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ひとつ前の投稿が沢山の人に読まれたみたいでランキングが急に52位になっていました😳こんなくだらない日記みたいなのを沢山の人が読んでくださると思うと嬉しいですね。これからも引き続きよろしくお願いします🤲今日は駿台の授業が始まって3日目になりました。一浪の時は河合塾にいたので、二浪が決まって駿台に通うことになった時、所詮トップ大手二大予備校だから、あまり変わらないだろうと思っていましたが先生の雰囲気など結構色々違うなぁと思うことが多かったです。そもそも河合塾は、一コマ90分で9:30から授
二浪女子の娘の母知人友人に“ウチの子二浪なんです〜”と言う機会が増えたすると“いいんじゃない〜”“人生長いし”“焦ることない”“行きたい所あれば目指すのは素晴らしい”など良い事を言ってくれるけれどみなさまのお子様は“ストレート進学”(わたしの気持ちはわからない)したくてもさせられない(金銭的にもメンタル的にも)のかもしれないお一人“今思えばあんなに中学受験大学受験一生懸命になってたわたしは何だったんだろう”とおっしゃった方がいた周りにも二浪生がいた
こんばんは。Lilyです。この投稿から心機一転、タイトル名を「国公立医学部合格を目指す息子と母の奮闘記」から変更し、二浪目に突入した息子を思う母の日記として綴っていこうと思います。よろしくお願いいたしますもう一年挑戦することを決めた我が家。夫と私、息子で今年一年の振り返りと来年の受験に向けての話し合いをしました。今年度の受験は、息子と私たち家族でその都度考え決断してきた一年だったので後悔はありません。周りから見れば遠回りしているのかもしれませんが、その時はこの道が最良と納得し選
お越しいただきありがとうございます✩.*˚2025年3月娘の2年目の浪人が決定娘の予備校生活もたまには登場しますが主には私の好きなガーデニングや料理や節約、日常生活のことを書いていきますよろしくお願いします.・*’’*・.♬2年目の浪人か決まった娘の今は…家でゆっくりしています1年間、ほんとうに遊びにも行かず、寝ず、予備校に朝から夜までいて…勉強勉強の日々でした毎日の世間のでき事はLINEニュースで知りテレビは一切見なかったそうこうゆう経験も浪人したからだね、と母はつい
おひさしぶりです。国立前期合格発表の頃になると、毎年あの時のことを思い出します。一浪目、模試の判定も良く息子の実力があれば十分に合格できるだろうと思って受けた大学。合格者の中に息子の受験番号が無かった時のあの絶望感…以前も書いたと思うのですが、私の平凡な人生の中には一度もそんな絶望を感じるような出来事はありませんでした。それは夫も同じことを言っていて、自分の人生の中で一度だけ絶望したことがあるとすれば、あの時だけだったと。絶望して涙が枯れるほど泣いて、それでも再び
猫ちゃんかわいいですね。にゃーんモカでち私は小さい時、猫のお腹を枕にして昼寝している写真がありますが、今は猫アレルギーのため近寄ることもできず…marimcream様の猫ちゃんを見て癒されております。こんにちはmarimcreamです。アレルギーですか・・・それだと飼えないですね。知り合いに、自分は無類の猫好きなんだけど、家族が猫アレルギーで飼育を諦めたケースがありちょっと気の毒でした。さて、女子の文系二浪は…に関して。人事畑の夫は昔「文系の子は男女問わず
まずはじめに、前期試験お疲れ様でした。そして合格された方々本当におめでとうございます!→本題宅浪として今年はいろいろな参考書やってたので、受験生の方の参考になればということでレビューみたいなことしときます。ちなみに現役のときは学校で配られた問題集(青チャート、サクシード、メジアンなど)をしてました。数学これは主に一浪、二浪で使用したものです。①確率確率の参考書は上に写ってる「ハッとめざめる確率」と「合格る確率」が有名だと思いますし、ネットの評価もいいですからどちらか合う方を買うの
