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「私は、その”ただのテリィ”が、一番好き」「キャンディ……」その言葉に、テリィは目を細め、一瞬だけ黙り込む。そして、口元がゆっくりと悪戯っぽく持ち上がった。「……それが一番?」「え?なにが?」「じゃあ、二番は?二番目に俺の好きなところは?」「えっ?」突然の質問に、キャンディは目をぱちくりさせる。「えっと……それは」真剣に考え始めた彼女を見て、テリィは笑いを堪えていた。「一番があるということは、三番もあるってことだよな。三番は?」「えっ、ちょっと待って!」「どうせなら五番く
二人は劇場を出ると、裏手の駐車スペースへ向かった。そこにはテリィの愛車が静かに停まっている。助手席のドアを開けながら、テリィが微笑んだ。「どうぞ」「ありがとう」キャンディが乗り込むと、テリィは荷物を後部座席へ置き、自らも運転席へ腰を下ろした。エンジンが静かに唸り、車はゆっくりと劇場を離れる。クリスマスを間近に控えたブロードウェイは、色とりどりのイルミネーションに彩られ、街全体が温かな光に包まれていた。しばらくは、お互い何も言わなかった。その沈黙さえ心地よかった。半年という時間を埋める
《《セントポール学院にて》》体育祭。午後はいよいよ最後の種目、400メートルリレー。この結果で総合優勝が決まる。赤チームは現在二位。一位の青チームとはわずか数点差。リレーで一位になれば逆転優勝だった。赤チームのアンカーは、三年生・テリュース・G・グランチェスター。そして青チームのアンカーは、同じ三年のアーチーボルド・コーンウェル。恋のライバルでもある(どちらかといえばアーチーのほうが対抗意識あり)二人。リレー走者たちは、ウォーミングアップを始める頃。テリィのスマホが震える。🍀キャ
ホリデーシーズン最大の話題作として期待されるストラスフォード劇団『ロミオとジュリエット』。SMTで喝采を浴びたテリュース・グレアムと、新進気鋭の若手女優エヴリン・ハートが、舞台の外でも急接近していることが本紙の取材で分かった。掲載された写真には、深夜、稽古を終え劇場裏口から並んで歩く二人の姿。女優はテリュースの腕へ自然に手を添え、彼は優しい表情で彼女を見つめているようにも見える。古くから演劇界では、「ロミオとジュリエットを演じた俳優は、本当の恋に落ちやすい」と言われてきた。実際、ブ
千穐楽の朝。ブロードウェイは、まだ朝早いというのに熱気に包まれていた。劇場前には開場を待つ観客が列をなし、新聞売りの少年たちは「本日千穐楽!」と声を張り上げながら劇場街を駆け回っている。ストラスフォード劇団『ロミオとジュリエット』。ホリデーシーズン最大の話題作。劇場の正面には、大きくロミオとジュリエットのポスターが掲げられている。その前では、記念写真を撮る人々が絶えなかった。「この舞台、本当に今日で終わりなのね」「もう一度観たかったわ」「ロミオ役はやっぱりテリュースでしょう」そんな
案内係のあとに続き、細い階段を上りながら、キャンディスは息を静かに吐き出した。来てしまった。本当に、来てしまった。グランドセントラル駅のホームに降り立ったときも、ホテルの部屋に荷物を置いたときも、まだ引き返せる気がしていた。馬車を降り、劇場の白っぽい灯りを見上げた瞬間でさえ。けれど今、背後で重い扉が静かに閉じた。ベルベットの座席に重なる人々の話し声と、プログラムをめくる紙の音が、密やかな温かみとなって客席に満ちている。ストラスフォード劇場の前には、当日券を求める人々の長い列が残っていた
四月も半ばを過ぎたころだった。昼過ぎ、劇場へ一本の電話が入った。フィンチからだった。「今夜、話がある」短い言葉のあとに、ほんの少しの空白があった。「いつものところで」テリュースが答えるより早く、一方的に通話は途切れた。受話器を耳にあてたまま立ち尽くしていると、切れたあとの無音だけが、潮が引くように耳の奥へ染み込んでくる。その日の舞台が終わると、テリュースは古いアパートへ向かった。春の宵は、少し湿った空気に満ちていた。「思ったより、お早いお越しだな」建物の前には、すでにフィンチがい
