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三国志がつないでくれたご縁アメリカに住んでいたとき、参加していたオンライン英会話の授業でのことです。クラスには、中国人のおじいちゃんがいらっしゃいました。とてもシャイで、普段はあまり喋らない方です。ある日、授業で〝好きな本のジャンル〟を話す時間がありました。そのときおじいちゃんは、👨🦳「歴史が好き!」と言ったんです。私はスマホで「三国志」の絵を見せながら、👩「私は、中国の三国志が好き!」とおじいちゃんに伝えました。するとおじいちゃんは、どうして知っているの?という
ブログランキング参加しました。『ブログランキング』と『にほんブログ村』の2つです。よろしければクリックお願いします。歴史ランキングにほんブログ村いつも応援ありがとうございます。選挙前に国民に約束したことをいざ選挙で大勝したら凄い勢いで反故にし岸田や石破と変わらないどころかさらに売国を加速させている高市総理。内心では忸怩たるものがあっても政権を維持するために自民党内の反対派や財界に配慮しないといけないのかと、私は批判はしながらもある面では同情的に見ていました。しかし、この
三国志を読んでいると、時折「この男はただ者ではない」と感じさせる不気味な外見描写に出会います。それは単なる悪口ではなく、当時、信じられていた観相学に基づいた「宿命の予言」でもありました。今回は、物語を彩る「あまりよろしくない」人相の数々を深掘りします。1.魏延の「反骨の相」最も有名なのは、蜀の猛将・魏延でしょう。諸葛亮(孔明)が彼を初めて見た際、「後頭部に骨が突き出ており、将来必ず謀反を起こす」と断じたエピソードはあまりに有名です。この「反骨」という言葉、現代では「権力に屈しな
正史『三国志』に登場する英雄たちは、知略に長けた軍師や一騎当千の猛将ばかり。そんなギスギスした乱世の中で、一人だけ「王の隣で足を投げ出して寝そべっていた」というとんでもない男がいます。それが、劉備の古参中の古参、簡雍です。なぜ、けじめを重んじる諸葛亮がいて、規律に厳しい関羽や張飛がいるあの陣営で、この「不真面目」な男が最後まで重用されたのか。その謎めいた魅力に迫ります。劉備との「腐れ縁」という最強の武器簡雍の最大の強みは、劉備と同じ幽州琢郡の出身であることです。それもただの同郷で
本日、三国志を例えにした記事を目にしました。内容自体も面白かったのですが、読んでいるうちに、あるエピソードが強く頭に残りました。それが、劉備と諸葛孔明の関係です。三国志に詳しくない人でも、「三顧の礼」という言葉は聞いたことがあるかもしれません。これは、後に蜀の軍師となる諸葛孔明(本名:諸葛亮)を迎えるため、劉備が三度も自ら訪ねたという有名な話です。劉備が捨てたのは「面子」当時の劉備は、一軍を率いる将軍。一方の孔明は、まだ世に出ていない若者でした。普通なら、「呼び出せばいい」「
三国志の歴史を動かした魏と蜀。それぞれの国には、君主の傍らで異なる専門性を発揮した知将たちがいました。彼らが実際にどのような実務や戦略を担っていたのか、代表的な人物を挙げて解説します。【魏】巨大な帝国を機能させた「専門家集団」魏の知将たちは、個々の才能を特定の分野に特化させ、組織として勝利を積み上げるスタイルが特徴です。荀彧:戦略的バックボーンと人事の総責任者彼の役割は、現代で言えば「副社長兼人事部長」です。曹操が遠征に出ている間、本拠地を死守して兵糧を絶やさない「守り」の役割に加
📚『三國志』ではお馴染みの『水魚の交わり』劉備が諸葛孔明と自身との関係を配下に示した言葉として有名ですね🌠魚は水が無いと生きてゆけない。私劉備にとって孔明は水の様必要不可欠な存在なのだ。「魚」にとって「水」は生命維持の絶対条件‼️だけど『水』にとっての『魚』の存在価値は?別に「魚」が居なくても「水」には大したことじゃない。居なくても別に困りはしない⁉️📚突然この話した理由は片付けしてたら昔のアルバム発見したから。半世紀近く前の(笑)💦バブル真っ只中‼️当時勤務した営業部門のワンマン上
