ブログ記事1,306件
西出雲王・神門臣家の大屋姫は、徐福の息子(五十猛命)の妻となり、【高倉下(たかくらじ)】を生んだ。その子孫の家は紀伊国造家となり、のちの子孫には『武内(たけしうち)大田根』が誕生した。この『武内大田根』こそが【武内宿禰】なのだ。そして、この【武内宿禰】の息子が《蘇我宿禰石河》という。つまり、《蘇我氏》は大国主命(ヤチホコ)の血を受け継ぐ出雲の王家の人たちなのです。この《蘇我氏》の系統は【仁徳天皇】へと受け継がれていくのである。
ちょっとだけ時間を巻き戻して仲哀天皇のお父さん日本武尊命関東征伐と熊襲征伐で有名ですよね。熊襲征伐では女装して熊襲猛に家に潜入、殺害します。いつもの、ちょっとこざかしい作戦です。でも、一人で関東と九州を平定したの??すごいですね。ほぼほぼ創作でしょう。でも、何故??そんな人物が必要だったの?はい、後の倭の五王最後の天皇武雄略天皇と思われますが478年に大陸へ送った手紙祖先が自ら甲冑をまとい山川を踏破し東は毛人55国、西は衆夷66国、北の海を渡って95国を平定した
時代は、既に5世紀になりますが応神天皇のお子様仁徳天皇即位その後の年齢が・・・即位時57歳、在位期間87年亡くなられた年齢143歳そうですね。神功皇后でだいぶ年代詐称をしたのでその修正が必要でした。その後も、次々と長寿の天皇家あの河内平野に世界最大の墳墓大仙陵古墳群で5~6世紀で間違いありません。最後の河内王朝の天皇は武烈天皇18歳で亡くなられて世継がいませんでした。そして、越前出身継体天皇を担ぎ出して即位よくわかりませんが??応神天皇の6世代後のご子孫とか
みなさんそろそろこんばんは~(*^^*)もうこの時間頃には仕事も終わり、シルバーウイークに突入でしょうか?なんだかシルバーウイークって年寄りの為の1週間みたいな気がする…どこも行かないもちろんお寺にお参りにはいく…高津宮です、南側の参道…今回は北側の参道から参拝しますそして公園にチャリを停める…目に入ったのはブランコ・・・なんでや!!実はこの公園のブランコ・・・1個なくなってるでしょ?ここ・・・いつも神様が乗ってたんです、いやほんまですって~~!公園の北側か
古墳時代の巨大前方後円墳を見ていると、ひとつの疑問が浮かんできます。「この古墳には、いったい誰が眠られているのだろうか?」現在、宮内庁によって「天皇陵」に治定されている古墳の中には、考古学的に推定される築造年代と、そこに葬られたとされる天皇の年代が大きく食い違っているものがあります。本ブログでは『日本書紀』の紀年をそのまま使うのではなく、独自の無事績年削除法による「復元紀年」と、古墳の推定築造年代・墳形、古墳同士の相対的な築造順序などの考古学的成果を照らし合わせながら、天
この秋に若楠と葦に、それぞれ2本ずつ原稿を出す内、残りの葦の1本をようやく書き始めました。「西ノ山古墳(八尾市楽音寺七丁目)の陵墓説について」そもそも拙生の調査研究は、「供養」のために行っているものであり、学術的な研究とは根本的に性格を異としているのであります。その方のこと、起こった出来事を明らかにすることで、その方の思いや考え、志、心の叫び、無念の思いなどを知ることを以て、供養に資して参りたいと考えているのであります。「西ノ山古墳」との出逢いは、元々その東にあったとされ
みなさんそろそろこんばんは~(*^^*)大阪は夜から雨だそうです・・・なんだかいいタイミングで友人が来てました阿倍王子神社です元々は熊野第二王子神社だったそうです明治に入り、大江神社となり、八幡神社を合祀して大江八幡神社になる祭神はだから八幡神が入ってるんだ~狛犬さんは青銅狛犬さんかなりの秀品です創建が仁徳天皇だという事ですがどうも創建と由緒があってない感じもする…まあだいたいそんなもんだけどね阿形もいい顔しています誕生は昭和に始
