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最後に申(もう)します。先生(せんせい)の最後の御講演となった昨年9月の総(そう)幹(かん)部(ぶ)会(かい)の席上先生(せんせい)は国立(こくりつ)戒壇(かいだん)建立(こんりゅう)の重(じゅう)大(だい)事(じ)を私達に御教示下(くだ)さいました。すなわち「人類絶滅の大災難から日本(にっぽん)を、世界をお救い下(くだ)さるのは大慈大悲と絶大(ぜつだい)威(い)徳(とく)まします日蓮(にちれん)大(だい)聖人(しょうにん)ただ御(ご)一(いち)人(にん)であられる。これを知る我
で、上(うえ)野(の)殿(どの)がその後に成人(せいじん)して、熱原(あつわら)の大法難(だいほうなん)の時に命かけての御(ご)奉公(ほうこう)をいたしました。この時の心労(しんろう)が重なったのか、熱原(あつわら)の法難(ほうなん)が弘安2年ですが、弘安3年か4年の暮れあたりから生(せい)死(し)の境(さかい)をさまようほどの重病(じゅうびょう)になっちゃったんですよ。生きるか死ぬかが分からないような重病(じゅうびょう)になった。大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)が御心配あそ
で、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)に敵対(てきたい)した邪(じゃ)宗(しゅう)連合(れんごう)の代(だい)表(ひょう)者(しゃ)良(りょう)観(かん)房(ぼう)、この男は大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)を憎みに憎んで竜(たつ)の口(くち)の刑(けい)場(じょう)に送って頸を切らんとさせたというこの謀(ぼう)略(りゃく)をめぐらせた張本人でありまするが、もう大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)には手も足も出ない。そこで、佐渡からお帰りになった大(だい)聖(しょう)
『兄(けい)弟(てい)抄(しょう)』に宣(の)給(たま)わく此(こ)れを疑(うたが)って、現(げん)世(ぜ)の軽(けい)苦(く)忍(しの)びがたくて慈父(じふ)のせ(責)めに随(したが)いて、存(ぞん)の外(ほか)に法(ほ)華(け)経(きょう)をす(捨)つるよし(由)あるならば、我(わ)が身(み)地(じ)獄(ごく)に堕(お)つるのみならず、悲母(ひも)も慈父(じふ)も大(だい)阿(あ)鼻(び)地(じ)獄(ごく)に堕(お)ちて、とも(共)にかな(悲)しまん事(こと)疑(うたが)いなかるべし。大
でこの『兄(けい)弟(てい)抄(しょう)』は大変長い御(ご)書(しょ)ですね。でその冒頭に次のような大(だい)事(じ)な事(こと)を御(お)示(しめ)し下(くだ)されているんですね。ますこういう事(こと)を仰(おお)せになっておられる。「一切(いっさい)経(きょう)の中で、法(ほ)華(け)経(きょう)だけが成(じょう)仏(ぶつ)の御(おん)経(きょう)である。これを捨てる事(こと)、退転(たいてん)する事(こと)が無(む)間(げん)地(じ)獄(ごく)に堕(お)ちる業因(ごういん)であ
この大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)の「本当に、このような大(だい)功(く)徳(どく)だ」という事(こと)をそのまま仰(おお)せになった御(ご)文(もん)でありまするが、大変難(むずか)しいですね。「正(しょう)直(じき)に方便(ほうべん)を捨(す)て、但(ただ)法(ほ)華(け)経(きょう)を信(しん)じ南無(なむ)妙(みょう)法蓮(ほうれん)華(げ)経(きょう)と唱(とな)うる人(ひと)は」「正(しょう)直(じき)に方便(ほうべん)を捨(す)て」というのは「一切(いっさい)
また、裏表紙の裏面にはいつも顕正新聞の新年号に掲(かか)げられている天生原(あもうがはら)の方角から臨(のぞ)む富(ふ)士(じ)山(さん)の写真を掲載いたしました。これは、申すまでもなく昭和32年の発足から昨年10月16日の御(ご)逝去(せいきょ)に至る実に66年に渡り身命を賭して戦い抜かれた先生(せんせい)が常(つね)に見つめ続けておられたのが富(ふ)士(じ)山(さん)天生原(あもうがはら)に建立(こんりゅう)される御(ご)遺命(ゆいめい)の国立(こくりつ)戒壇(かいだん)建立(こんりゅ
