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2025年12月10日この日は息子が旅立ってから四十九日目でした。この期間、息子はこっちとあっちの世界を行ったり来たりとか、家に居るなんて考え方が仏教にはあるそうですが、私には息子が見えるはずもなく。でもいつもそばにはきっと居て、ニコニコしてるんだろなと思っています。気持ちを少しずつ整える期間とも言われています。心はざわざわ波だっていたのが、今はゆらゆら凪いでいるような感覚です。でも、ずんと悲しみが押し寄せてきて悲しいゾーンに入る時もあります。なぜここに息子が居ない
2025年12月7日日に日に寒くなってきました。私は夏か冬かで言えば冬が好きです。いくつか理由はあります。単純に体が暑さより寒さに耐える方が慣れているから。汗も夏より掻かなくて済むところや、鍋やおでんが食べられるところです。冬の空気は澄んでいて星がよく見えるところもいいです。でも寒くなる時期は息子の病気のことを同時に思い出します。というのも息子の脳腫瘍という病気は、寒い時期になると何か変化が見つかることが多かったからです。初めて自宅の庭で倒れて救急車で運ばれたのは20
2025年12月6日先日、息子の四十九日の法要を行いました。私たちの両親、兄妹夫婦と共にお寺でお経をあげてもらいました。法要の最中、気持ちは落ち着いていました。でも一通り法要が済んで最後にお寺の住職が話してくれた法話を聞きながら、息子が旅立った日の記憶が溢れてきてしまいました。その法話の内容を綴っておきます。仏教の世界では、誰もが生まれてくる前は仏界というところにいます。仏界から誰の子で生まれてくるか、子は親を選び、また親も子を選んで巡り合いで生まれてくるそうです。これ
2025年12月3日今日は夕飯を外で食べました。仕事帰りに妻から連絡があり、娘を学校まで迎えに行って買い物してるので、合流してどこかで夕飯を食べよう。となり、はま寿司に行きました。はま寿司には家族の思い出があります。その前に、我が家の海鮮もの事情ですが、子供たちは海鮮ものは食べません。この辺りは妻の影響が大きいです。私は海鮮全般は大好きなのですが、妻が苦手です。(食べてもマグロとカニくらい)そんなわけで食卓に刺身が並ぶことはなく、子供たちは食べる機会がなく育ってきました。
2025年12月2日最近は仕事から帰ると、妻と娘がSwitchにマイクを繋いでカラオケをしています。2024年の10月から息子の病気と闘ってきて1年と1ヶ月が経ちました。病気と闘う前のそれまで過ごしていた生活が少しずつですが穏やかに戻ってきたように思います。戻った…というのは厳密には語弊がありますが、闘病前の生活に近づきつつあります。息子の病気は2020年に脳腫瘍が発覚。2024年の10月までは5度の手術と陽子線治療、サイバーナイフ治療で乗り越えてきました。手術前後や
2025年11月28日最近ある本をオーディブルで聴きました。それを聴いていて思ったことがあります。母と息子の関係です。母と息子の関係は特別な気がします。父と息子父と娘母と娘どれも特別な関係だと言えますが、母が息子に対する想いってちょっと違う何かを感じます。それが母性なのかな。服のコーディネートはいつも妻がします。息子も着せ替え人形のように突っ立って、妻が決めた服を文句も言わず、着せられていました。学校の宿題や公文の宿題をやらずゲームばっかりして散々怒られた時も妻「もー
2025年11月27日11月は娘の誕生月です。10月は息子の誕生日11月は娘の誕生日12月はクリスマス3ヶ月連続でイベントが続く月です。今月、娘の誕生日パーティーをしました。娘のプレゼントは物欲はあっても具体的なリクエストがないので、数年前から現金になっています。毎年妻の両親がプレゼントを持ってきてくれ誕生日パーティーをするのですが、そのプレゼントも現金です。服や化粧品や欲しいものはあっても決められないからですが、現金だとなんだか寂しい。今年はオードブルとピザとケーキでお祝い
