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ご祭神仁徳天皇にんとくてんのう配祀素盞嗚尊すさのおのみこと反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮しばがきのみやを開かれたとき、父帝の仁徳天皇をご祭神として創建されたと伝えられる。その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583年)現在地に遷座。昭和20年(1945年)第二次世界大戦大阪空襲により全焼したため、仮宮によっていたものを昭和49年7月(1974年)再建され現在に至る。
本日は旧暦の3月14日ですが、新暦に替わる前の明治元年三月十四日(1868年4月6日)、五箇条の御誓文が渙発されました。明治天皇が天地神明に誓約する形で公卿や諸侯に示した政府の基本方針です。これは昭和天皇が終戦後に「新日本建設に関する詔勅」で引用されており、内容からしても政治家はもとより日本中で今でも意識したい内容です。五箇条の御誓文一広く会議を興し、万機公論に決すべし。一上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。一官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心
本日の昭和の日とは昭和天皇のお誕生日で、昭和初期は天長節、戦後は天皇誕生日だった日です。昭和天皇は、今上陛下の御祖父であり、上皇陛下の父君です。皇太子時代に御外遊された時、フランスでの昭和天皇の御影令和の御譲位の際、春には上皇陛下上皇后陛下が御譲位の御奉告のため武蔵御陵に参拝され、天皇陛下皇后陛下は即位後にやはり御奉告のため参拝されました。また秋篠宮皇嗣同妃両殿下も「立皇嗣の礼」後には参拝をされました。また敬宮殿下が学習院大学のご卒業と就職の奉告のため参拝されてらっしゃいます。そし
2026-04-05なんだか古そうな石碑があるよあ駐輪場の向こうに淀城の石垣が見えてるよトコトコ〜淀桜ってのがあるんだね可愛い〜トコトコ〜凉森神社仁徳天皇がお父さんの応神天皇から代わった時に、奈良から高津宮に移したんだね〜その時行き来したのがこの道だったのかな?行ってみるかぁ〜なんか石垣みたい考え過ぎか⋯(笑)石清水八幡宮ゆかりのとこなのかしら?ご挨拶しまーす同じ道を戻ってきましたん?美豆城跡やっぱりお城だったのかぁ〜てことは、これがお堀だったのかなさ、
こちらの記事は日本史歴代天皇【第16代:仁徳天皇】のINDEX記事です実在の可能性が高い天皇※記事の日時=更新日時です※画像や動画の流用は固くお断りします目次伝承概要推定在位期間譚系譜在位中の創建とされる社栃木県)宇都宮二荒山神社仁徳天皇を祀る社東京都)富岡八幡宮神奈川県)若宮八幡宮目次を開く伝承概要推定在位期間仁徳天皇元年1月3日(23歳)〜仁徳天皇87年1月16日(110歳)古墳時代(原始時代)(※4世紀末〜5世紀前半)📝ウィキペディア:歴代天
大原野にある樫本神社です。大原野神社の境外摂社。創建は不詳ですが、大原野神社よりも古いといいます。寛永5年(1628年)、後水尾天皇中宮・徳川和子が祈祷料白銀30枚を寄進。寛永7年、江戸幕府3代将軍・徳川家光(和子の兄)が祈祷料米百石を寄進。これによって社殿を修復したといいます。明治15年、大原野神社の境外摂社となりました。平成25年、第62回伊勢神宮式年遷宮の廃材を無償譲渡され、平成29年、社殿を建て替えたそうです。本殿。祭神は、仁徳天皇。樫本神社;
こんにちは・・(^_-)-☆今の奈良市は雨が降って気温が19℃で少し肌寒い日になりましたね。奈良は、最高気温22℃と昨日より少し暖かくなりましたね。奈良まほろばソムリエ奈良通2級の13回目の問題です。3奈良県の遺跡や古墳に関する事柄について最も適当なものを選びなさい。(19)倭迹迹日百襲姫命大市墓に治定される箸墓古墳をその範囲内に含む遺跡はどれか。ア.坪井・大福遺跡イ.箸尾遺跡ウ.橿原遺跡エ.纒向遺跡(20)飛鳥坐神社の南