で今私は「広(こう)布(ふ)最(さい)終(しゅう)段階(だんかい)の御(ご)奉公(ほうこう)する顕正会の中において、この『兄(けい)弟(てい)抄(しょう)』の仰(おお)せの通りの信(しん)心(じん)を貫(つらぬ)く人達が、顕正会の中にどれほどいる事(こと)か」という事(こと)のこの姿を見て本当(ほんとう)に有難(ありがた)く思(おも)うものであります。男(だん)子部(しぶ)も、女(じょ)子部(しぶ)も、婦(ふ)人(じん)部(ぶ)もあるいは親の、あるいは夫のそういう理不(りふ)尽(じん)で感
また、御(ご)遺命(ゆいめい)の敵(かたき)となった細井日達が急逝した後に自己申告で登座した阿部日顕に対しても、先生(せんせい)は幾(いく)度(ど)となく諌訴状を提出されました。その主旨は「早く改悔し、速(すみ)やかに正本堂(しょうほんどう)より奉安殿(ほうあんでん)に大(だい)御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)を御(ご)遷(せん)座(ざ)申し上げ、もって誑惑(おうわく)を清算して大罪を償え」というものであります。そして、池田大作と阿部日顕が二人三脚で成さんとした本(ほん)門(もん)寺
『新池(にいいけ)御(ご)書(しょ)』に宣(の)給(たま)わく有(う)解(げ)無(む)信(しん)とて、法門(ほうもん)をば解(さと)りて信心(しんじん)なき者(もの)は更(さら)に成(じょう)仏(ぶつ)すべからず。有(う)信(しん)無(む)解(げ)とて、解(げ)はなくとも信心(しんじん)ある者(もの)は成(じょう)仏(ぶつ)すべし。皆(みな)此(こ)の経(きょう)の意(こころ)なり、私(わたくし)の言(ことば)にはあらず。されば二(に)の巻(まき)には「信(しん)を以(もっ)て入
いささか余談になりますが、二百万法城屹立の直後の平成30年11月に本(ほん)部(ぶ)棟(とう)と産業道路がつながるこの良き土地(とち)が入手できましたが、当時この土地(とち)にはコンビニエンスストアが存在した状態で、残り7年もコンビニの本(ほん)部(ぶ)との契約が残っておりました。通常この類の契約はこちらの都合で解除できるものではなく、コンビニの本(ほん)部(ぶ)に交渉したもののやはり木で鼻を括(くく)った対応で即(そく)断(ことわ)られてしまいました。ところが、不思議(ふしぎ)な事(
ですから、世の中を見(み)てごらんなさい。企(き)業(ぎょう)の経(けい)営(えい)者(しゃ)でも飛ぶ鳥を落とす勢(いきお)いでやったけど、一度(ひとたび)福(ふく)運(うん)が尽きてくるとやる事(こと)為す事(こと)が全部裏(うら)目(め)に出て、大(だい)企(き)業(ぎょう)もおかしくなってくる。あのソニーなんていうのは本当に日(に)本(ほん)の技(ぎ)術(じゅつ)開(かい)発(はつ)のホープなんて言(い)われておったけど、今(いま)どうしようもなくなってしまった。これも、打つ
無糖博英です。令和7年5月の日曜勤行における浅井先生指導を掲載いたします。令和4年4月28日立宗770年御報恩勤行会浅井先生指導説明立宗御報恩勤行会の説明御幼少の時に抱かれた2つの大疑血のにじむような20年間の御修学御本尊こそ日蓮大聖人のお悟りの全体日蓮大聖人の立宗の時の大誓願立宗以後の数々の法難竜の口の大法難『開目抄』の重大御聖意広宣流布はもう眼前である平成22年8月8日浅井先生指導末法の仏道修行の姿信心口唱の大功徳末法濁悪の三毒強盛の衆生の姿信心口唱
最後に申(もう)します。先の年末、私は先(せん)生(せい)の跡を継いで富士大石寺の近くに赴(おもむ)き、戒壇(かいだん)の大(だい)御(ご)本尊(ほんぞん)を遥拝し奉(たてまつ)ってまいりました。その道中の車の中で、私は先(せん)生(せい)が毎年の暮れの参詣において帰宅され、御自宅の持仏堂で御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)に御(ご)挨拶(あいさつ)を申し上げた後に「これで今年の御(ご)奉公(ほうこう)を全(すべ)て無(ぶ)事(じ)に終えた、有難(ありがた)い事(こと)だ」と述(の)べ
そして、本日の一(いっ)周(しゅう)忌(き)に当たり、昨年出来(しゅったい)した3つの浅(あさ)井(い)昭(しょう)衞(え)先生(せんせい)追(つい)悼(とう)号(ごう)をA4変形サイズ、全67ページの冊子にまとめた永久保存版というべき特別(とくべつ)追(つい)悼(とう)号(ごう)を発刊し、御宝前に備え奉(たてまつ)りました。今日参列した全幹部にこれを贈呈(ぞうてい)いたします。そして今後、全国の会館(かいかん)・事務所の窓口でも廉(れん)価(か)でこれを頒(はん)布(ぷ)いたします。
