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ふたつの狂歌がある。狂歌とは、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五七五七七の音で構成した短歌のことだ。そのひとつが、田や沼や濁れる御世をあらためて清く澄ませ白河の水という歌で、これは汚職にまみれた田沼時代を揶揄し、その後を託され、寛政の改革を進めた松平定信に江戸庶民が期待した歌である。しかし、こんな歌も残されている。白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき期待された松平定信の寛政の改革は、わずか6年で幕を閉じた。厳しい財政改革が経済を停滞させ、文化を廃れさせたこと
穂積忠氏は生涯で校歌をどのくらい作ったのでしょうか。死後に纏められた『穂積忠全歌集』には校歌は収録されていないそうですが、才ある詩人の割にはあまり作らなかったようで多く見積もっても10校くらいではないかと思われます。しかも最も活躍していた戦前でも確認できるのは1校、韮山中学校だけです。これは歌・詩作を生業にしていたわけではなく、本業は教師だったからです。旧制韮山中から國學院大学に進学、大学卒業後すぐに長野県の高等女学校の教師になっています。関東大震災で実家のある伊豆に帰郷後は死去するまでそこ
8/14に妻とチビーズが新幹線で帰ってくるので、家を片付けねば。独りだから散らかってないけど、掃除とか洗濯とかね!そんでもって小田原まで帰ってくるそうなので、車でお迎えに。ただお迎えだけじゃなくオレの腹を満たしたいのもある。小田原ってあんまり日頃からしょっちゅう行く街じゃないので。ワクワク。たいていいつもこの北条早雲公の銅像がある新幹線口の側で待ちます。でもね、パトロールが厳しくて!ちゃんとコインパーキングに停める事にしました。停めちゃえばこっちのものよ!駅前で気になって
では、恒例の正月ガチャを見ていこう。先ずは星5覇道者津軽為信さん生命上位2体敵防−60%縦一列味方攻+80%×2T横一列味方防+20%×2Tまあ、通るならという前提はあるが、60%防御弱体を2体というのはやはり強力である。そこに継続攻バフ80%が加わるのだから、強力な攻撃支援効果があると言わざるを得ない。防バフの方も継続効果のおかげでまあまあ強力な壁効果が期待出来る。固有は豪華な三点セット。しかも、本人と噛み合っている。当然消す必要はないし、なんなら移植に使っても良い……
静岡県伊豆の国市三福にある郷土資料館に行きました。昨年10月26日から始まった企画展「韮山城と北条氏の伊豆支配」韮山城図韮山城の紹介。発掘調査で出土した遺物。古文書。パネル紹介は分かりやすく、出土品も説明文があるので内容が分かります。『韮山城まつりプレイベントに参加』韮山城まつりプレイベント講演・韮山城ガイドツアーに行きました。二年後に国指定史跡を目指すイベントのようです。手作り兜絵馬を買いました。受付で貰いました。資料韮…ameblo.jp『韮山城伊勢宗瑞生涯の居城』韮
神奈川県足柄下郡箱根町湯本:臨済宗大徳寺派、早雲寺http://www.souunji.jp/開祖:北条早雲。建立:北条氏綱。(1521年)ご本尊:釈迦三尊。関東に広く隆盛を誇った戦国大名北条家。(山門)北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏家、五代の菩提寺である。1590年、太閤・豊臣秀吉、天下統一の総決算、小田原征伐の折、接収され本陣地となったところでもある。(中門)数々の歴史的由緒と寺宝を所有する早雲寺。しかし、その敷居は極めて高く、普段は固
当ブログの読者様でも「夢やすらぎ号」と聞いてピンと来る方は、そんなに多くないと思います。「夢やすらぎ号」は、JR九州のデザインでおなじみの、あの水戸岡センセイの作品です。いつの間にか水戸岡信者(!?)になりつつある私が向かったのは井原(いばら)鉄道!岡山県の清音(きよね)〜広島県の神辺(かんなべ)を結んでいる第三セクターの鉄道です。(JR線に乗り入れ、総社や福山にも直通する列車もあります)まずは、先に外観の写真を。JR九州の「いさぶろうしんぺい」や若桜鉄道の「八頭」に似て
上杉家ゆかりの「七沢城址」に相対するように盛り上がった高台に、(扇谷)上杉定正公のお墓があります。(↑)七沢「徳雲寺」このお寺さんにも何度か訪れていて、やはり一部焼き直しのブログになりますが、ここに太田道灌さんの主人である定正さんが眠っています。(↑)徳雲寺本堂お墓を写すのは遠慮して、その替わりに本堂を写メしました。ちなみに定正さんの墓石は堂々とした立派なものです。(↑)七沢城址案内板上杉定正さん、太田道灌さん、そして北条早雲さん。ともに神奈川県を拠点に活躍
2023年の城巡り、パート20で、同年の登城報告のラストです。興国寺城は、後北条氏の初代である北条早雲の旗揚げの城とされる平山城で、南北に連なる連格式。続日本100名城に選定された国史跡で、沼津市にて整備等が進められているそう。三ノ丸跡を興国寺城通りと名付けられた道路が貫いており、道脇に整備計画の看板が掲げられていました。案内図の様でもありました。道路の南側は、ガードレールが設置されており立入れませんでした。道路の北側で三ノ丸エリアの東寄りの駐車場が設けられており、そこに車を停めて城