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こんにちは♪みよしピアノ教室です。4月24日我孫子駅前カフェ「すみれ88」で行われるうたぱれっと「みんなで楽しく歌いましょう」の4月の歌をご紹介します。第13曲目は「琵琶湖周航の歌(小口太郎作詞・吉田千秋作曲)」です。この曲は、日本の学生歌の一つで、琵琶湖の風景が歌われています。1971年に加藤登紀子がカヴァーしたレコードが大ヒットしました。みなさんで懐かしい歌を一緒に歌いましょう♪🎶みんなで楽しく歌いましょう🎶『【我孫子市】うたぱれっと「みんなで楽しく歌いましょう」ご案内~4月
ジャック・ブレルの「愛しかない時」は、日本でもよく歌われています。けれども、戦争のことを歌っているというのは、あまり知られていません。その理由は、訳詞にあります。例えば、ムッシュこと矢田部道一さんの訳詞は、以下のとおりです。私たちの遠い旅路に愛しかないその時には二人だけの愛を信じ手をたずさえ生きて行こうこの世界を清めるにも愛しかないその時には輝かしい陽の光を雲の中に見つけだそう暗い道を照らすものが愛しかないその時には私たちの遠い旅路に愛しかないその時にはそ
▶︎2025/4/5(土)【TOKYOMX開局30周年記念】加藤登紀子コンサート〜歌でつなぐ100年〜[Open/Start]15:15/16:00[会場]東京国際フォーラムホールC(東京有楽町)加藤登紀子-vocal告井延隆-guitar鬼武みゆき-piano早川哲也-bass渡辺剛-violinスペシャルゲスト歌手-水谷千恵子ミッツマングローブ麗しのピアニスト-五条院凌(イベント・ヒット曲の数々)
便りがないのが元気な証拠ですが、ブログを書く時間が持てません。・(つд`。)・。昨日はお休みでしたが、身体中が痛くて、起き上がるのも辛く、ずっと寝て過ごしました(+.+)(-.-)(__)..zzZZ普段から寝ない方ですが、自ら寝ないのと寝る時間がないのとでは、同じ睡眠時間でも睡眠の質が全然違いますヾ(´д⊂*)1日寝ても疲れが取れないので、職場のグループラインに弱音を吐いてしまいました。・(つд`。)・。仕事の愚痴はたくさんありますが、書いてたらキリがない(ノД`)…多忙な中
ぶーやんが、加藤登紀子さんのYouTubeに招待されて、非常にお行儀よく可愛く存在しておりました。おトキさんは、ぶーやんと44歳違い!ということは、80歳なんですよ!なんてファンキーなの80歳でこのファンキー尊敬かっこいい!SUPERBEAVERに非常に興味を持って頂き、研究して調べ尽くしたとなんて素敵その中で、笑ったのは、ぶーやんのMCに対して、「ほんとに理屈っぽいよね笑♡」っておっしゃっててやなぎの歌詞をみても、柳沢くんも理屈っぽいよ
「居酒屋兆治」(1983)居酒屋を営む健さんと取り巻きの人たちのエピソードを綴った映画をAmazonプライムビデオで観ました。初見。監督は降旗康男。予告編はコチラ。函館で『兆治』という名の居酒屋を営んでいる兆治こと藤野英治(高倉健)と妻の茂子(加藤登紀子)。会社の方針に反発して脱サラした兆治は不器用で、マジメで、実直。いつもの健さんです。兆治には、前途有望な野球部のエースだった高校時代や、幼馴染のさよ(大原麗子)と結婚寸前まで行った若き日の思い出があります。さよは牧場主神谷
===================岡林信康さんの「手紙」を聴くと、とても複雑な気持ちになります。1960年代に「山谷ブルース」や「友よ」などを歌い、「手紙」も含めて、放送自粛歌となりました。そしてある年のメーデーの時、メーデーは二つの政党で対立していました。私の所属している労働組合は、わたしとは対立する考え方のメーデー会場でした。ただ、参加してデモが終わればすぐ帰れるということと、わたしを認めてくれている人たちのためにも参加しました。その会場の中で、山谷の労働
