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○2025年7月16日、四川省の成都を訪れた。16日は杜甫草堂から四川博物院、青羊宮などを見学した。翌17日は、大慈寺、文殊院、宽窄巷子、武侯祠、錦里などを見物した。最後の18日は三星堆博物馆と成都大熊猫繁育研究基地へ出掛けた。〇当古代文化研究所の成都訪問は、2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。したがって、初めてのところには一か所も出掛けていない。全て、一度は訪れたことのあるところばかりになる。〇今回、案内するのは武侯祠の『三義廟・三义庙』に
19.最後に龐統[ホウ統]の描かれ方を整理『三国志演義』での龐統[ホウ統]は、赤壁の戦いでの連環の計、耒陽県令となり故意に政務を滞らせてから能力を見せる、落鳳坡での落命といった、存在が際立つ場面がいくつもあります。しかし、益州攻略時に、涪城[フ城](※1)で劉璋を害そうとしたこと、劉備に涪城[フ城]を奪取する献策をしたことを除き、龐統[ホウ統]の姿は多くが創作されたものです。ここまで『正史三国志』および中間地点としての『三国志平話』と、『三国志演義』を比較することで、龐統[ホウ
三国志で有名な劉備玄徳その劉備が、息子である劉禅に当てた遺言といわれるものがこちら、_______「悪、小なるをもってこれをなすなかれ。善、小なるをもってこれをなさざるなかれ。ただ賢、ただ徳、よく人を服す」(悪は、たとえわずかでも行ってはならぬ。善は、たとえわずかでも行われなければならぬ。人を動かすのは、おのれの賢明さと人格の二つであることを忘れるな)_______悪い事は、たとえちょっとでもダメ!善い事は、些細な事でも率先して行う!とてもシンプルですが、とっても大切な
感情的になり、中国を批判し挑発しまくるバカ市と信者ども。最悪。三国志の諸葛亮の話を思い出した。蜀の昭烈帝(劉備玄徳)は片腕の関羽が、呉の周瑜の策にはまって討ち取られたことに激怒。10万の大軍で呉に侵攻する。破竹の勢いで呉の建業まで迫るが、呉の名将陸遜に大敗する(夷陵の戦い)。蜀の大軍は壊滅し、劉備は命からがら、蜀呉国境の白帝城に逃れる。魏の動きに備え漢中にいた諸葛亮は、急ぎ白帝城に駆けつける。そもそも、劉備の呉侵攻には反対で何度も劉備を諫めた諸葛亮。しかし関羽を殺され怒りに震
18.まとめ5劉備陣営との対峙を回避まとめの最後に、『正史三国志』『三国志平話』で龐統[ホウ統]が劉備以外の陣営にいる場面を確認します。・『正史三国志』では、龐統[ホウ統]は南郡の功曹になり、後に南郡太守になった周瑜が亡くなると、亡骸を呉に運んでいる。(3.周瑜の死)・『三国志平話』では周瑜の死に旧友である龐統[ホウ統]が立ち合い、将星を留め亡骸を呉に運ぶ。その途中で諸葛亮に会い、将星を留めたことを見破られる。(3.周瑜の死)・『三国志平話』で歴陽(耒陽)から姿を消した龐統[ホ
○2025年7月17日、「旅游巴蜀」旅で、中国、四川省、成都の武侯祠に参詣した。その際、陳壽の倭人条が気になり、ここまで、ブログ『武侯祠:三国志&三国志演義』、『武侯祠:魏志倭人伝』、『武侯祠:陳壽の倭国評価』、『武侯祠:陳壽の倭国観』、『武侯祠:邪馬台国への道』、『武侯祠:邪馬台国の風景』、『武侯祠:卑弥呼の肖像』、『武侯祠:卑弥呼の現住所』、『武侯祠:仏教伝来』、『武侯祠:大山祇』と続けている。〇ようやく、陳壽の倭人条の話が一通り終了したので、元に戻って、武侯祠の話を続けたい。もともと、成
ついにこの男が登場するのか…さて曹仁軍を完膚なきまでに叩きのめした劉備軍。劉備が手に入れたこの樊城、三国志的には今後も非常に重要な舞台となる城なので、場所は覚えておきましょう。ちょうど魏呉蜀の中間点にあるような立地ですからね、そりゃ熾烈な奪い合いの舞台にもなります。まさかこの時は関羽もここが自身の最後の地になるとは思ってもいなかっただろうしな…さてここで劉備が謎の行動に走ります。劉泌の甥である寇封を養子にもらうんです、そうです彼が劉封です。まぁ彼の最後は皮肉というか悲壮感のあるものにな
