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【「倭国」、「邪馬壹国」、「女王国」の定義】三国志・魏志・東夷伝・倭人条(以下、魏志倭人伝または倭人伝)には、倭人の住む場所、国を表す固有名詞がいろいろ出てきている。歴史に詳しい人たちと話していても、皆が共通の認識をもっていないために話しが食い違っているようなことがあり、議論がかみ合わない経験をすることが少なくない。ここでは倭人伝に出てくる場所名あるいは国名をいくつか挙げて相違を確認してみたい。倭人伝には、倭人が住む場所の位置、戸数、風俗などについてある程度詳細に記されてい
○前回、『烏丸鮮卑東夷伝傳:序文』440字を案内したから、今回は『『東夷傳:序文』330字になる。『烏丸鮮卑東夷伝:序文』で、書載「蠻夷猾夏」,詩稱「玁狁孔熾」,久矣其為中國患也。の文言は眩しい。字数にして、僅か20字だと言うのに。つまり、中国を脅かす存在が夷狄であり、その勢いは晩夏の植物そのものだと言う。得てして妙、こういう文言を駆使して歴史を描く。それが中国の史家の得意技である。○決して、現代の私たちの感覚で歴史を見てはならない。例えば、現代中国の中心は何と言っても北京だろう。何し
【抄録&はじめに:熊津都督府の立場から見た朝鮮半島と倭国の外交・交流史】〈抄録〉663年の白村江敗戦後の日朝・日唐関係史には重層な研究史が存在するが、大半は倭国側の防衛や国家体制の整備からの視点であり、対象国もこの後半島を統一した新羅に重点が置かれた。しかしながら、白村江翌年の664年(戦後初)から665年・667年とたて続けて倭国に使節を派遣したのは、660年の百済滅亡後にその半島西南地域に置かれた唐の熊津都督府であった。なお旧百済地域は、6・7世紀以来肥後を含む北部
どもはまるとんです✨今回は4年前に書いた七支刀について改めて解説していきます。今ならあの頃とはまた違った魅力を引き出せるとそう思うからてす。↓↓↓過去の記事は以下をクリック↓↓↓『七支刀ってどう使うの?』今回はあまり見慣れない刀!七支刀について少しだけ、掘り下げていこうと思います。一見すると、コレって・・・。どう使うの?通常の刀に比べ互い違いに刃が出…ameblo.jpそもそも七支刀とは?日本の古代に関係する非常に特異で象徴的な鉄製の剣であり、現在は奈良県天理市の石上神宮