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いつか自分のすべてを許してくれる人を見つけたい。(マリア・アンナ皇女1738〜1789)1738年ハプスブルク家に一人の皇女が誕生した。母はハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジア。マリア・テレジアはハンガリーおよびボヘミア女王、ドイツ女帝にしてオーストリア大公。(母親の偉大なる女帝マリア・テレジア)産まれた皇女はマリア・アンナと名づけられたが、世継ぎの男児誕生を望む皇帝一家とオーストリア国民をひどく落胆させたその2年後皇太子ヨーゼフが誕生したため、マリア・アンナ皇女は日陰へと
海外の宮廷を舞台にした小説やドラマを見ると、「○○版大奥」というキャッチコピーをよく目にする。愛やしばしばそれに付随する権力をめぐって争う「高貴な」女性たちの戦いは見た目にも華があるし、見ごたえがある。同時に彼女たちが美しければ美しいほど、その内側に抱えた情念の濃度やそれが一息に吹き出す瞬間というものは恐ろしい。だからこそ、「女の戦いは怖い」。確かに女同士の戦いは怖いが、それよりももっと恐ろしいものがあるのではないかと思う。それは、女同士が手を組み、立ち向かってくる事だ。女が共通の「敵」を
第四回藝展〜GEI-TEN〜国内展が終了しました。エレマリアは後期に出展し、5日にレセプションに出席し、6日に京都リトリートツアーを行い会場で参加された皆さんと楽しみました。その様子を少しアップします。お世話になった関係者の皆様ありがとうございました。レセプションにて舞妓さんの素敵な舞い。。。美しい時間。。。💖絵と舞妓さんと一緒に記念撮影。。。。⭐️良い記念になりました💚観光でオランダからいらしてた方も絵に反応してくれて嬉しくて記念撮影💚クオリアートの櫛田社長さ
今、我が家でメインのバラは「ポンポネッラ」濃いピンク色、コロンとしたカップ咲きの愛らしいバラです鉢植えにしていた時はせいぜい90cm程度の高さでした。昨年地植えにしてから一気に大きくなり、オベリスクに回した枝がビュンビュン出ています。オベリスクの裏側からの写真来年はどういう風に誘引したらよいか、今からもう考えてしまいます。ブルーランブラーはこの冬、最初植えたところから移植しました。あまり日がガンガン当たるところより、少々日影くらいのが花の紫色が一層キレイだ
青森市新町の老舗菓子店甘精堂の先代がウイーンで修行されて開業したのがウイーン菓子シュトラウス。8月中旬、久しぶりに2階のカフェにお邪魔しました。この日は、空席がありすぐに入店できました。雰囲気のある店内。セットメニュー14時まではケーキセットもお得です。ザッハートルテとヴィナーメランジュセット生クリームがたっぷりのセットです。先代がウィーンで修行され、今も受け継がれています。軽い感じの生クリームは甘くなく、チョコレートの甘味によく合います。生クリー
源倫子という女性がいた。あまり知られていないが、実は彼女、かの有名な藤原道長の奥さんである。ちなみに今と違って結婚しても姓が変わるわけではないので、名前は「源」のままね。お父さんは:源雅信お母さんは:藤原穆子でね、この2人に間に生まれた倫子さんがそれはそれは長生きしたの。何と87歳よ!平安時代の平均寿命はというと男性:33歳女性:27歳男女の平均値をとっても30歳。そ、そんな中での87歳!今の感覚で言えば300歳近いぞ!
オーストリア=ハプスブルク帝国の銀貨で19世紀〜20世紀半ばまで、中東地域を中心とした広い地域の基準通貨として流通したマリアテレジアテーラーの紹介です。先日思いがけなくオリジナルに近い古いタイプのコインの入手ができた事もあり、載せたいと思います。マリアテレジアは神聖ローマ皇帝の地位を持続していたハプスブルク家カール6世の長女として生まれ、男系が途絶えた後の相続人として周辺国の干渉による継承問題をしのぎ、実質的な女帝(皇帝は夫や息子が即位)として統治した人物です。1780年に死去するまで女