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こんにちは。タイトル通りに3年間の一橋大学との戦いを記録していきます。参考までに前回の記事とも合わせて見てください。現役の一橋得点ひどいあまりにもひどい最低点➖109からのスタートちなみにこの時はそうはいっても二浪はせず来年どこかしらには行ってるだろうと思っていた。一浪目の一橋の得点前年度➕122最低点➖17受けた時の感想はギリギリ受かってるでしょ、っていう感じだったはず。ここから絶望の二浪目に突入する。そして二浪目の一橋得点前年比➕88点最低点➕66点今年からなぜか科
おひさしぶりです。かなり長い間更新できなくてすみません。このブログを読んでくださる方のために必ずこれだけは書かなくてはいけないと思ったのが「二浪した息子の就活がどうだったのか」ということでした。コロナ禍で各企業による採用がここ数年抑え気味だったと思うのですが、それが今年度は逆転して採用枠が増えたのか学生の売り手市場になったと聞きました。このような特殊な状況でしたのであまり参考にならないかもしれませんが私が感じたのは「二浪したことによって就職が不利になることは全く無か
おひさしぶりです。最近またアクセス数が多くなってきて、おそらく『浪人』『二浪』というワードで検索をして、私のブログにたどり着いた方が多いのではないかと勝手に想像しています。我が家の息子の浪人生活は失敗だらけでした。このような子どもにこのような浪人生活をさせると、こんなふうに失敗しますよ。でもこんなことをやってみたら、なんとか立ち直って無事に大学生になれました。そんな内容でブログを書きました。多くの方に読まれるブログで、自分の子どもの失敗談を積極的に書きたいと
現役〜二浪までを振り返ります。まずは二浪目から。受験結果合格一橋大学経済学部慶應義塾大学経済学部(補欠→合格)慶應義塾大学文学部(正規)慶應義塾大学商学部(正規)早稲田人間科学(共通テスト)これぐらいですかね主要なところは。二浪目の三月落ちてて絶望。受かってた私立大学に進学するか迷って結局行かず。そのまま浪人生活続行。予備校に入る。友達の合格発表に非常に嫉妬する。4月予備校の授業が始まる。分かりやすかった。ただ落ちたことに加
国立の合格発表が始まっていますが結果はいかがでしたでしょうか。悲喜こもごもですね。marimcreamさん、こんにちわ。いつも更新ありがとうございます。今年二浪からいわゆるFラン大学へ進学が決まった地方公立自称進学高校出身の息子の母です。こちらのブログを拝見し皆さんの合格に羨ましさいっぱいの浅ましいダメな母です。2年前は、まさかこんな結果になるとは想像すらできず薔薇色の未来ばかりを描いていた馬鹿親です。高校
いつも拝読させていただいております。ご愛読ありがとうございます。我が愚息は三年前に一浪全落ちから大東亜ランクの大学に滑り込みました。我が愚息(イチロー)は七年前に一浪全落ちから二浪になりました。英語が壊滅的に出来なくてセンターでは何を一年間勉強したの?というぐらいひどい点数でした。イチローは理系なのに数学が壊滅的にできなくてセンターでは何を一年間勉強したの?というぐらいひどい点数でした。(イケメン先生
➡️続き前回まではこちら↓↓↓『仮面浪人の彼のその後。』娘の友達の仮面浪人をしているUくん以前Uくんについてこんなことを書きましたこちら↓↓↓『仮面浪人の彼』※閲覧について不快に思われる表現があるかもしれません…ameblo.jp2月某日第一志望の合格発表日その日家にいた娘のところに「直接LINEはしない」と言っていたUくんからLINEがきましたUくんからLINEきた。リビングにいた娘はそう言ってLINEを見たあとその後は何も言いませんでした。察した母も何も聞きませ
息子は週に数回塾に通い、週に数回アルバイトをするという生活をしていました。どちらも夕方に出かけていき、夜の10時頃帰ってくるという感じです。昼間は毎日自由に過ごしていました。半分うつ状態の人なので、勉強よりも何よりもまず心が健康にならなければ…と思い、私が休みのときはよく散歩に誘いました。少し遠くの公園まで行って四季折々の花を楽しんだり、珍しい鳥を観察して写真を撮ったり、川を泳ぐ魚を眺めたり。私が仕事の時でも1日に1度は必ず外に出て、散歩をするように息子には言ってあり