イチローに「受験とか、勉強とか、中高一貫校とか、大学のこととか何でもいいから書いてよ」と言ってみた。これまではまったく書いてくれなかったけど、例の「鶏レバ刺し食中毒事件」で、動くことができないのでさすがに時間を持て余し、書いてくれる気になったみたい。順序立てて書いてはおりません。徒然日記です。理系男子です。文才ありません。笑話も行きつ戻りつすると思います。少しずつアップしますのでそれでも良かったらご覧ください。ニャに書いたのかしら?私も一緒に受験勉強したの
『眠れない』というLINEのメッセージが届いた日、午後仕事から帰ってきてすぐに息子に電話をしました。勉強が追いつかなくて夜中まで続けているうちに、酷いときは明け方まで眠れなくなってしまって、当然、朝も起きられない。予備校の授業を受けられなくなっただけではなく、大切な模試も受けられなかったと。だから市販の睡眠薬を買いたい。そのお金が欲しい。そんな内容でした。驚いたのは、電話なんて面倒くさくていつも早く切りたがるのに、この時はいつまで経っても話をやめず、一時間以上話して
何もなかった部屋に必要最低限の家具と電化製品が揃うと、やっと人間らしい生活ができるようになりました。息子の部屋には机と本棚と洋服掛け、私の部屋にはポツンとパソコンが置いてありました。パソコンラックなどはなく、1500円くらいで買った安いテレビ台にPCのモニターを置き、キーボードとマウスは、なんとアイロン台に乗せて使っていました。高さも大きさもアイロン台がぴったりだったのです(笑)和室だったので、畳に座ってパソコンを使うのには、これで十分快適でした。6畳しかないダイニングキ
久々にアメブロを開く。コツコツタイプの私だが、2024年の7月で更新が止まっていた。止まってしまった理由。私には大きな大きな夢がある。実現させるためにずっとずっと行動している。発信するのはそのためでもある。しかし、長男二浪目、長女高3だった2024年は私の夢にかける時間を小さく小さくして、子どもたちを全力でサポートすると決めていた。それにしても、心の揺れが大きめの我が子たちのサポートは頭がフル回転させられた。必然的に、受験関連を調べること以外に
本日2/22、本当に本当に最後の代ゼミでの授業が終わりました。担当講師は竹内充先生です。毎週木曜日の一限と二限、理系数学<A>という教材の第一集と第二集を担当してくださいました。代ゼミの隠れた名教師。お顔といい、喋り方といい、初めはヤクの方かな?と失礼ながら思ってしまったことを覚えています。ですが数学の論理の大切さ、略解の愚かさを伝えてくださっただけでなく、熱い言葉をかけてくださる精神面でもサポートしてくださった先生です。代々木ゼミナール竹内充講師代々木ゼミナール(予備校)|
2浪時の成績これは多浪経験者がよく言うと思うのですが2浪目が受験生活で1番しんどかったです高校の同期はほぼ大学生になりみんな楽しそうに毎日過ごしてる中、勉強するのは本当にキツかった…予備校は今年も河合塾大阪校医進館でした朝は予備校の開門と同時に自習を始め、昼休みも自習室に行き、予備校が閉まるまで勉強するなど、2浪目は勉強時間を極限まで増やしました。それほど勉強した割に成績は↑マーク模試推移↑全統記述模試推移↑北大opどの模試も一浪時とほぼ伸びませんでしたもう
年末年始にかけて、私はとにかく精神的にきつかったという記憶しかないです。またセンター試験で失敗して信じられないような点数を取ってしまったらどうしようか…。私立大学に行くことになったらどうしようか…。毎日息子の受験のことを考えると吐き気がしていました。二浪すると、浪人中に成人式を迎えることになります。うちは男の子なので特に気にならなかったのですが、成人式の日、職場のテレビで成人式のニュースを見て、『ああ、今日は成人式だったんだ。』と、ちょっと寂しい気持ちになったことを覚えて
二浪目のとき、私は息子にあることを約束させました。それは、次の受験でその大学を受けたいと思うのならば、模試でA判定を取り続けなさい!ということでした。B判定なんて、ちょっと体調が悪ければ、ちょっと苦手な問題が出れば簡単に落ちる。(←一浪目)C判定なんて他人の何倍も努力しなければ無理(←息子には無理)D判定やE判定なんて論外。受験料の無駄。A判定だって、運が悪ければ落ちるのです。特に万が一のために受ける私大だって、合格者数を絞っているせいか、どんどん厳しくなってい
数学、マジで低い。物理、下駄凄い。皆、1日目ヤバくても理科です、理科が大事です。めげないでください!!
