ブログ記事2,285件
一浪で医学部に合格した友達から英作文は誰かに見てもらった方が良いよと言われていた娘英語赤ちゃんから英語お姉ちゃんくらいまで成長していたのでそろそろ英作文を見てもらおうとネットで英語塾を探したところ娘が通っていた自習室の近くに個人で英語を教えている先生がいた(医学部合格実績もあるし、評判もよい)この先生と出会えて本当に良かった二浪目の最後半年ほど英語を見てもらい、娘の英語力がかなりアップしたのだ(3ヶ月位の予定が、成績がどんどん上がるので国立直前まで教えて貰った✨)先生
娘の英語事情そりゃー高校生の頃から比べたら成績は上がっていたけれど医学部を受けるレベルじゃない、、、二浪目にして気付いたこのままではダメだ!基礎に戻ろう!中学英語に戻ろう!!ネットで色々調べて購入したのが大岩のいちばんはじめの英文法これをやり始めた時娘が言った言葉私、英語赤ちゃんだった文法を知らな過ぎる、、、、バブ〜国立の中高に通っていた娘実験校なので?教科書通りの授業をしない先生が(沢山)いた中学の英語ではハリーポッターの動画を観てテストはハリポタの台詞
私の友達の娘さんが2022年に医学部に現役合格した都内の実家から通学できる国立医学部共テは最低9割ないと難しいと言われていた学校そりゃー偏差値高いっすその娘ちゃん、我が家の長女と同じく共テが終わり泣きながら家に帰ってきたのだとかぜんぜん出来なかった!2次試験自信ないしもう合格むり受かっている私立医学部に行く翌日の予備校で行う採点と面談にも「絶対むりだから行きたくない」と出席しなかった仕方ないので私の友達が面談だけ受けに行ったとか予備校の先生に説得され、電話越しに
昨日書いた、難関国立医学部に現役合格した友達の娘さん友達いわく「娘は完全に文系」なのだそう2022年の共通テストだったから第一志望の国立医学部に合格できた理系科目は苦手だったけどみんな出来なかったので助かった~娘さん、数学と化学は苦手なんだとか、、、(2022共テの数学と化学は過去最低の平均点だった)娘さんの共通テストは英語、国語、社会が満点生物は9割ほど4教科で900点中の590点(65%)以上とれてしまう2022年は、ボーダーが千葉医や横市83%(747点)、
「昔は浪人が当たり前だったよ。ウチの高校なんか4年制高校って言われてた。」と、生徒に言うとキョトンとされます。「浪人・予備校は文化だ。」は、今は亡き当校数学先生の口癖でした。今となっては完全に死語ですが、私に受験時代にはこんな言葉が飛び交っていました。現役・偶然一浪・当然二浪・平然三浪・憮然四浪・唖然五浪・愕然まだ続きます。六浪・慄然七浪・呆然八浪・超然九浪・天然十浪・無為自然よく考えたものです。七浪しなくても「呆然」となっている気がします。八浪以上はもはや
二次試験の日を迎えるまで、私は淡々と家事や仕事をこなし、その日まで無事に過ごせることだけを願っていました。たとえ模試でA判定を取っていても、センターで十分な点数を取っていても、ここで、息子はもちろんのこと、私が病気にでもなったら、すべての苦労は水の泡となってしまいます。休日も出かけないようにしたり、仕事の後も、いつもだったらちょっと寄り道をして帰ることもあるのに、スーパーでの買い物もさっさと済ませ、まっすぐに自宅に帰っていました。この頃は家にいる時以外は、いつもマスクをし
まずはじめに、前期試験お疲れ様でした。そして合格された方々本当におめでとうございます!→本題宅浪として今年はいろいろな参考書やってたので、受験生の方の参考になればということでレビューみたいなことしときます。ちなみに現役のときは学校で配られた問題集(青チャート、サクシード、メジアンなど)をしてました。数学これは主に一浪、二浪で使用したものです。①確率確率の参考書は上に写ってる「ハッとめざめる確率」と「合格る確率」が有名だと思いますし、ネットの評価もいいですからどちらか合う方を買うの
