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今回も電撃婚約ですね。幸せになることに一生懸命で頭が下がります。新しい婚約者さんは構図に無邪気な子供まで配置しているし、フィルターとかも使っていないので、もし彼が詐欺だったら"普通の叔父さん"を醸し出すのが上手すぎ。実在人物なのでしょうね。(えっ?そうでもない?まだわからない・・・って、もう人を信じられなくなっている私より彼女は幸せなのかも)もちろん、毎日コロコロ変わる乙女心なので、いつもの様に遠くから見守りたいと思います。
私が小学生の頃、母に連れられ当時三鷹の駅前にあった『グレ・ギャラリー』という薄暗くモノクロな感じ、そしてシックでお洒落でなんとも言えない雰囲気の空間が広がっている、そんな不思議なアトリエへ何度か伺った記憶が今でも時々蘇る。グレギャラリーのオーナーである写真家の『市毛實先生』とそこで出会う事になるのだが、幼い私でさえ、目に見えないとてつもないパワーと包み込むような優しさをびんびんに感じるような凄い方とお見受けした。ただの写真家とは思えなかった。私は当時
薔薇の蕾を卑猥に………****flower****より『淫靡な薔薇蕾が誘う夜No.2』photobySAKU引き続き昼間に撮ったけど、夜の雰囲気に加工した薔薇の蕾を、卑猥に加工し表現した画を載せておきます花は元々卑猥な器官なのですねなにしろ子孫を残す為のモノなのですから………植物における生殖器官だから、人でいうアソコなのですだからヒトは花に惹かれるしかしヒトは知能を有した生物だ自らを「霊長類」なんてモノに定義している俺はそれがチャンチャラ可笑しくて、涙
ああ、”私は写真家ですからね、自分を売っていかないと”って言ってらしたわ。オンラインでの恋愛は"偽装役者"と"潜伏士"で懲りたようですが、また顔本のイイねの人に反応してしまっているので、心配です。
今日はボストン在住のお友達の宣伝をさせていただきます。彼女は料理教室の先生。日本でお料理のコラムも掲載してます。私がボストンに住んでいた2年の間、何度もお料理教室に通いました。料理の腕はもちろんの事、写真家として活躍出来るんじゃないって思うくらい彼女の写真は素敵。気取らない彼女のクラスは大人気でした。今まで何箇所もお料理教室に通ってきた私。彼女のお料理で、一番驚いたのはお出汁類を使わないところ。普通、入れちゃうでしょ。日本の料理だったら、あご出汁とか鰹出汁とか昆布出汁。中華
今日書かれていた彼女のブログにビデオチャットとかもCGで操作出来るんですね💦私が無知過ぎました😅😅😅という言葉が!わぁ、良かった。今回は本当に理解してくださったようですね。
2月からご取材&ご撮影にいらしていた、写真家の大西成明先生のフォトエッセイが、本日ニッポンドットコムに掲載されました。ペットと一緒に暮らせる特養ホーム:犬と猫とお年寄りの幸せな共生|nippon.comこれまで、うちのホームは、数多くのマスコミに取り上げられてきましたが、写真の美しさや躍動感という点では、今回のフォトエッセイがダントツ一番です。やはり、本物の写真家の先生の写真は違います。こちらは、大二世先生から頂いた写真です。素晴らしいでしょうっ!
日本では写真は売れない。売れても安すぎます!私が『デジタルカメラマガジン』の写真投稿サイトのGANREFのワークショップのお手伝いをしているころからの知り合いや、「アーティスト・ステートメント講座」の受講生など、私の知り合いにはたくさんのハイアマチュア・カメマランやプロカメラマンなどを含めた"フォトグラファー"さんがいます。その方たちは、プロの方もアマの方も年に数回の写真展を開催されています。グループ展に参加している数を入れると、みなさん、とても多く開催されていらっしゃいま
国際結婚上位の人彼女については色んな方が書いておられるのでここでは書かないけどどうしても吐かずにはいられない毒があるので吐くフォトグラファーを自称して作品とも言い難いゴミ写真をあげているのを見て白黒だったからごまかせてたのがカラーになるとなんの面白みもないアートとは決して呼べないおそまつな写真の数々何より腹立つのは写真家なら素材を求めて出かけたりして写真撮ったりするのにこの人ったら店の売り物を買いもせず勝手に写真撮ってるし(薔薇の写真)他人の家の植え込みを勝手に撮ってるし(新
先輩さんも投稿されていたのですが。。ここ2~3日Twitterで春馬さんの事を呟いてくださる写真家?さんが私の前にも現れた。春馬さんの素晴らしさや一緒に仕事をしたかったとか必要な人だったとか日本の芸能界はだからダメなどかなりハギレ良く呟いていて頂きまた、海外メディアに取り上げて貰うので冷遇されていた内容を教えて下さいとも。。。今まで、この様な方はいなかったかな。。勇気ある心強い存在だ。。それと同時に気をつけて欲しいな、、とも思う。細かいとこに
