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ブログを始めてよかったなあ、と思うこと。特に介護は、自分だけ困っているのではないということ。人生折り返しだから、何か始めようと始めたブログです。初めての世界に出てみると、同じ境遇の方って思っていた以上にいるのだなあと感じています。介護の本もよみあさっていますよ〜。参考になるのもあれば、それ通りにいかないことだらけ。やっぱりね、と諦めつつ、予備知識を仕入れて、また、頑固な認知症母にチャレンジ。(子供に戻っていくって本当かも。)本を買っては売り、いくら使ったかしらです。さて、そんな
まず初めにお断りしておきます。私は、新型コロナに罹患した為に、今回の再生不良性貧血の発症につながったのではないかと、勝手に考えています。医学的な根拠はありません。極めて薄いものではありますが、次の事から個人的にそう考えているだけです。★倦怠感を覚え始めた時期→新型コロナ罹患後1カ月★アメリカの科学誌ネイチャーでの掲載記事にあった、新型コロナ発症者のうちで後遺症を訴える人の大半でT細胞が異常増殖しているとされていること。私が新型コロナ
ネガティブ記事です。予後不良な病気の事も書いてあります。不安、不快に思われてしまう方は読まないで下さい(>_<)あくまで個人的な意見です!朝方、いつの間にかウトウトしていて泣きながら目が覚めました。娘の寝顔を見て、娘の予後が長くないのかな?とか色々先の事を考えてしまい、絶望的になりとても悲しい気持ちです。まだファンコニ貧血と決まった訳ではありません..でも、娘に当てはまる事が多すぎて..薄い確率ばかり引いてきた娘だから、当てはまってしまうのではないのか?ってマイナ
夕飯は娘の好きなササミフライを持ってきたが、麻酔と鎮痛剤の副作用で気持ち悪く、食べられなかったとの事。蒟蒻ゼリーも口にしたものの、嘔吐してしまったそうだ。そして腹痛が襲ってきたと。痛くて痛くて辛かったが、ナースコールを押すと忙しいナースに迷惑がかかると思い押さなかったと、後で娘から聞いた。「痛い時は、痛いって言わないとダメだよ。少しはわがまま言いなさい」そう言うと「先生もそう言ってた」と話す。痛みと嘔気は3日ほど続き、食事が全く食べられずにいたそうで、仕事の最中に主治医から電話が
こんばんは今更ですが...9月に行った人間ドックの結果を書き留めておこうと思いますざっとこんな感じです黄色のところが今年の。C(要再検査)がまぁまぁある笑詳しくはこんな感じ【眼底検査】これは昨年も同じこと書かれて、再検査に行きました。このコメントにある通り、強度近視が原因。(両眼とも0.03くらいしかないプラス乱視もある)今すぐどうこうっていう問題ではない【肺機能検査】コロナ禍で中止になっていた肺活量の検査、初めて受けたんですが...まぁ悪めの結果で同年代の女性の平
こんにちは!おむすびです🍙ご覧くださりありがとうございます😊お医者さんや看護師さん、医療従事者の方ってすごいんだなぁって最近つくづく思います。数々の病気があって、難しい言葉もたくさん。病気のことについて調べるたびにあ〜お医者さんには絶対なれんそう思いますさて、本日はコチラの続き↓いや〜、見返すと恥ずかしい🤣『再生不良性貧血から骨髄異形成症候群へ』こんにちは!おむすびです🍙ご覧くださりありがとうございます😊さてコチラの続きです↓『これで終わりではなかった〜再生不良性貧血④〜』こん
病院食を食べない娘に、休みの日や早番の日はなるべく手作りのものを持っていっていた。ある日、広島風お好み焼きとほうれん草のおひたしとちくわの磯辺揚げを持っていったところ、娘に悲しい出来事が起こった。どうやら、持ってきたお好み焼き弁当を病棟で温めてもらったところ、まだ凍っているところがあったらしく、娘はもう少しあっためて欲しいとお願いしたそう。30分くらい経っても戻ってこないので、取りに行き食べようとしたところ、お好み焼き以外の全ての食べ物が水分が飛んでパサパサになっていたようだ。動画ももら
