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前回までのあらすじ鎌倉の世から、不思議な女性トモミクによって、戦国時代に連れてこられた源頼朝。源氏の血筋である武田家を守る事が軍団の目的と聞かされ、織田、徳川と戦っていた。頼朝は軍団に秘められた多くの謎を少しずつ理解しはじめ、京に上り惣無事令を発出する事を決意した。近江へ出兵し、織田信長の必死の抵抗や筒井家の援軍に苦戦するが、長浜城、佐和山城、音羽城、安土城攻略に成功する。上洛への道筋が見えて来たところで、音羽城に織田軍が進軍しているとの連絡が入った。主な登場
前回までのあらすじ鎌倉の世から、不思議な女性トモミクによって、戦国時代に連れてこられた源頼朝。源氏の血筋である武田家を守る事が軍団の目的と聞かされ、織田、徳川と戦っていた。頼朝は軍団に秘められた多くの謎を少しずつ理解しはじめ、京に上り惣無事令を発出する事を決意した。近江へ出兵し、織田信長の必死の抵抗や筒井家の援軍に苦戦するが、長浜城、佐和山城、音羽城、安土城攻略に成功する。上洛への道筋が見えて来た。主な登場人物源頼朝:鎌倉幕府を開く直前に戦国時代にタイムスリ
北条早雲に扮して忍城を絵にしたひよこさん🐥三層の屋根、破風、狭間もよく覚えて描いたなというのと、松の葉の勢いもなかなか✨
「室町無頼」に出てきた幕府の並び大名たち、クズ揃いでしたが。そのなかで唯一マトモに民衆のことを気にかけていた、「伊勢伊勢守貞親」(矢島健一)。「北条早雲」と一般に呼ばれる人物は、この定貞親と、わりと近い親戚です(この映画の時点で、もう生まれてる、と思う)。早雲は、生前に北条を名乗ったことは一度もありません。息子の氏綱から北条氏を名乗ったので、彼も遡って「北条早雲」と表記されますが。これはあくまで歴史用語、教科書用語です。武田信玄や上杉謙信と同じレギュレーションで呼ぶなら、彼の名前は「伊
前回までのあらすじ鎌倉の世から、不思議な女性トモミクによって、戦国時代に連れてこられた源頼朝。頼朝は軍団に秘められた多くの謎を少しずつ理解しながら、京に上り惣無事令を発出する事を決意する。織田信長の必死の抵抗で苦戦するが、長浜城の攻略に成功する。主な登場人物源頼朝:鎌倉幕府を開く直前に戦国時代にタイムスリップした。価値観が揺らぎながら戦国時代を必死に駆け抜ける。源義経:平泉にて殺害される直前に戦国時代にタイムスリップした。この時代では兄に献身的に尽くす。武田梓:武
小田原に着いたら小田原城へ箱根の玄関口で、駅前も新しいからか、人が多かった意外にじっくり見て回るのは初めてか、かなり久しぶりかもしれないこれは総構という部分らしいゴルフをやっていると、よくこういう傾斜地にボールを打ち込んでしまう北条早雲の像なかなか大河ドラマの題材にならない最新研究の史実と、ひと昔前の成り上がりイメージを並行させて違いを楽しむ、というわけにはいかないだろうか
前回までのあらすじ。鎌倉の世から、不思議な女性トモミクによって、戦国時代に連れてこられた源頼朝。その他にも弟義経はじめ、北条早雲、太田道灌等歴史上の名将たちが戦国時代にタイムスリップして、頼朝と軍団を結成する。義経やトモミク、有能な家臣達と過ごす時の中で、武力による支配を志していた頼朝の中の価値観が揺らいでゆく。頼朝軍団は滅亡の憂き目にあっている武田家を守るために戦っていたが、本能寺の変を起こさずに織田信長を絶命させない事もミッションだったと聞く。ますます困惑する頼朝だったが
莉愛です❤️アセンションと早急な魂の覚醒急がされてるので、記事だけどんどこ先に書いちゃうね〜!※ブログいっぱい書いたからドラマとPVは源義経の魂が入ってる!と騒いでおりましたが、全然武士の話ではないので、私が義経さま!頼朝さま!と騒いだところで、伝わりにくいよね笑笑まだドラマも原作も全部観れてない私ですが笑笑※エネルギーが強すぎて、義経さんの魂がぐわあ〜ってなるのよ笑笑この話を描いた原作者さんの事は書いていいらしい。宇宙レンジャー仲間らしいのでこのドラマの原作者さ
