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不登校になると「見守るのが大事」とよく聞くけれど当時の私は、見守っている【つもり】でした「信じてるよ」と言いながら心のどこかで「早く元気になってほしい」「そろそろ動けるんじゃない?」そんな期待がありました言葉では言っていなくても雰囲気や表情にでてしまっていたかも…子どもって敏感なので、その【空気】をしっかり受け取っていたんだと思います高1だった娘が動いたのは元気になったからじゃなくて私の「動け」という気配に反応していただけ…今な
今まで学校に行けない娘をみていてどうして「無理しなくていいよ」と言えなかったんだろうふとそんなことを考えます頭では「学校行かないこと」を受け入れているつもりだったけど心のどこかでは「もう少し頑張れるはず」と思っていたのかなあの頃の私は娘を「認めているつもり」だったけど本当の意味で「そのまま受け入れる」ことができていたかったんだと思います娘の苦しさよりも「早く元気になってほしい」という願いのほうが大きかったのかもしれませんけ
大学後期も、気づけばあと少しになってきました途中4週間ほど休みが続いた時期があって「このまま後期はお休みかな~」と思っていましたでも、そこから復活今はまた毎日通っています私がしたことといえば『行ってほしいという想いを手放した事』そして、『娘は大丈夫』と信じることに徹しただけだから「行けないかも」と言われても「そっか。そんな感じなんだね」と淡々と返すだけでも、しばらくすると自分で起きてきて気づけば支度をしてサッと出かけていく
今朝は、娘を駅まで車で送りましたそのあと私も午前中から仕事の日本当は洗濯もしたかったけれど今日はやるべきことよりも朝ゆっくりコーヒーを飲むことを選びましたたった数分のことだけれど私の心をふっと落ち着かせてくれる忙しい毎日の中でも自分のための小さな幸せを選ぶって大事だなと改めて感じた朝でしたそして何よりこうした気持ちの余裕があると家族にも自然と優しくなれるんですよね
不登校の子どもに「優しくしなきゃ」「理解してあげなきゃ」頭ではわかっていてもどうしてもできない時もありますよね私も少し前までそうでした子どもしんどいのかもしれないでも、それと同じくらい親自身もしんどい母親って、強くて優しくていつも笑顔でいなきゃいけないような気がするけれどでも現実は、そんな風にできない日もある「なんで学校に行けないの?」「また今日も何もしなかった」「いつになったら動くの?」心の中はそんな言葉でいっぱいで