ブログ記事4,560件
脚本家の「倉本聰」さんがお亡くなりになりました。そういえばこのブログでも何度か氏の作品を紹介してました。やっぱ好きだったんですよね~。版権の関係か倉本さん脚本の作品で配信で観れるものは少ないです。あの「北の国から」でも「FODプレミアム」のようなTV局チャンネルで無ければ観れないんです。ましてや「隠れた名作」の類はパッケージ化されてないものも多いです。これは寂しい事ですね。1978年。渡哲也さん主演のドラマ『浮浪雲』は、倉本聰さん脚本のものでした。桃井かおりさんが、ピン
脚本家の倉本聰さんの訃報をニュースで見て、残念に思うと共に、今年の7月に行った富良野を思い返していました。倉本聰界隈公式サイト「倉本聰界隈に生きる人々による倉本聰の『今』を伝えるサイト」kuramotoso.jp「北の国から」が大好きでした。繰り返し何度も見ていたドラマです。ロケ地巡りをいつか…と思いつつ、念願叶ったのは今年の夏☀️特に石の家で感動したのは、過去記事でも書きました👇🏻『夫婦旅2026①『北の国から』ゆかりの富良野へ』旦那が定年退職してから、毎年今くらいの時期に少
こんばんは、mmm(まーママ)です。初めての北海道旅行にあたり、たくさんの方のブログを参考にさせていただきました。おかげさまで楽しい旅ができました。感謝申し上げます。引き続き、「北の国から」の五郎さんの家を巡ります。黒板五郎の丸太小屋北海道富良野市東麓郷麓郷の森丸太小屋この建物は連続テレビドラマ「北の国から」(1981年10月~)の中で、五郎さんがシリーズ17話からコツコツと作り上げ、最終回(24回)で完成した丸太小屋だそうです。
きょうの表題、今から28年前(1998年)の公共広告機構(現・ACジャパン)のCMのフレーズである。『森のニングルが消えた星』シリーズで、原生林の減少に代表される環境破壊を、静かに、重く問いかけている。そのCMのナレーションは、倉本聰(くらもと・そう)氏。言わずと知れた、TVドラマ『北の国から』の生みの親である。参考までにこちらを。ニッポン放送社員時代に脚本家デビュー。1963年に独立。その14年後から、北海道・富
脚本家倉本聰さんが亡くなった。ご存知歴史的人気ドラマ北の国からの作者・脚本家である。お台場にあるテレビ局が全盛期の時代にテレビドラマ史上不朽の名作を残した。⬇︎麓郷の黒板家(写真はnetからお借りしました)僕もこのドラマに少なからず影響を受けた。五郎さんに憧れ、度々ドラマの舞台である富良野を麓郷を訪れた。そして「いつの日か、山の中でこんな丸太小屋に住んでみたい」と思ったものである。それが今の森の丸太小屋暮らしに繋がっているのは言うまでもない。⬇︎僕は黒板五郎になりたかった『黒板五
倉本聰さんがお亡くなりになりました。数々の名作ドラマの脚本を書かれてました。書かれてましたと言うのも私はあの名作【北の国から】を唯の1度も見た事がない!何故か見てないんです(汗)テレビドラマはほぼ見ない呑んだくれなんです(;ŏ﹏ŏ)今日も1日雨が降り続く宝塚明日から太陽が顔を出してくれます!南川も明日から晴れマーク金曜日には行けそうです!朝飯は塩鮭の焼いたんがんもどきの炊いたん中はトロトロネギと鰹節の玉子焼き作り置き最後のかぼちゃの炊いたん茄子
倉本聰さんがお亡くなりになりました。お悔やみ申し上げます。麓郷の森🌳何回通ったことか。富良野演劇工場では、倉本聰さんのお話を聴きにいきましたーもっとお話が聴きたかったな…演劇を観た後、サインをいただき、握手してもらったことは良い思い出でした。ありがとうございました。またドラマ、見直します📺
脚本家の倉本聰さんが9月18日に91歳でお亡くなりになっていたことが公表されました。今朝の朝刊の1面に訃報を伝える記事が出ており、その見出しは「脚本家『北の国から』」とあり、世間的には『北の国から』が代表作ということなんでしょうが、僕は『前略おふくろ様』が一番印象深いドラマでした。ということで、当ブログ2022年4月16日に書いた「『前略おふくろ様』における、ショーケンと倉本聰さん」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログで、田中
