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午後の光が、ペントハウスのリビングにやわらかく広がっている。窓の外では、遠くに自動車の音。だが部屋の中は静かだった。テリィはソファに腰を下ろし、分厚い台本を広げている。ページをめくる音。ときおり低く台詞をつぶやく声。「……」真剣な横顔。その隣に、キャンディ。最初はきちんと座っていたのに、いつのまにか肩が少しずつ傾いている。「ふぁ……」小さなあくび。「眠いなら少し寝れば?」テリィは目を上げずに言う。「ううん、眠くないわ」即答。だがその声はすでに半分夢の中。しばらくして、と
午後の買い物帰りだった。パンと野菜、少しだけ上等な紅茶の缶。紙袋を抱えて、ふたりは並んで歩いていた。空は曇っていたが、降る気配は薄かった。それなのに――ぽつり、と肩に落ちた冷たい感触。「降ってきた?!」言い終わる前に、大粒の雨が落ちてきた。初夏のにわか雨は、容赦がない。石畳を叩く音が急に激しくなる。「急ごう」テリィが紙袋を持ち直す。ふたりは駆け足になる。軒下から軒下へ。帽子のつばから水が落ちる。キャンディのスカートが濡れて重くなる。だが次の瞬間、さらに激しい雨が降り出し
庭へ出ると、夜の空気はひんやりとしていた。昼間のやわらかな陽射しの名残が、まだ石畳にわずかに残っている。遠くで鐘の音がかすかに響いた。キャンディは肩にショールをかけ、深く息を吸う。二人は並んで歩く。灯りのこぼれる窓を背に、庭の奥のベンチへ。屋敷の灯りが背後でやわらかく揺れている。「イギリスへ来る前にね」アルバートが口を開く。「ポニーの家に立ち寄ったんだ」キャンディは顔を上げる。その一言で、胸がきゅっとなる。「ポニー先生とレイン先生に会ってきたよ」キャンディの目がやさしく潤
初秋の夜。ふたりは遅くに帰宅した。通りはまだ賑やかだが、建物の中はひっそりとしている。アパートメントのエントランスロビーの片隅には、真鍮の格子扉のついたエレベーター、いつものようにふたりは乗り込んだ。重いレバーを握ると、ゆっくりと上昇を始める。「なんだか雨が降りそうね」キャンディが小さく言う。「そうだな」テリィは天井を見上げる。湿った空気が漂っていた。三階を過ぎ、四階へ。そのとき、ガクン、と衝撃が走った。次の瞬間、灯りが消える。暗闇。一拍遅れて、金属のきしむ音が止まる。
夏の陽射しが照り返し、蝉の声が遠くで賑やかに響き、ポニーの家では子どもたちの笑い声が響いていた。キャンディは手のひらに包んだ白い封筒を見つめていた。昨日の夕方、診療所から帰ってきたキャンディのもとに届いた一通の手紙…それを受け取ったときキャンディは、息をのんだ。(エレノア・ベーカーから…?)世界的に有名な女優。スコットランド、ロックスタウンでお会いしたテリィの母。何か、ある。直感のようなものが、胸を締めつけた。すぐにキャンディは、自室の窓辺に腰かけて、封を開けた。涼しい風がカーテ
長い救護活動を終え、ようやく自宅の扉を開けた。玄関を閉めた瞬間、耳にこびりついていたサイレンや人々の叫び声が、まだ頭の奥でこだまする。静けさが返ってきたはずの家が、むしろ不気味に思えた。マーサが振り返り、小声で「おかえりなさいませ」と言ってくれる。その目に浮かんでいたのは安堵と心配。彼女は眠る子を見守ったまま、気遣うように静かに立ち去った。ここは安全な場所だ。そうわかっているのに、胸の鼓動は荒く、肩は強張ったままだった。寝室へ入ると、ベビーベッドの中で長男が小さな寝息を立てていた。
初日以来、私は一度も客席に足を運ばなかった。けれど毎日、舞台へ向かう彼の背中を見送ることだけは、欠かさなかった。――それが、私にできる唯一のことだったから。初日の朝。黒い鞄を手にしたテリィは、玄関でほんの一瞬だけ立ち止まり、低い声で言った。「……行ってくる」抑えた声音の奥には、張り詰めた緊張が宿っていた。私は笑顔で「行ってらっしゃい」と答えたけれど、閉じた扉の向こうで響く足音が、どこか重たく聞こえた。――この二か月間、彼はきっと過去と真正面からぶつかり続けるのだ。そう思うだけで