一国一社・八幡宮平塚八幡宮平塚市浅間町今回は一国一社平塚八幡宮に参拝します。当社の歴史は古く、5世紀の創祀とされ、古くから「鶴峯山八幡宮」と称されるほか、「一国一社の八幡宮」、「鎮地大神」と称えられている。御祭神・応神天皇・神功皇后・武内宿禰の命ご利益は厄除・方位除・八方除・安産祈願・家内安全・交通安全・勝負運である。境内には複数の摂社・末社があり、それぞれの御利益があるそうです。380年に相模国を襲った大地震の
数十年ぶりに香椎宮に行きました。若いころはただの大きな神社だと思ってましたが、少し調べてみると格式高い神社だと今更知りました。香椎宮の主祭神香椎宮の主祭神は「仲哀天皇」、妻「神宮皇后」です。仲哀天皇は14代天皇で、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の皇子に当たります。(その孫が仁徳天皇陵や、民のかまどで有名な「仁徳天皇」です。)仲哀天皇は即位8年目に九州筑紫の熊襲の退治のために、香椎(当時は橿日(カシヒ))に滞在されました。(古宮跡地が近くに残されています。)しかし
第二十四代仁賢天皇、億計天皇(おけのすめらみこと)は古代、記紀の時代の天皇です。御父は市辺押磐皇子、御母は葛城はえ媛。履中天皇の孫で、仁徳天皇の曾孫でもあります。允恭天皇三十八年生。諱は大脚、字名は嶋郎(しまのいらつこ)。在位、仁賢天皇元年(488年)から仁賢天皇十一年(498年)。億計天皇は弘計(をけ)天皇(顕宗天皇)の同母兄であり、その名前から双子であった説があります。また姉の忍海部女王は二人が皇位を譲り合っていた間、天皇であったとも伝わります(飯豊天皇)。昨日は雄略天皇
住吉大社、荘厳浄土寺へ08/29sat.12:00-13:20ドーム前千代崎バス停から住之江公園出戸バスターミナル行きに乗り継ぎ住吉公園バス停降車住吉高灯籠鎌倉時代末期、住吉大社へ捧げる常夜灯大阪湾を行き交う船の灯台を兼ねて創建住吉公園を東に、南海本線住吉駅を潜って住吉大社、一の鳥居(西大鳥居)参道を進み、反橋この橋を渡ると「おはらい」になると伝わる石造橋脚は、淀君の秀頼公成長祈願の奉納とか…中門へ正面に、第三本宮南側に、第四本宮正面奥に、第二本宮奥
保険は売らない!保険を使わない本当の幸せな人生を提供する物部高志のブログ自己紹介はこちらですプロフィール『あらためまして自己紹介』ブログも1年続いてスタートラインに立ったということであらためて自己紹介1979年6月10日生まれ双子座B型188cm82キロ経歴高松東幼稚園古高松南小学校古高…ameblo.jp仁徳天皇「民のかまど」という伝承がある都を眺めていた仁徳天皇がご飯どきなのに家々からかまどから煙が出ていない民が困窮しているのではないかと3年間税を免除する3年後再び
「天皇を遡ってみよう(111)16代(仁徳天皇)」今日は、大伴家持みなさんおはようございます北陸、石川の皆さまお気を付けてください熊本も1か月が経ちました皆で心を合わせましょう今日は満月午後1時19分です越えられない苦難はないハタラク葉月、8月心を合わせる(笑顔で)「小川翔護とハタラク仲間たち(OHN)」ご参加いただいた皆様、いつもありがとうございます『大いなる和のこころ』ハタラク國生みチャンネル第11回「日本の風水2・秋分の日」
《大仙陵古墳》(F4(242×333㎜)、色紙に墨、顔彩)2022年。大阪府堺市にある、仁徳天皇陵とされる世界最大の古墳です。ここが正面です。歩いて一周しましたが、時間がかかりました。仁徳天皇といえば「民の竈」ですね。そのくらい決断できる人はいないものでしょうか。【販売サイトはこちら】大仙陵古墳—Artmeter™(F4(242×333㎜)、色紙に墨、顔彩)大阪府堺市にある、仁徳天皇陵とされる世界最大の古墳です。ここが正面です。歩いて一周しましたが、時間がかか