旅行けば~小田原宿第9宿東海道五十三次大磯宿からテクテク🚶♀️➡️👣いよいよ山越え道ですガンバ🔦小田原に向かう途中に大磯町にはプリンスホテル!良いホテルがありついお茶でもしましたので遅くなりました(^_^;)セレブ気分の万分の一を、爺も味わいました(^_^;)さらにこんな素晴らしい文化施設も途中の二宮町に有りましたよ😊徳富蘇峰記念館!素晴らしい
良く見知った岐阜城の一室であった。秀長が鎧を着て、弓を構えている。しかしいつもの秀長と様子が異なる。その先には、トモミクと、卑弥呼がいる。いや、卑弥呼だが、顔は出雲阿国そのもの。しかし秀長は、卑弥呼に矢を放った。次の瞬間、武者が卑弥呼をかばい、秀長の矢に倒れる。倒れた武者は、頼朝自身だった。秀長は力なく膝をつき、恐れおののいていた。トモミクは倒れた頼朝のもとにかけより、これ以上無いほどの慟哭をしている。---夢であった。目
岡山県井原市、北条早雲が修行したという法泉寺へ。そして早雲誕生の高越城へ。戦国大名の先駆けといわれた北条早雲こと伊勢新九郎は「一介の素浪人・野武士」ではなく、れっきとした室町幕府に仕えた伊勢氏の出身で高越城で生まれたという…。かつて読んだ北条早雲一代記の物語は、感動、痛快だった。その印象は強く今でもよく覚えている。■素浪人・野武士だった早雲こと伊勢新九郎は、駿河国今川氏家来の一雑兵からしだいに頭角をあらわし、ついに小さいながらの(たしかマッチ箱のような小さなと)城、興国寺城を手に
1月12日(土)、日帰りで箱根へ行きました。目的は温泉スタンド。最近はまっています。箱根は改めて調べてみると、温泉の宝庫ですね。「箱根七湯」と言われていたり、「箱根十七湯」と言われていたり。温泉スタンドもそこそこあるわけです。和泉の湯へ行きました。和泉の湯は、名の由来となったのが北条早雲だそうで。いかにも歴史を感じますね。アルカリ性単純温泉で、無色透明無味です。日帰り温泉もやっておりますが、本日は温泉スタンドです。鍵をフロントで受け取るそうなので、フロントへ温泉スタンド
「小田原城」北条氏の本拠地として有名です。豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして小田原城を攻めました。「小田原さんぽ」というアプリをインストールすると、ARでバーチャル歴史探索ができます。小田原合戦の時の北条方、豊臣方の武将の陣場の位置がわかります。武将が宙に浮いているのがおもしろい。東京国立博物館などでは有料でヘッドフォンを借りると解説の音声が流れてきますが、小田原城はQRコードを読み込むと無料で解説を聞くことができます。天守閣を実際には
正月の風物詩といえば、羽根つきコマ回しは昔のこと。箱根駅伝が現代のそれであろう。今年の箱根駅伝もワクワクして、見ていて楽しかった。とりわけ5区の山登りは他の区とちがいなにか特別な気がする。今年の青山学院の若林選手の、腕を前方に振り上げて肩を揺らしながら、からだを前へ、というより上へ上へ持ち上げるように走るさまは、かつて碓氷峠をあえぎながら越えた二重連結の蒸気機関車のようにみえた。山登りは、他のコースとはまったく違うものらしい。その距離20.8キロメートル、高低差は800メートルを超
おぉぉ、あの山頂が高越城本郭か。幟旗が立ってる、うーん。さて、クルマでどこまでいけるかだ、それが問題じゃ。井原鉄道線の早雲の里荏原駅前に早雲の石像が、そして北条五代の幟旗が翩翻と立っていた。駅前の横断幕、北条五代の大河ドラマ化運動はここからか。荏原駅から3㌔ほどの、まずは北条早雲ゆかりの法泉寺へ。法泉寺は室町幕府申次衆の高越城主・伊勢盛定が1430年に創建、一子早雲(宗瑞)はこの寺で学び、修行したという。ここにも大河ドラマへの横断幕、のぼり旗‼境内に父盛定と、早雲の墓碑(左