ATG療法は5日間の点滴、その後は内服薬での治療となる。その5日間のあいだ、頻脈と頭痛は続いたそうだ。血圧は薬でコントロールし、130台を保っていた様子。6/30からATG療法開始して、治療前後の血液データはこんな感じだった。Hbの9.0台やPltの数値が2ケタの日付のものは、前日に輸血をした為高い。白血球は7/1には300、7/3には450と、免疫グロブリンが効果を発揮しているのがわかる。こんなに白血球少ないのに、食事食べないから売店に行ってたらしい。困ったもんだ7/5に点滴で
私の事例が参考になる方は、恐らく年に数人程度かと思いますが、6月に入院して9月下旬に退院し、各種の手続きやら届け出などがある程度一段落した時点で、ネットなどである程度確認したにもかかわらず、こうしておけば良かったという事がいくつかあり、まずは先にその事を記載しておきたいと思います。まず前提条件として、私が60歳の会社員であり、指定難病であると診断され、かつ早期の復帰が難しく入院中に退職したということ事、入院先が自宅から県境を超えた診療機関であったことなどがありますので、ドンピシャに当てはま
一点訂正があります。再生不良性貧血と診断された時点で、即入院と書いていましたが、改めて思い返しているうちに、6月6日の検診での結果を受けて担当医から入院する様にとされていた事を思い出しました。※再生不良性貧血(ステージ4)と診断されたのも6月6日でした。よって「即」という表現は正しくありませんでした。正確には、その翌週の6月13日の血液数値を見た担当医から「今、目の前で倒れても何の不思議もない、とにかく今から入院して下さい」とかなり強い口調で言われ、1日だけ猶予をもらい入院し
8/28主治医の先生は外来なので発熱外来に来るように言われた。退院して間もないうえに熱があるためフラフラ。車がないため電車で行く選択はなくタクシーを呼ぶ。1時間ちょっとで病院に到着する。病院でコロナの抗原検査をし、採血をとる。結果を待つのが長い。その間娘は私の膝枕で横になる。検査結果は白血球3600。4日前は1900だったので正常値に見えるが炎症によるものだと思った。発熱外来の医師が主治医に検査結果など連絡してくれたらしく、クラビットの内服が出て帰宅する事になった。8/2
こんにちは9月になりましたね〜少しずつ秋の気配も感じ始めていますが、まだまだ暑いですね早く涼しくなってほしい。。。先日、定期検診に行ってきました!前回は7月18日で今回は9月1日。1ヶ月半程あきましたが、夏休み期間はとっても混むので、あえて避けています(小児科なのでね…)最近の体調はというと、2週間程前から急にしんどくなって、動悸息切れ目眩立ちくらみすぐ疲れる倦怠感身体が重い…と貧血症状のオンパレードさらに職場の方々に「顔色が悪い」と言われまくりあ〜こりゃ減ってんなと。いつも
9/1始業式の日。病み上がりで顔色はまぁあまり良くないが、ゆっくり歩いて駅へ向かう。「ママごめん、ゆっくり歩いて」退院してから2回慣らしで学校へ講習に行ったが、先日までの発熱で体力が奪われたせいか、すぐに疲労感が出た。家から駅までは3分くらいだが、きっと娘にとってはかなり長い距離に思えただろう。学校へは各駅でも行けるので各駅で行くことにした。8時台の電車は混んでいる。娘だけでも座らせたかったので、席が空いたらすぐにキープして座らせた。電車の中では目を閉じしばしの休憩をとっていた。
限度額認定証骨髄穿刺した時に直ぐ手続きを始めました。健康保険協会へ申請するのだけど意外と簡単に出来ます。電話で申請書を取り寄せるかネットから申請書をダンウンロードして印刷して郵送にて申請(私は何度目かだったので余裕でした)コンドー(KONDOW)医療・年金・健康保険証ケースブラウン×キャメル166×120×13mmFD165cAmazon(アマゾン)人によって(収入によって)自己負担限度額は違います😃特定医療費(指定難病)医療受給者証申請病名が分かった時点で先生から「申
