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呪)奈多夫人:九国第一の容呪)片倉小十郎:智略独歩呪)北条早雲:雲行雨施の治呪)細川幽斎:百芸通暁©コーエーテクモゲームス
「百寺巡礼」の第155番は修禅寺です。修禅寺は伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院で、807年に空海が創建したと伝えられ、その後の470年間は真言宗に属しており、当初は桂谷山寺と呼ばれていました。鎌倉時代初期には修禅寺の名称となり、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の長子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家がここに幽閉されたことでも知られています。1250年頃に南宋から渡来した禅僧・蘭渓道隆が訪れたことに伴い臨済宗に改宗されました。その後、1409年の戦乱で伽藍が全焼し荒廃したも
さて…あの丘陵が大庭城跡です。住宅地ど真ん中…笑。湘南・藤沢市の大庭城址公園です、三月位に訪問。■前書いた記事はコチラ『片倉城址公園再訪問。結構、かなり良かった&町田柿島屋で桜肉三昧の巻。』さて…昨年末から始まった呑み城ツアー、、大体、月一、二~三名で土の城が中心です。■前書いた記事はコチラ『続100名城の本佐倉城を訪問。広大な城域はスゴいです…ameblo.jp上は呑み城ツアー企画ですが、大庭城址公園は単独訪問。小田急湘南台駅からバスでした。公園入口…ここもよく整備されてます
みなさまいつも感謝してます😄商店ハッピーマークンです斎藤一人の4月21日のことば出陣の詩「神奈川隊出陣!関東の覇者北条早雲相模の国より援軍」斎藤一人(さいとうひとり)実業家。「銀座まるかん」(日本漢方研究所)の創業者。1993年以来、毎年、全国高額納税者番付(総合)6位内にただ1人連続ランクインし、2003年には累計納税額で日本一になる。土地売却や株式公開などによる高額納税者が多いなか、納税額はすべて事業所得によるものという異色の存在として注目されている。近著は『斎藤一人龍の
2026.4.3(金)この日は、例年臨時休業しています。一人で桜を撮りに出かけました。↓この「龍厳淵」の場所が分かりずらかった。時刻は朝8時過ぎです。多分ここは午後の方が西から太陽が当たって、桜がより明るくなるでしょうね。来年の課題です。↓この緑色の塔が…何ともね。↓東名を東へ向かって、韮山に着いた。静岡県人なのに初めて来ました。桜がジャストタイミング。↓平日ということでしょうか?ガラガラでした。↓しかし、日本人て凄いね。幕末の頃にこういうものを作ってしまう。世界
静岡市歴史博物館において企画展「没後五〇〇年戦国大名今川氏親」が開催されます。日程:2026年4月25日(土)~6月7日(日)時間:9:00~18:00場所:静岡市歴史博物館料金:HPを確認してください今川氏親のことがわかりますよ。叔父の伊勢いせ宗瑞そうずい(北条早雲ほうじょうそううん)の支援を受けて今川氏の家督を継いでいるので早雲の展示もあるかもしれません。詳しくはこちらで没後五〇〇年戦国大名今川氏親|静岡市歴史博物館静岡市歴史博物館は、静岡で育まれた大切な歴史
こんにちは、philosophiaです戦国大名シリーズで読み進めている第5弾は<北条早雲>の続編です。『北条早雲~相模侵攻編』富樫倫太郎著「相模侵攻編」は、伊豆入りを果たし、伊勢新九郎改め早雲庵宗瑞は南伊豆の狩野氏の抵抗勢力に苦戦する。倒したはずの足利茶々丸の生存の噂で不穏な状況が続きさらに、扇谷上杉氏と山内上杉氏の抗争も複雑化し小田原攻めに動くことに…。challenge→change→chanceの精神で!アメブ