群雄割拠の三国時代。戦場を駆け抜け、一国を築き上げた英雄たちは、その最期をどのように送り出されたのでしょうか。権力の象徴としての豪華な葬儀もあれば、自らの信念を貫いた質素な埋葬もありました。今回は、主要な英雄たちの「葬式」にスポットを当てて解説します。曹操:カリスマが選んだ「究極のリアリズム」魏の礎を築いた曹操は、死を目前にして非常に合理的な遺言を残しました。当時の権力者は豪華な墓(厚葬)を作るのが常識でしたが、曹操はそれを真っ向から否定します。薄葬の徹底:「金銀財宝を入れず、
今日は朝から雪の地方も多くて23区内でも雪になると。ていうかもう降ってるので寒い。ここで思い出すのは三顧の礼で劉備が孔明の家まで雪の中訪ねていく場面。これだと訪ねたけど門前払いされて帰る場面に見える(笑)だいたい足跡が。。。これこれ。劉備が訪ねていってるのに孔明が居留守を使ってます(マジか)あたしゃー最近思うのですがもしかして孔明はひきこもりで外にでるのがいやだったのではないかと。。。そりゃ雪の日に訪ねてくる劉備もご苦労さまですが、あったかい家にいて書物を読みたまに
洋の東西の偉人、賢人たちの「名言」をご紹介します。人の一生には悩みがつきものです。私たちはしくじり、恥をかき、苦悩する。心を惑わせ、傷つけるのが人の言葉なら、励ましを与え、明日を生きる理由を与えるのもまた、人の言葉なのである。◎自分の仕事を見つめなおす仕事が楽しくなるように仕事が楽しみならば人生は楽園だ。仕事が義務ならば人生は地獄だ。マクシム・ゴーリキ(ロシアの小説家、劇作家。)◎三顧の礼三国志でお馴染みの諸葛孔明やはり現代
こんにちは^-^たけたけです!今回は、はちみつ皇帝こと袁術に続いて、呂布が負けます。最後まで見てくれると嬉しいです。^-^目次1.劉備、曹操と組む2.呂布、死す3.最後に1.劉備、曹操と組む呂布に徐州を乗っ取られ、追い出された劉備は、人質を取り戻し、すぐに曹操のところへ逃げます。曹操は、一度自分の領土を呂布に取られて恨みを晴らしていないので、呂布の本拠地、下邳を激しく攻めます。もちろん劉備はついていきました。呂布には陳宮という軍師がいて、曹操の背後をつくように進言しました
私も歴史大好きです6三國志私が三國志を知ったのは55年ぐらい前まだまだゲームがなかった時代小学校高学年か中学生になってすぐ図書館で借りて読みましたもうその頃の記憶はほとんどなく桃園の誓いぐらいしか覚えていませんその後私が20代のころゲームで信長の野望がでました信長の野望最高むちゃくちゃ面白いそして遂に三國志が出ました三國志最高の最高劉備、関羽、張飛曹操、呂布、孫堅、孫権諸葛孔明大スターの共演ですでもゲームするときはすでに三國志の内容ち
みなさんこんにちは。スピリチャルハードポップホワイトタイガーです。今回三日早く投稿させていただきます。今週末そして来週もよろしくお願いします。さて、今回も自省録の言葉についてやってみたいと思うのですが、このような言葉があります。「お前の内を掘れ。掘り続ければ、そこには常にほとばしり出ることができる善の泉がある。」これを読みますと、マルクス・アウレリウスという人は、大変に純粋な人だったのだなぁと思います。それで、多くの人から頼られて、期待されて皇帝になったんだろうなとも思います。それ
孔明は漢朝復興という大義のもとに何度も北伐をくりかえしながら、最後は病気に倒れる。はたして、彼は蜀の宰相=リーダーとして適していたと言えるのか?何度も北伐を繰り返し、結局は国力を疲弊しただけではないか?そもそも諸葛孔明が戦争に強いというのは嘘である。赤壁の戦いで呉と魏を戦わせ勝ったというのは三国志演義の脚色である(あーあ言っちゃったよ)宰相としては適していたと言えるかもしれない。三国鼎立を唱え、蜀の国を立て劉備を独立させた。そこでやめておくのも一つの手であった。しかしその後に無
魏軍と呉蜀連合軍が中国・長江で繰り広げた「三国志演義」最大の決戦“赤壁の戦い”を、ジョン・ウー監督が映画化した2部作の後編。周瑜にトニー・レオン、孔明に金城武ほか、チャン・チェン、ビッキー・チャオなどアジアのスターが集結した。2000隻の軍船を率いて侵攻してきた曹操軍は、疫病で死んだ自軍の兵士たちの遺体を対岸の連合軍側に流す。それを見た周瑜たちは憤るが、劉備は戦意を喪失し、自国の兵の撤退を決意。呉蜀の間に亀裂が生じてしまう……。