この年の二次試験はとても大変でした。以前にも書いたように、志望校決定が11月という遅い時期だったので、ホテルがどこもいっぱいで予約が取れず、喫煙ルームになってしまったり、毎日タイプの違う部屋を予約するしかなくて、(1日目はシングルで2日目はツインでといった感じで)毎日部屋を変わったり、本当に落ち着けずに苦労しました。皆さん、ホテルの予約はとにかく早いほうがいいですよ。受験しないことになったら早めにキャンセルすればいいのですから。ホテルには前々日から宿泊して、そのホテル
二次試験の日を迎えるまで、私は淡々と家事や仕事をこなし、その日まで無事に過ごせることだけを願っていました。たとえ模試でA判定を取っていても、センターで十分な点数を取っていても、ここで、息子はもちろんのこと、私が病気にでもなったら、すべての苦労は水の泡となってしまいます。休日も出かけないようにしたり、仕事の後も、いつもだったらちょっと寄り道をして帰ることもあるのに、スーパーでの買い物もさっさと済ませ、まっすぐに自宅に帰っていました。この頃は家にいる時以外は、いつもマスクをし
年末年始にかけて、私はとにかく精神的にきつかったという記憶しかないです。またセンター試験で失敗して信じられないような点数を取ってしまったらどうしようか…。私立大学に行くことになったらどうしようか…。毎日息子の受験のことを考えると吐き気がしていました。二浪すると、浪人中に成人式を迎えることになります。うちは男の子なので特に気にならなかったのですが、成人式の日、職場のテレビで成人式のニュースを見て、『ああ、今日は成人式だったんだ。』と、ちょっと寂しい気持ちになったことを覚えて
年が明けると、すぐにセンター試験の時期がやってきました。二次試験とは違ってセンター試験は自分が住んでいる場所に近い試験会場で受験出来るので、通常であればホテルに宿泊する必要はありません。でも、我が家の場合は息子が睡眠障害であったため、もちろんセンター試験の時も会場近くにホテルをとり、私が上京して受験のサポートをしました。多くの人がホテルでの宿泊を必要としないので、この時は受験直前でもすんなりと良いホテルが予約できて、これで大丈夫だと安心したのでした。国立はまずセンター試験
息子の二浪が決定した日、私はある方にメールを出しました。本能的に、もうこの方に頼るしかないと思ったのです。息子の不合格さえしばらく受け入れられなかったくらいですから、もし二浪したら…と以前から考えていたわけではありません。ただ、受験ブログのトップブロガーさんである、その方の息子さんが通われていた塾に、数年前から興味を持っていました。正確に言うとずっと憧れていました。予備校さえないような田舎に住んでいたので、せめて関東近郊にでも住んでいたら、遠くても無理をしてでも新幹線に
受験まであと数ヶ月というある日、私は再び上京し、予備校帰りの息子と待ち合わせて、都内のメンタルクリニックへ向かいました。本当は睡眠障害専門のクリニックに行きたかったのですが、都内の有名な病院は予約が数ヶ月待ちとのことで、それでは受験に間に合いませんそこで、睡眠障害を専門にしている先生を探し、その小さなクリニックを予約したのでした。まさか自分の子どもを連れてメンタルクリニックへ行く日が来るとは想像もしていませんでした。しかも浪人中、受験まであと数ヶ月…クリニックは都心
息子が、センター試験の結果をイケメン先生に報告すると、イケメン先生は、『お母さん、安心したでしょう?』と、まず言ってくださったそうです…イケメン先生とは入塾の時に一度お会いしただけで、結局面談の申し込みもせず、すべてお任せしてしまったけれど、遠い地方から上京してきて、子どもを必死に支えている母の存在を、ずっと気にかけてくださっていたのだと、そのとき初めて知りました。なんて素晴らしい先生なのでしょう。ただ生徒に勉強を教えるだけではなく