”公と私-①”-司馬遼太郎※こんにち「公」という概念が、宙空にあって輝いている。ここでいう「公」とは国家、社会はもちろんのこと、仲間や自然環境をもさす。余談ではあるが、英国では私立学校のことを”パブリック・スクール”という。歴史的に仲間が金を出し合って運営してきたから、仲間立ということがパブリツクなのである。福沢諭吉は、立国のもとは私なり、といった。公にあらざるなり、ともいったが、明治初年のこの場合の私とは、主として私企業のことで、民間において企業が活発になることが国を興すもとだ、と
○2025年7月16日、四川省の成都を訪れた。成都へは2015年5月、2018年5月、2018年10月に引き続き、今回で四回目の訪問になる。今回は、7月16日から19日まで、3泊4日で、存分に成都観光を楽しもうと言うわけである。これまで、そういう機会が無かった。〇と言うのも、今回の「旅游巴蜀」旅は、2025年7月8日から始まった。成都に着いた16日は、もう「旅游巴蜀」旅の9日目だった。すでに十分疲れ果てていた。それに成都は四回目である。したがって、成都で無理に観光や見物をする気力も体力も残って
16.まとめ3劉備の人徳を補強する前回、涪城[フ城](※1)における劉備と龐統[ホウ統]のやりとりから、龐統[ホウ統]の人間性について考えましたが、今回は違った角度で見てみます。(場面についているカッコ内の数字は、ここまでの拙稿における項番になっています)益州攻略を開始し、涪城[フ城](※1)で勝利の宴会を行った際、喜んだ劉備に対して、龐統[ホウ統]は他人の国を奪って喜ぶのは仁者のいくさではないと言う。劉備が怒ると龐統[ホウ統]は恐れる様子もなく出ていくが、劉備は後悔して龐統[ホ
【Blu-ray】『新・三国志』Blu-rayBOX8枚組陳建斌・于和偉主演中国歴史超大作全95話全話収録+メイキング映像+OSTアルバム|アマサズ・エンタメ【仕様】・メディア:Blu-ray・収録内容:『新・三国志』全95話収録+メイキング映像+OSTアルバム・ディスク枚数:8枚組・画質:フルHD1080p音声・オリジナル音声:中国語字幕・日本語字幕あり【キャスト】出演:陳建斌(チェン・ジェンビン/曹操役)、于和偉(ユー・ホーウェイ/劉備役)、陸毅(ルー・イー/諸葛亮役)
【AI解説】「三国志」「三国志Ⅱ天翔ける英雄たち」「三国志」は、1985年(昭和60年)3月20日、日本テレビの「水曜ロードショー」枠内で放送されたTVアニメスペシャル。「三国志II天翔ける英雄たち」は、その好評を受け1986年(昭和61年)8月22日に「金曜ロードショー」枠で放送された続編。横山光輝の「三国志」をベースに構築されたオリジナルストーリーで、登場人物の年齢も時系列も原作とはまったく違う。史実や演義とも共通する箇所を探すほうが難しいほどなのだが、エンタメ作品として観ると、
拙作『南魏紀伝』の第四章を一カ所だけ変えました。延漢の領土は曹操の魏の約六割ではなく約七割です。訂正いたします。そして残り約三割(魏の東部と東南部)および孫権の呉の東の約五割が青燕の領土で、呉の残り約六割と劉備の蜀が南魏の領土です。大まかに言うと延漢と青燕と南魏の領土の面積比は、おおむね1対1対1、つまりほぼ等しいです。
”朱子の正統論-①”-山本七平※儒教をどう解釈するかということについて、”渋沢論語”の系統では、徳川初期の伊藤仁斎のように、ひとつの道徳訓、日常訓として解釈していくものがあります。伊藤仁斎も町人ですから、いわゆる町人的解釈を平気でしていくという行き方が一方にある。勿論、他にもいろいろな要素がありますけれども、日本におけるいわゆる町人の持つ合理性と道徳性というものは一番最初にここから出てきたと思うわけです。同じ時期に朱子学が入ってきて、朱子の正統論というのが日本人に大変大きな影
豊臣兄弟。最後の摩訶不思議。秀吉が半兵衛を失ったことは劉備が孔明を失うに等しい。ハッ?。どういう例えか知らんが孔明は劉備が亡くなっても劉禅を守り北伐して五丈原で亡くなるのよ‼️。例え的にもおかしいな。劉備と孔明が生きていた時に劉備が本当に孔明がいなくなったら困ると思っていたなら別だよ。そうなら説明してよ。このドラマはフィクションですが歴史上をねじ曲げちゃ駄目だよ。ちゃんと三國志勉強してね‼️。それとあの信長が荒木村重を殺してないのが、不思議でならないわ。