小田原石垣山一夜城と小田原城を歩くうめまる号の旅3-小田原城と松原神社-今回は天守閣へ上り、各階の展示を見て摩利支天像を拝観、展望を楽しみ、その後小田原総鎮守松原神社を拝観しました。最後に、小田原駅近辺の繁華街にある「北条氏政・氏照公墓所」で手をあわせ、帰路につきました。■小田原城天守閣へ上る天守閣は1階が入口・・・1階といっても地上からは結構な登り、ちょい大変です。あちこち回って来た身としては結構応えました。2階~5階が展示室で、5階に展望デッキがあります。
こんにちは、philosophiaです戦国大名シリーズで読み進めている第4弾は<北条早雲>の続編です。『北条早雲~悪人覚醒編』富樫倫太郎著「悪人覚醒」は、名将太田道灌が暗殺され紛糾する今川家の家督問題。京から駿河へ下向した伊勢新九郎、戦国の世に名乗りを上げるまでが描かれています。ちなみに、戦国時代の「悪人」と現代のそれとはニュアンスが違います。challenge→change→chanceの精神で!アメブロのペタの
こんにちは、philosophiaです戦国大名シリーズで読み進めている第3弾は<北条早雲>です。『北条早雲~青雲飛翔編』富樫倫太郎著「青雲飛翔編」は、備中荏原郷で過ごした幼少期から都(京)で室町幕府の役人となり駿河でのある役目を終えるまでの知られざる前半生が描かれています。伊勢氏であった伊勢新九郎が北伊豆を治めるようになり出家して伊勢宗瑞と名乗り、鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏と区別するため後北条氏の始祖として後の世に「北条早雲」と呼ばれるようにな
グロックAIとの会話。こちら「平成天皇より沿革からの御内緒の話を聞いているが。Xブログ等で書いているが、北条早雲の受けた御内緒と、天皇家(藤原氏からの)の、違いからどまどった。違い判るか?」グロックAI。「平成天皇(上皇陛下)から直接聞いたという「御内緒」の話は、かなり特殊で秘伝的な皇室の口承や家系伝承に関するものと思われます。あなたがXやブログで見た内容から推測すると、北条早雲(伊勢宗瑞)が受けた「御内緒」と、天皇家(特に藤原氏経由で伝わったもの)の「御内緒」の違いに混乱している点です
「北条早雲」が関東への足掛かりにかかる直前。前将軍の足利義材が幽閉先から脱走したとのニュースが新九郎の耳に入る。この動きが自身の周辺にかき回されるのを警戒した新九郎は、領地奪回すべく伊豆への討ち入りの準備に掛かるが、味方になりそうな連中の腰が据わらない。また、部下の士気も揚がらず、行き詰まる。そんな最中、甥からの助勢という願ってもない天祐が。しかし、新たに別の問題が起こり、新九郎夫婦に暗雲が。いよいよ、戦国時代の始まりとなる早雲のデビューに入る。それにしても、北条早雲と今川氏親
トップページ都道府県別索引へ神奈川県の索引へ主郭北東の高みにいったん登ったあと、外へ出ると一気に下りになる。最初は幅広だった尾根がだんだん細くなり、岩盤チックにもなってくる😨そして鞍部まで来ると…木橋?🤔これは、この城ではよく知られているだろう、堀切を渡る橋。主郭から西へ伸びる尾根上には、こういうのが2本あって、主郭に近いこちらは小さい方。上手い具合に左右に道が分岐していて、橋の下の堀切を間近で見ることができる。南側から北側からこのようすは結構知られているらしい。幅4メ
トップページ都道府県別索引へ神奈川県の索引へ平塚の町から見ると西の方にこんもり盛り上がっているのが見える、高麗山(こまやま)。相模丘陵の南東の端にそびえていて西への尾根続きには桜で有名な湘南平(泡垂山)がありテレビ塔が立っている。その昔、朝鮮半島からの渡来人が上陸する時に格好の目印になっていたのだとか。高麗山城は、この高麗山の山頂一帯に曲輪や堀切などを並べている。永享の乱で上杉持房が陣を敷いた場所だったとか。時代下って永正六年(1509年)には北条早雲こと伊勢宗瑞が、権現山城に蜂起