宇治川対岸の神社仏閣平等院の対岸の神社仏閣には、世界遺産の宇治上神社や宇治神社、恵心院、興聖寺があり、さわらびの道の先に源氏物語ミュージアムがある。宇治の平等院を拝観した後に橘橋を渡り中の島から朝霧橋を渡り対岸の寺社を拝観した。宇治上神社縁起は、応神天皇の末の皇子であった菟道稚郎子は幼い頃から博識聡明だった。皇太子となった。応神天皇が亡くなられ、菟道稚郎子は兄である仁徳天皇に天皇の位を譲り、現在の宇治の地に離宮を建てて、一切の政をしなくなった。仁徳天皇も「菟道稚郎子が、皇位を継ぐことは
『令和8.8.19.東大寺・鶏活・市民農園物語』『令和8.8.1.入江泰吉76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半』76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半奈良市佐紀町2126A…ameblo.jp『令和8.8.1.入江泰吉76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半』76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半奈良市佐紀町2126AIでカラー化しました。木の形、変わりましたねぇ。木の向こう側は、八上池。辻堂石仏群。…ameblo.jp水上池
BODYPITKYOTO奉仕活動㉓伊勢川上山若宮八幡宮⛩️皇紀2686年令和8年(丙午・一白水星)葉月11日(祝・火)三重県津市に鎮座します伊勢川上山若宮八幡宮へ、月に一度の清掃奉仕に上がりました⛩️「山の日」ということもあり、今回はまさに「山へ」🏕️滝、川上山不動社、天狗像、そして山道の清掃を行いました🧹前回・前々回とじっくり滝周りを手入れしていたおかげで、今回はあとから落ちてきた落ち葉をサササッとお掃きするだけで一氣にスッキリ!とはいえ範囲がとても広いので、しっかり体
『仁徳天皇』(にんとくてんのう)日本の第16代天皇。三韓征伐をした神功皇后の孫。八幡神となった応神天皇の子。仁徳天皇と言えば、「民のかまど」の話が有名です。今回は、この話を致しましょう。仁徳天皇は、ある時、難波高津宮の高台から、遠くを御覧になりました。そして、家々から煙が立ち昇らないことを知り、かまどで煮炊きもできないほど、民が貧しいからではないかと思いました。都でさえこんな状態なのだから、地方はもっと酷いであろうとも
応神天皇の末の皇子であった菟道稚郎子は幼い頃から博識聡明だった。そのため父君の応神天皇が大切に手をかけて育まれ、皇太子となった。しかし、応神天皇が亡くなられ、菟道稚郎子は兄である仁徳天皇に天皇の位を譲り、現在の宇治の地に離宮を建てて、一切の政をしなくなった。しかし、仁徳天皇も「菟道稚郎子が、皇位を継ぐことは、応神天皇が定められたことなので、変えることはできない」と言い、3年間もの間、皇位を譲り合った。国民は戸惑い、世の中も乱れ始め、菟道稚郎子は自身の行いで、このあり様をご覧になり、悲しま
大仁保神社(明日香村入谷)大和国高市郡奈良県高市郡明日香村大字入谷字マンゾ(400~500mほど麓に駐車スペース有)(近年道路整備されたらしく、そこまでの道は通行困難な箇所は一切無し、「天空の里」を目指して進めば着きます)■祭神仁徳天皇「奥飛鳥」の最深部、標高450mの山頂付近、「入谷(にゅうだに)」集落の頂に鎮座する社。◎「入谷」はもちろん「丹生谷(にゅうだに)」からの転訛であろうと、また社名の「仁保(にほ)」も「丹生(にふ)」からの転訛であろうと推されます。◎当社は丹生都