最後の拍手は、いつまでも鳴りやまなかった。客席は総立ちとなり、劇場中が割れんばかりの歓声と拍手に包まれている。何度目になるのか分からないカーテンコール。ロミオとジュリエットが並んで一礼するたび、客席から惜しみない拍手が送られた。やがて緞帳がゆっくりと下りる。舞台袖へ戻った瞬間、それまで張り詰めていた空気が一気に解けた。「終わった!」誰かの声をきっかけに、劇団員たちの間から自然と笑顔が広がる。抱き合う者、握手を交わす者、肩を叩き合う者。俳優も裏方も関係なく、皆がこの数か月をやり遂げた
その頃、テリィは劇場にいた。朝の稽古場にはいつもの活気が戻っている。俳優たちの発声練習、大道具係の掛け声、台本を読み合わせる声。昨日と変わらない光景だった。だが、テリィの頭の中だけはまったく違った。稽古場の片隅で団長と打ち合わせをしながらも、ふとした拍子に思い出すのはキャンディのことばかりだった。昨夜ソファで眠っていた姿、毛布を掛けた時の寝顔。今頃は起きただろうか。朝食は食べただろうか。そんなことばかり考えている自分に苦笑する。「テリュース?」団長に呼ばれて我に返った。「ああ
『ロミオとジュリエット』は、初日の熱狂をそのまま保ったまま千穐楽を迎えようとしていた。ホリデーシーズンを彩る代表作として、劇場は連日満席。劇評は日に日に評価を高め、劇団へ届く観客からの手紙も山のように積み上がっていた。「今年最高の舞台だった」「もう一度ロミオを観たい」「千穐楽の切符はないのか」劇団事務所の電話は朝から鳴り止まず、制作部は嬉しい悲鳴を上げていた。一方で、芸能欄の話題も相変わらずだった。テリュース・グレアムとエヴリン・ハート。二人の名は、舞台の評価とともに、恋愛記事
昼休憩。午前中の稽古を終えたテリィは、自分の楽屋へ戻っていた。ほどなくしてマイケルも顔を出す。「今日は疲れるな」「そうだな、通しはやっぱり体力使う」そんな他愛もない話をしていると、廊下から勢いよく足音が近づいてきた。「おーい!」ドアが勢いよく開く。「いたいた!」現れたのはケビン、片手には、一冊の雑誌。「お前ら、見たか?」「何をだ?」ケビンは得意げな笑みを浮かべると、雑誌をひらひらと振った。「今月の『BroadwayMonthly』だよ!」マイケルが苦笑する。「劇評か?
国王と王太后の退席を合図に、大広間の奥の扉が開かれた。侍従たちの案内のもと、列席者たちは隣接する迎賓室へと順に進み、宮殿の夜は次の歓談のひとときへと移っていった。高い天井から吊るされた幾つものシャンデリアは変わらぬ光を降り注いでいたが、張りつめていた空気は少しずつほどけ、弦楽四重奏の穏やかな調べに重なるように、グラスの触れ合う澄んだ音や人々の談笑が、夜の宮殿へ再び華やぎを取り戻していた。それでも、その夜の視線が集まる先は一つしかなかった。王自らその名を呼び、グランチェスターの名を公に認めた
港には、薄い霧が漂っていた。春の終わりの海風は、岸壁に並ぶ人々の薄手の洋服の裾を静かに揺らしている。巨大な客船がゆっくりと汽笛を鳴らした。低く長い音が海へ溶けていく。甲板の手すりに寄りかかりながら、キャンディはゆっくりと遠ざかるアメリカの海岸線を見つめていた。シカゴ。ポニーの家。アルバート。アニー。ステア。アーチー。パティ。たくさんの人たち。たくさんの思い出。嬉しかったことも。苦しかったことも。全部があの大陸の向こうへ残っている。けれど不思議だった。胸は痛むのに
「……ファンから逃げたときだよ」「逃げたとき?」「劇場を出たところで見つかってさ。やっと振り切って駐車場まで来たと思ったら、別の連中が向こうから来た。また見つかったら面倒だと思って、隠れる場所を探したんだけど――」テリィは自分たちが座っている枝を軽く叩いた。「ちょうどいい木があった」キャンディは想像してしまった。ニューヨークの街で、大勢の女性たちから逃げ回り、最後には木の上へ避難しているテリィ。「あはは……それおかしい!」「俺は必死だったんだ」「それで?見つからなかった?」「
「8年です。その間、キャンディにはキャンディの人生があった。僕にも僕の人生があった。それは当たり前のことです。……あの時、僕たちは別れるしかなかった……それも分かっています」ポニー先生の表情がわずかに変わった。「僕を庇って人生が変わった彼女をあのままにして、僕たちだけが幸せになることはできませんでした。キャンディも同じことを思った……。だからキャンディが帰ると言ったとき、その意味が分かったから止めませんでした……いえ、止められませんでした」テリィはゆっくり息を吐いた。「今になって、あれが