採卵から1週間もすると卵巣過剰刺激症候群の症状はなくなり、腹水も軽減していた。そしてあんなに食が細かった子が、めちゃくちゃ食べる。思春期の、運動部の男子くらい食べる!!「お腹が空くんだよね〜」そうは言ってもこの子は病院食は食べないので、入院してすぐに食事を止められており、持ち込みまたはコンビニ食。持ち込み食も、この6月の暑い最中持ち歩くのは食中毒の危険があるため、自宅で作った食事をお弁当容器に入れ、すぐに冷凍して凍ったまま持って行った。病棟で温めてもらい、食べるというなんとも手のかか
9月に退院してからも薬の服用量は変わらず(途中で肺炎予防の薬の種類が変わりましたが)、ここまで4ヶ月程経ちました。有難いことに血液の各数値の微増傾向も変わらずで、今週の検査では以下の様になっていました。基準値内には戻っていませんが、担当医の話では寛解と捉えてよく、今月からシクロスポリンの服用量を減らすとの事でした。昨年6月の入院直前での検査で酷かった各数値と比較すると、正に劇的改善とも思えます。直前現在白血球1.9L2.8L赤血球
昨日は職場の歓送迎会で、夜が遅くなりました。とりあえず、実家により、母(81才)の夜の着替えをさせよう行ってみた。父(83才)が既にやってくれていた。そして「今日、あまにりにも昼間臭うから紙パンツを替えるよう、脱がせたらノーパンだった」衝撃的事実!ここまできたか、認知症!また、今日から頑張ろう‥さて、次男釣り男、一昨日話した小児不応性貧血(骨髄異形成症と、再生不良性貧血の間)を治療していながら暮らしています。発症は、5年生の終わり、コロナにかかり2週間たったくらいから、「何か疲れる」「
退院後最初の外来受診。採血をし診察を待つ。血液検査の結果はすぐには出ないので1時間くらい待った。名前を呼ばれ診察室に入る。「こんにちは、どうですか家は」主治医の先生が娘に問いかける。「快適です!」そんな会話から始まった。採血の結果はWBC1900Hb8.1Plt29000退院日とあまり変わらない。まぁ、まだ5日しか経過していないからね。でも5日経過しても血球が下がらないって事はいいことか。ポジティブに考えてみる事にした。「今日は輸血はしなくてもいいと思いますよ」
転院の日。病院へ迎えに行く。退院手続きを終え、紹介状などの書類も受け取りしばらくすると娘が車椅子でナースに連れて来られた。微笑んでいるが、どこか疲れている様子。主治医の先生に呼ばれ、私だけ話を聞きに行く。Dr.「どうやら昨夜再生不良性貧血の事や、治療の事など調べて色々不安になったようで、夜中もベッドの上に座ってシクシク泣いていたようです」転院をして治療する事や、治療が辛いという事、退院できない事など色々な不安が押し寄せてきたのでしょう。
4月30日は入院前の通院日でした。入院して行う治療の為の説明で抹消穿刺中心静脈カテーテルって言うのをすると聞いてちょっと怖くなってますそこからウサギ抗胸腺細胞グロブリンの点滴とか採血とかするらしい知らない治療や手技ばかりいくら調べても不安は消えないけどやるしかないので頑張ります❗️久しぶりに職場へ行って契約更新やなにやらして同僚には元気になって早く復職してねって言って貰い力をもらったよ
7/5のサイモグロブリンの点滴が終了した9日後の7/14、娘の白血球が3000を超えていた。久しぶりにこの数値をみてひと安心。このまま血球が下がらずに経過してくれたらいいなぁと思っていた。7/24診断書が病院から届いたため、高校の休学届を提出しに行く。そのついでに、治療の進捗状況を報告。まだ退院の日にちはわからないが、学校側は待っていてくれるとのこと。休学届を出せば出席日数が少なくて済むそうで、夏休み明けから戻ってきても留年や退学は
前回の入院しましたって投稿からの退院しました🤣体調も変わりなく血液検査でも悪い結果もないことから本日退院しました血液検査の結果8/168/148/108/87/24LD399425574624624ヘモグロビン7.77.67.57.