2025年11月23日今朝、息子の夢を見ました。夢というほどのものではありません。どんな内容だったかよく覚えていませんが、黒いパンツに白いシャツ。自然に立っているので、何も不思議に思わずあれ?と思った時に目が覚めました。ほんの一瞬のことです。物語のように続く訳でもなく、会話するでもなく何も喋らず飄々と立っていました。起きる直前だったから覚えていたんだな。こんな感じでした。元気だよ。そー言ってくれてるのか?毎日話し掛けるけどさ、当たり前だけど、お前の声が返ってこない
2025年11月22日今日は雲が一つもない快晴です。夜は星がよく見えました。息子が少し遠くへ行ってしまってから1ヶ月が経ちました。これまでの期間が早く感じたのか、長かったのか、妻も娘も私も感じ方はそれぞれです。仕事や学校、普段の生活日常のサイクルも通常運転に戻っています。毎日笑顔で過ごしています。下を向いて暗い気持ちでいても何もいいことはありませんから。息子の遺影も笑ってる。私たちも笑って過ごそう。寂しい気持ち、悲しい気持ちは、みんなの前では出さないように意識しています。
2025年11月21日覚えている息子の一面を綴っておきます。学校の校外学習などで給食がない日のお弁当についてのエピソードです。娘と息子のお弁当はちょっと違います。おかずが違うのは言うに及ばずそれぞれの好きなものが入ります。娘は、冷凍のグラタンとトマト息子なら、ウインナーとハンバーグと言った具合です。違うのはご飯の方です。娘はお弁当箱の半分か、ご飯用の容器に白いご飯を詰めて、真ん中に梅をのせたり、ふりかけを掛けてもらいます。息子の場合は、絶対おにぎりです。しかもシャケおにぎ
2025年11月19日我が家は4人家族です。長い年月で4という数字に慣れてきました。これからも大事にしていきたい数字です。でも日常のちょっとしたところで、「3なんだな…」と認識するところがあります。身近なところでは、お茶碗とかお皿の数が4セットで揃えてあるのに、3つしか使わないとか。お店で何名様ですか?と聞かれる時とか。書類などで家族の数を書かなければならない時には一瞬ためらいがあります。会社にも扶養家族の変更の手続きをしたり、そういった手続きの一つひとつに、ため息が漏れてしま
2025年11月18日息子が少し遠くへ行ってから毎日やっている日課があります。朝起きたら息子の遺影の前に座り、おはようと声を掛けます。コップのお水を、新しく入れたコップと交換します。昨日の夕飯で、妻が盛ってくれた息子の分の小さなご飯のお茶わんとおかずを下げます。もちろん家族皆んな同じメニューです。そして線香を上げます。お凛をチーン、チーンと鳴らします。それから…まだどうしても出来ないことがあります。手を合わせるということ。合掌ですね。どうも、この動作。あちらの世界の息子を
久しぶりにオーディブルを聴きました。主に通勤時に聴いているのですが、暫く中断していました。オーディブルは、本の朗読アプリです。息子の目が見えなくなってから、目が見えなくても楽しめるものをと、探していた時に出会ったツールです。息子も気に入ってくれて、沢山の本を聴いていました。久しぶりにアプリを開くと、ダウンロードして聴いていたリストが出てきました。私が聴く本の他に、息子が聴いていた本のリストもあります。日本昔話話世界の名作童話銭天堂沢山聴いていたな…『オーディブルで物語
2025年11月14日毎日が早く過ぎていきます。この一年、日常の些細なことをメモするようになりました。それまでは一日何をしていたか、昨日の夕飯はなんだったけな?なんて、思い出せないほど一日をちゃんと過ごしていなかったかもしれません。ちゃんと、というのもおかしいですが、昨日の夕飯に何を食べたかすらも覚えてないくらい、同じ毎日がずっと続くと思っていました。メモし始めたキッカケは、息子の病気のことを記録するためです。私は日記が苦手です。めんどくさがりです。でも今の日常を忘れては