七月も半ばを迎えたシカゴは、強い陽射しの中に夏の気配を濃くしていた。街路樹の葉は深い緑に染まり、石造りの建物の壁には、午後の光が白く反射している。行き交う馬車や自動車の音、人々の話し声。大きな街の喧騒が絶え間なく続いていた。テリィにとって、シカゴは初めて訪れる街ではなく、劇団の地方公演で、これまでにも何度か滞在している。それに私的にはつい数ヶ月前にキャンディとシカゴで会った。テリィは数日前、シカゴで借りた自動車を走らせ、インディアナのポニーの家へ向かった。ポニー先生とレイン先生へ、キ
「ポニー先生……」キャンディは縋るように尋ねた。「先生……運命って……あるのですか?」ポニー先生はしばらく黙っていた。揺れる蝋燭の火を見つめながら、静かに言う。「そうですね……」小さく微笑む。「神様が最初から結末を決めておられたのかどうか、それは私にはわかりません」キャンディは目を見開いた。運命を信じる人なら、もっとはっきり答えると思っていたからだ。「ですが――」ポニー先生は続ける。「あなたとテリュースさんのお話を聞いていて、私は思うのです」礼拝堂の静寂の中、声だけが穏や
二月になっても、マンハッタンの風は容赦なく頬を刺した。ガラスの回転ドアが開くたび、乾いた冷たさが廊下へ入り込んでくる。鼻先をかすめるのは、いつもの消毒液の匂い。磨かれた床。洗いたてのタオル。診察室の奥で交わされる低い声。何年も通っているうちに、そのどれもが特別ではない日常の欠片になっていた。スザナにとって、リハビリはもう「歩くため」だけではなくなっていた。最近になって、小さなラジオ局で物語の朗読や番組のナレーションを任されるようになった。長時間立ち続けることはまだ難しい。それでも、義足
婚約してから数日後。稽古を終えたテリィは、マンハッタンの法律事務所を訪れていた。古い煉瓦造りの建物の二階。ここへ来るのは、初めてではない。あの日、テリィはロンドンから忽然と姿を消した。それはキャンディを学院に残すためだった。二人は罠にはめられたが、キャンディだけが退学になる可能性があった。アードレー家の養女としてロンドンへ留学していた彼女にとって、学院を追われることは、単に学校を辞めるというだけでは済まない。自分が退学になる代わりに、キャンディを残してほしい。そのために、テリィは自分が
夜更け。ポニーの家は静かな眠りに包まれていた。子どもたちの寝息だけが、廊下の向こうからかすかに聞こえてくる。ジョシュアは眠れなかった。キャンディから聞いた言葉が、何度も胸の中で繰り返される。――私は、ジョシュアを信じてる。――みんな、あなたに幸せになってほしいって願ってる。うれしかった。それなのに、胸は苦しかった。喉の渇きを覚え、静かに部屋を出る。キッチンの扉を開けると、窓辺に一人の男が立っていた。月明かりに照らされた横顔。テリィだった。テリィが人の気配に気づき振り返る。「君も…
木立の向こうから聞こえてきた会話は、最初は偶然だった。立ち去ろうと思えば、いつでも立ち去れた。だが、一歩を踏み出そうとしたその瞬間――テリィは、その場を動けなかった。「テリィに私は傷つけられていない。寧ろ、その逆……私が彼を傷つけたの」その言葉が、足を止めた。胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。――違う。思わずそう叫びたくなった。傷つけたのは俺だ。ずっと、そう思ってきた。スザナの事故、責任。あの日、キャンディは「私帰るね」と静かに言った。別れる、とは言わなかった。それでも分
晩秋のニューヨークは、朝から澄み切った青空が広がっていた。街路樹は赤や黄金色に染まり、歩道には色づいた落ち葉が風に舞っている。頬をなでる空気には初冬を思わせる冷たさが混じり、行き交う人々もコートの襟を立てながら足早に行き交っていた。テリィは郵便局の前で足を止めた。手の中には、一通の封筒がある。何度も書き直し、何度も読み返した手紙だった。その封筒を見つめながら、テリィは小さく息を吐く。キャンディの住所は知らない。どこで暮らしているのかも、わからない。ただ一つ確かなのは、あの日、全国看