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気づかないうちに疲れていることありませんか?私もこの前、「あーーなんだか疲れたな」と思ったから翌日の下の子のお弁当作りをお休みしましたそして、朝は少しゆっくりした時間を過ごし午後はお昼寝もしました何もしない時間を自分にOKだしました家族のために動くことも大事だけどそれ以上に自分の心を最優先することのほうがずっと大切だなと感じています頑張りすぎなくて大丈夫動かない日をつくることも自分を大切にする選択です
不登校になると「見守るのが大事」とよく聞くけれど当時の私は、見守っている【つもり】でした「信じてるよ」と言いながら心のどこかで「早く元気になってほしい」「そろそろ動けるんじゃない?」そんな期待がありました言葉では言っていなくても雰囲気や表情にでてしまっていたかも…子どもって敏感なので、その【空気】をしっかり受け取っていたんだと思います高1だった娘が動いたのは元気になったからじゃなくて私の「動け」という気配に反応していただけ…今な
口出しをしないでいれば「見守り」になると思っていましただから娘が不登校になってからも、昼過ぎに起きてきても行くと言っていた塾に行かなくても私は何も言いませんでしたでも、本当は私の心の中は毎日ざわざわしていてその不安な空気は全部、娘に伝わっていました見守りって何もしないことじゃなくて親の心が落ち着いている状態で作られる空気感じゃあ、どうやって私は落ち着いていったか…私がまずしたことは自分の気持ちをたくさんアウトプットするこ
子どものこと、心配で見てるつもりがいつのまにか【監視】になってるときありませんか?悪気はないしちゃんと見てあげたいだけなんだけどでも、子どもが自分の思うように動かないとつい不安になったり、イライラしたりよく考えると「こうしてほしい」って気持ちがちょっと混じってるのかもしれないな〜って思いましたそんなとき「私、何をコントロールしたいんだろう?」って自分に聞いてみるようにしていますそうすると、結局は自分の課題ではないことでモヤモヤして
今まで学校に行けない娘をみていてどうして「無理しなくていいよ」と言えなかったんだろうふとそんなことを考えます頭では「学校行かないこと」を受け入れているつもりだったけど心のどこかでは「もう少し頑張れるはず」と思っていたのかなあの頃の私は娘を「認めているつもり」だったけど本当の意味で「そのまま受け入れる」ことができていたかったんだと思います娘の苦しさよりも「早く元気になってほしい」という願いのほうが大きかったのかもしれませんけ
大学後期も、気づけばあと少しになってきました途中4週間ほど休みが続いた時期があって「このまま後期はお休みかな~」と思っていましたでも、そこから復活今はまた毎日通っています私がしたことといえば『行ってほしいという想いを手放した事』そして、『娘は大丈夫』と信じることに徹しただけだから「行けないかも」と言われても「そっか。そんな感じなんだね」と淡々と返すだけでも、しばらくすると自分で起きてきて気づけば支度をしてサッと出かけていく
よく「親はどーんと構えていたらいい」と言われますよねでも、娘が不登校になったころの私はどーんと構えるどころではありませんでした「明日は行けるかな」「いつまで休むんだろう」「この先どうなるのかな」いつも不安でいっぱいでしたでも、今ならその意味がよくわかります親が不安だと子どもも不安になってしまう子どもは【親の表情】や【声のトーン】に敏感ですよね「大丈夫」と言っていても心の中がざわざわしていてはそのまま子どもに伝わってしまいま