このブログを書き始めたとき、私はお世話になったイケメン先生や、イケメン塾の存在を教えてくださって先生に紹介してくださった『二浪日記』のmarimcreamさんに恩返ししたいという気持ちがとても強かったので、息子の浪人時代を振り返ることはとても辛いことでしたが、合格までの道程をすべてブログに書くことができました。そして多くの受験生の保護者の皆さまにお読みいただき、我が家の失敗例から何かヒントを得てお子様の受験に役立てていただければと、そのような思いでいました。でも、ブログを
暗い内容の話を書いたので、今日は前向きな話題に切り替えたいと思います。息子の通っている大学、私はとても気に入ってます。キャンパスや大学の設備なども想像を超えるほど素晴らしかったのですが、(これはどの旧帝大を受験しても思ったことです)いちばん満足しているのが、学生に対するサポートが素晴らしいということです。一人一人の学生を本当に大切にしてくれている、そう感じることが多いことでしょうか。息子が言うには、いままで教わったすべての教授が熱意を持った授業をしていて、学生
一浪目の医学部受験も残念な結果に終わり今までとと同じことをやっていたのでは、来年も不合格になると、、、やっと気付いた私と娘基礎からやり直そう!ただ、すんなり基礎を始めたのではなくグルグルグルグル迷ったけどねなにせ、1番相談出来る身近な人はアロハティーチャーだし、海外赴任行っちゃったし✈️💨相談したとしても、アロハティーチャーは五教科の担当じゃないんだよね・・・今から基礎に戻って時間が無駄にならないか?難しい問題集をやった方が良いんじゃないか?迷いはしたけれど期間を決めて基
ちょうど今と同じ、9月に入る頃だったでしょうか。あっという間に、今年もセンター試験出願の時期が来たなあと思いました。予備校に通っていればある程度予備校の方で、出願についてお知らせしてくれたり、写真を撮ってくれたりということがあったかもしれませんが、二浪目のこの時は全部自分でやらなければいけませんでした。自分で…というか、親があれこれ言わないとギリギリまでやらない子なので、写真は隣の駅の何々写真館まで行って撮るとか、出願の用紙を取り寄せるとか、いつ郵便局に受験料を振込みに行く
予備校を3カ月で辞めて二浪する、の母から追伸がとどきました。早速とりあげていただき、ありがとうございます。あまりに恥ずかしい話で記事にしないで下さいとお願いするつもりでしたが、誰かの意見を聞きたく、わらにもすがる思いで、泣きながら送らせていただきました。良いアドバイスありがとうございます。父親はあっさりと二浪を許可しました。何を言うても止めても、聞かないだろう。この一年を深く反省して、勉強や考え方、受験のやり方全てを変える改善策をとるならいい。親や塾の先生の話に耳
なかなかブログを書く時間が取れないので、もう一つ書きたかったことを今日のうちに書きますね。あまり具体的に浪人時代にかかったお金を書く人はいないと思うのですが、需要があるかもしれないことなので書いてみます。もし現役生がこれを読んでくださっているのなら、たった一年でこんなにお金がかかるのだということを知って、間に合わなければ浪人すればいい…などという気持ちを捨てて、残り半年の期間、一生懸命頑張って欲しいです。まず大手予備校の年間の授業料は一括払いで、約70万円でした。入学
我が家の受験体験記をすべて書き終えて、いまはほっとしています。ブログを書くかどうかずっと悩んでいて、我が家のような、あまりにも特殊なケースの受験体験記を書いても、誰の役にも立たないのではないか、ただの面白い受験体験記として読まれて終わり…になってしまうのではないかと不安に思っていました。一浪時の予備校での一年間、そして不合格の場面などは、当時のことを思い出して書くうちに、精神的に不安定になり、具合が悪くなってしまうほどで、やっぱりブログなんて書かなければ良かったと少し後
二次試験のために上京し、そのまま予備校の説明会に行くなんて、ひたすら情けない受験だよなあ~と思いながら、一浪して今度こそまともな(?)受験をしてほしいという希望を持って、息子と2人、予備校に向かいました…二次試験の翌日ですから、当然参加者はほとんどなく…それはそうですよね~皆さん、普通は私立と併願していたり、国立だけと決めていてもまだ後期日程もあるのですから!!!!!それを全部拒否したうちの息子っていったい…(涙)そもそも合格発表も見ないうちに予備校通い決定って。