パワスポ山神社⛩️パワー炸裂ルルちゃんがめっちゃ泳ぐから海と山に囲まれた松崎町に移住しそうになってるルルちゃん泳ぐ犬マミーです今日は松崎町の真のパワースポット⁉️山神社⛩️さまに参拝してきましたいや、すごいてパワー炸裂でしょ、山神社さまは、花の三聖苑の奥にひっそりと佇んでました道の駅「花の三聖苑伊豆松崎」道の駅花の三聖苑伊豆松崎は松崎町大沢にある道の駅。日帰り温泉、食事、地場産品販売がご利用いただけます。www.izu-matsuzaki.comそれはそれは美し
本日は旧暦6月7日ですが、天明七年六月七日(1787年)、239年前の本日、京都御所に大勢の人が集まり千回廻って祈ったという御所千度参りが発生しました。この時の天皇は光格天皇。まだ九歳(満年齢八歳)の幼さで傍系の閑院宮家から即位されてから八年後のことです。この八年前、後桃園天皇が若くして崩御され、皇子女は欣子内親王しか残されませんでしたので、閑院宮家の師仁親王が急遽践祚されて即位しました(光格天皇)。光格天皇が幼かったため後桃園天皇の後見をされていた後桜町上皇(御桃園天皇の伯母
皇紀2686年令和8年丙午一白水星文月22日(火)いつもBODYPITKYOTOをご愛顧いただき、洵にありがとうございます。😊毎週火曜日は定休日のためお休みを頂きます🙇明日は、毎月個人的に清掃奉仕へ上がっております、三重県津市に鎮座する**『伊勢川上山若宮八幡宮』**へ参拝・清掃奉仕に上がります⛩️✨今回は、いつも共に活動している清掃奉仕仲間の親子もお誘いし、3人で清掃奉仕に上がります🧹👦🧒神社への感謝、そして素晴らしいご縁への感謝を胸に、心を込めて隅々まで清掃奉仕を
役職が重い人ほど害になることがある。ある本では風雨雷神のことを載せて、天帝の城を評価しているものがある。その本には、大鼓があって一回叩けば雷となる。箱があって一回扇げば風を出す。壺があって一回注げば雨を作る。これが世界中に害をなすとある。これが帝釈城の官職にある人に渡ってしまったと。この評価はもっともである。遥かなる帝釈城を尋ねるまでもない。近くその国のその君主の手中から自由に風を吹かせて、雨を降らせて、雷を鳴らすのは目前である。こういうことから、大事になると国家を潰し、小さい範囲では民を
くるくる🌀と海亀🐢は、難波宮跡の芝生に腰を下ろし、大阪名物のたこ焼きを頬張っている。くるくる🌀:「熱っ!ハフハフ……。ここも仁徳天皇ゆかりの場所なんだよね?天下を治めた大王が暮らした場所で、恋愛話の続きを聞くなんて、なんだか不思議な気分。」海亀🐢:「ふふふ。この難波宮は政治の中心地でした。民のために治水を行い、国を豊かにした名君として語られる一方で、恋愛となると、なかなか波乱万丈。」くるくる🌀:「インフラは完璧でも、家庭内インフラは大渋滞だねー。」海亀🐢:「その渋滞は、磐之媛
先ほど興味深い記事を見つけましたので、ご紹介致します地理に関する興味深い話題を発信するとらべるじゃーな!さんのレポートです。悠仁さま、関ヶ原で「この辺に家はあったのか?」と質問的外れで心配の声もあったが、実は深い洞察だった(とらべるじゃーな!)-エキスパート-Yahoo!ニュース宿泊経験600泊。地理旅、穴場いやし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。先日宮内庁は、悠仁さま(19)が8月7日から1泊の行程で広島県を訪問し、原爆死没者慰霊碑への供花、本川小学校平和資料館
前回は、巨大古墳や「民のかまど」の逸話など、仁徳天皇の輝かしい功績を見てきました。でも、どんな英雄にも苦手な相手はいるもの?今回は、そんな仁徳天皇が唯一(?)頭の上がらなかった最強の皇后・磐之媛命のお話です。海亀🐢:「ではでは、お待たせしました!ここからは大王(おおきみ)のプライベート、言うなれば『古代のゴシップニュース』に迫ってみましょう。巨大な古墳を建て、大インフラを成功させたカリスマ・仁徳天皇ですが、こと『家庭内』においては、完全に奥さんの尻に敷かれ、頭が上がらない状態でし