日本人は三国志が好きだが、劉備を劉備玄徳、諸葛孔明を諸葛亮孔明という人がいる。姓と名と字(あざな)を続けて言っているのであるが、あれはおかしい。高島俊男『三国志きらめく群像』(ちくま文庫)には、次のようにある。名と字をくっつけることはない。つまり、「操孟徳」「備玄徳」「亮孔明」などと言うことは絶対にない(上に姓をくっつけても同じこと)。したがって、劉備のことを「劉備玄徳」と言う人があったとしたら、それは無知無学の人と断定してよい。こうしたことは、もう少し、きちんと知られていても良いことで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」を欠かさず見ています。ネットでも書かれているように、かなりイマ風の演出と言いますか、史実を無視したかのような描かれ方も散見しますとが、所詮はドラマなのでそこは割り切ってみています。もちろん若い人や歴史に詳しくない人が、これが真実、史実だと思い込んでしまう可能性はあります。あたしだって子供のころに見た時代劇などを信じ込んでいた面はあります。でも歴史好きだからこそ、自分で興味を持って本を読んだりして、ドラマの演出や脚色を修正し、本当はどうであったのかを知るのが次の段階の愉し
三国志の世界において、見る者の胸を熱くさせるのが武将たちの固い絆です。中でも劉備・関羽・張飛の3人が結んだ「桃園の誓い」は、義兄弟の代名詞としてあまりにも有名です。しかし、歴史の真実を記録した正史をひも解くと、私たちが知っている物語とは少し異なる熱いリアルが見えてきます。今回は、劉備三兄弟の本当の関係性から、三国志に登場する他の「兄弟」たちまでを徹底的に洗い出し、その絆の正体に迫ります。桃園の誓いは嘘?正史が語る劉備三兄弟のリアル小説『三国志演義』の冒頭を華やかに飾る桃園の誓い。
『三国志演義』の成立において、龐統[ホウ統]に着目して人物像の変遷を確認しています。前回は龐統[ホウ統]が劉備の益州攻略を決断させ、劉璋を殺害して一気に益州を得ようとするが、実現しない様子を確認しました。今回、ついに劉備が益州攻略を実行に移し、最初に涪城[フ城](※2)を奪取する箇所を確認します。9.涪水関[フ水関](白水関)・涪城[フ城]の奪取『三国志演義』で劉璋に援助を求めるものの、対応の悪さに腹を立てた劉備は、益州攻略に進みます。龐統[ホウ統]は上中下の献策を行い、いとも簡単に
三国志のロマンを語る上で欠かせないのが、群雄たちの元に集った魅力的な武将や智臣たちです。なかでも、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権の3人は、それぞれ全く異なるスタンスで多くの人材を集めました。「結局、誰が一番多くの部下を抱えていたの?」「量より質だったのは誰?」そんな疑問を持つ三国志ファンや歴史好きの方に向けて、今回は3人の「人材登用の数と特徴」に焦点を当て、そのスカウト術を徹底比較します!圧倒的な質と量!効率主義で数No.1の「曹操」天才なら過去を問わない「唯才令」魏の基盤を作った
『三国志演義』の成立において、龐統[ホウ統]に着目して人物像の変遷を確認しています。前回は龐統[ホウ統]が劉備を後押しし、劉璋を救う名目で兵を率いて益州に入るところを確認しました。今回は、劉璋が劉備を歓迎すべく面会する裏で、龐統[ホウ統]が益州を得るため画策し、いよいよ劉備のために力を発揮し始める姿を確認します。8.涪城[フ城]にて劉備と劉璋が面会する『三国志演義』では涪城[フ城]で劉備と劉璋が面会しますが、龐統[ホウ統]はこの機会に劉璋の殺害を試み、益州を得ようとします。策は成りま
またもGoogleAIで歴史物語のあらすじを、🐱を登場させて書き換えてみました。三🐱志は、後漢末期の混乱から中国が3国(魏・蜀・呉)に分かれ、天下統一を目指して群雄が割拠した歴史ロマンです。多くの英雄たちが知略と武勇を競い合い、最終的に晋(しん)の国が天下を統一するまでのおよそ100年間の壮大なドラマを描いています。三🐱志のDVD1.後漢の衰退と群雄の割拠後漢(ごかん)の時代末期、政治の腐敗に苦しむ民衆による「黄巾の乱(こうきんのらん)」が勃発します。これを鎮圧する過程で各地の豪族や武