2023年の城巡り、パート20で、同年の登城報告のラストです。興国寺城は、後北条氏の初代である北条早雲の旗揚げの城とされる平山城で、南北に連なる連格式。続日本100名城に選定された国史跡で、沼津市にて整備等が進められているそう。三ノ丸跡を興国寺城通りと名付けられた道路が貫いており、道脇に整備計画の看板が掲げられていました。案内図の様でもありました。道路の南側は、ガードレールが設置されており立入れませんでした。道路の北側で三ノ丸エリアの東寄りの駐車場が設けられており、そこに車を停めて城
静岡県伊豆の国市三福にある郷土資料館に行きました。昨年10月26日から始まった企画展「韮山城と北条氏の伊豆支配」韮山城図韮山城の紹介。発掘調査で出土した遺物。古文書。パネル紹介は分かりやすく、出土品も説明文があるので内容が分かります。『韮山城まつりプレイベントに参加』韮山城まつりプレイベント講演・韮山城ガイドツアーに行きました。二年後に国指定史跡を目指すイベントのようです。手作り兜絵馬を買いました。受付で貰いました。資料韮…ameblo.jp『韮山城伊勢宗瑞生涯の居城』韮
期間:2025/01/7〜01/14天井:100倍率:2倍初回:半額戦)北条早雲:倫道二十一箇射)北川殿:伏龍懐抱戦)甲斐宗運:茶臼の恩讐薬)津田宗及:見巧の宗匠戦)狩野永徳:琴棋書画星3武)朝倉景健:心眼・参星2薬)鹿子木親員:技巧家©コーエーテクモゲームス
小田原雲ひとつない青空と北条早雲像
では、恒例の正月ガチャを見ていこう。先ずは星5覇道者津軽為信さん生命上位2体敵防−60%縦一列味方攻+80%×2T横一列味方防+20%×2Tまあ、通るならという前提はあるが、60%防御弱体を2体というのはやはり強力である。そこに継続攻バフ80%が加わるのだから、強力な攻撃支援効果があると言わざるを得ない。防バフの方も継続効果のおかげでまあまあ強力な壁効果が期待出来る。固有は豪華な三点セット。しかも、本人と噛み合っている。当然消す必要はないし、なんなら移植に使っても良い……
訪問日:2025/1/2今回の青春18切符お城巡りの旅は、2泊3日で「小田原城」「石垣山城」「甲府城」「武田氏館」を訪問します。宿泊地は、小田原と甲府です。先ず青春18切符、金額は据え置きですが、今回より大幅な改正が行われました。改正点としては、・自動改札機が使用できることになったので、出入口での待ち時間が無くなりました。・新たに3日間用が発売、価格は1万円です。・使用は連続3日間または連続5日間に変更、今までのように飛び飛びでの使用ができなくなりました(購入
明けましておめでとうございます!2025年も元気な限り各地を巡りレポしたいと思っています。叱咤激励のコメントを待っています。本年もよろしくお願いいたします。といいつつ実は、昨年暮れからまとめていた「偉人像」が年を越してしまった。2024に出逢った偉人たちの銅像石像です。●相沢忠洋氏像(群馬県桐生市)いちばん懐かしかった人!といえばこの人か。新田義貞の史跡を巡っていて「そうだ、あの人は確かこのへんに!」と気づいてよかった。日本旧石器時代の幕開けとなった岩宿遺跡を発見した納
天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)津軽為信:最北の梟雄戦)三好義興:副王の大器覇)大谷吉継:金蘭の契り薬)津田宗及:見巧の宗匠戦)北条早雲:倫道二十一箇星3武)古藤田俊直:心眼・参射)傑山宗俊:会心撃・弐星2覇)上杉景信:機特効・弐©コーエーテクモゲームス