2025年10月23日2024年11月2日に体調を崩してからずっと学校に行けなくなって、ベッドの上だけの生活になっても、そーたが居なくなることなんて1ミリも想像できなかったんだ。ごめんね、この1年は本当につらくて我慢ばかりさせてしまったね。沢山の薬を飲んで、抗がん剤も飲んだ。頭や肩や背中の痛みとずっと闘って、どこにも出掛けられず、パパやママが思うよりずっとずっとつらかったね。放射線治療が終わってからも、命の危険がある日が、何回かあったんだ。その度にさ、そーたは復活して戻って
2025年10月23日病気のこと深刻には話ができなかったけど、少し細かく書くね。ちょうど1年前の2024年10月21日MRI検査でした。23日に検査結果結果を聞いた日のこと。腫瘍が脊髄の膜に沿って播種。脳全体と脊髄全部に放射線を当てて治療するしか道はなくなったと聞いた時、パパもママも言葉を失いました。治療と引き換えに失うものの大きさ、様々な機能への障害の影響、身体の成長、そして…治療を受けて病気の進行を止めたとしても、この上衣腫という病気はまた出てくる可能性がある。その
息子が旅立ってから2週間が過ぎました。毎日遺影の笑顔を見て、コルクボードに貼った沢山の写真を見ていると…なんでだろね。なんでここに居ないんだろう。ちょっと長めの修学旅行に行っていて、今にも帰ってくるんじゃないか。そうだったならどんなにいいんだろう。ぷにぷにのほっぺに触ることが出来ない声を聞くことも出来ない一緒にゲームすることも出来ないどうしようもない寂しさと後悔と悲しみとぐちゃぐちゃな波が押し寄せてきます。旅立った次の日の朝息子に書いていた手紙があります。人の記憶はいつか
娘のことです。息子には4つ上の姉がいます。毎日騒がしいです。よく喋ります。間違いなく娘が家のムードメーカーです。妻も喋るので、妻と娘がいつも騒がしくて、息子はゲームしながら、たまに突っ込みを入れたり自分の興味のある話なら離れたとこでゲームをしながらも会話に加わります。そんな騒がしい家族なんです。(息子が闘病する前のことです)私はそんな会話を聞いているだけです。元々ぐいぐい話すタイプではないので、聞いているくらいが丁度いいのです。息子の闘病中もその振る舞いは変わる事なく、弟思
少しずつですが、日常を綴ろうと思います。2025年11月4日告別式から10日経ちました。今は心にポッカリ穴が空いたような空虚な気持ちです。締め切ったカーテン。どこへも外出せず、電気もつけず妻と娘と私は毎日息子を想って泣いて…という状況には今のところなっていません。悲しんでもお腹は空くんですね。お腹が空いたらご飯を食べ、毎日洗濯をして、部屋を掃除します。必要なものがあれば買いに出かけたり、テレビを観て笑ったり。今日から私も仕事に復帰です。家族3人でテーブルを囲んでご飯
両手足に麻痺と痺れで辛い…お茶碗も持てないし箸も使えない分かってくれるのは、PT、OTだけ…
2025年11月2日いつも訪問下さりありがとうございます。季節は11月になりました。一年前の2024年11月2日三連休の初日に息子は私と妻の目の前で吐いて、体調不良を訴えました。『首が痛いよ①』2024年11月2日の朝息子は体の不調を訴えました。前日の金曜日から予兆はあった。学校のあと公文でジュースをもらってきた。何かを達成するともらえるチケッ…ameblo.jp連休明けから学校に通えることが出来なくなりました。それまで息子は5回の手術を乗り越えてきました。でもその後に待っ
2025年10月22日先生の臨終確認が済んでから、息子の体を温かいタオルで綺麗に拭きました。5日間も大好きなお風呂に入れてあげることが入できなかった。訪問看護にお願いして予約した今朝のお風呂も叶えてあげることができませんでした。お風呂入れてあげたかった…妻が体を拭きながら、「髪は洗ってあげてもいいですか?」と先生と看護師さんに聞いたら、「ぜひ、洗ってあげて」と。息子はベッドに寝たまま妻と看護師さんで息子の髪を綺麗に洗い、ドライヤーで乾かしました。よかった。お風呂入れな
