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前田の入場テーマ曲に『NUDE』収録の『Captured(キャプチュード)』を使用。オリジナルのプロレス技のスープレックスにも「キャプチュード」の名を用いた。前田がデビューした新日本プロレスの試合中継を行なっていた当時の親会社テレビ朝日制作チーム選曲担当が、キャメル等プログレッシヴ・ロックをレスラー入場曲に数多く使用していた為、前田の英国からの凱旋帰国にあわせ使用され、新日使用時には、マシンガン連射のような銃声の効果音が編集された。キャメル(Camel)は1973年にデビューしたイ
1995年の新日本プロレス対UWFインターナショナル対抗戦時に、特に盛り上がったテーマ曲として印象深いのが、この安生洋二のテーマ曲、「JamesBrownIsDead(7"VersionOfOriginalMix(WithoutRap))"。特に10.9東京ドーム全面対抗戦前に、9.23横浜アリーナで行われた前哨戦の長州、永田対安生、中野の入場シーンは、鳥肌ものでした。この曲は、1991年8月にL.A.スタイルがリリースした曲で、様々なバージョンタイプがあり、当時、この会
プロレステーマ曲史上、最も人気な?1曲であり、且つ編集テーマ曲としても有名。テーマ曲コレクターが、こぞって本物編集版を入手しようと試みた超人気曲でもあり、自分もかなり奔走した。多種多様なバージョンを複数入手したが、本物以外にコレクターが編集したであろうもの含めて、かなりのバージョンを所有できた。原曲は、3曲プラス効果音を編集したもので、最初は馬の鳴き声や鞭の効果音とともに、ケニー・ロジャースの「君に夢中(SOINLOVEWITHYOU)、その後、スペクトラムのアルバム『オプ
1980年代、次期シリーズの外国人を中心とする参加レスラーの来襲を、古館伊知郎アナの絶叫トークで予告していた際に、BGMで流れていた金曜20時のワールドプロレスリングを代表するテーマ曲。ネットが無いあの時代、情報が無く、未知の外国人レスラー初参戦や大物レスラー参戦に胸躍る煽り予告には、ぴったりの選曲であったと思う。この曲は、ジェフ・ベックが1980年6月にリリースした、『ゼア・アンド・バック』に収録されていた1曲。ジェフ・ベックは、イングランド出身のミュージシャン、ギタリスト。エリ
”プロレス・テーマ曲”というジャンル?が存在できたのは、このテーマ曲の誕生無くして有り得なかったかもしれない、大ヒットとなったミル・マスカラスのテーマ曲「スカイ・ハイ」。全日本プロレスで使用されたのは、同名映画主題歌「メインタイトル」のロング・バージョンである。他団体参戦時には、アップテンポなシングルカット版も使われたようだ。「スカイ・ハイ」(SkyHigh)は、イギリスのポップ・ミュージック・グループ、ジグソーが1975年にリリースしたシングルである。この楽曲は映画『スカイ・ハ
1984年8月新日本プロレスのブラディファイト・シリーズに、マネージャーの将軍KYワカマツが先導し、謎の覆面レスラーとして登場した、ストロング・マシンの初代テーマ曲。この曲は、VanHelenのアルバム「VanHelenⅡ(邦題:伝説の爆撃機)」に収録されているが、このテーマ曲の編集構成は、当時の新日本プロレスとしては画期的なもので、冒頭をVanHelenの同アルバムから「D.O.A」が入り、続いてこの「LightUptheSky」につながるわけだが、その後、BGMには恐竜の鳴き
1984年2月23日、蔵前国技館でのダブルタイトル戦にて、ニック・ボックウィンクルを破り、念願のメジャータイトルであるAWA世界ヘビー級王座に輝やいた、ジャンボ鶴田が最盛期のテーマ曲。このテーマ曲にはいくつかのバージョンが使用されているが、”究極のテーマ曲コレクター”である村田氏の解説によると、「この曲は、1984年に当時のプロレス中継担当スタッフから依頼を受けたプレイヤーズの鈴木宏昌氏が作曲、録音したもので、ニューテーマとして試験的にTV中継で使用されたものが始まり。ジャンボ鶴田
ヒクソン・グレイシーは、勿論プロレスラーではない。ただし、プロレスラーであり総合格闘家でもある高田延彦が、1997年10月11日の東京ドーム大会「PRIDE.1」で戦った相手。この試合の入場シーンは、事前の期待感と不安感が入り混じり、ヒクソン・グレイシーのストイックさや侍イメージぴったりの選曲で、プロレス史に残る歴史的な入場シーンに思えた。この一戦に勝ちプロレスラーの天敵となったヒクソン・グレイシー、そして、日本人の天敵となったグレイシー一族には、このテーマ曲が度々使用されることになった。近
長州力の定番テーマ曲「パワーホール」。ほかのプロレスラーが、節目でテーマ曲を変える例もたくさんある中、金曜夜8時のワールドプロレスリング大盛況時代から全く変わっていない名曲。変えてないというよりは、長州の性格上、テーマ曲へのこだわりがないのかもしれないが…!この曲は、1980年にキングレコードから発売された初の新日本プロレスのミュージックアルバム『新日本プロレス・スーパー・ファイターのテーマ』に収録された。このアルバムには、テレビ朝日のテーマ曲と13人のレスラー入場テーマ曲が収録されているが
前田日明が欧州から凱旋帰国した1983年に使用された、新日本プロレス時代のテーマ曲。この曲は、1983年11月3日、蔵前国技館で行われた、新日正規軍VS維新軍4対4綱引きマッチの第1試合、対長州力戦の1回の使用しか印象がない。果たして他の試合でも使用されたのだろうか。この曲は、アニメ「聖戦士ダンバイン」の主題歌で、ボーカル部分をカットし、前奏がが何度も繰り返し流れる編曲である。ボーカルは、アニソンのMIOで、現在はMIQと改名している。ザ・コブラのデビュー戦も行われたこの蔵前決戦は、軍団抗争
越中詩郎が、全日本プロレスから新日本プロレスへ転籍してからのジュニア時代の名曲。高田延彦、馳浩やザ・コブラ等との熱闘時の入場テーマ曲として、非常にお気に入りの1曲。当時「バイオレント・サタデーのテーマ」名は判明していたものの、インターネットも無い時代で、原曲入手に苦労した。後年、映画の原題が「TheOstermanWeekend」ということが判明し、輸入盤CDを取り寄せ購入に至る。会場使用時は原曲から前奏をカットし使用された。映画『バイオレント・サタデー』(原題:TheOst
1948年7月に、アイオワ地区のプロモーターであるピンキー・ジョージが中心となり、セントルイスのサム・マソニックやミネアポリスのトニー・ステッカーら5人のプロモーター達と共に結成されたナショナル・レスリング・アライアンス(全米レスリング連盟)、通称NWA。この世界最高峰といわれたNWA世界ヘビー級王者に対し、全日本プロレス中継放映の日本テレビが採用したテーマ曲が、この「ギャラクシー・エキスプレス」。1980年代に王者で来日した、ハーリー・レイスやリック・フレアー、リッキー・スティンボート等に