進行になります。2026年は南朝をたくさん浴びられますね逃げ若は単行本派でしたが久しぶりに少年ジャンプを購入してみました。最終話は大笑いして、伝わってくる熱いメッセージにポロポロ涙しました。逃げ上手の若君最終話より
令和8年1月18日(日)住吉大社から阿部野神社へ向かう。09:40住吉大社を出発する。↓(路面電車、阪堺線住吉大社⇒天神の森)10:00阿部野神社に到着する。阿部野神社は『知恵と勇気と学問の神』として崇敬されている神社である。〈阿部野神社〉西参道。石段を上がると左右には神馬像がある。由緒書き。手水舎。詩歌の道。お茶室がある。旗揚稲荷社への参道。旗上稲荷社の由緒書き。旗上稲荷社。祭神豊受稲荷大神、高倉大明神、白鷹大明神。土宮。祭神白姫大明神。鹿のつがい
涼ヶ岡八幡神社(すずみがおか)福島県相馬市国重要文化財涼ヶ岡八幡神社建武年間に創立し現社殿は元禄8年に相馬中村版5代藩主の相馬昌胤が建立。本社(本殿・弊殿・拝殿)、若宮八幡宮、亀齢車社、随身門など7棟、宮殿(くうでん)6基、本社拝殿の扁額「八正宮」1面が国の重要文化財指定。www.hachimanjinjya.or.jpもう、ここも大好き💖ホント、久しぶりです!現在、涼ヶ岡八幡神社は保存修復工事をしており御社を解体していたり土台の発掘などの状態です随身の神様も修復中で、
BODYPITKYOTO院長藤崎進一です。明日1月18日(日)大阪市阿倍野区に鎮座します阿部野神社へ、清掃奉仕に上がります。今年最初の神社奉仕。そして「あ」から始まる阿部野神社からのスタート。なんだか、それだけでご縁を感じてしまいます。阿部野神社へ初めて奉仕に上がったのは、昨年1月。今回で4度目となり、ちょうど1年の節目になります。この1年を振り返ると、本当に濃くて、学びの多い時間でした。明日は今年の“初陣”。仲間たちとともに、感謝の氣持ちを胸に、静かに丁寧に奉仕してまい
ずっと彩色が変わってるだけで同じ柄だと思ってたけど…違ってたんやというのに気付いたので早速いただきにいって来ました《コラボ切り絵御朱印》−阿部野神社×逃げ上手の若宮−令和7年のバージョン令和6年のversionになりますかな《北畠三社特別御朱印》霊山神社・北畠神社でも色違いの切り絵御朱印がいただけるようです−境内風景−本殿巨大な絵馬
世間が正月気分を脱し、日常へと戻る1月8日。今から690年前の延元元年(1336)の本日(日付かわり昨日)、京都・一乗寺「下り松」には、日本の運命を決する凍てつくような緊張感が漂っていました。九州から叛旗を翻し、圧倒的な軍勢で攻め上る逆賊・足利尊氏。朝廷が比叡山へと遷幸される緊迫の情勢下、楠正成は京の市街で縦横無尽に敵を翻弄し、反撃の機を冷徹に見定めていました。まさに今日、1月8日。正成は比叡山西坂(雲母坂)からこの「下り松」へと進出。奥州から猛追する北畠顕家の精鋭軍と呼応し、尊氏を
おやすみ、悩み糸[久米絵美里]楽天市場1,925円楽天市場で詳細を見るAmazon(アマゾン)で詳細を見るあけましておめでとうございます㊗️行ってきました阿倍野神社⛩️阪堺電車の駅のホームは昔の世田谷線みたい(もはやホームの下に痕跡が残るだけ)、いやむしろもっと原始的。「ここに本当に電車が来るのかな・・・」阪堺電車|暮らしがある。未来がある。ずっと息づく軌道がある。暮らしがある。未来がある。ずっと息づく軌道がある。阪堺電車公式ホームページwww.hankai.co
駿馬ゆかりの社として知られ、飛躍と福を願う人々の信仰を集めています。南朝の忠臣で知略に優れた北畠親房公と、勇将として名高い北畠顕家公の親子をお祀りする神社です。とくに顕家公は、東北から京都へと驚異的な速さで進軍したことで知られ、その活躍から馬との深い縁が語り継がれています。境内入口に立つ神馬像はその象徴として有名で、訪れる人の目を引きます。**************皆さん明けましておめでとうございます今年もよろしくお願い致
