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2021年3月6日(土)退院手術後から12日目、息子は退院できることになった。遡ることその週の月曜日、先生「今週のどこかでお話ができると思います」と、息子の様子を診に来てくれた時に妻にそう言ったそうだ。この週はもう検査もなく、回復ぶりも順調だったので今週あたり退院するんじゃないのかねーと妻と話していたので、てっきり退院の予定の話かと思っていた。妻「改まって言われるとなんか不安になるよね」私「そうだよね。取った腫瘍のこととかまだちゃんと聞けてないしね」息子はゲ
2025年3月8日今日は入院することになった。妻と娘は一度帰って着替えを持って戻ってくることに。それまで私が息子に付き添い小児科病棟の準備ができるまで息子の肩や背中を摩ってあげる。その間も息子は吐く。吐いても黄色い胃液しか出ない。横になって寝落ちしている息子に声を掛ける。「ごめんな。今日は入院するからさ。」「明日家にかえろー。」小児科病棟の準備が整ったので息子と部屋まで移動する。時計は23時45分頃だった。妻と娘が戻ってくる
11/5病院これからの治療について話す息子は頭と首が痛くて学校に行けないので一緒に連れて行った。三連休で発症した頭と首の痛みのことその痛みは消えていないことを先生に伝える。前向きな治療としてテモゾロミドという抗がん剤を5日間飲むことになった。息子にも伝えてあり承知している。便秘、吐き気の状況がでるので吐き気どめの薬ももらった。脳下垂体に播種した腫瘍にはサイバーナイフによるピンポイントで放射線治療をする。頭や首の痛みについて先生「播種した腫瘍が末梢神経に触
2025年3月8日病院に到着(21時は回ってた)血液検査とCTを撮ることに。幸いなことに息子の主治医がいて対応してくれた。私と妻、娘も一緒に待合室で待つ。しばらくすると看護師さんが呼びに来る。看護師さん「ちょっと今採血できなくて」「一緒についていてもらっていいですか?」と私と妻を中へ促す(娘は待合室でそのまままつ)広い検査室の中へ入ると息子が車いすから立ち上がろうとしていた。今の息子は右手と右足が細かい動作ができない。右手は箸や
2021年2月お正月の入院から、頭の検査は定期的に行っていたが2月の検査の時に、脳腫瘍が前回から少し大きくなってきている。と説明を受けた。先生「手術をしましょうか」私「取らないと悪さをするんでしょうか」先生「このままだと大きくなる可能性もあるし、初めて倒れた時のように、痙攣発作が出るかもしれない」大脳の後頭葉という場所だが、手術では取れる。けれど視野が欠けて見えるような影響が出るかもしれない。(視野欠損)頭を開けて腫瘍を摘出と言っても、風邪や骨折とは異次元の話に聞こえ
2021年3月22日の再投稿になります。編集あり。昨日の続きです。ハードな内容が続いてしまいます。医師からの話が終わり部屋から出ると長女と両親が待っていた。話が終わったのが22時半は過ぎていた。どうだったかと聞かれ夫は、私の両親に心配かけないように簡単に安心させるような事を伝えた。私は夫に「隠すのはやめよう全部話してみんなで闘っていこう」と言った。いづれ分かることだし誤魔化してても無理だし隠すのも違うのではないかと思ったからだちゃんと知ってもらってみ
2024年2月21日定期検査陽子線の治療中の定期検査で、息子の頭には小脳と、前頭葉の2か所に新たな腫瘍が見つかっていた。この腫瘍は、治療が終わってから手術をすることになっていた。前回の手術からたった4か月しか経っていない。早すぎる。腫瘍が進行するスピードが徐々に早くなっているのか。思いたくはないが、嫌な方を考えてしまう。2月21日にMRIを撮った。MRIの結果を聞く。先生がマウスをくるくる動かしてMRIを撮った画像を映す。先生「小脳の前回手術した
