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令和8年8月12日水曜日。今日の再掲は気象神社。都内の御朱印収集家なら高円寺駅近くにある気象神社をご存知だろう。いやもはやアニメ、映画「天気の子」で有名かもしれない。僕ら世代の昭和男子といえば「明日天気になぁれ」とサンダルを飛ばしたものだが_これは平安時代に始まる下駄占い、むしろ呪術だったのかもしれない。今は和装の人が減ったというより_洗脳されたモラルだのマナーだの言われそうだ。下駄とはそもそも「ぬかるみ」雨の際に土の上を歩くための装具、通常なら草鞋なり雪駄なり、厚底ではない履物を
関羽は劉備に仕えていた一方で、曹操陣営の張遼や徐晃と親交があったことで知られています。劉備と曹操は最終的に敵対関係になりますが、劉備と曹操はともに許にいた時期があります。また、関羽は一時的に曹操のもとに身を寄せていましたので、関羽が曹操の配下と面識を持つことは十分あり得ます。関羽と張遼に限れば、劉備と呂布がともに徐州にいた時期に、会うことがあったかもしれません。ところで、曹操の配下には多くの人材がいますが、関羽が張遼や徐晃と親交を持ったのは、どのような背景があったのでしょうか。まず、曹操に仕え
ブログランキング参加しました。『ブログランキング』と『にほんブログ村』の2つです。よろしければクリックお願いします。歴史ランキングにほんブログ村いつも応援ありがとうございます。選挙前に国民に約束したことをいざ選挙で大勝したら凄い勢いで反故にし岸田や石破と変わらないどころかさらに売国を加速させている高市総理。内心では忸怩たるものがあっても政権を維持するために自民党内の反対派や財界に配慮しないといけないのかと、私は批判はしながらもある面では同情的に見ていました。しかし、この
[閲覧注意]血塗られた毛沢東中国の暗黒史中国の実態②中国人が好きなものは、人肉食です。宴会があった場合、人肉は大御馳走です。「今日は人肉料理がでます」と言ったら、中国人は涙を流して喜ぶのです。「今日は人肉だぞ。みんな、張り切って食えよ!」と言うのですから、怖すぎです。人肉をむさぼり食うわけです。そんなことやる民族は、中国人以外にはいません。それを応援してきたのは、日本の公明党です。馬鹿な連中です。何を考えているのでしょうか?中国人は古来から、何百万回も人肉食をやってき
「人相が悪いから殺す」とか、現代なら一発でパワハラ&名誉毀損で大炎上ですよね。しかし、これこそが『三国志演義』における魏延の有名なエピソード、「反骨の相」の恐ろしさです。主君劉備に仕えるため、ようやく顔見せにやってきた魏延を、諸葛亮孔明は一目見るなり「反骨の相あり。必ず将来謀反を起こす」として即座に斬り捨てようとしました。見た目だけで斬ろうとするなんて、あまりに酷い話ではないでしょうか。しかし、ちょっと待ってください。それ、本当にあった話ですか?この記事では、魏延の「反骨の相」が創
このシリーズ癖になりそうで。。。またまた勝海舟(AI)に聞いてみた。治世の能臣、乱世の奸雄と評された曹操についてどう思いますか?ふむ、「治世の能臣、乱世の奸雄」とは実に妙な評だな。曹操のことを言った言葉だが、あれは結局、人の見る立場によって善にも悪にも変わるという証拠だよ。おれから見れば、曹操という男は、奸雄などと悪口を言われるほどの胆力があったからこそ、群雄割拠の世に強く立てたのだ。平時には秩序を守るために法を整え、乱世には巧みに人心を奪って勝ち抜いた。つまり状況に応じて
ついにこの男が登場するのか…さて曹仁軍を完膚なきまでに叩きのめした劉備軍。劉備が手に入れたこの樊城、三国志的には今後も非常に重要な舞台となる城なので、場所は覚えておきましょう。ちょうど魏呉蜀の中間点にあるような立地ですからね、そりゃ熾烈な奪い合いの舞台にもなります。まさかこの時は関羽もここが自身の最後の地になるとは思ってもいなかっただろうしな…さてここで劉備が謎の行動に走ります。劉泌の甥である寇封を養子にもらうんです、そうです彼が劉封です。まぁ彼の最後は皮肉というか悲壮感のあるものにな
さて袁術が滅亡したところから。行き倒れってこんな道のど真ん中で倒れるものなんですかね(笑)まぁそれは置いといて、倒れていたのは袁胤。袁術の甥になります。ステータスを表示するほどの価値も無い雑魚ですが、一応見ておくと統率26武力15知力39政治45魅力43総合168は三国志10の全武将650人中622位。即斬首で問題ない愚将です(笑)そんな袁胤が持っていた玉璽は曹操の元へ。曹操に届けたのは徐璆。三国志演義において登場するのはここだけですが、正史においてはなかなかに清廉な人物として評価は高め