ですから今、顕正会において本当(ほんとう)に私は有難(ありがた)いと思(おも)っている事(こと)は、156万の顕正会の中において本当(ほんとう)に功(く)徳(どく)の体験(たいけん)が満(み)ち溢(あふ)れているんですね。毎朝私のところには総合(そうごう)部(ぶ)長(ちょう)3人から電(でん)話(わ)がかかってくるんですね。相当(そうとう)電(でん)話(わ)が長くなるんで『忙(いそが)しい時には困るなあ』と思(おも)っているんですが、なぜ長くなるか。その集(しゅう)会(かい)の報告(ほ
まず御(ご)在(ざい)世(せ)の日(にっ)本(ぽん)国(こく)を見てごらんなさい。大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)の御頸(おんくび)を刎(は)ね奉(たてまつ)らんとした大逆罪(だいぎゃくざい)により、たちまちに大(だい)蒙(もう)古(こ)の責めが3年後の文永11年に起きた。その兵力は2万5千人、軍船(ぐんせん)九百余隻、戦闘は凄惨(せいさん)を極めたんですね。まず、九州の対馬・壱岐という2つの島に蒙(もう)古(こ)軍(ぐん)が上陸した。蒙(もう)古(こ)軍(ぐん)は島民を
「夫(そ)れ運(うん)極(きわ)まりぬれば兵(へい)法(ほう)もいらず、果(か)報(ほう)つ(尽)きぬれば所(しょ)従(じゅう)もしたが(従)はず。所詮(しょせん)運(うん)も残(のこ)り果(か)報(ほう)もひか(控)ゆる故(ゆえ)なり。乃(ない)至(し)、す(過)ぎし存(ぞん)命(めい)不(ふ)思(し)議(ぎ)と思(おも)はせ給(たま)へ、なに(何)の兵(へい)法(ほう)よりも法(ほ)華(け)経(きょう)の兵(へい)法(ほう)を用(もち)い給(たま)うべし」と仰(おお)せになっておられ
『四(し)条(じょう)金(きん)吾(ご)殿(どの)御(ご)返(へん)事(じ)』に宣(の)給(たま)わく夫(そ)れ運(うん)極(きわ)まりぬれば兵(へい)法(ほう)もいらず、果(か)報(ほう)つ(尽)きぬれば所(しょ)従(じゅう)もしたが(従)はず。所詮(しょせん)運(うん)も残(のこ)り果(か)報(ほう)もひか(控)ゆる故(ゆえ)なり。乃(ない)至(し)、す(過)ぎし存(ぞん)命(めい)不(ふ)思(し)議(ぎ)と思(おも)はせ給(たま)へ、なに(何)の兵(へい)法(ほう)よりも法(ほ)華
でこの池上(いけがみ)兄(きょう)弟(だい)は、この大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)の御(ご)指(し)南(なん)を受けて2人して立ったんですね。そしたら父親(ちちおや)が勘当(かんどう)を解いてしまったんですよ。ところが、良(りょう)観(かん)が黙っていない。さらに「そんな事(こと)でどうする。何としても強く息(むす)子(こ)を責めろ。ことに長(ちょう)男(なん)を責めろ。次(じ)男(なん)に『弟の方に家(か)督(とく)を譲る。長(ちょう)男(なん)は断じて許さない』という事
で、国(こっ)家(か)においてもこの事(こと)は当てはまる。「夫(そ)れ運(うん)極(きわ)まりぬれば兵(へい)法(ほう)もいらず」という事(こと)は国(こっ)家(か)レベルにおいても当てはまるんですね。いいですか、明治以降の日(に)本(ほん)というのは大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)に背き続けた事(こと)によって外(がい)国(こく)との戦争(せんそう)に引きずり込まれてしまった。しかし、明治の時においてはまだ幾分(いくぶん)福(ふく)運(うん)が残っておった。昭和の時に
『当体(とうたい)義(ぎ)抄(しょう)』に宣(の)給(たま)わく正(しょう)直(じき)に方便(ほうべん)を捨(す)て、但(ただ)法(ほ)華(け)経(きょう)を信(しん)じ南無(なむ)妙(みょう)法蓮(ほうれん)華(げ)経(きょう)と唱(とな)うる人(ひと)は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦(く)の三道(さんどう)、法(ほっ)身(しん)・般(はん)若(にゃ)・解(げ)脱(だつ)の三徳(さんとく)と転(てん)じて、三観(さんかん)三諦(さんたい)即一心(そくいっしん)に顕(あら)われ、其(そ)
その恐怖の中で、国も経済(けいざい)も家(か)庭(てい)も、そして教(きょう)育(いく)も全(すべ)てが行(い)き詰(づ)まる中で日(にっ)本(ぽん)は一体どうしたらいいんだろうか。ここに、人々は「もう解決(かいけつ)するめどがない」と。ですから大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)は『撰(せん)時(じ)抄(しょう)』にも『新尼(にいあま)御前(ごぜ)御(ご)返(へん)事(じ)』にも「一切(いっさい)の仏(ぶつ)・菩(ぼ)薩(さつ)にいの(祈)りをかくともしるし(験)なくば、彼(