行ったこともない街で、ある日突然生活をすることになったら…。こんな説明でその時の気持ちが伝わるかわかりませんが、私は、突然誰か知らない人の人生を生きているような気持ちになりました。見知らぬ街、見知らぬ風景、見知らぬ部屋。私が、私ではないような…。そんな不思議な感覚の中で生活をしていました。しかも、成績は良かったはずの息子が二浪もしている。ふとした瞬間、私は何が何だかわからなくなりました。どうしてこんなことになってしまったのだろう…私はこの知らない街で暮らした一年
このブログを書き始めたとき、私はお世話になったイケメン先生や、イケメン塾の存在を教えてくださって先生に紹介してくださった『二浪日記』のmarimcreamさんに恩返ししたいという気持ちがとても強かったので、息子の浪人時代を振り返ることはとても辛いことでしたが、合格までの道程をすべてブログに書くことができました。そして多くの受験生の保護者の皆さまにお読みいただき、我が家の失敗例から何かヒントを得てお子様の受験に役立てていただければと、そのような思いでいました。でも、ブログを
我が家の受験体験記をすべて書き終えて、いまはほっとしています。ブログを書くかどうかずっと悩んでいて、我が家のような、あまりにも特殊なケースの受験体験記を書いても、誰の役にも立たないのではないか、ただの面白い受験体験記として読まれて終わり…になってしまうのではないかと不安に思っていました。一浪時の予備校での一年間、そして不合格の場面などは、当時のことを思い出して書くうちに、精神的に不安定になり、具合が悪くなってしまうほどで、やっぱりブログなんて書かなければ良かったと少し後
この年の二次試験はとても大変でした。以前にも書いたように、志望校決定が11月という遅い時期だったので、ホテルがどこもいっぱいで予約が取れず、喫煙ルームになってしまったり、毎日タイプの違う部屋を予約するしかなくて、(1日目はシングルで2日目はツインでといった感じで)毎日部屋を変わったり、本当に落ち着けずに苦労しました。皆さん、ホテルの予約はとにかく早いほうがいいですよ。受験しないことになったら早めにキャンセルすればいいのですから。ホテルには前々日から宿泊して、そのホテル
4月上旬、息子と2人で東京に向かいました。部屋探しは意外とスムーズに1日で終わりました。都心からは離れたちょっと田舎で、不動産相場が安い路線。そのような所の賃貸物件を狙っていくつかの不動産屋さんと、ネットで連絡を取りました。最終的に積極的に物件を探して紹介してくれた業者さんに案内をお願いし、3か所ほど行きました。その中の一つの物件が、家賃は一番安いのに、一番綺麗で、間取りも理想的で、静かで、こんな部屋が存在して、しかも4月上旬まで残っていたなんて奇跡かと思いました。
息子の後期国立入試不合格から一夜明けて沸々と色々な心配事が私の頭の中に浮かんでくる息子は来年もまた不合格なんじゃないかまだまだ1年あると思いだらけてしまうんじゃないか共通テストまであと9ヶ月しかないというのに予備校が本格的に始まるのは4月上旬春季講習は必要ないと最近は自宅で勉強している息子自宅でダラっとしている息子を見るとついイライラしてしまう先日はサッカー日本代表戦を見ていたなぁ現役の時はワールドカップしょっちゅう見てたし1浪の時は阪神の優勝をやたら気にしてたっけ
年が明けると、すぐにセンター試験の時期がやってきました。二次試験とは違ってセンター試験は自分が住んでいる場所に近い試験会場で受験出来るので、通常であればホテルに宿泊する必要はありません。でも、我が家の場合は息子が睡眠障害であったため、もちろんセンター試験の時も会場近くにホテルをとり、私が上京して受験のサポートをしました。多くの人がホテルでの宿泊を必要としないので、この時は受験直前でもすんなりと良いホテルが予約できて、これで大丈夫だと安心したのでした。国立はまずセンター試験
