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魏志倭人伝を素直に読めば、魏の使者は朝鮮半島から対馬、壱岐と渡ってきて、末盧国(ほぼ間違いなく北九州の松浦半島)に上陸し、そこからチョコチョコといろんな国を訪ね、最期に邪馬台国に行き着いています。もし邪馬台国が畿内だとしても、北九州の諸国が邪馬台国の支配下にないなら、少なくとも同盟・従属関係にないなら、魏の使節は北九州に上陸できませんし、する理由もありません。そもそも北九州の衛星国をひとつづつ丁寧に訪問していた使節団が、そのあとドーンとトバシていきなり奈良まで行っちゃうのは、おかしかないか?
【要旨】倭国と日本国の関係、倭国から日本国への移行過程の解明は、古代史研究の最大テーマの一つに違いない。日本国が倭国の支配下のあったのか、並立して存在していたのか。倭国は日本国に併合されたのか、禅譲だったのか、あるいは・・・。以上のようなことを考えている時に、満田正賢氏の「七〇一年の王朝交代と朝鮮半島方式から中国方式への転換」(古田史学会報No.192)にめぐりあった。倭国的な要素と日本国的な要素の違いを考えようとしていた時だったので、「評」から「郡」への変更を、倭国(満田