加藤登紀子(かとうときこ/本名:藤本登紀子/1943〈昭和18〉年12月27日~)は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。1943(昭和18)年12月27日、満州ハルピン生まれ。実父は南満州鉄道勤務だった。敗戦後に母の実家がある京都に引き揚げ、小学校、中学校は京都で進学した。中1の夏に父の仕事の関係で東京都世田谷区へ転居、世田谷区立桜木中学校へ転入した。この時、京都との違いにカルチャーショックを受けたが、6歳上の兄
4月5日(土)TOKYOMX開局30周年記念公演「加藤登紀子コンサート歌でつなぐ100年」東京国際フォーラムホールC16:00開演旦那と行ってきましたよ♪加藤登紀子サンのコンサートって敷居が高い感じがしてディナーショーじゃないけどGパン👖はダメとか観客はお洒落マダムがいっぱい…みたいな😅笑なので行こうと思った事がなかったんだけど😅『5時に夢中』という番組の金曜日のゲストに加藤登紀子サン&五条院凌サンが出て珍しいと思ったら加藤登紀子コンサートの告知だったんだけど😅そ
一昨日の日本経済新聞の別冊紙面「プラス1」で、『何でもランキング:飲んで知ってお酒の博物館』と言う特集記事に注目しました!そして、思いついたのが、「CMソングとのコラボ」です(^^♪今ではほとんどお酒には縁がなくなったお父さんですが、そう言えば、一年くらい前に?買ったウィスキーがわずかに残っているだけで、家に冷蔵庫にもビールは冷えていません(笑)☆バーボンウィスキーがお気に入りでした(笑)☆➡ビンの底に僅かに残っています・・・。旅先で酒造会社の「試飲コ
高校の頃によく読んだ遠藤周作の随筆から、さらに思い出をたどれば…………私がこの人の文章はカッコいいなぁ……ってはじめて思って文章を読んだのは高校2年生の時で、その文章は小説家のものではなかった。歌手の加藤登紀子の文章だった。私がテレビの中の人で「この人、東大なのか……」ってはじめて見た人はやっぱり加藤登紀子だと思うが、別に加藤登紀子が東大を出ていることと文章のカッコ良さはまったく無関係である。(笑)加藤登紀子の随筆をはじめて読んだ時、高校生だった私の頭に
昨夜、ボケーとテレビのBSの歌番組を見ていたら懐メロ特集をやっていて、戦前の歌がけっこう流れてきた。その中のひとつに思わず身を乗り出した。東海林太郎と小笠原美都子のデュエットで「琵琶湖哀歌」。「琵琶湖哀歌」は1941年(昭和16年)6月に発表されている。作詞、奥野椰子夫。作曲、菊池博。その年の4月に琵琶湖で遭難し命を落とした第四高等学校(現、金沢大学)の漕艇部の11人に捧げる形でこの歌が作られたという。滋賀県に生まれ滋賀県に生きる私はもちろん「琵琶湖哀
「【中森明菜出演】2024.12.15放送「中森明菜のオールタイムリクエスト」ニッポン放送」S12880・松山千春DATABESE総合OPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2024.12.11初稿V1.1:2024.12.15放送内容を反映『●随時更新~最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧(A1319)』「最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧」S11319・松山千春
YouTubeにて公開しました。ジブリ映画「紅の豚」でジーナが歌うシャンソン♪LeTempsdescerises黒のドレスが似合うジーナ、それに見惚れる海賊たち。当時子どもながらあのシーンは本当に魅了されたなぁ。FF8のJuliaもそうだけど、お酒をゆっくりと嗜みながら仕事で疲れた人たちを自分の演奏で人を癒せたら...と思うきっかけになった作品の一つです。紅の豚では加藤登紀子が歌っていて原曲よりもちょっと短いバージョンですが、シャンソンの色気やかっ
中村哲さんの葬儀が昨日行われました。ネパールでの岩村昇さん、パキスタンやアフガニスタンでの中村哲さんの活動は、又三郎にとって尊敬でもあると同時に、憧れでもありました。葬儀のニュース映像からは、全くわかりませんが、中村哲さんは、クリスチャンでした。彼のそのバックボーンを取り上げた、報道はほとんどなく(それでいいのかもしれません。大事な脊椎は他者には見えないのですから。)加藤登紀子さんが、語っていたくらいでした。とても印象に残っているのは、2009年のクリスマスイブに「じゃあ哲さんに電