みなさん、こんにちは!早くも2月ですね。美味しいご飯を食べるように、至高のセックスを味わいたい。でも、『恥ずかしい』いつまでも、思春期脳のあなた!オラがコッソリ心の声を文字に起こします!500字で!笑男はセックスを語らない理由は、セックスの良し悪しは全て自分のせいだと感じる事が多いから。ちんちんが主役になる時、社会での自分は関係なくなるから。いつもは、自分が主役なのに、夜はちんちんが主役になる時。自信がある男なんていないから、男は語らないのさ。自分の権威性を保
testtest近々コチラのブログをリニューアル致しますタイトルも『artphotography』bySAKUに、変更させて頂きますその際は何卒宜しくお願い申し上げますある無名の写心家SAKUこと夢来菴櫻井ヒロム
ギャリーさんに舞い戻り。内容も面白かったです。Henry、仕事もしてない、保険にも入っていない、オンラインでアップルカードを集る、容姿特に良くないで良いところないなwって、滅茶苦茶言われてて。(ギャリーさんも言われている時ありますが)やはり普通のおじさんは時間をかけて好きにさせてからお金の話をするという我慢がなかったですね。あの見かけで行こうと思った時点で長期戦だと思わなかったのが不思議なくらいです。詳しくこの件を考察なさっているcariñoさんのおっしゃる通り、偽のギャリ
ようこそお越しくださいました!このブログは、ただひたすらに世界一過小評価されている絶景の国アイスランド🇮🇸(私調べ)のことを書いているブログです。よかったらどうぞゆっくりしていってください今日は、絶景アイスランドの観光の目玉👀の1つオーロラについてお話ししようと思います。オーロラって一年中見れるの?アイスランドってそもそもオーロラ見れるの?オーロラ鑑賞のおすすめスポットは?どんな方法でオーロラ見れるの?といった疑問を持っている方はぜひこのまま読み
健康的な食事をするのはとても難しいですね。SNSには美味しそうな食べ物の写真がいっぱい。ドングリを辿っても着けないお店なんか、ホイップクリームが多くて食べたら髭みたいになっちゃうようなクレープを売っていますよね。私は遠くに住んでいるので簡単にはそういうお店にいけませんが、ついつい甘い物たべちゃったりします。お米も好きなので気を付けないと炭水化物取りすぎかも。自称写真家の方もその一人。親しみやすく、今日の記事は朝がドーナッツ🍩で、昼はペヤング。夕食も炭水化物でいくのかは、まだわかり
お久し振りです実は昨年の秋から睡眠障害で鬱となりメンタルクリニックに通院してましたで、こちらのブログは放置し現在は「ある無名の写心家の視点」というタイトルでブログを書いてますご挨拶が遅れて申し訳ありません宜しければご訪問下さいませ夢来菴櫻井ヒロム
今日は名古屋市科学館からの大須呑みでした〜科学館では6/9まで特別展の「海」が開催されていて、ずぅーっと気になってました特別展「海―生命のみなもと―」SpecialExhibitionTheOCEAN-TheOriginofLife「海展」の公式サイトです。2024.3.16(土)〜6.9(日)名古屋市科学館にて開催!umiten2023.jpやっと行けて幸せです。科学館って子供の頃から何回行ってんの!?ってなるんだけど、行くと楽しいんですよね。科学館だけじゃなく、博物
撮影者:中村徹撮影地:松本市/岡田(溜池)NSPA会員中村徹さんの紹介フォトサークルあるぷす主宰フリーランスの写真家として企業等に画像の提供を行う他、写真の個人指導、撮影地ガイド、撮影依頼等幅広い活動を展開中。
youtubeで色んな著名人が『たった一つのアドバイス』っていうのを出していて真似してみました。著名人・有名人だからといって人生のことまで『なんでもうまくいっている』ってことはないって思いませんか?超絶美人でも離婚するし、、、有名人でも自殺しちゃうんだから。それで、じゃあ、『自分を卑下し続けた人間』の『美しく生きるためのアドバイス』を書いてもいいんじゃないかってね。夏だし。笑『たった一つのアドバイス』を話す前に、そもそも人生を美しく、幸せにするための重要な要素(
はい!JoMoriyamaです!表情と美しさ、撮影の話しか話せない縛りがあるので、その他のトピックを語る事ができないので、今日のトピックはギリギリセーフという事で!なぜなら、『美人になれば幸せだ』と思う現代社会をぶった切るからです。と言っても僕の意見ですけどね。美人な芸能人が次々と、夫に浮気される。男はこう思う。ーこんな超絶美人の芸能人を落とせるなら、他の美人をいくらでも落とせるだろうーこの考えにたどり着くまでに、夫婦関係に一体どういう事があったら男が浮気に走るのだろ
アイドルの写真集というと昔長瀬智也のを買ったなあ(^_^;)桜庭祐一郎も。野口五郎のは1,2冊。昔はコンサートというとプログラムがあったのでそれは購入していたけど。で先日買ったのは写真家の写真集。喜多規子(きたのりこ)さんのもの。富士フィルムフォトサロン札幌で写真展をやっていていて桜がテーマ。少し前にテレビで年配の男性が「100枚撮っても気に入ったものが1枚あるかないか」と言っていたが今回会場で喜多さんご本人と直接お話をすることがで
