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ZUZU物語(1/2)~安井かずみがいた時代編年体~から続く加藤和彦1975年12月、そんな彼女の前に加藤和彦が現れる。安井のエッセイ集『TOKYO人形』出版記念パーティーに出席したのだ。加藤は11月に離婚したばかりで、失意の時を過ごしていた。離婚を聞いた安井は「しめた」と思い、「明日、電話してください」と囁いた。実は70年代初め、安井は加藤和彦と出会っている。しかし加藤は福井ミカと結婚していた。加藤は売れっ子のバリバリで、カラフルなアフロヘアで、アバンギ
吉田拓郎が"音楽の師匠"と呼ぶ加藤和彦との出会いから生まれたヒット曲[結婚しようよ]2人が初めて一緒の仕事したのは、1972年の秋、拓郎のアルバム「人間なんて」のレコーディングだった。拓郎がブレイクするきっかけとなった。エポックメイキングの曲「結婚しよう。夜は加藤がプロデューサーを務めてアレンジを務める。スタジオワーク全てを取り仕切った」詳しくはこちら>>映画「トノバン」はそろそろ詳細を発表してもいい頃ですね?
島崎今日子著『安井かずみがいた時代』。この本は、今は亡き安井かずみ加藤和彦夫妻と交流のあった26人へのインタビューをもとに、その人間像に迫ったドキュメントです。さまざまな関連資料をベースに、夫妻の近親者や友人知人からの貴重な証言を加えた、筆者渾身の快著です。島崎氏とほぼ同い年の自分にとっては、同時代感覚を甦らせてもくれます。この本の初出は雑誌の連載でした。そして本のあとがきによると、編集者は、編年体形式を著者に要望していたようです。ただ準備期間が不足していたため、やむなく本書のスタイル
このところの当ブログで、ゴールデンウイーク中に聴いたニッポン放送の特別番組『トノバン音楽家・加藤和彦とその時代』(5月2日オンエア)のことを書いています。加藤和彦さんのドキュメンタリー映画が5月末に公開されるのに合わせた特集番組で、フォーク・クルセダース以来の盟友・北山修さんがロング・インタビュー(聞き手・上柳昌彦アナ)に聴き入りました。北山修さんの話の中で、今の時代に「間(ま)がない」ことに危惧されていました。みんなスマホを見つめ、新しい情報を探し、自分の「間」を埋めようとしていること
矢沢永吉、日本人なら老若男女誰もが知っている現役の超ド級スーパーロックスターと言えばこの方しかいません。紅白歌合戦にも出演していますし、日本人初の国民的ロックスターじゃないかな。そんな矢沢永吉とも、忌野清志郎は縁がありました。1989年角川書店から出版された「GOTTA!忌野清志郎」連野城太郎著(元キティレコードの森川欣信氏)で清志郎本人が面白いことを話しています。ファンの間では有名ですが、RCが矢沢永吉の前座をやった時、清志郎がMCで「矢沢B吉でございます、永ちゃんは楽屋でクソをして
「フォーク・クルセダーズ解散後、作詞を中心に活動をしていた北山修の、25歳の誕生日を記念したコンサートの実況盤(71年9月発売)。フォークルの同士、加藤和彦(「あの素晴らしい愛をもう一度」)や、はしだのりひこ(+クライマックス「花嫁」)をはじめ、杉田二郎(ジローズ「戦争を知らない子供たち」)、ザ・ムッシュ、谷村新司など、多くの仲間たちのサポートのもと、自ら進行役もつとめる北山修が、自分が作詞を手がけた多くのヒット曲に囲まれながら、さかんに黄色い声援を送る客席の
「松任谷由実」の09年4月発表、35th「そしてもう一度夢見るだろう」を聴きました。僕が聴いたのは、サブスク配信音源、18年リマスター。松任谷由実の全アルバム・全シングルがサブスクで配信されているので、順に聴いています。過去にレンタル等で手に入れた音源も持っているのですが、サブスク配信は全てGOHHOTODAによる最新リマスター。オリジナル・アルバムだけで39作もあるので、大変な長丁場ですが、頑張って聞いています。このアルバムは、34th「AGIRLINSUMMER」から2年1