「逃げるが勝ち」という言葉がありますが、歴史を動かした英雄たちほど、実は「逃げ際」の判断が驚くほど速いものです。織田信長の「金ヶ崎の退き口」などはその最たる例ですが、中国の三国志の世界でも、生き残って大成した者はみな凄まじい「逃げ上手」でした。今回は、三国志の英雄たちの鮮やかな逃げっぷりと、その裏にある哲学を紹介します。1.「逃げ」を執念に変えた男:劉備三国志の中で「逃げた回数」で右に出る者はいないのが、蜀の初代皇帝・劉備です。彼は生涯で何度も拠点と家族を捨てて逃げ延びています
劉璋陣営だけでなく、劉備陣営までも兵糧攻めで蜀を占拠。劉備も降りました。…しかし、領土拡大し過ぎたのと武将の忠誠度上げが追いつかないのが悩みの種です。いま、実はゲームの気分ではないのですが、気まぐれで進めてます。ついこの間も新たな武将カードが加わり、ちょっと気分が良くなりましたが、仕事で悩みが噴出しました。…やっぱり俺は社会人向きじゃない。ゲームネタでこんなネガティブな発言は厳禁なのですが、多忙さとミスに追われてこんな気分です。このことは、新たな企画で書き込みます。発表は近日!
今さらですが…みなさま明けましておめでとうございます♪♪…年明けも忙しい日々…Ameba…あまり出来なくて…イン出来なくて、ごめんなさい…(ノ_・、)こんなわたしですが…今年も宜しくお願いします…あまり書くこともありませんが…放置少女で…神劉備さんを取りました…EX神劉備さん強いです♥️9鯖中、3鯖でゲット出来ました。武将ファンのわたしにとっては?とっても嬉しい出来事です♥️…
ドラマ「三国志司馬懿軍師連盟」を見終わった。全86話。曹操から4代につかえた司馬懿仲達の人生ドラマ。「三国志」の終わり方ってあとからじわじわ来るっていうかあたかも劉備玄徳が関羽や諸葛孔明の協力を得て分裂した三国をまとめる、と思いきや主要人物が次々といなくなって最後は劉備に息子・劉禅を託された諸葛孔明も闘いのさなかに命尽きるんだよなぁ。魏・呉・蜀の三国はどうなるのか?しのぎを削っていた曹操、劉備、孫権の誰も三国を統一できないんだよなぁ
さて医師吉平による曹操毒殺計画は失敗。木に縛り付けられて木の棒で叩かれる、まぁ拷問というよりも死んじゃいますわな。拷問はもっとジワジワと苦しみを与えないと(笑)さらに王子服たちも逮捕されます。曹操が喪黒福造のようだ(笑)この世は老いも若きも男も女もココロの淋しい人ばかりですよ…さてこの企てを密告したのは董承家の下男。こーゆー召使いというか下男のことを中国では「慶童」と呼ぶのか……と思っていましたが、調べてみるとこの下男の名前が「秦慶童」というそーです。まぁ三国志演義にしか登場しな
三国志を読んでいると、ふと疑問に思うことってありますよね。特に、物語の主人公である劉備。物語や小説では「義に厚い」「民に愛される聖人君子」なんて言われていますが、その足跡を冷静に辿ってみると……。公孫瓚のところで世話になる→離脱。陶謙から徐州を譲り受ける(ちゃっかりゲット)。呂布に追い出されて曹操を頼る→隙を見て逃亡。袁紹を頼る→勝負が決まる前にトンズラ。劉表を頼る→荊州を実質的に乗っ取(ゲフンゲフン)。劉璋を助けに行く→結局、国ごと奪う。「あ
西暦208年、曹操率いる80万の魏軍に対抗するため、蜀の軍師・孔明は同じく魏に降伏を迫られている呉と同盟を結ぶ策に出る。魏軍と呉・蜀連合軍とが長江の赤壁で繰り広げ、「三国志演義」でも描かれた“赤壁の戦い”を、ジョン・ウー監督が壮大なスケールで映画化する全2部作の前編。蜀の劉備を支えた名軍師・諸葛孔明を金城武、呉の孫権に仕えた水軍の将・周瑜をトニー・レオンが演じるほか、チャン・チェン、ビッキー・チャオ、リン・チーリン、中村獅童などアジアのスターが集結。