来年もコラボ御朱印きた!コラボ御朱印のお知らせ週刊少年ジャンプで連載中の『逃げ上手の若君』(松井優征氏作)に当神社御祭神北畠顕家公が描かれており、宮司のファンレターでご縁が繋がりました。令和6年から授与しているコラボ御朱印ですが、令和8年も授与www.abenojinjya.com
冬が来ましたね皆様もお身体ご自愛下さいませ自転車での散策ももう終了と言うかシーズンオフなのかなと感じて居ましたがチャンス到来!の天気でしたので出掛けてみました(寒いと動けない性分なので)目的地は決めて居ますがそれだけでは物足りないし時間も有るので散策しながら目的地に向かいましたあべのハルカスまで来ましたこの辺りから散策しました北畠公園です北畠顕家卿の墓所と成ります花将軍顕家卿です先ずは拝をさせて頂きました昨年は三重県(伊勢国)の北畠神社に
大好きな小説家はたくさんいまして、北方謙三先生は、そのおひとりです。先日、集英社主催の、北方先生のトークイベントに参加しました。新しい読者からベテラン読者まで、会場は熱気に包まれ、北方先生の語りは軽妙でありながら、ときに日本刀のような切れ味と、いぶし銀のような深みがありました。そして、事前に送った私の質問が読まれて、すごくうれしかった^^//しかも、真摯に答えてくださって…感激のあまり、心でガッツポーズ。一生、つ
中先代の乱の北条時行を主人公にした漫画おもしろい鎌倉末期、南北朝、室町初期ってごちゃごちゃしててイマイチ分かりにくかったけどこの漫画を読むとスッキリやっぱり感情移入すると歴史って分かりやすくなるしおもしろくなると思う北畠顕家、カッコよかった太平記の後藤久美子も見てみたくなった史実的にはそろそろクライマックスか続きが楽しみだけども終わっちゃう寂しさも逃げ上手の若君1【電子書籍】[松井優征]楽天市場460円逃げ上手の若君1(ジャンプコミックス)
三社目の龍神は、霊山神社でした。まずは、霊山の歴史を。霊山の歴史南北朝時代の軍事拠点“霊山城”ここは、南朝の歴史が深い所です。霊山の歴史–名峰・霊山(りょうぜん)mt-ryozen.jp「南北朝の動乱期を迎えると、南朝方の鎮守府将軍・北畠顕家と陸奥太守・義良親王は、霊山の山頂付近に国司館を建設(1337年)します。北畠顕家は奥羽の南朝方勢力と連携し、義良親王を奉戴して上洛するまで霊山を拠点としました。この時期を指して「霊山城」と
皇紀2685年令和7年乙巳神無月11日(土)大阪市阿倍野区に鎮座する阿部野神社へ清掃奉仕に上がりました⛩️今年の1月に初めて阿部野神社へ清掃奉仕に伺い、今回で4回目の皆勤賞(笑)宮司さんのお話が毎回とても面白くて、つい聞き入ってしまいます(^^)こんな先生が歴史を教えてくれたら、今頃歴史学者になってたかも…なんて思ったり(笑)今回はなんと銀杏拾い!最初は「楽勝だな🤭」と思ったのですが、見てはいけない世界が広がっていました😱大量すぎる銀杏、すごい臭い😂ポリバケツいっぱい
大阪市阿倍野区に鎮座する阿部野神社へ、「一万人のお宮奉仕」として清掃奉仕に上がります⛩️この地は、かつて北畠顕家公が足利軍と戦った古戦場。御旅所には顕家公のお墓と伝わる碑が残されています。1878(明治11)年2月、地域の方々の間で「顕家公をお祀りする神社を」との声が上がり、1881(明治14)年1月、政府によって御祭神を顕家公とその御父君・北畠親房公の御両神と定められました。1882(明治15)年1月24日には「別格官幣社阿部野神社」として創建され、1890(明治23)年3
昨日の夜から今朝にかけ、局地的に大雨が降った山形、連日クマ出没のニュースが流れていますが、とうとう寒河江市の小学校や山形市の住宅地近くに出没クマ対策が急務になってきたようですさて、昨日は国指定史跡の霊山の記憶を辿りましたが、その山麓の南北朝時代南朝の指揮官の北畠親房・顕家・顕信・守親を祭る神社にも立ち寄りました霊山神社(2020年11月8日)京都の嵐山から移植と言われる紅葉は「五彩のもみじ」と称賛され、赤・橙・黄・黄緑・緑の彩が見事でしたよ
