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歴史調査卑弥呼・台与までの倭国は「九州世界」だった(日本初の国の女性リーダー・卑弥呼の謎)黒井ドラゴン以前、筆者の邪馬台国=九州説の小論を発表した時、邪馬台国=畿内説のある研究者から「邪馬台国の所在地問題は、すでに畿内説でほぼ決まっている。いまさら、『邪馬台国はどこか?』などと唱えるのは意味のないことだ」という反論を受け、この時「畿内説はそこまで有力視されているのか」と驚いた経験があった。序.今まで、卑弥呼・台与当時の倭国の範囲は具体的に考えられてこなかった
ご訪問ありがとうございます。相変わらずよくわからない状況が続く任那問題で、百済の聖明王はついに倭国(日本)へ遣使します。目次百済聖明王から天皇への上表文百済の言い分倭国(日本)の解答は?「コトバンク」で任那の分かりやすい地図を見つけましたので転載しました。今はオレンジの部分だけです出典小学館日本大百科全書(ニッポニカ)百済聖明王から天皇への上表文3月に、百済は奈率ナソチ阿乇得文アトクトクモン、許勢コセノ(巨勢)奈率ナソチ奇麻ガマ、物部モノノベノ奈率ナソチ奇非ガヒ等を
okinawahisui、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります、仰る通りで在りますよね。言葉が在りません。全てが騙しで在りますか、嘘インチキ出鱈目猿芝居劇場で在りますね。我が倭国は世界でもトップクラスの稼ぎ頭で在りますが、民には、碌に回らず外資とその手下のポケットへで在りますね。下らない金は幾らでも使い、民の為に使う金等無いとの事で在りますね。碌でなしの輩共で在りますね。灰汁魔とその手下で在りますね。線虚も猿芝居劇場のシナリオで在り
営業せきやんさん、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。その為のちんぷんかんぷん線虚で在りましたよね。灰汁魔の三下奴、泥腐巣低盗、河馬流の倭国壊滅作戦で在りますね。煩悩五欲三毒の成れの果て、悪因悪果自因自果因果応報自業自得、餓鬼道合掌リブログさせて頂きます。令和八年如月拾三日丙午戊午合掌『公選法抵触が多すぎる。例えば、メッセージ動画再生回数1億5000万超の異常』①blogランキング②ブログ村参戦中です。(1)(2)
あさやんのロマンティックジャニーさん、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。ベネズエラ事件、虎屋さんがベネズエラの資源を我が物にする為、南北メ利権を我が物にする為の芝居で在りますね。ベネズエラに、役者を送り込み民を騙し、乗っ取ったので在りますね。次は倭国で在りますか、それが大昔からの灰汁魔支配の家僕、泥腐巣低盗の遣り方で在りますね。リブログさせて頂きます。令和八年如月拾三日丙午戊午合掌皆さん、御覧頂きまして、在り難う御座いま
ご訪問ありがとうございます。今回はこの前の百済が置いた郡令と城主の問題の続きです。事態はかなり混乱しているようですが、今回は前進できるのでしょうか?目次百済の方針決定第2次任那復興会議の召集河内直の糾弾百済vs日本府百済の方針決定12月に、百済の聖明王は、以前の詔書を再び、群臣全員に示して「天皇の詔勅はこのようなものだが、どうするべきであるか?。」と言った。上佐平ソクサヘイ(佐平は百済の官位第1)沙宅己婁サタクコル・中佐平シソサヘイ木刕麻那モクラマナ・下佐平オトサヘイ木尹貴
羅馬(ローマ)など知らず、唐を狂おしく想像するばかりだった島国、倭国と呼ばれていた日本があった。その倭の黎明から照射される好奇なる独立日本に、大陸における信義との向き合い方を今さら確認したいのは、現況にあって自然なことなのかもしれない。本より午睡の目覚めのような憂国の念も些かあろう。やはり平成の安居にあっても、外の紅蓮の炎を無視できないことは「この国を率直に大事にしたい」という思いと同一線上にある。そして「この国を大事にしたい」という思いは、空間的にも時間的にもこの国、倭なり日本なりに距離を置