2025年3月12日中学の卒業式娘のこと。今週は中学の卒業式がありました。息子のことは妻の母にお願いして朝家に来てもらった。最近はお昼過ぎまで寝てる息子。しばし頭を切り替えて娘の学校へ。体育館に全校生徒が揃っていた。保護者席で娘の姿を追いかける。娘を見ながらあー3年間ってあっという間だなって思う。入学式の時に玄関先で制服姿の写真を撮ったのが昨日のことみたい。毎日学校の出来事を妻に話しているのを聞いていると、学校を楽しんでいることが伝わっ
2025年3月8日CTを撮った結果を別室で先生から聞く。時間は23時を回っていた。息子は疲れ果て横になり娘が付き添ってくれている。先生「造影MRIでないから見えにくいですが」「見える範囲だけでも複数個所に播種があります」私と妻「・・・」私「今日の頭の痛みと右手の症状の原因は何なんですか?」先生「ここに・・」と息子が痛がっている頭の左側小脳の一点を指して「ここに腫瘍が播種していて今日の症状はそれが原因です」その場所の腫瘍は初見だった。
2024年10月23日MRIの検査結果日運動会のよく翌週の10/21MRI検査。今回の検査で腫瘍の進行が止まっていること、そして新たな播種が何も見つからなければ根治のはずだった。そして翌々日の10月23日この日、最悪の検査結果を聞くことになる。私は朝、検査の結果は妻に任せて聞いてもらうつもりだった。でも出がけにふと思い直して、私「やっぱり今日は一緒に検査の結果を聞くよ。じゃ病院でね」と妻に伝え会社へ向かった。昼前に会社を途中で抜けさせてもらい
2025年3月19日病院受診日今日は病院の受診日MRIも撮らない。血液検査もしない。看護師さんたちに顔を見せ主治医と話す。それだけ。「もう病院でできることはない」と告げられてから10日経ちました。幸い3/8に不調を訴えてからは同じ発作は起きず。呂律が回らなかったのもその時だけで同じ症状は出ていません。ただ体の右半身の機能が少しづつ低下しています。特に右目は視界がぼやけるようではっきり見えなくなってきています。穏やかに家で過ごしてほし
2024年11月18日13時放射線科頭と脊髄の全照射の治療をする話を受けた。頭や首の痛みは脳の腫瘍が原因だと断言。今の症状だと放射線治療は脳も脊髄もどちらもやったほうがいいと。今起きている痛みをなんとか止めてほしい。でも全脳は放射線かけたくない・・・。全脊髄の放射線治療は受け入れていたが全脳をやるとは決めきれていなかった。一応承諾書にサインはするが最終決断は25日まではまってもらう。話を聞いた後、すぐにでも治療を開始できるように息子はそのまま放
2024年11月28日PM病院にて放射線治療。この日は頭、首、肩が痛くて治療台に乗れずずっと治療ができなかったらしい。結局治療は断念して病院から帰ってきたのは20時過ぎだった。私の方が先に仕事から帰ってきてそのことを聞くてたまらなくなる。全身を引き裂かれる思いで切ない。こんな治療の選択しかできないず愛おしい息子に受けさせることが身を切られる思いでつらい。帰ってきてからは医療用の麻薬テープが効いているのかよく喋る。夕飯はシチューだった。2024年
2021年3月17日の再投稿になります。編集あり入院3日目やはりほとんど寝られず朝を迎えた。天井を見るたびに「現実なんだ」と思い知らされる気がする。次女はなかなか起きなくて、心配になり何度も何度も呼吸を確認した。午前中はお風呂の許可がでて入ることができた。泡で遊んでいる次女の姿を見ていると愛しくてたまらない。午後からは私の両親が来てくれた。両親は朝長女を中学校に送ってくれた後に自分の家に帰り(実家)家の仕事をし夕方長女が帰る時間になったらまた長女
2024年4日2日初めてセカンドオピニオンという診療を受けました。きっかけは息子の頭の側脳室というところに播種した腫瘍について、一番最善な治療を受けるためです。『新たに腫瘍が見つかった場所』2024年2月21日定期検査陽子線の治療中の定期検査で、息子の頭には小脳と、前頭葉の2か所に新たな腫瘍が見つかっていた。この腫瘍は、治療が終わって…ameblo.jpセカンドオピニオンは主治医の先生から勧められた埼玉の医療施設へ、私と妻で意見を聞きに行った。息