冒頭に拝読した御(ご)文(もん)は、大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)を激しく怨嫉(おんしつ)する良観(りょうかん)の策謀(さくぼう)により弘安2年10月に四(し)条(じょう)金(きん)吾(ご)殿(どの)が闇討ちに遭(あ)い、大勢の家臣に取り囲まれて斬り殺されて当然のところ不思議(ふしぎ)にも危機を脱し一命をとりとめる事(こと)ができた事(こと)を大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)に御(ご)報(ほう)告(こく)された時に賜わった御(ご)書(しょ)の結びの一節であります。「身を守る根
そこに、今、顕正会のあらゆる行動、広宣(こうせん)流布(るふ)の戦いは一切(いっさい)大(たい)衆(しゅう)に信心(しんじん)を起こさせる事(こと)なんですよ。ですから、先般の新(しん)講(こう)演(えん)集(しゅう)にしてもそうなんですね。あの最初の講(こう)演(えん)においての結論(けつろん)はどういう事(こと)か。「明治以降の日清(にっしん)・日(にち)露(ろ)・日(にっ)中(ちゅう)・日米(にちべい)のこの4つの戦争(せんそう)は世間では侵(しん)略(りゃく)戦争(せんそう)と
無糖博英です。令和3年11月26日に開催された総幹部会における浅井先生指導及び令和3年11月28日に開催された男子部班長会における浅井総男子部長指導を掲載したいと思います。令和3年11月26日11月度総幹部会浅井先生指導説明顕正会こそ広宣流布を進める唯一の団体広宣流布の大号令広布前夜の御遺命破壊の大悪解散処分により御在世の遥拝勤行が蘇る小室眞子さんの結婚問題にみる皇室の危機皇室の仏法守護の一大使命無辺行菩薩の再誕たる本化国主国立戒壇と王城は本源体一広宣流布はもう眼
今端折(はしょ)って略して申しましたけれども、この御(ご)法門(ほうもん)はまことに甚深(じんじん)で凡(ぼん)夫(ぶ)には到底(とうてい)分(わ)からないですね。私達が分(わか)からない。そこで日寛(にっかん)上(しょう)人(にん)はこの御(ぎょ)意(い)を一言(いちごん)でもって仰(おお)せになっておられる。先般私は新(しん)水戸(みと)会館(かいかん)の御(ご)入(にゅう)仏式(ぶつしき)でもって言(い)いましたけれど、こう日寛(にっかん)上(しょう)人(にん)は仰(おお)せにな
この大(だい)威(い)徳(とく)まします大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)が、時来(き)たればいよいよ広宣(こうせん)流布(るふ)、しかも「順(じゅん)縁(えん)広(こう)布(ふ)」といって日(に)本(ほん)一同(いちどう)に信ぜしめ南無(なむ)妙(みょう)法蓮(ほうれん)華(げ)経(きょう)と唱えせしめるというこういう大仏(だいぶつ)事(じ)をあそばすんですね。私は『いよいよその時(とき)が近づいてきた』という事(こと)を感(かん)じております。今どうですか、世界中の異(い)
信ずるという事(こと)は、かけ離れた物を一体にする力がある。例えば凡(ぼん)夫(ぶ)と仏(ほとけ)様(さま)というのは、その境(きょう)界(がい)において物凄(ものすご)いかけ離れてる。天(てん)地(ち)雲泥(うんでい)の差がある。ところが、凡(ぼん)夫(ぶ)が仏(ほとけ)様(さま)を信ずる。この信ずる力によって、かけ離れた凡(ぼん)夫(ぶ)が仏(ほとけ)様(さま)と一体にならせて頂(いただ)く事(こと)が出来(でき)る。これが「信力(しんりき)」というんですね。信ずる力という物は
そして、日(にち)妙(みょう)殿(どの)はその後3年を経て、身(み)延(のぶ)にまします大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)の許(もと)に再(ふたた)び訪(おとず)れまいらせた。その時に、再(ふたた)び大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)より賜わった御(ご)書(しょ)が只(ただ)今(いま)拝読(はいどく)の『乙(おと)御(ご)前(ぜ)御(ご)消(しょう)息(そく)』でありますが、娘の名前に約してこの御(ご)書(しょ)を賜わったわけであります。「法(ほ)華(け)経(きょう)は