ヒグポンさん、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。仰る通りで在りますよね。倭国は?リブログさせて頂きます。令和八年如月九日丙午甲寅合掌皆さん、御覧頂きまして、在り難う御座います。お陰様で在ります。感謝で在ります。合掌
【抄録&はじめに:熊津都督府の立場から見た朝鮮半島と倭国の外交・交流史】〈抄録〉663年の白村江敗戦後の日朝・日唐関係史には重層な研究史が存在するが、大半は倭国側の防衛や国家体制の整備からの視点であり、対象国もこの後半島を統一した新羅に重点が置かれた。しかしながら、白村江翌年の664年(戦後初)から665年・667年とたて続けて倭国に使節を派遣したのは、660年の百済滅亡後にその半島西南地域に置かれた唐の熊津都督府であった。なお旧百済地域は、6・7世紀以来肥後を含む北部
満月を見て、考えていました。地球の潮汐力で惑星が破壊されるロッシュ限界と、惑星が地球の重力の支配から解放されるヒル球の間の、実に絶妙な距離に月はあります。しかもその絶妙さは、太陽の直径は月の直径の約400倍。そして太陽までの距離は、月までの距離の約400倍。このために日蝕が起こります。しかも地球に常に同じ面を向けています。月は惑星ではなく人工物、または宇宙船という方が納得できるでしょう。私もそう思っています。今日はそれを前提に、なぜ卑弥呼は日蝕を知っていたのか?について書いてみ
ご訪問ありがとうございます。第1次任那復興会議がなんだか盛り上がらないまま、終わった百済の聖明王ですが、その後の動きを見る前に当時の任那を確認します。目次任那日本府の動き聖明王の任那諸国への苦言任那日本府への苦言大和朝廷の動向任那日本府の動き秋七月に、百済は安羅日本府=任那日本府と新羅が謀り事を通じていると聞き!Σ( ̄□ ̄;)、前部奈率ゼンホウナソチ(百済の官職)鼻利莫古ビリマクコ・奈率ナソチ宣文センモン・中部奈率チュウホウナソチ木刕眯淳モクラマイジュン・紀臣キノオミ奈
三輪王朝から河内王朝までの時代(1)まずは中国の史書に登場する話を中心に、五世紀以前の状況をみていきましょう。『漢書地理志』に「わかれて百余国と為す」とあるとおり、わが国(中国の史書に「倭国」として登場)では1世紀ごろ、100以上の「国」が割拠し、『後漢書倭伝』によると、2世紀の後半に「倭国大乱」によってこの国が大いに乱れたことがわかります。その激しい戦乱の結果、小国に分立していた倭国(関東以東を除く)は、『魏志倭人伝』を参考にすると、「一〇〇余国」が「三〇余国」へ集約
ご訪問ありがとうございます。欽明2年からは「第1次任那復興会議」と呼ばれる国際会議が始まります。ところがこの記事、「日本書紀」は神功皇后以来、日本が三韓を支配していた前提に立っているのに、実際は金官国や安羅国あたりを本拠にしていただけと見られ、しかもこの記事自体が用字から「百済本紀」を元にしていると考えられるので「日本書紀」バイアスと「百済本紀」バイアスがかかっていて、真相解明にはめちゃくちゃたいへんです。しかも肝心の「三国史記」(韓国の現存する最古の歴史書)の成立が1145年、「日
【日本は、中国に飲み込まれる?米国に飲み込まれる?それとも…】#1502の続き!米国の惑星、日本。トランプが切り離せば一気に中国の引力圏内に!日本は再び「倭国王」金印を下賜される?-加治将一-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com
【7世紀の朝鮮半島の概観】朝鮮半島では7世紀の半ば以降、高句麗。百済・新羅の三国の勢力争いが継続し、新羅が唐に、高句麗と百済は倭国に援助を求めて激動の時代に突入した。以下は642年に高句麗と百済が連合して新羅の領土に進行してから、676年に唐と倭国を交えた朝鮮半島の戦乱を新羅が統一するまでの主な出来事を列挙した年表である。新羅が唐の協力を得て高句麗と百済を排除し、さらに朝鮮半島の支配権をめぐって唐をも排除して統一を実現した大きな流れがわかりやすく一覧できるようにした。百済と親