2024年12月27日今日で放射線治療20回目最後の治療になる。でも回数に意味なんてないな。病院のこれまでの標準の放射線治療に沿って決めた線量を20分割しただけだから。19回なら腫瘍が進行してしまうとか、21回治療したら腫瘍が完全になくなるとか、回数の問題ではない。決められた回数が終わるだけ。それともう一つの理由でこれで治療が最後になってしまう。それは息子が受ける放射線量が許容できる量に達してしまい、これ以上放射線治療を受けることができなくなると言う意味での最後。治療の
2024年12月30日今日はよく寝てる。お昼前に妻の父母がパン買ってもってきてくれた。よく息子の様子を見にきてくれるついでに何か買ってきてくれるので本当にありがたい。さすがにお昼なので息子を起こしてご飯にする。息子はチーズのパンと昨日の中華スープ。首と背中が痛いがパン食べて横になる。ご飯の後に妻が出掛けてしまい、これから娘が塾なので送っていかねばならない。息子に一人でだいじょうぶか確認取る。私「これから(娘)送ってくるけど一人で待ってられる?」息子「だいじょうぶ」と息子を一
2024年11月2日の朝息子は体の不調を訴えました。前日の金曜日から予兆はあった。学校のあと公文でジュースをもらってきた。何かを達成するともらえるチケットがあって、ずっと前にもらった2枚を大事にとってある。なんだか息子らしいな。そのチケットを一気に使って、なっちゃんとカルピスリッチ2本と交換したってご機嫌だった。夕方迎えに行ってそんな話をしながら「なんか首がいたいなー」と不調を訴えた。(えっ?)私「えーどんなふうに痛いの?」息子「んー、なんか重いっ
2024年12月15日日曜日息子は今日は10時頃まで寝てる。私たちも隣に布団を敷いて寝起きしてる。朝外が明るくなってきてもリビングのカーテンは閉めたまま、息子が起きないように私たちは静かに動く。私と妻は朝ごはん(という時間でもないが)を静かにキッチンで食べる。10時過ぎ息子は起きてすぐ頭が痛いと言って吐く。ゲロ袋はいつも近くにあるので二次被害はない。お昼に焼きそば。食欲ないがちょっとだけ食べてすぐ横になる。前側の髪の毛がほとんど抜けた。触った
2024年6月11日入院2日目今日は一人だけで院内学級に行った。午前も午後も行って汗かいて帰ってきた。息子はいつもと変わらない様子。夕方、明日の手術について先生から説明を受けた。先生「今回の手術は脳梗塞のリスクがあり半身麻痺になる可能性もあります」私と妻「・・・・」つまり手術はうまくいっても、確率は低いが半身麻痺によって健常な生活ができなくなる可能性もあると。前からこの手術によって受ける後遺症の可能性は聞いていたけど、手術の直前で改めて説明を受け
2024年12月29日日曜日今日が治療の最終日9時から治療なのに息子は全然起きてくれない。4時頃に一度トイレに起きたので二度寝みたいになっていまい8時25分頃やっと起きる(汗)起きたらなんか食べないと。空腹だと吐いてしまうのでみそ汁飲んで薬飲んで、トイレ行って着替える。パジャマ脱がせると寒いのかガタガタ震えるのでサッと服を着せて8時45分出発。やばい間に合わない。大急ぎで車を走らせなんとか5分過ぎくらいに到着。救急外来の入口から入る。受付してすぐ、息子は吐いてしまった。吐
2024年11月11日抗がん剤を飲み終えた翌日のこと。会社で仕事中の夕方に妻からLINEが入る。妻「今病院にいる。検査中だけどこれる?」「もしかしたらこのまま入院になるかも・・・」(えっ!?)息子はここ数日で頭や首の痛みがひどくなってきている。(何があったんだ)仕事を早めに切り上げさせてもらって病院へ急ぐ。もうアクセルはべた踏み。妻によれば、朝はご飯食べる元気はあったがずっと頭の痛みはあり、ついにお昼は食べれなかったと。そのあとも痛がって
2024年12月1日放射線治療3回目頭と首、背中に痛みがあって2階の寝室まで上がっていけないから今は毎日リビングのソファーで寝てる。今日は15時30分から放射線治療。治療の時間は10分くらい。だけど治療台で横になってからズレないように位置を決めるのに約20分。治療中も位置を調整するので照射を止めて調整しての繰り返しで時間は1時間近くになった。息子はじっと横になっている。頭を固定するマスクは外して治療できることに。じっとしていられるならつけなくてもいいよって