琵琶湖周航の歌(びわこしゅうこうのうた)は、日本の学生歌の一つで、琵琶湖および周辺地域を題材とした、滋賀県の御当地ソングの一つ。1917年(大正6年)6月28日成立(作詞小口太郎、作曲:吉田千秋)。琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われる曲である。歌詞は全6番からなり、表紙は8分の6拍子である。第三高等学校(三高。現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員の小口他党による詞を「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて初めて歌われた。その後この歌は、三高の
「この空を飛べたら」(1978)は、加藤登紀子さんのヒット曲。当時のテレビドラマ『球形の荒野』の主題歌だったそうだ。詞・曲はもちろん中島みゆきさん。みゆきさんご自身も、この翌年アルバム『おかえりなさい』の中でセルフカバーしている。ここはお登紀さんに敬意を表して、お登紀さんのバージョンをご紹介しておこう。この歌は、別れた人への未練が断ち切れず、もし「この空を飛べたら」、あの人が戻ってくるのではないか、という歌である。リフレインでは「♪ああ人は昔々鳥だったのかもしれないね/こん
【竹田の子守唄】作者不詳編曲:早川博二-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be~竹田の守り子唄原曲~京都・竹田地方の悲愁を歌う守り子唄※原曲の後に、赤い鳥の『竹田の子守唄』が続きますこの曲は長年大分県の竹田市の民謡と思っていましたところが実は京都市伏見区竹田に古く
歌手・加藤登紀子さんが歌い昭和46年(1971)にヒットしたカバー曲『琵琶湖周航の歌』が生まれて今年で100年を迎えた。これを記念して某旅行会社が企画した周航の歌にゆかりの歌碑をめぐるツアーに参加した。歌碑がある全6ヵ所(三保ヶ崎・雄松崎・今津港・竹生島・彦根港・長命寺)をバスと遊覧船でめぐる1日ツアー。その記事を前編(三保ヶ先・雄松崎・今津港)と後編(竹生島・彦根港・長命寺)の二回に分けて紹介します。□琵琶湖周航の始まりとコース琵琶湖は滋賀県の面積の約六分の一を占め、その湖岸の総延長は
劇作家でもあり小説家でもあったつかこうへい。つかこうへいも私と同様に大の飛行機嫌いであった。「飛行機の機長だって人間だから、前日に奥さんと殴りあいの喧嘩をしてるかもしれないし、愛人と妻の間でもめにもめてる真っ最中かもしれないし、車でも初心者マークがあるようにそのたまたま乗った飛行機の機長が初のフライトってこともあるだろう…………そんなふうにちょっと想像してみるだけで、もうとてもじゃないがあのぶっそうな飛行機になんて乗れない……」つかこうへいはある時、こんなふ
空自戦闘機が中国艦を攻撃台湾有事を想定した日米共同演習の内容以前にもブログに書きましたが。。台湾有事を想定した日米軍事訓練がここまで具体的に計画されそして現実に実施されてる事を見て日本国民はどのように見てらっしゃるのでしょう。。自公政権は(国民民主党・維新の会も同じ)いたずらに国民に危機感を持たせ防衛予算の必要性軍事力強化の必要性を訴え、正当化しそして一番の問題は中国に対して宣戦布告しているのと同じくらい緊張を高めている!!本当に日本は
済州島4・3講演会と加藤登紀子さんコンサートに行ってきました済州島4・3とは1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、軍警による武装鎮圧の過程で島民の10分の1にあたる3万人が犠牲になった事件。米軍政下の済州島で1947年3月1日、日本の植民地支配の遺制や警察、右翼青年団の暴力、特には朝鮮半島の分断の固定化につながる南での単独選挙に反対し自主独立国家の樹立をとなえる「3・1節記念大会」が開かれた。このとき、警察が群衆に向けて発砲、6人の、死亡者が出る事件が発生。