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2025年3月13日息子が日中3時間くらいかけてSwitchのマイクラで魔剣を作った。右目がぼやけてよくみえないがYoutubeでお手本見ながら大作だった。細部もこだわってかっこいい。ずっと起きて作ってた。そしてそのまま戦車作りへ。これも2時間くらいかけて作ってた。今の息子の日常は昼過ぎ13時ごろまで寝てる。起きて朝ご飯兼お昼ご飯を食べる。口に合った好きなものしか食べない。わかめのスープとゆで卵。ゆで卵は一日で5個ぐらい食べる。ご飯はほとんど
2023年12月18日陽子線治療1回目今日から治療が始まる。治療の回数は33回。毎日通うことになるが、自宅から陽子線治療施設までは県を越えなければならない。電車で通うか、車で通うか、どちらも大変だ。しかも私は仕事で一緒に行くことはできないから妻と息子の二人で通うことになる。車の場合、病院の時間に合わせて好きな時間で出れるし、途中で休憩もできる。でも冬だから、もしかしたら雪道だと高速は心配。妻「高速の運転が怖いし、病院までの道だってよくわからない」と不
息子は今脳腫瘍と闘っています。腫瘍の種類は上衣腫という脳腫瘍に分類されます。正式な病名は、SupratentorialEpendymoma,ZftaFusionPositive,SubclassE(novel)稀な上に診断そのものが2021年に発表されたばかりの悪性脳腫瘍です。これまでの経緯2020.11息子が救急車で運ばれた日①2021.02摘出手術(1回目)2022.11再発手術(2回目)2023.11再発手術(3回目)2023.1
2025年12月10日この日は息子が旅立ってから四十九日目でした。この期間、息子はこっちとあっちの世界を行ったり来たりとか、家に居るなんて考え方が仏教にはあるそうですが、私には息子が見えるはずもなく。でもいつもそばにはきっと居て、ニコニコしてるんだろなと思っています。気持ちを少しずつ整える期間とも言われています。心はざわざわ波だっていたのが、今はゆらゆら凪いでいるような感覚です。でも、ずんと悲しみが押し寄せてきて悲しいゾーンに入る時もあります。なぜここに息子が居ない
2023年11月8日手術後6日目声の調子もいつものトーンのように元気になってきた!退院したらハンバーガーを食べたいらしい。首を動かすと痛いので、下を向けない。手術で開頭した時は、首の付け根あたりからローマ字の「r」のように大きく右にカーブするように開けている。だからまだ首が思うように動かせない。トイレで自分でおしりが拭けない。だけど、今日はリハビリで、病室を出て廊下を歩いて自販機のところまで歩いて行けた。まだふらつく。自分で歩けてるんだ。よかっ
2025年12月6日先日、息子の四十九日の法要を行いました。私たちの両親、兄妹夫婦と共にお寺でお経をあげてもらいました。法要の最中、気持ちは落ち着いていました。でも一通り法要が済んで最後にお寺の住職が話してくれた法話を聞きながら、息子が旅立った日の記憶が溢れてきてしまいました。その法話の内容を綴っておきます。仏教の世界では、誰もが生まれてくる前は仏界というところにいます。仏界から誰の子で生まれてくるか、子は親を選び、また親も子を選んで巡り合いで生まれてくるそうです。これ
2024年11月18日13時放射線科頭と脊髄の全照射の治療をする話を受けた。頭や首の痛みは脳の腫瘍が原因だと断言。今の症状だと放射線治療は脳も脊髄もどちらもやったほうがいいと。今起きている痛みをなんとか止めてほしい。でも全脳は放射線かけたくない・・・。全脊髄の放射線治療は受け入れていたが全脳をやるとは決めきれていなかった。一応承諾書にサインはするが最終決断は25日まではまってもらう。話を聞いた後、すぐにでも治療を開始できるように息子はそのまま放
2025年12月7日日に日に寒くなってきました。私は夏か冬かで言えば冬が好きです。いくつか理由はあります。単純に体が暑さより寒さに耐える方が慣れているから。汗も夏より掻かなくて済むところや、鍋やおでんが食べられるところです。冬の空気は澄んでいて星がよく見えるところもいいです。でも寒くなる時期は息子の病気のことを同時に思い出します。というのも息子の脳腫瘍という病気は、寒い時期になると何か変化が見つかることが多かったからです。初めて自宅の庭で倒れて救急車で運ばれたのは20