息子が天国へ旅立つ日の出来事を綴ります。2025年10月22日日が変わっても、ゼーゼーの呼吸で息子は寝れません。チェーンストーク呼吸呼吸しているのか静かな感覚が15秒くらい。その間は疲れ果て眠りに入るように見えます。でも次の息を大きく吸い込むとまたビクッと目が覚めて、胸を掻きます。昨日から寝ていないので、なんとか寝かせてあげたい。唾液と痰が詰まって苦しそうな呼吸が続きます。ゼーゼーの感覚が多くなります。2時頃目をキョロキョロして苦しそうに胸を掻きます。大好き
息子が天国へ旅立つ日までの出来事を綴ります。2025年10月21日昨日の夜息子は一晩中寝れませんでした。痰が絡んだような呼吸で、大きく吸い込む時にビクッとして起きてしまうのです。その時に、胸の辺りが痒いのか掻きます。たまにしゃっくりがでます。腹水で水が溜まり、横隔膜が押し上げられてしゃっくりが出やすくなっているからです。ここ数日、下唇を強く噛んで、食いしばっていることがあり、血が出て歯に付いています。「噛んだらだめだよー」と口を開けてあげ、ティッシュで拭いてワセリンを塗
覚えていることは残しておこうと思い、息子が天国へ旅立つ日までの出来事を綴ります。2025年10月20日午前中、在宅ケアの先生がきました。昨日からお腹が浮腫んだように膨れているので、原因を聞いたら腹水でした。肝機能が低下して飲んだ水分を排出できずお腹に溜まって膨れたのですが、どうすることもできません。もともと、ぷにぷにしたぽっこりお腹がトレードマークの息子ですが、これは出っ腹だなーと浮腫んだようなお腹をさすさすします。こんな日でも私は午前中会社へ出社し、午後はテレワークで仕事を
2025年10月27日今日は息子の誕生日です。大好きなカレーと誕生日ケーキでお祝いをしました。12回目の誕生日を生きて迎えることが出来ませんでした。吐き出せば、ため息と共に悲しみが溢れてしまいます。いくらでも泣いてしまいます。よく時間が解決すると聞きますが、今はそう思えません。でも…泣いても息子は戻ってきません。妻「顔は笑って、心で泣こうよ」みんなつらいんだからさ。「誕生日なのに、そーちゃんが悲しんじゃうよ」妻、娘、私、それぞれ心の中で息子を想う気持ちはあります。私
大好きな息子と共に一緒に帰ってきました。遺影で笑う顔と同じ顔をした息子がここに居ない現実に、今は只々、心が空っぽです。2025年10月25日通夜15時30自宅出発天気予報は夕方から雨予報でしたが、空は曇り空です。16時15葬儀場にて納棺旅支度を整え、顔の周りに沢山の花を添えてあげました。花がよく似合うな。ありがとう。苦しい思いさせてごめん。一人で逝かせてごめん。いろんな気持ちでいっぱいになり涙が止まりませんでした。18時会葬学校の友達が沢山来てくれました。
2025年10月22日5:08大好きな息子が、天国に旅立ちました。ゼーゼー呼吸が苦しそうでしたが、最後まで家族と一生懸命に話そうと頑張っていてくれました。辛かった闘病をついに克服して、元通り元気になってくれました。もう苦しいことないからね。今まで、頑張ったね。生まれてきてくれてありがとう。私たちの息子でいてくれてありがとう。もっと大きくなる姿見たかったよ。ごめんなさい、今はこれくらいしか皆さんに報告できません。
息子は今脳腫瘍と闘っています。腫瘍の種類は上衣腫という脳腫瘍に分類されます。正式な病名は、SupratentorialEpendymoma,ZftaFusionPositive,SubclassE(novel)稀な上に診断そのものが2021年に発表されたばかりの悪性脳腫瘍です。これまでの経緯2020.11息子が救急車で運ばれた日①2021.02摘出手術(1回目)2022.11再発手術(2回目)2023.11再発手術(3回目)2023.1