2026-04-03トコトコ〜高津宮こちらも咲いてるね〜お隣の公園の桜の下には沢山の人がピクニックしてました階段上ります柄杓の間から龍さん御陵が大きくて前方後円墳で有名な仁徳天皇が主神ご挨拶して〜相合坂あ、カップルで下りなきゃいけないんだ⋯じゃ、こちらから下りますトコトコ〜あれ、ここの木こんなに枝切られてたっけ??榎木大明神トコトコ〜まろんは熊野街道を歩いているようですあ、こちらもお久しぶりに来たね〜太閤下水見えづらいけど、水が流れてるよ豊臣秀吉クンが下水
物価高対策として、長野市が発行を予定している「長野市プレミアム商品券」。市民の約7割、発行総額を29億円余上回る申し込みがあった事が分かった。うーーーーーん。それだけ国民生活が大変だということの裏返し。圧倒的支持で政権を取った高市内閣。選挙前には威勢の良かった、食料品の消費税をゼロにするという話は一体どこに行ったんだろう(個人的には飲食店には増税みたいなので反対だが)?その昔、仁徳天皇は高台から里を見渡し、「煙が上がっていないという事は、民が貧しくて炊くものがな
皆様、おはようございます。BODYPITKYOTO院長藤崎進一です。先月からご縁をいただき、三重県津市美杉町に鎮座する**「伊勢川上山若宮八幡宮」**へ清掃奉仕に上がっています。ここは伊勢・伊賀・大和の国境に近く、雲出川の水源地。まさに山岳美と渓谷美を兼ね備えた、心身が研ぎ澄まされるような霊地です。御祭神と御神徳こちらの神社では、仁徳天皇と磐之媛皇后をお祀りしています。長寿・災難除の神様(仁徳天皇)御年110余歳という、御歴代天皇の中でも殊に長寿であられた仁徳天皇。その御神力から
湘南エリアの八幡の神々の血の繋がり平塚八幡宮神功皇后、応神天皇前鳥神社菟道稚郎子命鶴嶺八幡宮応神天皇、仁徳天皇この三社がなんと8時から平塚八幡宮9時から前鳥神社10時から鶴嶺八幡宮開始にはギリギリ間に合いませんが😅リレー参列が可能なんです。最近は平塚八幡宮の宮司との話で前鳥神社の開始に間に合わないのでパスしておりますが今月は鶴嶺八幡宮の後に中野神社に向かい弁財天の池奉仕を計画してます。参列及び奉仕を希望される方は九門またはののさんまで4月15日10
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!倭迹迹日百襲姫命が好きだと言った百相村、現在の仏生山にある讃岐松平家の菩提寺横の平清盛の命で改修された平池から朝日をのぞむ安徳天皇の荼毘の場所祖谷の川松尾芭蕉さんの詠んだ句を妄想で勝手に訳します。気分が悪くなる方がいらっしゃる可能性があります。石つぶてなどは投げないでください。悪しからずご了承ください。【日光】「あらたふと青葉若葉の日の光」(あ
柏餅が和菓子屋さんに並べられる季節となりました。以前、気に入ったチラシ↓このコピーが素敵です。端午の節句のお菓子と言えば柏餅ですが、柏餅について知るほどに、季節限定ではなく1年中あればいいのに、と考えています。それはなぜか?柏の葉には子孫繁栄の願いが込められているといいます。だからこそ端午の節句に添えられているわけです。しかし柏の葉といえば、新嘗祭で天皇陛下が神饌の器に使用している葉っぱです。神様へお供えするものを神饌(しんせん)といいますが、その神饌は古代の食事
こんばんは🤗狛犬ウォークで参拝した土師八幡宮の摂社の続きを書いていきますねヽ(=´▽`=)ノ✨✨まずはこちらから(≧∇≦)ノ✨こちらは若宮神社跡です(´・ω・`)ショボーン💦💦💦鳥居の建立時期がよく見えませんでしたよ😅社殿はありませんね(´-`).。oO💦💦もう本殿と拝殿の基礎しか残っていません(ヾノ・∀・`)💦💦御祭神は仁徳天皇でした✨✨(ー人ー)パンパン✨✨宮司さんに聞いてみると数年前に土師八幡宮に合祀して若宮社はとかれたそうです(ノД`)シクシク💦💦💦そして宮司さん