今週、数十年ぶりに小田原、17〜18年ぶりに箱根を訪れました!「忘却とは怖いもの、いいかげんな記憶だけ残っていた」ことが、小田原で発覚しました・・・。サラリーマン時代、しょっちゅう乗っていた小田急電鉄(新宿⇔本厚木)で小田原まで足を延ばして、新宿から約1時間半。☆箱根まではホテルのバスで、約1時間☆「旅」の感覚は、それほどなくて、「外出の延長」という感じです(笑)小田原駅下車、向かったのは小田原城。☆小田原城と言えば、北条早雲☆駅前の銅像
静岡新聞社・静岡放送主催の、歴史トークショー小和田哲男と鬼頭里枝のおしえて!ニッポンの城・伊豆編の講演会に行きました。戦国史の第一人者の小和田先生は、大河ドラマでの時代考証もしています。一度は、先生の講演を聞きたかったので応募しました。このたびは、2月19日開催の静岡新聞社伊豆トークショー小和田哲男と鬼頭里枝の「おしえて!ニッポンの城~伊豆編~」にご応募いただきまして、誠にありがとうございました。メールがお届けできなかった方がいらっしゃるため、本講演会の受講のご案内を再送させて
泉秀樹の歴史を歩く北条早雲への旅「英雄百首」強敵三浦道寸何か、暑そう…↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
泉秀樹の歴史を歩く北条早雲への旅「北条五代記」忍者・風魔小太郎何か、凄い顔だ….↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
なんども言う。私は日本史は苦手である。世界史は好きだったけど、日本の歴史はどうも好きになれなかった。四文字の人名は読み方を覚えるのが難しくて苦手だ。デザインを美大で学びアパレル業界で活躍?していたわたしはそれでも困るようなことは無かった。そんなわたしが富士山麓に移住したとて、それがたまたま山梨県であったけど、武田信玄のことは何一つ知らなくてもネイチャーガイドとしては自分でもこの仕事は天性なのではないか?と思えた。そんなわたしの2026年2月13日のお話しです。思え
浪人で流れ者だったと言われていた、北条早雲。そもそも本人は北条を名乗っていません。あくまで伊勢新九郎盛時。最近の研究では室町幕府の直臣だったと言われています。8代将軍義政の弟の義視に仕える、申次衆でした。申次と言うのは、作戦を立てたり、外交に関与する軍師にあたります。所謂、参謀役、補佐役でした。伊勢盛継が、室町幕府初代足利尊氏に仕えました。伊勢氏は、代々足利氏に仕えます。駿河太守の今川義忠が遠江遠征中に討死し、後継を巡って争いが起きます。盛時
隅田川の流れる周辺のエリアって今でこそ固められている感がしますが、ほんの数百年は水の力もあってか今よりもゆるい土地だったのでしょうね。🤔🤔江戸の街の発展と共にそういったゆるい感っていうのは少しずつなくなっていったのでしょうが現代に比べたらそのゆるさっていい意味でも、そうでなくても影響を及ぼして難しい事もあったでしょう。その中で人々は知恵を出してそのゆるさと共存していたのでしょうね。🙄😁私この先の今戸神社には何回か参拝しているのですが蔵前駅からそこまで行く途
この日のメインは「油壺」。せっかく三浦半島の横須賀に行くなら。少し足を伸ばして、三浦半島の西南にある「油壺」に行ってみたいと思ったわたし。とはいえ、2024年頃に水族館や温泉施設が閉業となり、何もなくなってしまった油壺。そんなところに、個人的な趣味でかみさんに、行きたいんだと言うのも悪いかな、と思っていたんだけど。かみさんも、実は「油壺」という地名がずっと気になっていたとのこと。では、何も無いけど行くか。ということになった。わたしは1998年頃に、司馬遼太郎の「箱根の坂」を読んで以