6/21やっとHLAの結果が出た。仕事中に、移植コーディネーターから電話があった。「弟さんのHLAの結果が出ました。50%でした」残念ながらフルマッチではなかったので、弟からの移植ができないということに。残念な反面、下の子に負担がかからない事に少し安心したような複雑な気持ちだった。家に帰ってから、夫と息子に伝える。息子は「そっか、残念だね」と少し残念そうな様子。病院の娘からは「合わなかったってねー」とLINEがくる。「残念だったけど、まだ治療方法はあるからね」娘が不安
8/19退院の日。荷物もあるだろうから、下の子を一緒に連れて行くことにした。10:00頃の退院で、少し早めに病院に着いた。病棟に上がり、インターホンを押す。しばらくすると看護師さんがきたので、退院のお迎えを伝えると「先生から少しお話しがあるのでお待ちください」と言われる。しばらくして先生いらっしゃった。「免疫抑制剤の点滴をして、今は内服に切り替えたのですが、まぁ退院して外来で経過を見ても良さそうですね。しばらくは1週間に一回の通院で、経過を見ながら必要であれば外来で輸血をする事
入院に向けての準備再生不良性貧血で外来にて治療していましたがあまり効果がなくてついに入院にての治療になりました一ヶ月〜三ヶ月の入院にての治療と言う事で何をどれくらい準備すれば良いのか取り敢えずスーツケースのMサイズを購入してみました。[ClioClio]スーツケースキャリーケースキャリーバッグ拡張機能付超軽量静音ダブルキャスター【360度回転&取り外す可能】ABS+PC耐衝撃防盗ファスナーTSAローク搭載旅行ビジネス出張(シルバー,Sサイ
タクシーで約1時間。娘が3ヶ月ぶりに家に帰ってきた。「あ〜疲れた」帰るなりソファーに転がる。もうお昼を過ぎていたので何か食べる事にした。「たこ焼きが食べたい!」入院中に退院したら食べたいものリストを考えていたようで、たこ焼きを焼く事にした。久しぶりに3人でたこ焼き器を囲む。ソースとマヨネーズは使い切りの物を用意した。アツアツのたこ焼きを頬張る娘。「うまっ!」そう言ってたくさん食べた。娘が家にいる、それだけで家の中がパッと明るくなった。ただ少し心配な事があった。退院して
今日は、母の祥月命日でした。きっと、兄も娘も忘れてるよね孫が8歳になったと言うことはもう、8年も経ってしまったんやね。孫が産まれて1ヶ月は実家、つまり私の家にいたので母が入院してる病院は私の家から近かったので、娘が自分の家に帰る少し前に会いに行けました。残念ながら孫は寝てたので、眼を開けてる顔は見てもらえなかったけど、、あのとき、『あの世に行ったらおじいさんにも(父親)ちゃんと元気な男の子やったで~って言うとくわ』って言ってたっけ。初孫だった娘は、父にはとても可愛がってもらって
半年以上になりましたが、いろーんな薬飲んでます。最初、ウエルシアにはネオーラルとレボレードは在庫がありませんでしたよ。(オープンしたばかりだったから無かっただけか?)さらに、ネオーラルの25mgという、たまに現れるヤツが処方された時は病院近くの処方専門ウエルシアへ急遽取りに行ってくれたのかも?そんな薬を半年続けた感想(?)まとめ。以前の日記と重複してるものもあり。・9時と21時のネオーラル免疫抑制剤。粒が大きいし臭い。慣れたけど。通院の度にシクロスポリン
まず、体調不良で診察を受け始める時点では、指定難病かどうか分からない状態のはずです。医者から重々しく「難病です」と言われた時点で、加入する保険機関に「限度額適用認定証」の発行を申請します(私の場合は、これの発行を急ぐように、病院側から言われました)。これは申請書を送ってからおおよそ2~3週間で届く様ですが、申請方法も含めて、必ずそれぞれの加入先の保険機関に確認してください。また、国の指定する難病(指定難病)であれば、速やかに「特定医療費(指定難病)受給者証」~医療受給者証~の発
HLAの検査をするにあたり、下の子に説明をした。「お姉ちゃんは、再生不良性貧血という病気で赤血球も白血球も血小板も自分で作る事ができないの。その治療をするのにね、他の人からの骨髄を分けてもらってお姉ちゃんの身体に入れないといけないの。それが移植って言うんだけど、姉弟の骨髄を入れてあげたほうが移植した後に具合が悪くなるのが少ないんだって。」ウチの子達は、私が看護師でもあるし漫画の「はたらく細胞」を読んでいた事もあり、血球のそれぞれの働きはよく知っている。だから娘が貧