詰まらないブログにお越し頂きまして、在り難う御座います。お陰様で在ります。感謝で在ります。ゲノム編集、遺伝子組み換え農作物、動かないマグロ、ゲノム編集食べるコオロギワクチン!?イタリア、メローニさんは此の様な食品を禁止しましたが、倭国のオナゴの方はその逆に尽力を注ぐので在り、どの様オナゴかがお判り頂けるのでは!?然し殺されますよね。是非、御覧下さいませ、令和八年睦月廿六日庚子合掌是非、動画御覧下さいませ❗️倭国?のオナゴの遣り方は巨大利権の家僕。此の動画
oonoarashidaisukiさん、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。仰る通りで在りますね。全てが全てで在りますよね。知らぬは、倭国の民ばかり也で在りますね。気付いた時には、万事休すで在りますね。後の祭りで在りますね。リブログさせて頂きます。令和八年睦月廿五日丙午己亥合掌皆さん、御覧頂きまして、在り難う御座います。お陰様で在ります。感謝で在ります。合掌
卑弥呼・台与後の倭国はどうなったか?新しい仮説の提案:①300年代にも半島に倭国は存在し、400年前後遂に高句麗と激突した(事実)②卑弥呼・台与後、女王国は敵対していた南の狗奴国に取って代わられ、男王が倭国王となった(仮説1)。狗奴国が倭国となった結果、倭の五王が生まれた。③狗奴国のルーツは卑弥呼の女王国成立前、弥生時代中・後期から半島の全羅南道に存在した甕棺墓制国だった(仮説2)。④この甕棺王国は、弥生時代中期まで北九州で栄えていた甕棺墓
ライクブーツさん、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。そうで在りますよね。抑、彼の手の物は略全て異物で在りますのでね。可也の被害がで在りますね。又、その為の物で在りますのでね。偉い世の中で在りますよね。倭国が一番利用者が多い様で、然し、最近の若いお母さんは、知恵が在りまので、自分の子供に、チクリをしない様で在りますね、製造所は皆、あちら側の持ち物で在りますのでね。人減らしの為で在りますのでね。仰る通りで御座います。リブログさせて
祖先の旅・特別編ⅢDNAが示す渡来以前の弓月の民―卑弥呼と同時代、朝鮮半島北部その3(最終回)⸻第1節弓月の民の信仰と精神構造弓月の民を語るとき、避けて通れないのが「信仰」の問題である。ここでいう信仰とは、後世に体系化された宗教ではない。弓月の民の信仰には、•天•祖霊•火•境界を重んじる、極めて古層的な宗教性が見られる。それは仏教でもなく、イスラム教でも
10其婚姻,壻往女家門外作屋、晨夕灑掃、經年而女不悅、卽驅之、相悅乃成婚。婚禮大抵與中國同。結婚するときは、男が女の家へ行き、門外に小屋を作り、朝夕掃除する。しばらくして女が喜ばなかったら取り壊し、女が喜べば成婚となる。日本古来の妻問い婚に似る。高句麗とも類似する。三国志魏書東夷高句麗伝に、彼らの風習では、婚姻をなす場合、約束ができると女の家では母屋の後ろに婿屋と呼ばれる小屋を建てる。婿となる男性が夕方に女の家にやってくると、戸外で名を名乗り、跪拝して女のもとで夜を過ごし
2026年1月19日の考察今まで卑弥呼を美化せず、人食い人種のシャーマンだとさんざん言ってきました。多くのテレビ・書籍でうら若く綺麗な卑弥呼の絵が出てきますが、魏志倭人伝にははっきりと【年已長大、無夫壻】老婆で夫無しと書かれています。綺麗な卑弥呼の絵は、根拠が無い架空の虚像だと分かりますので臺輿のイメージではないでしょうか。風俗的にも【男子無大小、皆黥面文身】男は皆刺青をしている。と書かれています。どう見ても南方系民族集団です。そこのシャーマンで、鬼道に事え衆を惑わした。と書かれていま
扶桑国の謎2026-1499年、南斉朝末期に高句麗人の僧侶と同じような名前の僧侶慧深が扶桑国という中国人が初めて聞く国から中国にやってきて、扶桑国やその他の国について語ったが、まず、慧深その人について多くの疑問がある。①まず、何のために梁にやってきたのかわからないのが最大の謎。斉の後の梁朝(南朝、502-557年)では、仏教は特に武帝(蕭衍)のもとで最盛期を迎え、「皇帝菩薩」と称されるほど深く信仰され、「仏教王朝」と呼べるほど栄えたが、慧深はその前にきている