2月4日(水)中村豊郎著『砕けて後は、もとの土くれ相模国豪族・三浦一族鎮魂譜』創英社/三省堂書店2015年3月31日発行著者は企業の社長等を歴任し、共立女子大学の教授を務めた方です。ただし、専門は農学であり日本中世史の研究者ではなく、また小説家でもありません。表題が三浦道寸義同の辞世の句の一部なので、三浦氏滅亡の物語かと思いきや、一族の平安時代からの歴史(通史)が綴られていました。(三浦一族鎮魂譜とありますけどね)「討つ者も討たるる者も土器よ砕けて後はも
いつもありがとうございます😊今週末の福山、手しごと市の準備でなかなか外に出れなかったけど😅今日は思い切って出掛けました🚘🎵向かったのは岡山県井原市❗️北条早雲(伊勢宗瑞)の出生の地です😆最寄り駅の駐車場に車を停めて🚘そこから歩いて高越山へ迷わない様にちゃんと道標があります😄この辺りは旧山陽道街道歩きもいいですね🎵おっ!!やっと登山口に来ました🎵椎茸〜🍄🟫いっぱいありました😆😆竹林っていいですね🎵時々、急斜面もあったけど登山口から約20分でのぼりが見えた‼️いざ‼️ラ
期間:2026/02/03〜02/12天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)津軽為信:最北の梟雄戦)三好義興:副王の大器覇)大谷吉継:金蘭の契り薬)津田宗及:見巧の宗匠戦)北条早雲:倫道二十一箇©コーエーテクモゲームス
勝海舟「氷川清話」の119ページに尾張藩について「民政の行き届いた所」のひとつとして評価されていました。※「海舟先生氷川清話」1933年大文館書店出版海舟先生氷川清話|NDLサーチ|国立国会図書館ndlsearch.ndl.go.jp「信長といふ男は、さすがに天下に大望を持つて居ただけあつて、民政の事には、深く意を用いて、租税を軽うし、民力を養い、大いに武を天下に用うるの実力を蓄えたと見え。今尾州に行って、よく吟味して見なさい。常時の善政良法が、今尚歴々として残
相模国が誇る名城、小田原城。福住楼の宿泊前に小田原城を巡り、宿泊後に昨年記事にした大雄山にお参りをしました。と言う訳で、晩秋の小田原城の風景を送ります。◆小田原城◆(国指定史跡・日本100名城)桜で溢れるお堀沿いも晩秋は茜色。水面が空と雲を美しく映し出しています。水面すれすれに枝を垂れる桜。桜の紅葉も味があって良いものですね。もう2ヶ月もすれば、桜のトンネル。お堀を渡って入城します。馬出門二の丸へ続く門で、平成21
うっちーこと宇都宮芳綱です天下鯖の本城主で極選くじを引きました何が引けたかといいますとグッジョブ♪('-^*)/早雲さんならアタリですね通常極じゃなくて本当に良かった殊勲で交換できる極選ポイントは、全て使っちゃったので、つづらから大量に出現しない限り、これが今期最後の極選くじですね早雲さんは素材にするか、あるいは影城主に譲与して使うか迷っているので、とりあえずランクだけは上げておき
街中華1月23日この日は小田原出張でした。ランチはいい雰囲氣の活気のある街中華にいきました。日清亭創業100年を超える老舗中華料理屋です。そのクラシックな佇まいに期待が溢れてきます。湯本の日清亭はこちらの暖簾分けとのこと。チャーシューメン大盛りwith半ライス学生の頃はラーメン博物館に出店するような人気店にばかり行っていましたが、結局は、こういうシンプルな昔ながらの醤油スープが最強です。ランチの後は北条早雲公・・・皇居前の楠木正成公像と並ぶかっこよさを誇りま
北条早雲は元々伊勢新九郎盛時と言う京の足利将軍の重臣だったと言われてる。その北条早雲がなぜ足利将軍の分家である堀越公方・足利茶々丸を倒せたのか?北条早雲は関東に地盤があるわけではないが血統が良い。だから国人領主は従った。でも血統が良いからだけで国人領主が堀越公方を倒そうとは思わない。足利茶々丸が六公四民と言う重税を取り立てていた。当時の百姓は6割くらい茶々丸に納めて、国人領主もそれに少し頂いていた。百姓は困窮し、逃亡する。その悪政で早雲が派遣されたのか定かでは無いが、早雲