お亡くなりになられたのですね。北海道民は間違いなく、大きく影響を受けた方が多かったのではないかと思います。私自身、プロデューサーとはどういうものなのかということや、脚本とは、演出とはということが、倉本聰さんという存在によって覚えたような気がしています。その凄さたるや、言葉では言い表せません。日本の財産だったと思う。「北の国から」が放送になる夜には車が殆ど走っていなくて、街がシーンと静まり返っていたものです。ちなみにそれはスペシャルドラマの頃でリアルタイムでは純くん達と同じ年頃
今月はじめの北海道旅。いつもは旭川〜名寄で終わる帰省旅だけど今回はたまたま富良野や占冠まで足をのばして旭川から富良野へ向かい「北の国から」の舞台を訪ねたり五郎の家を見たり、ゆかりの駅に立ち寄ったり富良野プリンスホテルでは「優しい時間」に登場するカフェにも行ってきました。そんな旅を終えたばかりのタイミングで倉本聰さんの訃報まだ旅の記事もこれからですが一足先に今回訪れた場所を写真で振り返ってみようと思います新富良野プリンスには「北の国から」フォトギャラリー
倉本聰さんがお亡くなりになりました。『北の国から』が大好きでした。昨年、富良野プリンスホテルに泊まったのも、『北の国から』に触れてみたかったからです。ご冥福をお祈りします。さてさて、昨日のお昼ごはん♪こちらで💁♀️手軽で美味しい✋晩ごはん♪お魚屋さんの美味しい、鳥取県産ひらあじ鶏もも焼きしめ鯖昆布締め千葉県産はまぐり茅乃舎だし阪急電車の広告阪急マルーン色は知っていたけど、シートはゴールデンオリーブ色って言うのですね。今日、仲の良い妹が手術を受けます。少し離
食堂のテレビから聞こえてきた倉本聰先生の訃報…。『北の国から』の順や蛍と同年代で毎回楽しみに観ていました。北海道の広大な景色や動物たち、心身ともに癒していただきました。ご冥福をお祈りします。ー・ー・ー・ー・ー・ー・ーさて、、先週からお休みをしていた同僚に貰った京都の土産まだまだ暑かったそうです京都は、中学校の卒業旅行で行った以来で遠のいてる。もうすぐ、紅葉で綺麗だろうな…お茶と一緒にいただきます…。
倉本聰さんがお亡くなりになりましたね。ニュースを見てしんみりしています。若い方はご存知ないかも知れませんが、【北の国から】は大大大好きなTVでした。ジュン役の吉岡秀隆さん、ホタル役の中嶋朋子さん。本当に上手な子役さんでした。舞台となった富良野にも行ったな👣今年もまた行って来ました✈️あの時を思い出させてくれる場所。素敵な物語をありがとうございました。さて…今日は権利付き最終日。今まで配当とかを気にしませんでしたこれも伸びない原因でしたね。今は高配当の銘柄も持ったので、今日の
昨日のブログで『北の国から』から北海道一人旅そして、人生の方向転換へこのことを書きました『北の国から』の私はどこに魅せられたのか既存の価値観とは真逆の生活の中で改めて生きるということを淡々と描いています地道に生きる人々不器用に生きる人々その中に社会問題も恋愛も親子の情愛も道徳心も正しいと言われている生き方だけではなく弱い人間の心、業も描いています語り始めたらきりがないくらいの魅力満載たくさん名シーンがあるのですがその中の一つ
訃報がやけに身に迫る年齢に近づいてます。倉本聰さん、ご冥福をお祈りいたします。で、泣ける北の国から・・・は、たくさんあり過ぎますが、勝手に3つ選んで。・大地康夫さんが、子供たちに五郎が生き延びたのは、運じゃない・・あいつが自分で生きたんだってシーン・古尾谷雅人さんのトラックドライバー。純を乗せてもらうために五郎が用意した万札に土が付いてて・・「受け取れんから、取っておけ。お前の宝にしろ」に涙腺崩壊・地井武男さんの、降板を申し入れても演じた中畑のおじさんの涙、なんと実生活が被