ケース㊶加藤和彦(1947/3/21)ミュージシャン、作曲家『晩年は鬱病を患い、死の直前にはそれが悪化していたという。死の1週間前には、友人と電話で「今、鬱でね」「どういう薬飲んでる?」と気楽に話しており、3日前には故郷の京都で旧友らと会食している。遺書には「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい。生きる場所がない、という思いが私に決断をさせた」と綴られていたという。』加藤さんは、2009年62才で、突然自死している。ユ
映画「トノバン」公開へのプレイベント「きたやまおさむに加藤和彦の神髄を聞く」へ。サエキけんぞうさんプロデュースのトークショー、渋谷ロフト9。そうだ、ロフト9って、かつて私が稲川淳二さんの「怪談最恐戦」の東京予選会に出たところ。ここで怪談語りやったんだなーと懐かしく。19時開演でしたが、きたやまさんは15分遅れで到着。会場「水虫の唄」の合唱でお出迎え。そこから休憩をはさんで22時過ぎまで、なんと3時間以上のトークショーとなりました。サエキさんと映画「トノバン」の相原裕美監
軽井沢の駅前のカフェでモデルのような綺麗な女性を見かけた。後で店の奥様に彼女は高中正義さんの奥様で、保育園ではママ友だと教えていただいた。ご本人が来るかもしれないので、FM軽井沢のサテライトスタジオに、俺のLPジャケットを飾って置いて頂いたけど、自分が関わっているうちは会えませんでした。残念。2nd.1977ミカバンドが解散になって、サディステックスと並行してのソロ活動の初期。好きです♡この2、3年後には大ヒットして手が届かない(?)ギタリストになっていく(笑)ゴブリンの頃は浜スタでライヴ
2ndシングルです。この曲で松山猛氏を意識する様になったとー花のように星のように(+11)Amazon(アマゾン)
今日の『四季通信』は、『あれも聴きたいこれも聴きたい』第51回~北山修作詞特集~です。※北山修さんという名前は、若い方たちには、馴染みがないかもしれませんが、僕のような年齢の者には、(1960年代から1970年代にかけて、青春を送った者)ザ・フォーククルセダーズというグループにいたことや、解散後にも、たくさんの作詞をされた方として少しは知っておられる方がいらっしゃると思います。今日は、その北山修さんが作詞された中からぼくの好きな曲を、
このブログでは、いわゆるJ-POP草創期のミュージシャンを取り上げています。作詞家である安井かずみについても、『ZUZU物語』としてアップしました。今日はその夫であった、加藤和彦のお話です。トノバンこと加藤和彦の名は、ある年齢以上の人なら、だれでも知っているでしょう。しかし彼が三回結婚していたことは、あまり知られていないようです。『帰ってきたヨッパライ』で一世を風靡したあと加藤は、サディスティック・ミカ・バンドを結成していますが、このボーカルが、最初の妻、福井ミカです。彼女は加藤と離婚したのち
悲しみは言葉にならない(歌詞付き)フォーククルセダーズ"7"youtu.beこの間から、人間が荒くなったんではないかということから、んじゃ、フォークソングの時代は丁寧だったのかという観点からフォークソング特集をしておりますが、言われてみれば、当時は、細かいことを馬鹿が付くくらい丁寧だったかも知れません。ま、私は、そういう環境に置かれた中高生の乙女でしたから。ということで、今日の「歌謡曲だよ、成澤弘子」は、フォーク・クルセダーズが歌います「悲しみは言葉にならない」。
9月23日(土)今発売されている「週刊現代」9月23日号に一世を風靡した作詞家「安井かずみ」さんの特集が載っていました!✴️我々の世代にとっては、グローバルな視野で活躍する憧れの女性アーティストでしたねぇ~☀️独特の世界観を鋭く繊細な言葉で紡いでいく天才的なアーティストであり、自分の生きざまでも自分を表現する誰もが憧れる女性でした!✴️ジュリー(沢田研二さん)がソロになった時に、初期の曲の作詞はほとんど安井かずみさんの作品でしたそして、結婚したのが最高にセンスの良いミュージシャン加藤和
先日、作詞者の松山猛氏がゲストでFM番組に出ていて、加藤和彦さんに関する曲が次々とー当時聞いた時は、あまりお気に入りの曲ではなかったけど、よくよく聞くと深い歌です。「家をつくるなら」「不思議な日」は好きな歌でした!4曲入りミニアルバムを買っていました。CDは数年前?ソロアルバムは1971年2ndだったとースーパー・ガスAmazon(アマゾン)