夜もすっかり更けていた。帰宅してからシャワーを済ませ、テリィとキャンディはリビングのソファーに並んで腰を下ろしていた。照明は落とされ、ランプの柔らかな光だけが部屋を包んでいる。長い一日だったはずなのに、不思議と疲れは感じなかった。胸の奥に残っているのは、祝福の余韻と、ほんのり温かな幸福感。キャンディが、ソファーの背にもたれながら言った。「……本当に、素敵な結婚式だったわね」「そうだな」テリィはグラスをテーブルに置き、背もたれに体を預ける。「二人とも、すごくいい顔してた」「うん
この日も小道具も照明も片づけられた静かな舞台に、テリュース・グレアムの姿があった。夜の稽古場。スタッフは皆帰り、灯りは舞台上の仄かな作業灯だけ。椅子に座り、膝の上で開かれた台本を見つめるその横顔は、どこか幼くもあり、強い決意を秘めていた。ふと、ページの端を指先でなぞる。何度もめくったせいで、すこし折れていた。そして、言葉を噛みしめるように、そっと読み始める。「…忘れようとしていた。思い出さないようにしていた…」静かに、丁寧に、言葉が宙に溶けていく。ささやくように吐き出された台詞は
ヴィクトリア駅は、5月の陽射しに包まれていた。蒸気がゆっくりと空へ溶け、列車の扉が開く。キャンディは、子どもたちの手を握りながら人波を見つめていた。「まだ?」オリヴァーが背伸びする。「もうすぐよ」オスカーは落ち着かず、テリィのコートの裾をつかんでいる。そのとき、人波の向こうに、見慣れた背の高い姿。穏やかな笑み。「キャンディ!」やわらかな声。キャンディの顔がぱっと明るくなる。「アルバートさん!」駆け寄る。懐かしい安心感。「元気そうだな」「アルバートさんも!」アルバー
「延長…か」拍手の余韻がまだ耳の奥に残っていた。ハムレットは上演の期間延長が発表された。成功の知らせに、誰もが浮き立っていた夜。けれど、心の中に浮かんだのは、雪の夜に消えていった、彼女の姿…雪が舞っている。白く、静かに、街灯の下で踊るように降るその姿を、テリュース・グレアムは傘もささずにしばらく見上げていた。舞台が終わり、喝采の余韻も、仲間の笑い声ももう過ぎ去って、彼は今、ひとり歩く。手袋越しにポケットをまさぐると、小さな紙片が出てきた。それは昼、公演前に劇場スタッフ
九月の初め。稽古場を出るころには、空はもう薄く色を失い始めていた。一日じゅう言葉を吐き、動き、立ち、崩れ、また立つ。身体は疲れているはずなのに、頭だけが冴えている。ハムレットの言葉が、まだ胸の奥で反響していた。テリィは、遠回りをするように劇場の正面へ回った。夕暮れの空を背に、ストラスフォード劇場の正面に、大きな看板が掲げられていた。『HAMLET』王子とオフィーリアの姿。光と影を含んだその絵は、まだ新しく、どこかよそよそしい。その下に、はっきりと刻まれた名前がある。《主演・
『ヴェニスの商人』千穐楽の翌朝。舞台袖で浴びたあの温かな拍手の残響が、まだ耳の奥にこびりついている。客席の笑い声、アントーニオとして交わした視線の重み。長く溜めた沈黙が、言葉より雄弁に感情を伝えるあの感覚は、演じ手としての快感でもあった。だが――今日からは違う。書斎の机に置かれた台本。題名には太い活字で『人間ぎらい』とある。アルセスト。皮肉と憤りを吐き出し続ける男。最初のページを開いただけで、彼の長く鋭い台詞が眼前に迫ってくる。テリィは試しに読み上げた。「ええ、私は人間の習
団長ロバートは、早朝の劇場にひとり佇んでいた。舞台上には、まだ昨夜のオーディションの気配が残っている。床に落ちたチョークの粉、動かされなかった椅子、閉じきらない暗幕。それらはすべて、決断が先延ばしにされてきた痕跡のようだった。ロバートは、客席の中央に立ち、舞台を見上げる。(ハムレット)十年ぶりの再演は、それだけでも重い。だが、今回は、それ以上に主演の選択が劇団の行く先を決める。「来ていたのか」背後から足音がした。振り返るとブライアンだっ
夜のロンドンは、5月とはいえまだ冷える。だがグランチェスター公爵家のタウンハウスは、外界とは切り離された静かな温もりに包まれていた。ダイニングルームの扉がゆっくりと開かれる。高い天井、壁には代々の肖像画。長いテーブルの中央には、白百合と若草色のリボンが飾られている。公爵はテーブルの上座に立ち、客人を迎える。「今宵は、再会の晩餐だ」アルバートと目が合う。「こうして顔を合わせられることを、心から嬉しく思う」公爵の言葉は簡潔だが、重い。アルバートが静かにうなずく。「私も同じです