しんどくなると見たくなるのが「北の国から」シリーズだ。初めて見たのは大学生の時。その時にはもうすでにリアルタイムでの放送は終わっていて、何故観ようという気になったのかは忘れた。確かあの時はモーレツな勢いで片思いしてた子に彼氏ができて死ぬほどへこんでいた。私は近所のTSUTAYAでDVDを借りて引きこもり、3日くらいで一気に見た。そして10年くらい前にも、DVDを借りて一気見をした。あの頃も仕事に悩んでいた。当時はもう社会人だったので引きこもることは出来なかったが、睡眠時間を削って
昨日は「北の国から」スペシャルコンサート(東京国際フォーラムホールA)に行きました。このコンサートは北の国から放送開始から45周年を記念したコンサートで、さだまさしが出演すると言うことで5月の当ブログでは注目しておりました↓。『「北の国から」スペシャルコンサート』「北の国から」はテレビドラマの中で最も衝撃的で、筆者にとっては金字塔ドラマであります。連続ドラマからスペシャル版まで合計5回以上は観ました(昨年8月の連続ドラ…ameblo.jpステージには弦楽、ギター、ピアノ、マリンバらのバンド
※このブログを読むにあたり、出身地・現在地などの場所の詮索はおやめください。個人情報の侵害になりかねませんので。(富良野市麓郷石の家)『北の国から』の出演者がどんどん天に召されました。少し前には田中邦衛さん。その前なら、大滝秀治さん、地井武男さん…岩城滉一さん(おっと、これはドラマの中の話だった。本人はいまもご存命!)そして、原作・脚本の倉本聰先生が先頃天に召されました。いまは、故人の冥福を心よりお祈りします北の国からVol.1[田中邦衛]楽天市場『北の国から』
脚本家の倉本聰さん死去人気ドラマ「北の国から」の脚本で知られる脚本家、倉本聰(くらもと・そう、本名=山谷馨=やまや・かおる)さんが9月18日、多臓器不全のため死去した。91歳だった。告別式は近親者で行った。理事長を務める「倉本財団」が発表した。東京生まれ、東京大卒。1959年ニッポン放送に入社し、63年に脚本家として独立。主にテレビドラマを手掛け、77年北海道富良野市に移住した。富良野を主な舞台にした「北の国から」は81年の放送開始から2002年まで続く人気シリーズとなった。故
普段はほとんど見ない朝のワイドショーをつけていた。倉本聰さんのお話があるかと思って・・さだまさしさんの歌声が流れた時・・・急に涙が・・・。大好きなドラマばかりだった。⭐風のガーデン⭐も好きだった。登場する花の中で特にカンパニュラが好きで、熱海のマンションの植え込みに植えたりした『カンパニュラが咲いた。』カンパニュラがどんな花だったか覚えてなかったけれど、ドラマ”風のガーデン”で流れてた曲は覚えてた。娘からの”母の日”のプレゼントの花の苗の中に入っていて、咲く…ameb
脚本を書き始めた頃の倉本聰さん脚本家の倉本聰さんがお亡くなりになりました「北の国から」など数多くのテレビドラマの脚本を手掛けられその数々のドラマはどの作品も面白く忘れる事の出来ない作品です日活映画ファンであり舟木一夫ファンのさすらいは今回余り知られていない脚本家デビュー当時の日活映画での倉本さんの作品を取り上げてみますニッポン放送に入社した倉本さんはペンネームの倉本聰名で脚本を書き始めます最初の作品が日活映画「現代っ子」です鈴木やすし・中山千夏・市川好郎3人の兄妹の話でした
北の国から富良野富良野塾北海道旭川のチカちゃんのお写真お借りしました〜朝もや倉本聰さんが亡くなられました最近91歳で亡くなる方がおおいような・・・いつの事でしょうか「北の国から」を見ていた訳では無いのですが田中邦衛さんの役のお家を見た事があるんです、行ったんです〜いつの事か全く覚えていませんが北海道です母と寝台列車で行った北海道(子供達はどうしていたのかしら?覚えて無いの)最近思い出せないのは歳のせいにして良い事でしょうかね〜「安らぎの郷」は好きでした
