ブログ記事1,236件
若草山は奈良公園の西にある山焼きで有名な山です。三笠山ともいわれていて、山自体が三重になっています。その三重目、頂上(標高342メートル)に大きな前方後円墳があるのをご存じでしょうか?3月15日の開山まもない天気の良い日に、頂上の古墳まで登ってきました。入山ゲートで入山料150円を支払って入ります。石段はけっこう急こう配ですが、休み休み登ればそれほど大変ではないと思います。中腹の二重目からは奈良盆地も一望できて、癒されるとともに古代に思いを馳せること
仁徳天皇」皇后の目を盗み、コソコソ密会。『古事記』『日本書紀』に記された浮気の手口とは...好色かつ多情な仁徳天皇が、嫉妬深いことで知られた皇后・磐之姫の目を盗んで、お気に入りの女性たちと逢瀬を重ねようとした姿が、『古事記』や『日本書紀』に連綿と記されている。いったい、どんな手口を使って皇后の目を盗もうとしたのか?その方法に注目したい。■愛人の家に「兵」を送った北条政子、それに並ぶ「嫉妬深い皇后」とは?歴史上の「嫉妬深い女性」といえば、真っ先に源頼朝
摂津八十八ヶ所巡礼の際、近くにある神社やお寺など一緒に回れるところがあれば立ち寄っています。こちらは、最初に行った京善寺のはす向かいにある桑津天神社です。手水舎水口は、檻に入った龍です。拝殿です。ご由緒は、桑津の里は、仁徳天皇の妃である髪長姫が居住した場所。髪長姫が病気になったため、仁徳天皇が医薬の神である少彦名命に病気平癒を祈願した。すると瞬く間に病気は快癒。よって、当地に少彦名神を祀るようになったと言われている。しかしながら、
ご訪問ありがとうございます。今日は記事自体は短くして、「応神・仁徳同一人物説」についても検証してみたいと思います。さて、この前の「隼別皇子の反乱」もですし、「応神天皇紀」の大鷦鷯オオササギ尊と紀木菟キノツクノ宿禰の命名の話(二人とも生まれた時に鳥が飛び込んだ。)とか、なんだか鳥の話が多いのが仁徳天皇(大鷦鷯尊)なのですが、またまた鳥関連です。41年春3月、紀角ツヌ宿禰を百済に遣わして、始めて国郡を分けて治め、郷土の産物を詳しく記録した。是の時、百済王の一族の酒君サカノキミが無礼であ
津賀田神社尾張国愛智郡愛知県名古屋市瑞穂区津賀田町3-4(*境内撮影禁止)(*外部者の参拝を受け付けていないと思われる)■旧社格郷社■祭神仁徳天皇[配祀]天照大神瑞穂台地の南端、南区「津賀田町」に鎮座する社。古代の濃尾平野はほとんどが海中にありました。瑞穂台地はかつての湾に突き出した岬、その先端辺りに当社が鎮座していたということになります。◎「津賀田」の地名、社名については諸説あります。一つは「塚」に由来するもの。今一つは「津潟」に由来するもの。◎創建年代、由緒ともに不
宇治神社の船着場の屋根をくぐって道路向かいにある宇治神社の鳥居をくぐります、Ⓒ武田綾乃・宝島社/『響け!ユーフォニアム』製作委員会中洲にあったしだれ桜のこともありますし今度は桜の季節にも来なければ、手水舎のうさぎⒸ武田綾乃・宝島社/『響け!ユーフォニアム』製作委員会こちらも登場していました。石段を上がって宇治神社の拝殿、桐原殿その先2つめの鳥居をくぐると本殿、ご祭神は菟道稚郎孑(うじのわきいらつこ)、応神天皇の子で仁徳天皇は異母兄、仁徳即位にあた
☆仁徳天皇皇后磐之媛平城坂上陵(ヒシアゲ古墳)(ならのさかのえのみささぎ)大和国添上郡奈良市佐紀町字ヒシゲ(P無し、「平城宮跡遺構展示館」Pより徒歩10分余り)仁徳天皇皇后磐之媛命の治定陵墓。通称はヒシアゲ古墳(ヒシャゲ古墳)。全長219mの巨大前方後円墳。仁徳天皇陵(治定墓)の大きさを考えれば理解できるところ。ちなみに夫の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は525m。子の履中天皇陵は365m、反正天皇陵は148m(陵墓参考地は290m)、允恭天皇陵は228m(陵墓参考地は208m)。堤