キャンディは、その場に立ち尽くしていた。声も出ず、足も動かない。ただ、風に揺れる草の匂いと、西の空に傾いた夕陽だけが、現実を知らせていた。長く伸びた影が、一歩ずつ、そこにいる人の輪郭を浮かび上がらせていく。それはまるで、夢が形を取っていくようだった。雑誌の見出しで目を引くあの名前。舞台の評判とともに語られる俳優、テリュース・グレアム。けれど今、シロツメクサの丘に立つその人は、どんなに大人びていようと、間違いなく彼女の知る“テリィ”だった。あの頃と変わらぬ、やわらかな眼差し。ただ、彼
スザナは、リハビリ室の窓際で車椅子に腰かけていた。誰かを待っているようにも、ただ時間をやり過ごしているようにも見えた。この数日、エミリーの姿を見ていない。会えばいつも、あの眩しい笑顔で話しかけてくれた少女。舞台の話、学校の話、未来の話。いつも何かに夢中で、きらきらと前を向いていた。だからこそ、その不在が心に残っていた。やがてドアが静かに開いた。そこに立っていたのは…少しやつれたような顔のエミリーだった。「こんにちは…ご無沙汰してました」「ああ、エミリー。久しぶりね」いつもより
今さら・でも―キャンディキャンディいつもアクセスいただきありがとうございます©水木杏子/いがらしゆみこ画像お借りしますブログを最初から読む二次小説を最初から読む11年目のSONNET目次スピンオフ本編前本編後キャンディ雑談を読むFinalStoryの考察を読む考察①FinalStoryって?考察②新旧手紙の比較考察③あのひとは誰?考察④Finalと漫画の違い考察⑤テリィの手紙考察⑥男アルバートさん考察⑦
冬のはじめ。ロンドン・メイフェアの夜は、霧の香を纏って静かに沈んでいた。フィリップ卿の私邸で催された慈善演劇の打ち合わせで出会ったひとりの女性……レディ・アシュフォード。貴族の生まれにして、慈善活動と社交界の中心に立つ女。その微笑は魅了というより、支配の香を放っていた。彼女は、テリィが“断り”を重ねるたびに、より強く彼を求めるようになっていった。招待状は毎週のように届き、花束、舞台への寄付、そして甘やかな言葉。だが、テリィは一度として応じなかった。「舞台は誰のために立つの?」「観
図書館で里中満智子先生の漫画「里中満智子作品集」3巻を借りた。この3巻の最後に15ページの短編「藤棚の下で」という話があるのですが、これがなぜかとてもインパクトのある話でした老齢の女性が家の庭にある藤棚をあまりに大切にしているものだから、息子家族は家の建替えをしたくてもできない。彼女は良家の娘で、居候をしていた男性と恋仲になるも戦争が始まってしまう。最終的にその男性は亡くなってしまい、身ごもった彼女が一人子供を育てるわけですが、その男性が亡くなったときのことを藤棚の下に座りながら思
スピンオフ・静かな火花稽古場には熱気があった。舞台上では、グラティアーノの第一代役——テリュース・グレアムが、堂々たる佇まいで台詞を響かせていた。その鋭さも柔らかさも計算し尽くされた声と所作。抑えた感情の奥に宿る情熱。演出家が求める「洗練された熱」が、まさにそこにあった。舞台袖—。「まったく。あれじゃ、どっちが本役かわかりゃしない」ぽつりと吐き捨てるような声に、そばで出番待ちをしていたケビン・マクグラスが眉をひそめた。発言の主は中堅の俳優。顔立ちはいいが、最近はあまり目立った役を
午後の光がやわらいで、街の喧騒がひとつ外套を脱いだように静まるころ。セントラルパークは、別の時間をまといはじめる。ブロードウェイの電飾も、クラクションも、ここまでは追ってこない。風が梢を撫で、赤や金に色づいた葉がゆっくりと舞い落ちる。石のテラスには午後の陽が斜めに差し、影は長く、やわらかい。ベンチに並んで腰かけるふたり。彼の帽子のつばに、ひとひらの葉が落ちる。「似合ってるわ」キャンディが笑う。テリィはわざと気づかないふりをして、しばらくそのままにする。遠くを、黒塗りの馬車がゆ