2025年9月7日、続き。阪堺電気軌道を石津駅まで移動。石津駅から西の道路に出て、石津川を渡ったところに、北畠顕家の供養塔と、石津古戦場跡(「此附近北畠顕家奮戦地」の石碑)があります😢後醍醐天皇の側近北畠親房の子である北畠顕家は、1338年(暦応元年)、足利尊氏の命で天王寺から堺浦に向かった高師直と堺浦で衝突💥顕家軍は善戦したものの、最期は石津で兵200とともに北朝側に包囲され、戦死しました😭古戦場跡の前を流れている石津川。この辺りで戦ったようですが、護岸はコンクリートで
明日、午前中は阿部野神社主催「北畠顕家公を辿る第3弾」に参加させていただきます。歴史に触れる時間は、私自身の心身の整えにもつながる大切なひとときです。午後からは通常通り、BODYPITKYOTOでの施術となります。明日は15時から営業開始ですので、ぜひお立ち寄りください。皇紀2685年令和7年乙巳長月14日(日)BODYPITKYOTO院長藤崎進一BODYPITKYOTO北野白梅町徒歩5分/市バス等持院道徒歩1分🚃駐車場3台完備🚗✨女性も安心して通え
猛暑はいったいいつまで続くのかぁ~。九月だというのに~。いまだモタモタと6月の奥州紀行のレポ中なのだがガマンできなくなった私は八戸根城主・南部師行が故郷からはるか遠い石津の合戦で討ち死した、その地へ一路!ま、考えてみれば、空調の効いたクルマの中がいちばん涼しいか(笑)。奥州の地から北畠顕家に従い、南朝方として戦い討ち死…、故郷から1300㌔も遠い地に眠るそんな純なもののふがいたことを初めて知り、ずっと気になっていた。南部師行は、年齢は不詳とも…。大阪市阿部野区の阿部
阿部野神社は切り絵御朱印ではなく北畠顕家公の二種類の花御朱印を授与されていますが…両方共顕家公の後ろ姿なんです私はなんか違和感ありますねお姫様の御朱印とか御朱印帳なんかも後ろ姿が多いですね何となく理由はわかる様な気がしますが勿体無いというか正面で描いて欲しいですね《阿部野神社花御朱印》北畠顕家公後ろ姿の蘭陵王の舞花将軍北畠顕家公の後ろ姿《境内風景》北畠顕家公像本殿勲之宮旗上芸能稲荷社茶室「中今亭」幸誘う語らい神馬
BSで独眼竜政宗の再放送を見てる。若武者の政宗を、若き日の渡辺謙が演じていて、野心を抱いて天に昇る様が重なる様ではまり役だ。小学生か中学の頃見てたと思うが、独眼竜という異名が格好良くて、好きになった武将。政宗よりも格好良かったのが、片倉小十郎。西郷輝彦が演じて、こちらもはまり役だと思う。やはり名将には名補佐役が居たのだ。懐刀と呼ばれる武将が好きで、軍師は特に注目する。中でも竹中半兵衛の能力の高さが、際立っていた様に思う。半兵衛没後、黒田官兵衛に引き継がれるが、日本統一の一番の功労
日本百名城の一つという八戸根城(八戸市)へ。初見参。資料館前に、築城主で初代城主の南部師行騎馬像。南部師行は、1333年南朝方の北畠顕家が奥州へ下向した際同行してきたという。甲斐の南部氏一族とは知らなかった。城内へは、この東門から。東門を抜けて行くと!広い!これが、城内か?さらに、広い!それでもしばらく歩くと、堀のような、川の跡のような。左手は土塁か。そしてついに正面に本丸が現れる。本丸に入る東門。確かに本丸は高い土塁に囲まれ一段高い位置にある城のようだが。本丸内から歩
多賀城724-大野東人によって創建737-「多賀柵」として初出762-藤原朝狩によって修造780-伊治呰麻呂の乱で焼失802-坂上田村麻呂が討伐869-巨大地震(貞観地震)11世紀前半-国府中枢11世紀後半-前九年の役や後三年の役1181-平泉の藤原秀郷を陸奥守南北朝時代-後醍醐天皇建武政府において北畠顕家らが多賀城へ赴1961-多賀城跡とその周辺の調査
令和7年7月7日に連休があったので、ふと思いたって三重県の2つの続日本100名城に取材してきました。福井県とどちらに行こうか迷ったんですが、去年福井(敦賀城跡、北ノ庄城跡)に行ったので、今回はこちらにしました。あと、南北朝時代に関して、北畠氏に関わる大阪南部の旅をしたので、三重県の北畠氏に関わる史跡に行きたいと思いました。多気北畠氏城館跡は1342年に南朝重臣北畠親房(ちかふさ)の3男である顕能(あきよし)が伊勢国司になり霧山城を作ると、その麓に城館を建てたところです。庭園は第7代国司北