皇紀2686年令和8年丙午一白水星卯月7日(火)いつもBODYPITKYOTOをご愛顧いただき、洵にありがとうございます。毎週火曜日は当院の**【定休日】**となっております。明日、4月7日の定休日を利用いたしまして、先日参拝に上がりました三重県津市に鎮座します**「川上山若宮八幡神社」**へ清掃奉仕に上がります⛩️この活動は「BODYPITKYOTO奉仕活動」として、まずは自分一人から始めていこうと考えております。団体としての枠組みではなく、自身のペースで時間を決めず、
東日本大震災の時、ネットで話題になっていた「民の竃」の物語。私は、子供の頃になにかで読んでいてこの話を知っていましたが、すっかり忘れていましたし、子供の頃の読解力ではこの話の凄さをわかっていませんでした。子供の頃はただ読んでいただけだったのです。東日本大震災の頃、私はちょうど古事記をちゃんと読もうとしたり歴史の学び直しをしようとしていた時でした。そんな時期に、ネットで民の竃が話題になっていたのです。古から伝えられる物語の力をこの時強く感じました。というのも、民の竃の物語は、国民が一致
枯木村の名前の由来;この地域にかつて大きな枯れた木があり、朝廷はその木で高速船’枯野’をつくらせた。その大きな枯れた木があった場所なので「枯木村」と名づけられた(これは個人的な推測です)旧枯木村である矢田枯木町は1980年の地名変更で公園南矢田になり、「枯木」という名前が無くなってしまいました。でも村の名前が決まる時に、なぜ敢えて「枯木」というネガティブな名前になったのか、ずーっと気になっていました。遅ればせながら、私なりに調べた結果をとりまとめましたのでここに記録しておきます。
皆様こんにちは。沙貴誉(さきほまれ)です。「旧宮家養子案」など、絶対に上手くいきません。その理由をいくつか書いてみますが、私のような一般人でさえ見抜ける事なのに、頭の良い国会議員の先生方が見抜けない訳がないと思います。という事は、国会議員の皆様は、「旧宮家養子案」という結論ありきで議論している、という良い証拠になると思います。「旧宮家養子案」も「ぼったままで忽せない」も、「愛子天皇を排除するため」の議論でしかないのです。多くの皆様が懸念してい
難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花=王仁博士・古今和歌集=応神天皇の崩御後3年間の天皇空位を経て第16代仁徳天皇が即位されたことを祝して王仁博士が詠った歌というのがこの『難波津の歌』♪↑競技かるたでは百人一首の序歌として詠まれる歌なので百人一首の世界では誰もが知る有名な和歌です♪↑本日の画像は仁徳天皇の皇居跡とも称される大阪市中央区の高津宮♪高き屋にのぼりてみれば煙(けぶり)たつたみのかまどはにぎはひに
天皇制は日本固有の制度である。天皇は国民の生活が滞り無く成立することを見守る役割を担ってきました。仁徳天皇は民のかまどから煙が出ているかどうかに心を配りました。昭和天皇は「戦争責任はすべて私にある。」とし、国民に責任は一切ないと訴え人間宣言を発表して全国各地を慰問しました。
本日、定休日を利用して三重県津市に鎮座する**「川上山若宮八幡神社」**へ参拝に上がりました。実を言いますと、つい2週間ほど前まで全く存じ上げない神社でした。ところが、東京の友人が**「進ちゃんが好きそうだから」**と急に連絡をくれ、教えてもらったのがきっかけです。持つべきものは、自分の好みを理解してくれる友ですね。「ご近所」の感覚が、少しずつ浮世離れしてきました(笑)地図を確認すると、私が定期的に参拝している奈良県宇陀市の「墨坂神社」から車で53分。「な〜んや、ご近所やん!」…
『宋書』は、珍と済の関係が父子でも兄弟でもなかったため、あえてその関係を記さなかったと考えられます。つまり、ここに「倭の五王」の讃・珍(履中・反正)グループと済・興・武(允恭・安康・雄略)のグループとで王の血筋が異なるという解釈が成り立つわけです。それでは話をもとにもどし、『記・紀』はなぜ、倭王済に比定される允恭天皇の父を仁徳天皇としたのでしょう。『記・紀』の編纂がはじまった7世紀後半は、ようやく日本の王権が父から子へ、直系で相続されはじめた時代。前天皇との関係