エネルギーヴァンパイアの一つに恥や罪を与えるエネルギーがある恥や罪は波動でいうと一番低い。至福状態の対極と両極にあり、根こそぎもっていくことで、フルチャージしようとする。わたしの場合、自分自身を縛り付けていたのは子供や幅広く目合いたいという、二面性といつもたたかっていた。外側に自分自身を縛り付ける鎖は幻想なのだが、仮に、わたし自身が輝く瞬間につまり、ポジティブが広まる程、三次元に住まう存在らの殆どが、エネルギーヴァンパイアであることが判明する。男性社会のピラミッド縦
ちょいと小耳に挟みましたが、先行視聴した人に「光の庭」をやってほしいか?というアンケートがあったらしいのですが、その結果次第では映像化があるかも?ということみたいですね。(現時点では予定は未定ですが)個人的には「光の庭」までがBANANAFISHだと思っているのですが、あれを読むと辛さが増すのは私だけでしょうか?「光の庭」は本篇から7年後という設定ですが、アニメだと現代から7年後の未来の話になってしまうのかな?そういう細かいことは置いておいて・・・。あの話の英二って仙人と
問題文(段落番号は便宜上付けたもの)次の文章を読んで、後の設問に答えよ。1かりに「写真になにが可能か」という問いを自らに発した時、私にはそれに対する答えというより、ほとんど肉体的な反応といったようなものが二通り生れてくる。2一つは、いま自分が生きつつあり、さまざまなかたちで敵対する世界に対して「写真には何もできない」という一種の無力感である。しかしその無力感の下からたちまち意識に上ってくるのは、私が写真によって捕捉しえた世界のさまざまな意味であり、それを考えたときに生じてくる「写
ごめんなさい、久しぶりのブログなのに自分語り、というか、メモしてます。あまりにも衝撃的なドキュメンタリーだったので・・・今日はEテレのドキュランドで放送していた「セルフポートレート」についてこれはノルウェーの写真家レネ・マリー・フォッセンの生涯を描いたドキュメントだ。彼女はノルウェーの母親の実家で生まれ育った。母親のトーリル、父親のゲイルとともに過ごした幼少期。いつまでも大人になりたくなかった、思い出を捨てたくない、楽しかった子供の頃のままでいたい。幼少期の彼
こんばんは!今の幸せの瞬間を届ける写真家さとうみきです。撮影メニューはこちらです『私時間フォト』『家族時間フォト』ラーナさんを撮影させていただきました♪ライアーを奏でるときのとびきり優しい表情が好きで心が楽しんでるのがカメラ越しにもキラキラと伝わってきますラーナちゃんと初めてお逢いした2年前の桜と着物の撮影会では大きな桜の樹の下で奏でる姿とライアーの音の美しさに撮りながら自然と涙が溢れてきました
息子が二十歳になるので写真家の山田哲也さんに記念撮影していただきました。成人は今18歳なのは知ってましたが、18歳の時は記念撮影せず20歳で撮影するのは古い人間でしょうかw山田哲也さんに撮影をお願いしたのは、本物のプロの写真家さんだからです。写真とか絵とかスポーツ指導とかデザイナーとかもそうでしょうか。誰でもすぐに自己申告でプロになれてしまう職業は沢山ありますが、山田さんは写真家として一つの道で何十年もやり続けてきた方なので、大変尊敬しています。息子も今後はパソコンを使った技術者と
貞鏡傳〜一龍斎貞鏡ひとり会〜@国立能楽堂にて写真をご撮影いただきました橘蓮二様のXでも高座の写真をアップしていただきましたhttps://x.com/renji_koza/status/1787040659653939582?s=46&t=Nc7PtsVhkcbVzxUOPtvyXgよろしければご高覧くださいませ撮影:橘蓮二
こんにちは受付ですGWも終わってやっと日常にからだが慣れてくるころですがみなさんはいかがお過ごしですか五月病なんてのもありますから無理せずいきましょうねさてさて先日、3月にインスタなどで募集していた手のフォトコンテストの結果がクリニックのホームページにて発表されましたたくさんのご応募の中からグランプリ1点と入賞が3点決まったそうです今回のテーマは【きずなを感じる手】なかなか難しいテーマですねってスタッフでも話題になっていましたでもさ
彼の名前を知らない人でも、彼の撮った写真を見た事がある方は多いのではないかと思います。何藩(ファン・ホー)さんは1931年に上海で生まれました。写真家であり映画監督でもあり、また俳優でした。幼少期を上海で過ごし、14歳で最初のカメラを手にした後、写真を撮り始めました。1949年に香港に移り、1950年代以降、香港の日常生活を印象的な写真で撮り、注目を集めました。50〜60年台の香港の写真は多く残されてはいますが、彼の撮った写真はひと味違うもの