冬のロンドン特有の冷たい霧が街を包み、ペントハウスの窓ガラスも白く曇っていた。広い書斎の机に、テリィが事前に用意したノートと鉛筆、そして問題集が整然と並んでいる。(こんな立派な机で勉強するなんて……人生で初めてだわ)緊張で手が冷たい。しかしキャンディはにこにこと紅茶を出してくれ、「スージー、大丈夫。テリィは怖くないわよ。ちょっと不機嫌そうに見えても“素”がそうなだけだから」と微笑む。その声に励まされるように姿勢を正したところで、書斎の扉が開いた。「では始めよう」テリィが現れた。黒いシ
準備のざわめきの中で、その知らせは静かに伝えられた。「ライナスくん、足、やっちゃったみたいで。今日のステージは…無理そうです」ざわめきは一瞬で止まり、そしてすぐに再び動き出した。誰かがメイクブラシを置き、誰かが衣装のハンガーに手を伸ばした。騒ぐ者はいない。ただ、空気が一つ、変わった。「…ケビンくん、いけますか?」名前を呼ばれたケビンは、ゆっくり立ち上がった。「はい、大丈夫です」その言葉が嘘ではないことを、周りの誰もが知っていた。代役稽古は、稽古場が静かになったあとにやっていた。
8月に久しぶりに子供時代の友人に会った際、キャンディキャンディの漫画だけは持っていると聞いて、子供時代に仲間が少なくあまり聞くことができなかったあの質問を今更に投げてみた、そう、やってみたかったのです「誰が好きだった?テリィ?」「そうねえ、テリィはないねだれだっけ、名前忘れたけどあの兄弟の性格のいいほうの・・・」「ああ、ステアね」テリィ推しの自分ですが、好きな男性に順番につけるとすると1テリィ2アンソニー3ステアなぜアルバートさんがいないのか理由
翌日の午前、エレノアの愛車で向かったのは、ロサンゼルスの北側に広がる撮影所街だった。正門をくぐると、白壁の建物と木造の倉庫のようなスタジオが並び、あちこちで台車に乗せられた大道具が運ばれていく。中庭では、羽根飾りをつけたエキストラの女性たちが談笑し、背広姿の男たちが台本らしき束を小脇に抱えて歩いていた。「映画は初めてかしら?」エレノアが振り向くと、キャンディはうなずき、瞳をきらきらさせていた。「舞台と似てるようで全然違うんですね。こんなにたくさんの人が動いてるなんて」スタジオの中に入
キャンディキャンディなかよし連載の最終回ではキャンディとアルバートさんが結ばれる未来が予想出来たとの見解が多い中ブログ主は全くそのように思えなかったのですそれはなぜか…前に記事にも上げた理由とキャンディはテリィのことを諦めようとしていましたがアルバートさんに恋愛感情を抱いたことはなくその後もロマンスが芽生えるようには伝わって来なかったから小学生だったブログ主はストレートな表現がないと汲み取れなかったそれにこちらも前の記事でも書きましたが一つの物語の中で主人
日曜の午後、リハビリ施設のラウンジには、ゆっくりとした時間が流れていた。窓から差し込む光が白い床に反射して、明るさが室内を包む。スザナ・マーロウは窓際の席に座って、湯気の立つコーヒーを片手にぼんやりと外を眺めていた。今日の彼女は義足をつけていない。進まない。そう感じる毎日だった。義足の装着も、慣れるには時間がかかる。歩けるようになることと、軽やかに動けるようになることは、まったく別物だ。彼女がいま取り組んでいるのは、生活のためのリハビリ。ただそれだけ。未来のための何かではなかった
ニューヨーク郊外。夏の気配が色濃くなりはじめた午後。リハビリ施設のサロンには、庭から差し込む陽射しが、床に細かな影を落としていた。うぐいす色のカーテンが風に揺れ、埃と花の香りをほんのりと運んでくる。スザナ・マーロウは、いつものように部屋の奥の長椅子に腰掛けていた。訓練のための義足は脱ぎ、左脚には薄手のタオルをかけてある。移動はほとんど車椅子で、義足はあくまでリハビリ時のみに使用していた。リハビリの疲労がまだ脚の付け根に重く残っていた。痛むというより、鈍く身体の一部が拒むような、そんな感覚
「ねぇねぇ、聞いた?ついに事務局にファンレター届きはじめてるんだって!」食堂の戸口からノアがやってきて、食器の音が残るテーブルにドンと両手を置いた。夜の食堂はもう片づけも終わり、数人のメンバーだけがそれぞれのマグカップを手にして座っていた。「今日の昼の回終わった後、スタッフさんがこっそり言ってたんだ。『お手紙、届いてますよ~。3日目にして何通かまとまってきました』って!」「え?ほんとに来たの?早っ!」ケビンが驚いた顔をしながら、ソファ代わりにしていた木の長椅子から身を乗り出した。