AIGrokとの壁打ち考察安田記念自慢話も入るのがくっさいおっさん(;^ω^)水を得た魚諸葛亮と劉備玄徳?|うめぼし三色安田記念考察して5秒間シンキングしました安田記念(2026年6月7日、東京芝1600m・G1)は史上稀に見る大混戦模様です。spread-sports.jp+1絶対的な王者不在で、4歳の新星2頭を中心に古豪や中堅勢が激しくぶつかり合うメンバー。過去傾向を踏まえつつ、有力馬を考察します。過去10年の主な傾向(JRA-VANデータなど)…note.com
欧米のプラスチック製品に関する報道を見ていると、いつも不思議な思いに駆られます。それは、「そこにプラスチック製品があるから、プラスチックゴミが溢れる」という論法。ゴミをゴミ箱に捨てるという前提条件がなく、プラスチック製品が無ければプラスチックゴミは生じない、という方程式となっています。でも、「車が無ければ自動車事故は起こらない」の論は生じていないことへの自己矛盾なく報道も主張もあるので不思議な思いとなります。ここで三国志の1シ
『三国志演義』の成立において、龐統[ホウ統]に着目して人物像の変遷を確認しています。前回は龐統[ホウ統]が劉備の配下に加わったものの政務を執り行わず、能力を見せて認められる姿を確認しました。今回は、龐統[ホウ統]が劉備の益州攻略を後押しする姿を確認します。7.劉備に益州攻略を説く『三国志演義』では張松が劉備を訪問したことをきっかけに、劉備の益州攻略に向けて、まずは周囲が動き始めます。龐統[ホウ統]もその一人で、劉璋が劉備に助けを求めたことに乗じ、劉備に益州奪取の決断を迫ります。
私も歴史大好きです6三國志私が三國志を知ったのは55年ぐらい前まだまだゲームがなかった時代小学校高学年か中学生になってすぐ図書館で借りて読みましたもうその頃の記憶はほとんどなく桃園の誓いぐらいしか覚えていませんその後私が20代のころゲームで信長の野望がでました信長の野望最高むちゃくちゃ面白いそして遂に三國志が出ました三國志最高の最高劉備、関羽、張飛曹操、呂布、孫堅、孫権諸葛孔明大スターの共演ですでもゲームするときはすでに三國志の内容ち
『三国志演義』の成立において、龐統[ホウ統]に着目して人物像の変遷を確認しています。前回は孫権と劉備に面会し、劉備から県令に任命された場面を確認しました。龐統[ホウ統]は県令に任命されたものの、役目を果たしているとは言えず、今回は県令にまつわる騒動を確認します。6.耒陽県令就任後の顛末『三国志演義』で県令に任命された龐統[ホウ統]は仕事をしませんが、能力を見せて劉備から認められるようになります。『正史三国志』も『三国志平話』も、おおまかに「龐統[ホウ統]は県令の役目を果たさなかったが
「このままでは、“GI⁻Tech”に吸収される!」零細IT企業「SHOCK」は崩壊寸前だった。社員はわずか。オフィスすら無い。現在は大手企業「GOソフト」の倉庫スペースを、段ボールで区切って間借りしている。電話が鳴れば、隣のGOソフト社員から「静かにしてください」と怒鳴られ、会議を始めれば、「そこ通路です」と台車が突っ込んでくる。社長の劉備は頭を抱えていた。「GI⁻Techに買収されたら終わりだ……」業界最大手「GI⁻Tech」。吸収された会社は、社名も文化も消え、社
現在の島津家の分布図です。もうクリア寸前です。もう少し早く更新すべきでしたが、夢中になってて忘れてました。曹操など優秀な君主を倒してきましたが、投降を拒否されるのは後半によくあることのようで。今回のプレイで苦戦したのは、劉備軍でした。同盟というやり方で命を温存させたのが仇となったのか、なかなか倒しにくかったです。共同軍の武田信玄軍の援軍も来たのもあり、苦戦しました。タイトルが、幕末の薩摩藩士・有馬新七の最期のセリフです。密集陣形でなんとか倒しましたが、突撃で決めても良かったか。
劉備が益州を奪うべく大軍を率いて西征(入蜀)した際、彼の傍らにいたのは「稀代の天才軍師」として名高い諸葛亮ではありませんでした。実際に劉備の軍師として最前線で策を振るったのは法正であり、諸葛亮は本拠地である荊州の留守居役に甘んじています。なぜ劉備は、最も信頼しているはずの諸葛亮を荊州に残したのか。小説『三国志演義』のイメージを覆す、正史の記述から見えてくる劉備の冷徹な統治戦略と、当時の本当の人間関係を紐解きます。主力の「軍師」は法正だった?正史における諸葛亮のリアルな序列『三国志演義