2023年9月18日仕事中に妻からLINEが入る。妻「病院これない?再発したかもしれない」私「えっ・・・」頭が混乱する。(なんで?また・・・なの?)妻「こんどは小脳にできたみたい」後日検査の結果を一緒に聞くと、先生「2回手術した後頭葉のところはきれいに取れていて再発はしていません」「今回は・・・」MRIの結果画像を見せながら、「大脳の手術したところとは反対側に一つ小さな腫瘍があり、さらに小脳にもあります」私「2か所も・・・ですか」
2024年6月10日入院林間学校から1週間後、息子は入院した。側脳室に播種した腫瘍を摘出する手術のため。側脳室は脳脊髄液を満たす4つある脳室の1つ。とても重要な器官だが、私たちは手術で摘出するという決断をした。決断をするまでとても時間が掛かった。この腫瘍は陽子線治療に通っている間の2月定期検査で見つかっていて、これまで先生と治療方針、手術によるリスクについて話してきた。後遺症のリスクは今までの手術とは違って高い。手術が成功しても本人が目を覚まさない可
2021年4月の再投稿になります編集あり21歳半で亡くなってしまった次女が7歳の時の頑張ってくれた記録です。6月3日次女の体調も落ち着きつつあるということで退院することに。午前中、いつもの通りクリニックにて12回目の治療。前日1/3の治療が終わりまだ折り返し地点までにも行かないが順調に治療が進み根治できるよう祈るような気持ちで毎回受けている。そしてC病院に戻り退院手続きをしウィークリーマンションに戻った。今日から次女を抱っこして寝られるそれだけで嬉しくてた
2021年3月30日の再投稿になります。編集あり4月26日術後9日次女はやはり術後の頭痛が酷く座薬の鎮痛剤を入れていた。少しずつ座薬を入れる間隔も延びてきたとは思う。主治医のT先生から病理診断結果はあと2日程度で出ることを伝えられた。結果を聞かないことには何もスタート出来ないが知るのは怖かった。手術の日に聞いたのは、おそらく悪性の退形性上衣腫であろうと。受け止めて進んでいかないといけないのは分かっているのだけれど…。この日、注射も検査も手術でさえ泣かなか
2025年4月9日今日は娘の高校入学式仕事の都合で晴れ姿は見れなかったけど、ちょうど桜は満開で良かった。そして明日からは電車通学。毎朝早起きしなければならないことを苦痛に感じる娘。娘の「あー明日からから6時起きだー」「なんでさぁー学校朝からやるんだよ。もー意味わからん。午後からでいいじゃん」って早起きに全力で怒りをぶつける。春休み毎日昼間で寝てたしね。今まで家から学校まで徒歩5分がったのがいきなり電車通学になって、朝早く起きるのが耐えられないみたい。誰でもあるあるだなー。
2024年12月28日何もない休日息子は6時過ぎにトイレに起きて、その後12頃まで寝る。今日はよく寝てる。スヤスヤ寝てる横顔を見ると安らぐ。頭にや首にずっと痛みがあるのはとてもつらいことだと思う。今私たちにできるのは少しでも痛みを和らげてあげること。スヤスヤ眠っていてくれる時はきっと痛みから解放されているんだなと感じる。お昼起きたら早速ご飯。味噌ラーメンと昆布のおにぎり、デザートにきな粉をかけたヨーグルトを食べた。食べたいものにハマるとしばらくは同じものを食べるので、最近は
6度目の手術を回避した息子の脳にはまだ腫瘍がある。・側脳室6度目の手術で取ろうとしていた腫瘍・小脳陽子線治療の治療中に見つかった小脳の腫瘍・顔面神経と耳の神経が通る骨の中これらの場所に播種した腫瘍と闘って根治をするんだ!実は6度目の手術を回避した時、別の治療法の選択肢があった。それは、放射線治療である。手術できない場所に播種した腫瘍は、放射線治療で叩くという治療法の選択肢を受けていた。側脳室の腫瘍に対しても放射線治療であれば効果があるという期待が