三国志のロマンを支えるのは、戦場を駆ける武将たちだけではありません。その背後で彼らを支え(あるいは翻弄し)、激動の時代を共に生きた女性たちの存在もまた、歴史の重要なピースです。今回は、三国志を象徴する「三英雄」——劉備、曹操、孫権——にスポットを当て、彼らが生涯で何人の妻を持ったのか、正史や伝承、そして「英雄色を好む」という言葉に基づいた大胆な推測を交えて考察します。1.漢の末裔・劉備:放浪の裏に消えた「数多の絆」劉備の女性関係を一言で表すなら「苦労人の再婚ロード」です。正史『
[閲覧注意]血塗られた毛沢東中国の暗黒史中国の実態②中国人が好きなものは、人肉食です。宴会があった場合、人肉は大御馳走です。「今日は人肉料理がでます」と言ったら、中国人は涙を流して喜ぶのです。「今日は人肉だぞ。みんな、張り切って食えよ!」と言うのですから、怖すぎです。人肉をむさぼり食うわけです。そんなことやる民族は、中国人以外にはいません。それを応援してきたのは、日本の公明党です。馬鹿な連中です。何を考えているのでしょうか?中国人は古来から、何百万回も人肉食をやってき
く三国志(活字)に冬休み中にハマった。劉備が素敵だなと思ったけど駄目な所もあるのね(汗)私はちょい引いた。私は駄目な所を知ると冷めます。包容力ゼロ人間。
「虎狼の心を持つ者」「三姓家奴」。後世の歴史家たちが呂布に貼り付けたレッテルは、常に「不義理」という言葉で塗り固められています。丁原を、董卓を、そして劉備を裏切ったその軌跡。しかし、乱世の英雄たちが皆、大なり小なり裏切りを重ねていた中で、なぜ呂布だけが突出して「裏切りの代名詞」となったのでしょうか。そこには、既存の道徳観では測れない、ある「孤独な仮説」が浮かび上がります。仮説:呂布は「武」という神のみを信奉する「求道者」だった当時の社会を支配していたのは「儒教」という絶対的な秩序
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」が始まりました。一昨日のブログでも取り上げましたが、今年は戦国時代の人間模様が存分に楽しめそうです。織田信長には、草履を懐で温めたという逸話で知られる忠臣・猿(後の豊臣秀吉)がおりました。そして豊臣秀吉には、竹中半兵衛、黒田官兵衛という知略に長けた二人の軍師が。いつの時代も、名をはせた人物の傍らには、右腕となる人物が存在すると言われます。今日は、日本の戦国時代よりはるか昔、中国の「三国志」について触れてみようと思う。昨年、久しぶりに吉川英治の三国志
あけましておめでとう(人''▽`)今年もよろしくです!年末年始はちょっとね、いろいろありまして。家族が急に病気になっちゃって...ここの更新もかなり減っちゃうかもしれない...。新年早々重い話もなんだし。IN率悪くなっちゃったけど、イベ鯖のお話を。最終日前にようやくすべてのEXクエストを達成することができました!(≧▽≦)ご協力くださった皆さん、ありがとーーーー!これでなんとかカスタムポイントを27000pt程度持って帰れそうです~(●´ω`●)で、反
孟獲でプレイしていて思ったこと。【名君チャンピオン道場】において、兵糧攻めは正攻法でもイケる。米の売買ができる都市を占拠すれば、相手の兵糧はうまく減らせる。ただし秋には少し収穫があるので、それまで兵糧攻めをしなくてはならない。…なんて当たり前のことを書いてますが、兵糧攻めの基本さえ踏まえれば、正攻法でもクリアできるのです。兵1の部隊を作り、兵糧を減らし、相手の部隊からゾロゾロ兵隊が脱走したら倒せる。この戦法は使えますが、慣れた上級者はおそらくしないでしょう。洛陽などの米売買可能都市
三国志ファンの間でよく議論される「呉=豪族連合国家」説。確かに、孫家はカリスマ的なリーダーではありましたが、その足元を支えるのは朱・張・顧・陸といった地元豪族(四姓)であり、彼らの意向を無視しては国が成り立たないという、日本の戦国大名と国人衆の関係に近いものがありました。では、対する魏と蜀はどうだったのか?一見すると中央集権的に見える両国ですが、その実態を「豪族との距離感」という視点で大胆に紐解いてみます。魏:豪族を「公務員」として飲み込んだ巨大官僚国家魏を語る上で欠かせないのは、曹