北の国から草太兄ちゃんの壮絶な最期と真実!今明かされる制作秘話北の国から草太という男の生き様は、いまなお人々の胸を強く締めつける。富良野の凍てつく雪原に刻まれた数々のドラマにおいて、彼ほど野心と挫折、そして無償の愛を剥き出しにして生きた人物は他にいない。脚本家・倉本聰が創り上げたこの破天荒な青年は、単なる脇役の枠を軽々と飛び越え、作品の精神的支柱として昭和から平成の日本2026-08-19T21:32:12+09:002026-08-19T21:32:12+09:00https
倉本聰さんが18日に亡くなった、との訃報が入りました。昼休みにニュースを見て、まるで雷に打たれたかのような衝撃が。…あ、窓の外で雷が鳴っておったわ。そんな雷混じりの暴風雨の中、倉本さんの訃報を知ったかものはし。田中邦衛さんが亡くなった時に、そろそろそういう時も来るのかな、と思ってはいたけれど、ついに来てしまったのぉ。『北の国から』ファンだったかものはし。北海道に来るきっかけの一つに、このドラマはあるからのぉ。特に『’87初恋』が好きだった。何度あれは見返したものか。
よく働いた9月のある日この日は名駅近くで仕事早く終わったのでこちらJR名古屋タカシマヤ10階催会場昼食麺屋大地14時00分写真撮って並ぶ並ぶ並ぶ列の途中でアナウンス限定売り切れました食べようと思ってたのそれでも並ぶ並ぶ並ぶ14時35分着丼「麺屋大地」王道の札幌味噌ラーメン札幌の人気ラーメン店「らーめん景虎」「らーめん信玄」10年間の修行を経て独立されたそうです
中嶋朋子さん中嶋朋子(なかじまともこ)本名:西村朋子(にしむらともこ)1971年6月5日生まれ、55歳。東京都出身の元子役、女優、ナレーター、エッセイスト。砂岡事務所所属。夫:西村俊範(1998年~)2歳で子役デビュー。1975年、劇団ひまわりに入団。1981年10月9日~1982年3月26日、フジテレビのテレビドラマ『北の国から』黒板蛍役を演じ、人気を博す。原作:倉本聰脚本:倉本聰出演:田中邦衛、吉岡秀隆、中嶋朋子、原田美枝子、岩城滉一、地井武男、
昨日から東京出張だったのです。そして、今日は休暇をつっくけて母の通院に付き添ってきました。なんだか小さなトラブル続きで。まず、駅で切符を買おうとしたら特急の指定席が「満席」でした。次の便も完売。そして、小淵沢駅で何かあったらしく、中央線の上り列車は遅延していたので、普通電車で向かいました。どうなるの〜高尾行のコンパートメントでは、向かいの若い子の具合が悪くなり、大月駅の手前でゲロ吐くし。高尾駅で「遅れるかも」とメールを打って、快速東京行に乗り換え。立川駅
1最初の家2丸太小屋33番目の家44番目の家5石の家6雪子の家7正彦とすみえの家8純と結の家〜2002年「遺言」でドラマは終結しているが、この家は2004年に完成しているため、実際には使用されていない。各家の内部の詳細は、次ページに続くこの歴代の家にあっては、もう昔の話なのですっかり忘れていました。ネットを検索した結果、とても良くまとめられたサイトがあったので参考にさせていただきました。下記のブログです。とても良くできたサイトなので、これから「北の国から」エ
今日は、第8話で布部駅がでてきました。「北の国から」で黒板一家が最初に降り立った駅として有名なJR根室本線の布部駅(ぬのべえき)は、ドラマの象徴的な場所ですが、2024年3月末の根室本線富良野~新得間廃止に伴い、駅としての役割を終え、2024年4月1日をもって廃止されました。現在は無人駅で、駅舎には倉本聰氏直筆の看板が残るものの、今後の維持管理が課題となっており、保存活動も行われています。
旅のチカラ×プロジェクトのなぎです旅の話をゆっくりできる時間を定期的に作っていこうと思いますご興味のある方はブログチェックしてね!(次回は9月予定)昔は夏のトウモロコシとスイカは食べるとお腹を壊すので最近まで食べていなかったのですが熊本の春スイカにハマりスイカを積極的に食べるようになりスイカ好きと勘違いしたオット千葉県産のスイカを買ってきた品種は「ブラックジャック」これを選んでくるのがねぇ食べたら美味しいか、また報告