受験まであと数ヶ月というある日、私は再び上京し、予備校帰りの息子と待ち合わせて、都内のメンタルクリニックへ向かいました。本当は睡眠障害専門のクリニックに行きたかったのですが、都内の有名な病院は予約が数ヶ月待ちとのことで、それでは受験に間に合いませんそこで、睡眠障害を専門にしている先生を探し、その小さなクリニックを予約したのでした。まさか自分の子どもを連れてメンタルクリニックへ行く日が来るとは想像もしていませんでした。しかも浪人中、受験まであと数ヶ月…クリニックは都心
初めまして。まさかの2浪息子の母です(涙)。昨年中にこちらのブログを発見し、まるで我が家のことをどこかで観ていて書いてるの?というくらい同じ状況のメッセージを拝見し、同じような状況のご家庭が他にもあるのだ、仲間がいることを知りそれ以来お邪魔しています。ようこそ。二郎日記へ。一緒に頑張りましょうね。地方国立大学志望(理系)、一人っ子の息子です。現役の2018年度センター1次、2次受験真っ最中に闘病中の息
息子は一浪時代の予備校と寮生活がきっかけで、睡眠障害になりました。受験生にとっては命取りと思えるほど怖い病気です。息子が二浪することになってしまった原因のひとつだと思います。タイトルには『治すために』と書きましたが、実際には受験のときにも治ってはいませんでした。受験に影響が出ないように、いろいろな努力をしたという程度です。まず、うつ状態と睡眠障害は密接な関係があると思ったので、うつ状態を治すために運動をさせ、体を動かすことによって、疲れて夜少しでも眠れるようにと考慮しま
昨日ブログを書いたのですが、書き終えてUPする寸前に操作ミスで全部消えてしまい、途方に暮れてしまいました二時間もかけて書いていたのに一瞬で消えてしまうなんて…。丸1日経ってやっともう一度書き直す気力が戻りました合格発表の次の日かその次の日、このあたりの記憶があやふやですみません。入学の書類が届きました。表に大学名が入った、しっかりとした大きな封筒で、ずっしりと重くて、この封筒を郵便配達の方から受け取ったとき、あらためて合格の喜びを感じました。嬉しくて、その大きな
前回の投稿に続いて、息子が通った塾について書こうと思ったのですが、少し忙しかったり体調が良くなかったりして、ブログを書くことができませんでした。申し訳ありませんでした。塾についてはまた別な機会に書くことにします。大型連休が終わったばかりですが、連休中に友人や会社の同僚からよく聞かれたのが、「息子さん帰ってきてるんでしょ?どこかに遊びに行ったの?」すみません…。子どもが二浪もすると、経済的にも苦しくなり、そんな普通の家庭と同じようなことはできなくな
4月上旬、息子と2人で東京に向かいました。部屋探しは意外とスムーズに1日で終わりました。都心からは離れたちょっと田舎で、不動産相場が安い路線。そのような所の賃貸物件を狙っていくつかの不動産屋さんと、ネットで連絡を取りました。最終的に積極的に物件を探して紹介してくれた業者さんに案内をお願いし、3か所ほど行きました。その中の一つの物件が、家賃は一番安いのに、一番綺麗で、間取りも理想的で、静かで、こんな部屋が存在して、しかも4月上旬まで残っていたなんて奇跡かと思いました。
いつも拝読させていただいております。ご愛読ありがとうございます。我が愚息は三年前に一浪全落ちから大東亜ランクの大学に滑り込みました。我が愚息(イチロー)は七年前に一浪全落ちから二浪になりました。英語が壊滅的に出来なくてセンターでは何を一年間勉強したの?というぐらいひどい点数でした。イチローは理系なのに数学が壊滅的にできなくてセンターでは何を一年間勉強したの?というぐらいひどい点数でした。(イケメン先生
国立の合格発表が始まっていますが結果はいかがでしたでしょうか。悲喜こもごもですね。marimcreamさん、こんにちわ。いつも更新ありがとうございます。今年二浪からいわゆるFラン大学へ進学が決まった地方公立自称進学高校出身の息子の母です。こちらのブログを拝見し皆さんの合格に羨ましさいっぱいの浅ましいダメな母です。2年前は、まさかこんな結果になるとは想像すらできず薔薇色の未来ばかりを描いていた馬鹿親です。高校