こんにちは。メッセージさせていただくのは2回目です。こんにちは共テのリサーチが出て、どこに出そうか悩んでいる方も見られるので経験談として読み流してください。2浪して大学1年の娘がおります。娘は中堅私立高校で文系のクラスにいました。それが高校3年生の夏に、看護科へ進みたいと。突然の理転ですか。さすがに時期的に担任はさじを投げました。私文専門の予備校に通っていたので、そこで世界史だけ外し、英語と国語はそのまま4ヶ月、小論文だけ看護予備校へ通いましたが生物はスタディサプ
受験まであと数ヶ月というある日、私は再び上京し、予備校帰りの息子と待ち合わせて、都内のメンタルクリニックへ向かいました。本当は睡眠障害専門のクリニックに行きたかったのですが、都内の有名な病院は予約が数ヶ月待ちとのことで、それでは受験に間に合いませんそこで、睡眠障害を専門にしている先生を探し、その小さなクリニックを予約したのでした。まさか自分の子どもを連れてメンタルクリニックへ行く日が来るとは想像もしていませんでした。しかも浪人中、受験まであと数ヶ月…クリニックは都心
現役時代の受験結果は当然×。受験結果を見ることなく、我が家では東京の予備校に入る準備を進めていました。準備と言っても洋服と勉強道具があれば大丈夫でした。予備校の寮には机やベッド、布団などすべて揃っていて、家具を買う必要もないし、本当にすぐ生活できるようでした。息子の引越荷物も段ボール数個だったと思います。我が家の場合、地方から上京するので寮がある予備校というのが絶対条件でした。だから予備校の選択肢も少なくなってしまったような気がします。でも、調べれば食事付きの学生マンショ
夏と言えば、現役時代のことですが、忘れられない出来事がありました。志望校別の冠模試、地元では受けられないことを知ったのです。それまでは漠然と、学校で希望者を集めて受けるとか、どこかの会場を借りて受けるとか、そんな感じだろうなと思っていました。○進主催の冠模試は○進の校舎で受けられたし、○進のセンター同日模試なども受けられたし、S台やK塾などの大手予備校模試も学校で受けていましたから。だから、高3になって、さあこれからは冠模試を!と思ったときに、地元では受けられないと知ってす
心の準備をする時間もなく、東京に行ったところで、必ず良い結果が得られるという保証があるわけでもなく、そうするしかなかったという状況で、知らない街に住み始めた私たち親子は、それぞれが少しずつここでの生活に慣れていきました。息子はイケメン塾での勉強をメインに、アルバイトとジム通いと散歩の日々。一浪目の予備校時代とはまったく正反対の、のんびりとしていて、誰と競うわけでもない毎日。それは息子の性格に合っていたようで、表情も明るくなり、トゲトゲした言動もなくなってきました。世間
二次試験のために上京し、そのまま予備校の説明会に行くなんて、ひたすら情けない受験だよなあ~と思いながら、一浪して今度こそまともな(?)受験をしてほしいという希望を持って、息子と2人、予備校に向かいました…二次試験の翌日ですから、当然参加者はほとんどなく…それはそうですよね~皆さん、普通は私立と併願していたり、国立だけと決めていてもまだ後期日程もあるのですから!!!!!それを全部拒否したうちの息子っていったい…(涙)そもそも合格発表も見ないうちに予備校通い決定って。
ちょうど今と同じ、9月に入る頃だったでしょうか。あっという間に、今年もセンター試験出願の時期が来たなあと思いました。予備校に通っていればある程度予備校の方で、出願についてお知らせしてくれたり、写真を撮ってくれたりということがあったかもしれませんが、二浪目のこの時は全部自分でやらなければいけませんでした。自分で…というか、親があれこれ言わないとギリギリまでやらない子なので、写真は隣の駅の何々写真館まで行って撮るとか、出願の用紙を取り寄せるとか、いつ郵便局に受験料を振込みに行く