もう記憶が定かでないのですが、6月頃に○進で冠模試を受けました。その結果はわりとすぐに出たような気がするのですが、(○進模試の良い所は結果が早く出ることだった気がします)いつ頃の話だったかは、もう思い出せません…。初めて受けた模試の結果は、A判定でした。まだ早い時期なので受験者数は多くありませんでしたが、順位は一桁前半だったと思います。数ヶ月前にそこよりも少し偏差値が低いところに落ちた人間が、ここでA判定を取るなんてことがあるのだろうかと、不思議に思いましたが、それよりも内
4月上旬、息子と2人で東京に向かいました。部屋探しは意外とスムーズに1日で終わりました。都心からは離れたちょっと田舎で、不動産相場が安い路線。そのような所の賃貸物件を狙っていくつかの不動産屋さんと、ネットで連絡を取りました。最終的に積極的に物件を探して紹介してくれた業者さんに案内をお願いし、3か所ほど行きました。その中の一つの物件が、家賃は一番安いのに、一番綺麗で、間取りも理想的で、静かで、こんな部屋が存在して、しかも4月上旬まで残っていたなんて奇跡かと思いました。
しばらくブログの更新ができなくて申し訳ありませんでした。もう数年前のことなので、きっと書けるはずだと思っていたのですが、やはり一浪目の受験のことは、とても大きな心の傷となっていて、なるべく思い出さないようにしていました。しかし、ブログを書くために当時の記憶を引き出す作業をしていたら、その記憶と一緒にいろいろな感情が吹き出してきて、しばらく受験のことは思い出したくない気持ちになってしまいました。いつもパソコンでブログを書いているのですが、パソコンを開くことさえも嫌になってしま
なかなかブログを書く時間が取れないので、もう一つ書きたかったことを今日のうちに書きますね。あまり具体的に浪人時代にかかったお金を書く人はいないと思うのですが、需要があるかもしれないことなので書いてみます。もし現役生がこれを読んでくださっているのなら、たった一年でこんなにお金がかかるのだということを知って、間に合わなければ浪人すればいい…などという気持ちを捨てて、残り半年の期間、一生懸命頑張って欲しいです。まず大手予備校の年間の授業料は一括払いで、約70万円でした。入学
2浪時の成績これは多浪経験者がよく言うと思うのですが2浪目が受験生活で1番しんどかったです高校の同期はほぼ大学生になりみんな楽しそうに毎日過ごしてる中、勉強するのは本当にキツかった…予備校は今年も河合塾大阪校医進館でした朝は予備校の開門と同時に自習を始め、昼休みも自習室に行き、予備校が閉まるまで勉強するなど、2浪目は勉強時間を極限まで増やしました。それほど勉強した割に成績は↑マーク模試推移↑全統記述模試推移↑北大opどの模試も一浪時とほぼ伸びませんでしたもう
二浪目のとき、私は息子にあることを約束させました。それは、次の受験でその大学を受けたいと思うのならば、模試でA判定を取り続けなさい!ということでした。B判定なんて、ちょっと体調が悪ければ、ちょっと苦手な問題が出れば簡単に落ちる。(←一浪目)C判定なんて他人の何倍も努力しなければ無理(←息子には無理)D判定やE判定なんて論外。受験料の無駄。A判定だって、運が悪ければ落ちるのです。特に万が一のために受ける私大だって、合格者数を絞っているせいか、どんどん厳しくなってい
ひとつ前の投稿が沢山の人に読まれたみたいでランキングが急に52位になっていました😳こんなくだらない日記みたいなのを沢山の人が読んでくださると思うと嬉しいですね。これからも引き続きよろしくお願いします🤲今日は駿台の授業が始まって3日目になりました。一浪の時は河合塾にいたので、二浪が決まって駿台に通うことになった時、所詮トップ大手二大予備校だから、あまり変わらないだろうと思っていましたが先生の雰囲気など結構色々違うなぁと思うことが多かったです。そもそも河合塾は、一コマ90分で9:30から授