令和8年(2026)となりました。今年もよろしくお願い申し上げます。毎年天候も自然災害も国際情勢も激しくなるばかりで、今年もその傾向は続くと思われます。私の場合は、このような時代、常に最悪のケースを考えながら生きていくという生き方を気に入っています。さてどうなりますか。スリル満点の、ヒリヒリするような1年でしょうか?それとも大したことは起きないですむのでしょうか?さて今回久しぶりの投稿は倭の五王についての話題です。そもそも倭の五王の国はどこにあったのか?についてまとめてみま
2026年1月9日の考察あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。多くの反対・反論意見をお待ちいたしています。2025年10月13日の考察で大唐六典の1里(1尺24.12㎝、6尺が1歩=144.72㎝、300歩が1里=434.16m)が、魏志倭人伝の倭国の記載に使えないことが分かりましたが、どうしてでしょうか?1.まず1尺24.12㎝がおかしい。1尺=18㎝とすべきだ2.1歩が、2股が日本と違っている。1歩=1股と考えるべきではないのか。中国からの伝承間違
【大和の一エリアとしての倭国】『日本書紀』の中に出てくる「倭国」を全数確認した。全部で32回出現している。内訳は、神武天皇紀2回、孝昭天皇紀1回、孝霊天皇紀1回、崇神天皇紀2回、景行天皇紀1回、成務天皇紀1回、仲哀天皇紀2回、神功皇后紀1回、雄略天皇紀2回、仁賢天皇紀1回、安閑天皇紀1回、宣化天皇紀1回、欽明天皇紀5回、推古天皇紀1回、皇極天皇紀1回、孝徳天皇紀4回、天智天皇紀1回、天武天皇紀4回。初出の神武紀では、即位前紀戊午年9月5日条に「倭国磯城邑」とあり、倭国が「
【「倭国者古倭奴国也」】●倭国とは旧唐書倭国伝は、「倭国者古倭奴国也(倭国は古の倭奴国なり)」ではじまっている。倭国とは後漢書の言う印綬を授与された倭奴国と同じ国である、との証言である。「その王、姓は阿毎氏なり」と記され、『隋書』俀国伝の「俀王、姓は阿毎、字多利思北孤」とも符合している。その倭国が貞観五年(631)に遣使してきたが、唐の送使高表仁が倭国で王子と争いを起こし両国の関係は悪化したため、その後倭国は新羅を通じて唐と連絡を取るようになった、と倭国伝は記している。
明けましておめでとうございますさていきなり本題です歴史の深淵に触れ、古代の鼓動を肌で感じる準備はできていますか?教科書で見た「巨大な鍵穴」。しかし、その真の姿を知る人は驚くほど少ないのです。なぜ、当時の人々はこれほどまでに巨大な山を築かなければならなかったのか。そこには、1600年の時を超えて私たちに語りかける、驚天動地の戦略が隠されていました。私たちの歴史観を塗り替える、知の冒険へご案内します。1.物理的規模の再定義:大地に刻まれた「絶対的意志」私たちが「仁徳天皇陵(
【「日本国者倭国之別種也」の解釈】『旧唐書』日本国伝の冒頭の文章「日本国者倭国之別種也」に対しては肯定と否定の大きく異なった見解が存在する。岩波文庫版の解説(石原道博氏によるものか)では、「倭国と日本を併記するような不体裁」として、『旧唐書』の編纂者の倭国及び日本国に対する無知による間違った記載であると、否定的な見解を示している。古田武彦氏は、『失われた九州王朝』の序章「連鎖の論理」の中で、「ここではじめて”王朝の交替“があったことが伝えられる。」とし、さらに、「中国側の
【荻上紘一氏:「古代史セミナー2025」開会あいさつから抜粋(大学セミナーハウスHPより)】古代史学は、先ず客観的に史実を確定し、それを各自の歴史観に基づいて解釈したり評価したりすべきです。屡々歴史観が史実に先行する議論が行なわれているのは何としたことでしょうか。当然のことながら、議論の前提は客観的でなければなりません。客観性のない前提から出発する議論には、その前提を認める者しか関心を示さないからです。客観性のある前提から出発して、論理的、科学的で誰もが理解出来る議論の結果と