https://www.ameba.jp/profile/general/nippon-aikoku-ok/礼節を重んじるさんのプロフィールページ凛として愛www.ameba.jp礼節を重んじるさんのブログをリブログさせて頂きました仁徳天皇の「国民の幸せあってこその自分」昭和天皇の「自分はどうなってもいい国民を助けて下さい」後世に繋いでゆきたい思いです礼節を重んじるさんのブログはこちらです
いつも拙ブログへお越し下さりありがとうございますこれからもどうぞよろしくお願い致しますm(__”m)今日は「民のかまど」というお話です。読書のすすめで入手した、白駒妃登美さんの著書「古事記が教えてくれる天命追求型の生き方」からご紹介させていただきます。_______今からおよそ千六百年前の話として、仁徳天皇のWiki:仁徳天皇(にんとくてんのう、旧字体:仁德天皇、神功皇后摂政57年-427年?[1][2]〈仁徳天皇87年1月16日〉)は、日本の第16代天皇
三重県津市美杉町川上に鎮座します伊勢川上山若宮八幡神社⛩️伊勢・伊賀・大和の国境に近く、村里から半里ほど離れた山中にあり、山岳美と渓谷美を兼ね備えた、雲出川水源の霊地に鎮座する古社です。御祭神は仁徳天皇🎌そして磐之媛皇后🎌仁徳天皇は御年百十余歳という長寿を保たれたと伝えられ、歴代天皇の中でも特に長寿であられたことから、長寿の神様として尊崇されています。その御神徳は、長寿をはじめ、災難除け、病氣平癒、家内安全、交通安全など多くのご利益として信仰されています。また仁徳天
もう30年以上前の事だが、妻の実家宮崎県の延岡に出かけた際、私は一人75㌔ほど離れた西都原古墳に出かけたことがある。「男狭穂塚古墳」および「女狭穂塚古墳」を興味深くみてきたが、これは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)に比定されている。一方では仁徳天皇の妃・髪長姫とその父・日向諸県君の墓だとも伝わる。水野祐氏の「三王朝交代説」は現在では受け入れられていないようだが、私は興味深く読ませていただいた。ここでは崇神天皇~仲哀天皇を「第一王朝」、神功皇后・応神天皇~武烈天
2月15日に行った湯島天神で脳裏に鶴岡八幡宮の映像が浮かんだため行ってきました。いつも通り、外国人旅行客は多いのですが、境内は以前ほど混みあってはいませんでした。まぁ、まだ桜の時期でもありませんでしたから、それでかもしれませんけど。鶴岡八幡宮は、石清水八幡宮の分霊を勧請した社だったので若宮と呼ばれていたようで、はじめは下社のあたりに祀ったようです。●2/18鶴岡八幡▽若宮(下社)(仁徳天皇の神さま、こんにちは。本が出来ましたので、本を持った方
湯の花トンネル列車襲撃事件の慰霊碑から旧甲州街道へ戻り、高尾梅の郷まちの広場にやって来ました。梅林よりも目立つ圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の裏高尾橋。山を貫通していて、なんだか第3新東京市(エヴァンゲリオン)みたい。相変わらず人間の仕事は凄い。梅林はまだ色付いていませんが、来週末には梅まつりがあるし、暖かくなってきたのでそろそろ見頃になると思われます。高尾梅郷は、旧甲州街道沿いに点在していた梅林を観光地化することを目的とし、1964年に植樹が始まりました。この先の小仏まで
🟣古今東西縦横無尽の哲学カフェ第十八回:仁徳天皇と「竈門の煙」──国家とはなにか。富とはなにか。そして──見るということ。🪶「煙が立つかどうか。それだけで、国の姿は見える」今回の国務大臣の演説に関する質疑で、参政党の神谷代表が比喩として挙げた仁徳天皇。その名を聞いた瞬間、私の脳裏に、ある場面が浮かんだ。──高台から国を眺める天皇。──竈門から煙が立っていない。それだけの物語。けれど、そこには国家哲学の原型がある。🔥【竈門の煙とはなにか】『日本書紀』に