年が明けて1583年2月、織田信長に対する共闘、包囲網の期限を迎えた。この共闘は武田、上杉、北条が互いに争うことで国力が弱まり、結果織田や徳川に侵略されないための布石でもあった。関東の盟友同士が争わず我が軍と共同して徳川や織田と戦う、そのために同盟を結ぶのは当然、軍団内で改めて織田信長包囲網を形成する事に反対する者はいなかった。上杉景勝に盟主を依頼し、武田勝頼、北条氏政、さらに西で織田と敵対する友好的な大名本願寺顕如、一色義満にも加盟依頼の使者を出す。上杉景勝の大号
大垣城攻略は多くの犠牲を伴った戦いであった。戦場に倒れた兵の数は、どれ程であったろう。一つ間違えたら名将太田道灌、さらに坂田金時、柳生兵庫も失うところであった。大垣城を攻略できたとは言え、凱旋の途についた頼朝の足取りは重かった。---義経、その妻武田梓、頼朝の妻羽柴篠が真っ先に頼朝を出迎える。「兄上、よくぞご無事で!」「この様な体たらく、二度と繰り返したく無いものじゃ。そなたの軍略があれば、このような事にはなら無かった。」「守るも攻めるも容易くはござらん。
こんにちは。今回もまた2024年の振り返りになります。今回は7月編となります。今回もまた、コメントは少なめ&写真は多めで、よろしくお願いします。では、はじめます。≪7月≫【雪舟(雪舟生誕地公園)】【雪舟(総社駅)】【雪舟(井山宝福寺駐車場)】【雪舟(井山宝福寺境内)】【雪舟(井山宝福寺庫裡)】【北条早雲(早雲の里荏原駅)】【北条早雲(西江原法泉寺)】(高越城御城印)【宇喜多直家木像(岡山城天守)】(岡山城天
最近、新聞のローカル記事で、「宇喜多直家・秀家を大河ドラマに」と活動をしている人たちの記事を、よく見かけます。恐らく、こういう活動をしている人たちは、全国各地に、たくさん、居るのでしょう。「地元の英雄、有名人を、大河ドラマに」と、活動をすることで、何か、影響は、あるのでしょうかね。そもそも、大河ドラマの主役を誰にするのかって、誰が、どのようにして決めているのでしょうね。個人的には、この「宇喜多直家」を、大河ドラマの主人公にするのは、今のところは、反対です。なぜなら、やはり、宇喜多
さて、昨日『【信長の野望20✕✕】聖夜の回想(5)』さて、前回『【信長の野望20✕✕】聖夜の回想(4)』さて、昨日『【信長の野望20✕✕】聖夜の回想(3)』さて、昨日『【信長の野望20XX噺】聖夜の回想(2…ameblo.jpの続き。先ずは、星4薬術師黒田如水さんと星4射撃手高橋紹運さんと星4武芸者北条早雲さん吟味済み『【信長の野望20XX噺】聖夜21殿』ここ暫く業務続きで、今週末までずっとその予定なのでいい加減ネタ切れ。そして、聖夜22はまだ数値がわからん。なんで
「ご無事のお戻り、誠に嬉しく存じます。」娘の桜より幼い妻、篠が凱旋帰国した頼朝を出迎える。「義経、櫛橋殿から初陣にも関わらず篠も良く働いたと聞いておる。さすがは秀長の娘、わしの妻じゃと申しておった。」「義経様の軍略、櫛橋様の采配を目の当たりにし、己の未熟さを痛感いたしました。義経様をお助けするどころか、義経様はわが隊をかばいながらのご采配。櫛橋様も私の願いをお聞き届けいただき寄せ集めの兵を束ねられ、随分とご苦労をおかけしてしまいました。私の短慮から多くの兵を失
「兄上がお戻りになられたか!」南信濃遠征軍が犬山城に差し掛かったとの連絡が、小牧山で織田軍の波状攻撃をしのいでいた義経隊にも届いた。天才的な軍略をもって整然と戦う義経隊は兵の損耗を最小限に戦えていたが、櫛橋光隊は出陣時の半分程度の兵となり壊走寸前、太田道灌隊も織田軍の絶え間ない突撃を押し戻していたため相当消耗していた。「間もなく兄上から指示がある。もう少しの辛抱だ!」どれくらい小牧山で戦っているか分からない程に激戦が続いていた。それでも頼朝軍本軍が帰投した事が伝わ