こんばんは。昨日、合格発表があったんですよね...10〜12時まで、本当に長かったです。色んな友達からおめでとうの言葉が来ました。耳が早いね、皆。合格発表の次の日の今日、たっぷり寝て起きたのはAM11時半。もう一度合格者番号一覧を確認しました。一日経って私の番号だけ東大のおじいちゃん・おばあちゃん教授が漫然と消してるんじゃないか、と本気で思ったからです。改めてそこに私の番号があることを確認しようやく、受かったんだ、という実感がじんわりとお腹の辺りに広がりました。受験生活にピリオドを打つこ
現役時代の受験結果は当然×。受験結果を見ることなく、我が家では東京の予備校に入る準備を進めていました。準備と言っても洋服と勉強道具があれば大丈夫でした。予備校の寮には机やベッド、布団などすべて揃っていて、家具を買う必要もないし、本当にすぐ生活できるようでした。息子の引越荷物も段ボール数個だったと思います。我が家の場合、地方から上京するので寮がある予備校というのが絶対条件でした。だから予備校の選択肢も少なくなってしまったような気がします。でも、調べれば食事付きの学生マンショ
とうとう息子が森の家を出て行く日がきました。息子はここの環境がとても気に入っていて、大学に入ってからも、森の家が恋しいと言っていました。しばらくホームシックにかかっていたほどです。ホームシックって普通、生まれ育った家に対して思うものですよね?たった一年しか住んでいない、しかも二浪していて自分の人生の中では暗い一年だったはずなのに、ホームシックになるほどこの森の家が好きで、ここでの生活はとても平和だったと。なんだか不思議に思います。でも、考えてみると、ここでの生活はとに
こんばんは。本日は汚部屋の掃除をしました。溜まりに溜まった参考書、テキスト類のうち、バイトで使えそうなもの、愛着があるもの以外は捨てました。売る気はありません。マーカーとか引いちゃってるので。愛着のあるもので選別していった結果、杉山義明先生と竹岡先生の教材が大量に生き残りました。杉山先生のほうは自覚してましたが、僕は無意識のうちに竹岡教の信者でした。本当にありがとうございました。さて。本題。このまえ学習指針について書くとかぬかしてましたが、成績開示来てからにします。その方がより説得力のある
息子は週に数回塾に通い、週に数回アルバイトをするという生活をしていました。どちらも夕方に出かけていき、夜の10時頃帰ってくるという感じです。昼間は毎日自由に過ごしていました。半分うつ状態の人なので、勉強よりも何よりもまず心が健康にならなければ…と思い、私が休みのときはよく散歩に誘いました。少し遠くの公園まで行って四季折々の花を楽しんだり、珍しい鳥を観察して写真を撮ったり、川を泳ぐ魚を眺めたり。私が仕事の時でも1日に1度は必ず外に出て、散歩をするように息子には言ってあり
夏と言えば、現役時代のことですが、忘れられない出来事がありました。志望校別の冠模試、地元では受けられないことを知ったのです。それまでは漠然と、学校で希望者を集めて受けるとか、どこかの会場を借りて受けるとか、そんな感じだろうなと思っていました。○進主催の冠模試は○進の校舎で受けられたし、○進のセンター同日模試なども受けられたし、S台やK塾などの大手予備校模試も学校で受けていましたから。だから、高3になって、さあこれからは冠模試を!と思ったときに、地元では受けられないと知ってす
本日京大の合格発表があり、無事合格することができました。正直、合格か不合格かどちらか分からないくらいの気持ちで絶望しながら見ていました。(点数開示があればギリギリな気もする)これから正式に合格体験としてブログを書いていくことが出来ますが、不合格もしっかり2回経験してるので現役、一浪、二浪の時期をどのように経てきたかをこれから京大(もちろんそれ以外の大学でも)を目指す人へ、これから何かを目指す人へ1つの参考になればという気持ちで書いていきますのでどうぞよろしくお願いします。