昨日ブログを書いたのですが、書き終えてUPする寸前に操作ミスで全部消えてしまい、途方に暮れてしまいました二時間もかけて書いていたのに一瞬で消えてしまうなんて…。丸1日経ってやっともう一度書き直す気力が戻りました合格発表の次の日かその次の日、このあたりの記憶があやふやですみません。入学の書類が届きました。表に大学名が入った、しっかりとした大きな封筒で、ずっしりと重くて、この封筒を郵便配達の方から受け取ったとき、あらためて合格の喜びを感じました。嬉しくて、その大きな
ようやく長かった前期が終了しました。3月から今までを振り返っていきます。3月正直受かってると思ってた。でも落ちてた。(ー17点差)ずっと泣いてた。この時が2番目にきつかった。4月宅浪はもう無理だと思い大手予備校へレベルの高い授業と同じ志望校の人がいて元気勇気がわくでも何か心が、、、、、5月特に何もなく終わる共通テストと記述があったがまあまあだった(記述は悪かった)6月最もしんどかった今までの中で。終わらない自己否定悔やんでも悔やみきれない事実まわ
今までの模試を公開しようとしましたが結構下がってきてためらっていました。正直私大の判定(慶應など)はどこかしらの学部は毎回良くてでも本命の一橋はあまり良くない成績が続いてました。もう慶應とかの私大でいいじゃないか!就職もいいし!これも選択肢の一つです。早慶は素晴らしい大学です。ただ僕はそれで逃げるのはおかしい。(別にアンチではないです。早慶は簡単ではないです。むずいのは知ってます。)ただ第一志望から逃げても二浪した意味はない。第一志望を最後まで貫いて入試が終わって晴れやかな顔で終われるよう
このブログを書き始めたとき、私はお世話になったイケメン先生や、イケメン塾の存在を教えてくださって先生に紹介してくださった『二浪日記』のmarimcreamさんに恩返ししたいという気持ちがとても強かったので、息子の浪人時代を振り返ることはとても辛いことでしたが、合格までの道程をすべてブログに書くことができました。そして多くの受験生の保護者の皆さまにお読みいただき、我が家の失敗例から何かヒントを得てお子様の受験に役立てていただければと、そのような思いでいました。でも、ブログを
春期講習に通い、予備校に慣れたら、4月中旬頃から授業が始まりました。前も書きましたが、我が家が住む地方には予備校というものが存在せず、予備校というものがどんなものなのか息子は知りませんでした。パソコンに向き合って授業を受ける○進しか経験がなかったのです。まず予備校に慣れる必要がありました。高校生時代は毎朝私が叩き起こすまで寝ていたし、いつもギリギリに登校していたので、自分で朝起きて予備校に通えるのか、それはとても心配でしたが、とりあえず夏前までは遅刻もせずに通っていたよ
二浪もすると、現役時代がすごーく昔のことのように思えて、いざ何か書こうと思っても、よく思い出せません。大雑把に思い出すと、息子は勉強しない受験生でした。どうして大学に行くのか、大学に入って何をするのか、夢や希望が何もないように私には見えました。高1や高2の時には、『オープンキャンパスなどに行っていろいろな大学を見てきたら?』と、勧めても、面倒くさいのか、興味がないのか、いつも返事は『行かなくていい。』でした。もし我が家が関東地方に住んでいて、
入試が終わりました。今年の一橋の英語は傾向が変わりました。ただ難易度はそんなに難しい、とまでは全体で見れば思わないですが。まあ落ちてたら意味ないんですけど。とりあえず合否からまず早稲田の(人間科学)共通テスト選抜次に慶應文学部商学部で慶應経済の方は補欠でした。ランクはDぐらい。微妙。とりあえず数Ⅲなどやっていきたいと思います。いや〜二浪はキツイ。長かった。まだ本命の一橋の合格まで勉強は続けようと思います。
二浪女子の娘の母知人友人に“ウチの子二浪なんです〜”と言う機会が増えたすると“いいんじゃない〜”“人生長いし”“焦ることない”“行きたい所あれば目指すのは素晴らしい”など良い事を言ってくれるけれどみなさまのお子様は“ストレート進学”(わたしの気持ちはわからない)したくてもさせられない(金銭的にもメンタル的にも)のかもしれないお一人“今思えばあんなに中学受験大学受験一生懸命になってたわたしは何だったんだろう”とおっしゃった方がいた周りにも二浪生がいた