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8/14に妻とチビーズが新幹線で帰ってくるので、家を片付けねば。独りだから散らかってないけど、掃除とか洗濯とかね!そんでもって小田原まで帰ってくるそうなので、車でお迎えに。ただお迎えだけじゃなくオレの腹を満たしたいのもある。小田原ってあんまり日頃からしょっちゅう行く街じゃないので。ワクワク。たいていいつもこの北条早雲公の銅像がある新幹線口の側で待ちます。でもね、パトロールが厳しくて!ちゃんとコインパーキングに停める事にしました。停めちゃえばこっちのものよ!駅前で気になって
「真田丸」で北条氏政(四代目)がわりと大きく取り上げられ、高嶋政伸が小田原城の「北条五代祭り」に招かれて喜んでました。小田原のひとは北条が大好き、と見ました。北条氏が大河ドラマの主人公にするなら、やはりまずは初代の北条早雲を、ということになるでしょう。三代目、四代目は大河の脇役としてはいつも出てきますが、いきなり主役にするのは難しいでしょう。ところが、「北条早雲」を大河の主人公にするというのは、かなり難しい。その理由は1、早雲の前半生には諸説あって、少なくとも「素浪人から出世じた」というド
穂積忠氏は生涯で校歌をどのくらい作ったのでしょうか。死後に纏められた『穂積忠全歌集』には校歌は収録されていないそうですが、才ある詩人の割にはあまり作らなかったようで多く見積もっても10校くらいではないかと思われます。しかも最も活躍していた戦前でも確認できるのは1校、韮山中学校だけです。これは歌・詩作を生業にしていたわけではなく、本業は教師だったからです。旧制韮山中から國學院大学に進学、大学卒業後すぐに長野県の高等女学校の教師になっています。関東大震災で実家のある伊豆に帰郷後は死去するまでそこ
昨夜は、総社駅前の古いビジネスホテルに泊まりました。体が冷えていたので、風呂で暖まり、日本酒を飲んで早くに寝ました。昨日の終了地点、川辺の「スーパーの前」から出発します。ぐっすり寝たので、体調は良いのですが、今日も寒いです。街道筋を進み「二万口」から、右左折する旧道(大曲)へと入りますが、すぐに元の道に復帰します。その先を右折すると「吉備真備」の父親「下道国勝」公館跡や「真備の産湯の井戸」がありました。公館跡は、道路の脇に石碑があるのみですが、産湯の井戸(写真)は綺麗に整
上杉家ゆかりの「七沢城址」に相対するように盛り上がった高台に、(扇谷)上杉定正公のお墓があります。(↑)七沢「徳雲寺」このお寺さんにも何度か訪れていて、やはり一部焼き直しのブログになりますが、ここに太田道灌さんの主人である定正さんが眠っています。(↑)徳雲寺本堂お墓を写すのは遠慮して、その替わりに本堂を写メしました。ちなみに定正さんの墓石は堂々とした立派なものです。(↑)七沢城址案内板上杉定正さん、太田道灌さん、そして北条早雲さん。ともに神奈川県を拠点に活躍
おはようございます。今朝は雨が降っていて冷え込む横浜です。昨日は雲が厚かったものの、小田原あたりは雨も降らないうちに帰宅できました。5月11日何度となく小田原駅に遊びに来ているのに、西口に降りたのは初めてです。北條早雲公像1495年北条早雲が小田原城を攻め、大森藤頼を討つ。道案内に沿って小田原高校を目指します。通称百段坂を登ります。ホームカミングデーを目指す方々にはご高齢者も居られて、なかなかこの階段は難所ですね。以前、フェリス女学院を訪問した際も長い階段に驚いたものです。